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身に覚えはありませんか?  作者: 三嶋トウカ
冬:第7便~第9便

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第31話:【第7便】贅沢ミートローフ_1


 朝、目が覚めたとき、窓の外がいつもより明るかった。カーテンを少しだけ開けると、雲ひとつない青空。ベランダの植木鉢が小さく揺れて、乾いた葉が一枚だけ縁から落ちていく。


 「今日はいい日」と口に出してみる。

 自分で言うのもあれだが、声がすこぶる軽かった。カレンダーの今日の日付には、赤いペンで小さく丸がついている。今日は、届く日。

 ここ最近の生活は、この丸印を中心に回っている。丸がある週は、何となく仕事も頑張れるし、部屋もいつもより片づく。誰かが見ているわけでもないのに、ちょっと背筋が伸びる。


 歯を磨きながら、スマホの通知を眺める。

 SNSに、前回のポトフの写真を上げた投稿。一か月経過したが、未だにいいねが増えている。「ありがと」と小さく言って、指で画面を撫でた。こんなに伸びるなんて、嬉しくて仕方がない。

 キッチンでお湯を沸かし、トーストを焼く。パンが弾く乾いた音、やがて広がる香り。マグカップを両手で包むと、手のひらに熱が戻ってきた。


「今日、何が来るかな。お総菜系? それとも、またスープ?」


 独り言と鼻歌は、今の私には欠かせない。機嫌よく過ごすということは、日常生活にとって非常に有益なんだと、遅ればせながら気が付いた。

 テレビをつけると、朝のニュースで「年末に向けて『手作り料理』が人気」と特集していた。画面の中の知らない誰かが、練った肉を型に詰めて、上からスプーンで丁寧にならしている。


「いいなぁ、こういうのも」


 型を使うなんて、きっと凝った料理だ。それを、家庭で作るという難しさと楽しさ。今の私なら、きっと後者が勝つ。画面の向こうで、スプーンの背で表面をつるっと滑らせる手元。見ているだけで気持ちいい。


 今日は在宅勤務。弊社的に珍しいが、最近夢見が悪くて寝不足気味の私には、嬉しい限りだ。九時前にPCを立ち上げ、チャットに「おはようございます」と挨拶を入れる。いつもの朝礼だが、その音は静かだ。上司の問い、チームの近況、軽い雑談。「年末に向けて体調管理を」みたいな一言が流れて、空気が少し緩む。


 あっという間に年末を迎えるだろう。一年が早い。


「はー、午前は資料直しだな」


 独り言を言ってから、ファイルを開く。集中すると、キーボードの音が規則的な音楽になる。ときどき窓の外を見て、深呼吸する。青空が切れ間なく続く日は、いったい年に何回あるだろう。


 十一時半を過ぎるころ、外から子どもの笑い声が聞こえた。ベランダの向こうで、干してあるタオルが風にふくらんで、しぼむ。そのリズムが煮込みの時に出来る泡のに似ていて、ちょっとおかしくなる。

 キーボードを打つ指が止まったとき、ふと爪の間に少し赤みがあるのに気づいた。インクでも付いたのだろうか。シンクで手を洗い直すと、すぐ消えた。


 昼はSNSでお勧めされていた時短パスタに挑戦する。初めて作ったが、なかなか良い出来だった。


 お腹を満たして、午後の作業に戻る。資料の図を差し替え、文章を一本書き直し、上司のコメントを返しているうちに、時間が急に速くなる。十四時を過ぎると、玄関のほうの気配に敏感になる。

 車のエンジン音に、外に響く靴の音。それから、鳴りそうでならない、インターフォン。


「まだかな」


 独り言の頻度が上がる。何度目かの深呼吸の直後、スマホの通知が震えた。


『本日中にお届け予定』

「やった」


 ここまで来たら、あと少し。冷蔵庫のドアポケットに空きを作り、テーブルの上を片づけ、撮影用にランチョンマットを引き出しから出しておく。光の角度まで確認して、自分で笑ってしまう。まだ、予定なだけなのに。


「準備しすぎだよね、私」


 そう思っていたが、なぜか今日はいつもよりも到着が早く、十五時には荷物を持った宅配会社の人が、私の元へとやってきた。

 今日も、この手に渡された荷物は重い。


 ドアを閉めて、箱の側面のラベルを確認する。もう覚えてしまった、私だけの番号。


 箱をテーブルに置く。ハサミを取りに行く前に、手のひらの跡が、うっすら箱の表面に残っているのに気づく。きっと、外と中の温度差で曇っただけだ。取り敢えず、指先でなぞって消したつもりになる。


 チャットのアイコンを『離席中』へ変更し、私は開封の儀を始めた。仕事が終わるまで、とても未開封状態は我慢できない。


「おお……これは、なかなか」


 箱の一番上には、いつもの案内紙。まだ読まない、先に中身だ。箱の四隅の保冷材を取り出して、真ん中の食材をそっと見る。丁寧に仕切られた段。上段にパック、下段に瓶や小袋。

 この瞬間が一番好きだ。自分だけの、小さなショーケースを覗いているような気持ちになる。


 しまい忘れていた洗濯物が一枚、椅子の背にかかっている。畳もうとして、私は手を止めた。インターホンの余韻が耳の奥に残っている。あの宅配のお兄さんの声が、少し誰かの声と重なって聞こえた気がした。


「……やっぱり、寝不足かな」


 ここのところ、とにかく夢見が悪い。だが「嫌な夢を見た」ことは覚えているが「どんな夢を見た」のかは、具体的に何も覚えていなかった。確かに、苦しい夢を見たのに。その苦しさは、起きてからもまだ胸に残っているのに。

 肩をすくめてから、先に洗濯物を畳んで、ソファの端に置く。指先の動きがいつもより滑らかで、普段と違う畳み方をしていることに気が付いた。まるで、誰かの癖をなぞっているように。……それが誰の癖かは、まったくもって思い出せないけれど。


 そうしてようやく、中身の確認作業へと戻る。

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