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身に覚えはありませんか?  作者: 三嶋トウカ
秋:第4便~第6便

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第30話:【第6便】あったかポトフ_5


 皿を洗い終えたあと、部屋が一気に静かになった。換気扇も止めたから、湯気の名残りのような空気もゆっくり薄れていく。

 まだ香りは残っている。肉と野菜の甘い匂い。少し冷えたスープの味。


「……アンケート、書かないとね」


 椅子を引いて腰を下ろす。

 テーブルの上には案内紙と、折りたたまれたアンケート用紙。卓上のライトを少し落とすと、紙の影がテーブルの木目に溶けた。


 ボールペンを手に取って、番号の欄を見る。

 いつもどおりの『00482181』。


「もう覚えちゃったな、これ」


 声に出して笑う。カレンダーの日付を見て「11月14日」と書き足した。

 ペンの先を少しだけ唇に当てて考える。


「味は……とても良い、だよね」


 軽く頷きながら、チェックをつける。


「ほんとに、美味しかった! ってか、それ以外ないもん。美味しくなかったこと、ある?」


 口にした言葉が、部屋の中に明るく響く。ペンを滑らせながら、私の文字が並んでいく。


『とても優しい味でした。寒い日にぴったりで、体がぽかぽかしました。……』


 一度書き終えて、顔を上げる。


「……今日は、誰かと二人で食べた気分」


 自分でも不思議なくらい自然に出た言葉。気持ち悪いと一瞬感じたが、それをそのまま書き足した。


『あったかくて、誰かと一緒に食べているような、そんな気持ちになれました』


 書き終えて、「変なこと書いちゃった」とやっぱり思う。

 だが、消すことはせずに、そのままにしておこうと決めた。感想なのだから、何を書いても良いだろう。

 次に香りのことを思い出す。

 スープの湯気が鼻の奥に残っていて、ほんの少しハーブに混じって、一瞬だが何かの金属の匂いが混ざっていた。


『スープの香りが豊かで、包まれるようでした。身体の奥まで温かくなりました。』


 言葉を並べながら、スープの煮立つ音がまだ耳に残っていることに気付く。もう火を止めてずいぶん経つのに。


「アレンジは……当然リゾットだな」


 書き進める。


『残ったスープでリゾットを作るつもりです。絶対に美味しいと思います。それから、パスタを入れてみたいです。』


 書きながら、明日の朝ご飯のことを考えた。

 冷蔵庫の中の、まだ使っていない食材とスープ。

 今日、煮込む時間はあれど、出来上がるまでの工程は非常に簡単だった。

 休みの日だから、きっと余裕をもって朝食を作れる。


「明日の朝もあったまりそう」


 ペン先を指で回しながら、次の欄に目を移す。さらさらと進むペン先は、今回のポトフの美味しさを主張するようだった。


「……ほんとに、ここで誰かと食べたみたい」


 そう呟いてから、ペンを走らせた。最初のコメントと言い、自分でも頭がおかしくなってしまったのかと思う。

 このモニター便が届き始めてから、気持ちが何だか敏感になっている気がした。


「えーっと、最後は……『届くたびに嬉しくて、これがあると頑張れる気がします。これからもよろしくお願いします』で締めかな」


 今回は、今までと比べて何となく文字数が多い気がしている。

 少し書きすぎたのかもしれないと感じてしまい、少し迷ってから下に小さな文字を足した。

 インクが乾いた跡を見て、静かな満足感が広がる。


「いいんじゃない?」


 紙に書いた内容を、アンケートフォームを立ち上げて再度打ち込む。

 アンケート用紙は、私にとってトロフィーなのだ。

 一年かけて私の元へと届く、名誉ある勲章のような。

 だからやっぱり、手元へ置いておきたい。


 なんの気なしにテレビをつけると、画面の中でポトフの湯気が映っていた。白い皿、木のスプーン、そしてスープの色。


「あ、みんな同じもの食べてるんだね」


 たまたまだが、その偶然が何だか嬉しい。

 ただ食事を下だけなのに、自分の感覚が認められたような気がして。

 テレビを消すと、静けさが戻る。テーブルの紙を見て、微笑んだ。


「本当に、ありがとう。ごちそうさま」


 その声がやわらかく部屋に響いた。

 一息つき、スマホを手に取って、SNSを開く。

『#懸賞当選』『#ポトフ』『#おうちごはん』

 さっき撮った写真を見返すと、湯気が指の形みたいに写り込んでいた。


「……意外といい感じ?」


 少し迷ってから、投稿ボタンを押す。画面には小さく『アップロード中です』の文字。一瞬で進むバーを見ながら、私は思った。


「誰かが見てくれたらいいな」


 投稿が完了して、スマホをテーブルに戻す。その瞬間、アプリの通知音が鳴った。

『フォローされました』

 アイコンの小さな円が、どこかで見た手の形をしていた。


「……ん?」


 画面をタップするが、通知はもう消えていた。おかしいなと思ってフォロワーを見ても、何も変わったところはない。


「バグかな? 読み込みが遅いだけ?」


 気にせずにアプリを落とす。

 ちょっとだけそこに怖いことを紐付けて考えてしまうのが、私の悪い癖だ。何でもそっち方面に、ついつい結びつけてしまう。

 お風呂に入るため、キッチンの灯りを消し、リビングの明かりも落とした。

 薄暗い部屋に、ポトフの残り香だけが漂っている。香ばしくて、優しくて、少し鉄っぽい匂い。それが私には、今日みたいな寒いの夜の安心そのものに思えた。


「お風呂行かなきゃ……でも、もうちょっとだけ余韻に浸りたい」


 そう言って目を閉じる。

 胸の奥に、まだ食べた記憶が温かく残っている。あの味。あの匂い。あの、スープの甘さ。野菜の柔らかさ。肉の噛み心地に、それから誰かの笑い声と重なるような感覚。

 ……口の中に残る優しさだけは、確かにそこにあった。


「……ありがとう」


 誰に向けたものでもないが、その言葉が不意に口をついた。

 静かな部屋に、その声が溶ける。そして遠くで、もう一度『コトン』と聞こえる。

 鍋が、ゆっくりと、返事をしたように鳴ったみたいだった。

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