第21話:【第5便】特選ステーキ五種盛り_1
金曜の夜。いつもどおり会社を出ると、空気にほんのり焦げたような匂いがした。どこかの家で肉でも焼いているのかもしれない。
十月を迎えたが、まだまだ、暑い日はある。コートの出番は、まだ先のようだ。
「……いいなぁ」
小さく独り言が零れた。脂が焼ける、甘くて香ばしい匂い。思わず羨ましさが漏れる。
今日の昼はコンビニのおにぎりひとつ。午後からの会議が長引いて、結局、コーヒーで誤魔化したまま、いつの間にか定時を迎えてしまった。
歩きながら、バッグの中のスマホが震える。
「ん? 何?」
画面を覗くと、懸賞アカウントの通知がいくつか届いていた。ここ数か月、毎晩のように応募している。食品、日用品、家電、化粧品。
『とにかく手当たり次第応募する』のではなく『応募するのが習慣』になってから、通知が届くたびに日常が少し楽しくなった。
なんとなく、応募する対象を決めた後は、当たっても当たらなくても、応募することで満足できるようになったのだ。
当然、当たったら非常に嬉しいが。
駅前のコンビニに寄って、新作のモモサワーを一本。
これも懸賞で当たって、実は先週飲んだばかりだ。美味しかったから、リピートする。
「うん。今夜は肉の日にしよ」
そう呟くと、レジの店員が「いいですね」微笑んだ。油断していたことに恥ずかしさを覚えたが、愛想笑いをして切り抜ける。
袋を受け取って外に出ると、夜風が頬を撫でた。歩きながら缶を軽く振ると、手の中でとても小さくしゅわ、と中の泡が鳴る。それだけで少し元気が戻った。
改札を抜けて、電車に乗る。車内では、スマホの画面に映る懸賞アカウントをなんとなく眺める。
キャンペーンの投稿を引用して、立てに並ぶ『#当選』の写真たち。
お肉、ケーキ、ワイン、調味料。どれも食卓の笑顔と一緒に写っている。
「楽しそうでいいなぁ」
目の前にある、幸せそうな家族。懐かしさと羨ましさが入り混じる。憧れだった。
私の大切だった人は、どこか遠くへ行ってしまったけれど。
「ま、そう簡単に、上手くはいかないよね」
そう呟いた瞬間、スマホがもう一度震えた。
『お届け予定:本日18:00〜21:00(冷蔵)』
「あ、そうじゃん! 今日だ!」
思わず周りを見回して、誰にも見られていないのを確認してから、小さく笑った。
「今日も食べられるなんて、嬉しい!」
声を抑えたまま頬がゆるむ。スマホの画面には、発送通知と一緒に『本日はおまけ付きとなっております。是非、ご賞味ください』の文字がある。
まるで「今日は特別な夜だよ」と、誰かが言ってくれたみたいで、不思議な気持ちになった。
家に帰る途中、ふと思い立ってスーパーに寄った。
ガーリックチップ、バター、赤ワイン。
今回の中身は何かはわからないが、気分は肉だ。中身が肉でも良いように、ソースは自分で作ろうと思ったのだ。
もし、肉でなくとも、明日肉を買いに行けばいい。気が早いとは思ったが、今はこの気持ちに正直でいたかった。
棚の前でハーブ瓶を選びながら、「ステーキにローズマリーって合うんだっけ?」と独りごちる。
周りの主婦が笑ったような気がして、少し照れくさくなった。
マンションまでの道のりは、まだ暑いくらいだった。
最近、寒い日もちらほら顔を出し始めたと思いきや、突然真夏日のように暖かくなる。……いや、暖かいどころではない。
一人歩いていると、電柱の明かりが歩道にゆらゆらと影を落とす。
ふと見ると、バッグの中のスマホから、通知の光が漏れていた。なんとなく、内容の察しはつく。
『発送完了のお知らせ』
ほら、当たりだ。
オートロックを抜け、エレベーターで居住階まで上がると、我が家の前に見慣れた段ボール箱。
金色のロゴが照明を反射して光った。
あの、お届け便の印。
「……来た!」
駆け寄って、持ち上げるために膝をつく。
ラベルには『特選ステーキ五種盛り』、そしてその下に小さく『+おまけ:カットステーキ詰め合わせ付き』と書かれていた。
「ステーキだしおまけつきだし、今夜は最っ高!」
そう言って、思わずガッツポーズをする。
段ボールを持ち上げた瞬間、腕にずしりと重みがきた。今までのどの便よりも重い。
流石、ステーキだ。
「……塊肉でも入ってるの?」
そう言いながら、抱え直して玄関のドアを開けた。
バッグを置き、靴を脱ぎながら息をつく。
「今日も一日お疲れ様、私」
自分で自分を労う。馬鹿馬鹿しいかもしれないが、金曜の夜はそれだけで救われるような気がした。
テーブルの上に音を立てて段ボール箱を置き、照明を明るくする。
「これ、絶対おいしいやつだ……」
モモサワーを開けて、ひと口含む。もったりとした甘みが、舌の上で踊っている。
身体の奥がゆっくりほぐれていく。本当に、今日もよく頑張った。
箱の横のラベルには『保存温度:4℃以下/開封後はお早めにお召し上がりください』と書かれている。
「ではでは、早速中身を……」
わくわくしながら、ハサミを取りに立つ。
ざくっ、ざくっ。と小気味よい音を立てながら、刃がガムテープに当たる。
静かな部屋に、開封音が響く。
緩衝材をめくると、中から冷たい空気がゆっくりこぼれてきた。
指先に触れる空気が、中身の鮮度をひんやりと教えてくれる。
「うわ、冷たい……」
思わずニヤついた。
これは、中身にかなり期待できるだろう。
「……今日はゆっくりできるな」
カーディガンを脱いで、リビングのソファに腰を下ろす。
いつの間にか、スマホの通知がまた光っていた。
SNSのタイムラインには当選報告の文字と、美味しそうな食事の投稿が並んでいる。
私が、肉中心にポストを見ていたからだろうか。どの写真もきれいに皿に盛られた肉が写っていて、コメント欄には「美味しそう!」「涎が止まらない!」の文字が並んでいる。
「これ焼いたら、絶対すごい匂いになりそう」
届いた肉を想像して、口の中に唾がたまる。
先に換気扇のスイッチを入れると、すぐに換気扇が低く回りはじめた。
それだけで、部屋の空気が少し引き締まる。
「今からご馳走を作る時間」という合図だ。
モモサワーをもう一口飲み、冷気の残る箱の上に手を当てた。
紙越しに伝わる温度が、人肌より少しだけ温かい気がした。
「……そんなまさか」
ぽんぽん、と、段ボール箱を軽く叩く。
中から、微かに自分の名前が呼ばれた気がしたけれど、どう考えても気のせいでしかなくて「着替えてから開けよっか」と、私は寝室へ向かった。




