28話 エンネルーベの護衛はこれからも
その日、一年二組の教室は揺れていた。
「智香君! 今日は良い天気だね!」
「そうだね外崎君。でも、その話題もう十回目なんだけど……」
ここ数日の始業前の朝、一年二組の面々は智香と信一郎が仲良く会話しているという、信じられない現場を目撃していた。しかも、その会話は至近距離で行われており、智香が少し呆れ気味であれど、ごく自然に行われている。
転校初日の件を知っている一年二組の面々にとって、それは地球人が火星人とコンタクトを取ったに等しい事件だ。どうしても好奇の視線を向けてしまっていた。
「はいはい。見世物小屋じゃないんだから。ジロジロ二人を見ないの」
集まってくる視線を湊が散らし、クラスの面々をいつも通りに戻す。ちなみに湊の注意は三回目だ。まだ登校してない生徒と始業までの時間を考えると、もう一度くらいは注意しなければならないだろう。
「ああ、そんなに繰り返した話題だったか。すまない智香君。どうやら僕の頭は嬉しさで、ちんどんハッピーセットお子様バルカンランチ状態のようだ」
「どんな状態よアンタ……」
湊の呆れた視線が信一郎に刺さるが、当の本人は全く気にしていない。
「でも、すごいね外崎君。もう二分くらい息止めて喋ってない?」
「智香君と話せるならこのくらい朝飯前だよ。トレーニングも始めたからね。二十四分三秒の世界記録を超えてみせようじゃないか」
「アンタ、それって息止めてるだけの記録だからね? 世界記録は喋ってないからね?」
喋りながら二分以上息を止めている信一郎は既に凄まじいのだが、本人は更なる高みに行く気らしい。
「む!? ちょっと息継ぎにいってくるよ」
「あの、外崎君。私のために無茶してるならやめてね? 外崎君が身体壊すようなことあったら責任取とれないし……」
「大丈夫だよ智香君! 自己管理には自身があるんだ! ハッハッハッハ!」
「以前、智香の件で身体壊しかけたヤツが何いってんのよ……」
「ジュースも飲みたかったし、ちょどいいよ。では、また後で!」
湊のツッコミは聞こえたのか聞こえてないのか、信一郎は教室を出て行った。
「アレが智香の世界で魔王やってるなんて信じられないわね……」
「アハハ。私も湊と同じ」
「智香のお姉さんも変なヤツと仕事して大変ね」
あの日、湊と信一郎と妙有の三人には全てを説明した。智香が信一郎を殺してしまった詳しい経緯はもちろん、エクスディカテリアの件や、智香が魔界に戻りたくとも戻れないことも話している。
「……まだ狙われてるのよね。信一郎が変なヤツなのは知ってるけど、命を狙われるような重要人物とは思ってなかったわ」
そう、まだ信一郎は命を狙われている。
差し向けられる刺客は佐々木場だけではなかったのだ。
「エクスディカテリアの反応が消えてないからね。何処の誰かでいつ来るかもわからないけど、また外崎君は狙われる」
智香が姉二人にこっぴどく怒られたあの後、沙世から告げられたのだ。
【魔王を狙う刺客。健在】
ドスペラルドのスイッチを切っていたので智香にはわからなかったが、信一郎の魔界力暴走を止めた後、エクスディカテリアにその一文が表示されたのだ。
「信一郎が未来で魔王になるのは伊達じゃないってことね。昔、ママから聞いた映画みたいだわ」
「え? そんな映画があるの?」
「私は聞いただけで見たことないけどね。機械に支配された未来で人類が戦っててさ。その人類の指導者が子供だった頃に機械側がタイムワープして――」
例によって現れるだろう刺客の正体、出現時間、出現場所はわからない。佐々木場の時と同じで、信一郎の近くに現れなければ察知できないと沙世は言った。
なので、倒そうにも刺客から動いてくれないと智香は何もできないし、次を倒せば全部終わるとも限らない。
智香はいつ魔界に帰れるのか、全くわからなくなってしまった。
「おっすー」
妙有の声だ。智香と湊が振り返ると、紙パックのリンゴジュースに刺さったストローを咥えている姿が見えた。
ベコンと紙パックが凹むと同時、妙有が二人に向けて手を上げる。
「おはよー、信ちゃんは?」
「アイツは息継ぎで外行ったわ。ついでにジュース飲んでくるって」
「息継ぎで教室の外に行くって、これだけ聞くと全くもって意味不明だよね……」
智香は至極当然の疑問を口にするが、実際その通りなので何も言えない。
「で、どんな話で盛り上がってたの?」
「それがアイツさ。智香と話できるのが嬉しくて天気の話を十回も――」
『テステステース。聞こえますかもしもーし?』
『沙世お姉ちゃん? どうしたの?』
湊と妙有に離れるジェスチャーをして、智香は廊下に出る。
沙世は基本夜型だ。転校初日だった時はともかく、本来ならもう寝ている時間である。実際、今日の登校前に「そろそろ寝るわー」と言っていたのに起きてるとは、一体何の用だろう。
『ふあああ……姉さんが智香と話したいって……おぐっ!?』
『うええーん。智香ちゃんが帰ってこないなんて寂しいよぉー』
沙世はあくびの後、紅葉に撥ね除けられたようだ。通信の向こうの様子がありありと思い浮かぶ。
『刺客が全員いなくなったら帰るからさ。今は通信で我慢してよ。ね? 紅葉お姉ちゃん』
『……うん』
『たまにこっちに来た時はさ。思い切り甘えていいから』
『ホント!? ホントだね智香ちゃん! 次そっちにいったらショッピングしょうね!』
『そんな時間あるのかな……』
テンション高くウキウキで目を輝かせているだろう紅葉と違って、智香は冷静にツッコんだ。
『時間があるかは置いといて、私も紅葉お姉ちゃんと一緒に買い物したいなって思ってるよ』
『はうっ!? と、智香ちゃんもう一回言って……』
紅葉が智香を大好きなように、智香も紅葉が大好きだ。可能性が低いのはわかっているが、いつかはと思わずにいられない。
『しゃーねー。がんばってやっかな。紅葉姉さんがそっちに滞在できる時間を増やしてーのは私も一緒だし。近いうちにその辺の問題どうにかしてやんわよ』
『ほ、ホント沙世ちゃん!? 頼りになるぅ! さすが姉妹一番の頭脳だね!』
『当たり前だっての。私がいなきゃワープできねーし、魔界戦衣だって着れねーんだから。頼りになるのは当然だっての。あと、頭脳は魔界一番だっての』
『きゃー! 沙世ちゃんの自信満々! 最高よぉ! もっとふんぞり返ってー!』
『ふっ、このくらいでどーよ』
『すごーい! フィギアスケーターみたーい! お股から顔がでちゃいそう!』
『じゃ、またねお姉ちゃん達』
何やら姉二人のコントが始まったので、智香は通信を切って教室内に戻った。
「あ、外崎君戻ってきてる……そして息も止めている」
湊と妙有と話している信一郎から怖気がこないので間違い無い。息を止めて喋っているのに自然すぎる。おそらく信一郎が息を止めていることに気づけるのは智香だけだろう。
「私の為にあそこまでしてくれるなんて……」
信一郎は決して息止めが得意ではなかったはずだ。なのに、智香のためにトレーニングを繰り返し、今では最長記録を狙えそう(つか、普通に狙える)なくらいの実力がある。
知り合って間もない人物の為にここまでしてくれる異性。
「外崎君……」
そんな男子は智香にとって初めてだった。
「――ハッ!? や、やだ! 私の顔赤くないよね!?」
三人の会話に混ざろうと思っていたが、頬に手を当てると熱を感じる。
顔の熱を冷ますため智香は足を止めると、遠くから俯きつつ信一郎を見る。
「恋人になれ……か」
いつか沙世が言っていたことが浮かび、信一郎から抱きつかれた時の感触を思いだす。
――あれは不思議と安心感包まれた瞬間だったな。心が温かさで満たされているみたいだった。外崎君の力強くも優しい腕は、私の心に触れてるみたいで、ずっと抱きしめていて欲しいと思った。外崎君の鼓動を感じた時、私の鼓動がリンクしてるみたいになって、外崎君も私と同じ気持ちなのかなと――
「な、何考えてんのよ私ッ!? こんなピンクな記憶ッ!!?」
ブンブンと首を振って脳内を埋め尽くさんとする記憶を払った。
「こ、恋人とか沙世お姉ちゃんが言っただけで、私はそんなこと全然思ってないんだから……」
そこで不意に信一郎と目が合い――思い切り回れ右をしてしまう
「な、何やってんの私!?」
何処の誰がどう見たって失礼すぎる反応だ。また信一郎の胃と健康にダメージを与えてしまってはマズいと、すぐに智香は踵を返す。
「智香君……」
「わあっ!?」
振り返った瞬間、そこに信一郎が幽霊のように立っていた為、智香は悲鳴を上げた。
「ど、どうしたの外崎君?」
わかりきっているが一応聞いておく。
「さっき思い切り目を背けられたので失礼をしたのかと……」
「そ、そんなことないよ! たまたまだよ! たまたま! 意味なんかないの!」
「そ、そうか……それならよかったよ」
狼狽えながらも息を止めてる信一郎はさすがだ。
「あの……ね。外崎君」
そうだ。信一郎が息を止めなければならないとはいえ、もう側にいることができるのだ。
智香は思い切って信一郎に聞いてみた。
「外崎君さ。私の為に作ってくれたノートがあるんだよね? 良ければ見せてもらいたいんだけど……いいかな?」
信一郎が智香のために全教科分のノートを作ってくれていたことは湊から聞いている。
智香は自分に向けてくれた信一郎の優しさと努力を無にしてしまったことを、ずっと悔いていた。
「も、もちろんだよ! 僕なんかのノートでよければ、ぜひ活用してほしい」
ノートを受け取ることは以前の智香でもできた。だが、智香が信一郎に近づけないのではそれだけで終わってしまう。信一郎と会話せず、側に近寄らせず、一方的に知識を要求するだけなんて、そんな悲しいことはしたくなかった。
「ありがとう外崎君。それでなんだけど、そのノートの解説もしてくれると嬉しくて……つまり勉強を教えてほしいんだけど」
護衛だ魔王だ以前に、信一郎はクラスメイトなのだ。
智香はノートを見せてもらうなら、それを信一郎と仲良くなるきっかけにしたい。
――信一郎との仲を深める用件にできればいいな、と思っていた。
「もちろんだよ! 智香君が苦手な教科はなんだい?」
「その、国語と英語が苦手で……」
「OKだ! 今日の放課後でいいかな?」
「うん。ありがとう外崎君」
意味もなく早くなる胸の鼓動を抑えながら、智香は信一郎と約束した。
「……ううう」
そして、何故か信一郎が泣く。
「ど、どうしたの外崎君!?」
「智香君と約束できたことが嬉しくて……こんなことできないと思ってたから感動して……うおおおお!」
信一郎は「オーイオイオイオイ」と二昔前くらいにありそうな泣き声で、盛大に涙を流した。
「お、大袈裟だよ外崎君!」
「信一郎のヤツ……しばらくはこんな状態が続くわね」
「智香っちと仲良くなれた反動だね」
いつの間にかそばに着ていた湊と妙有は、泣いてる信一郎を見て呆れていた。
やがて始業のチャイムが鳴る。
智香は席につくと、放課後に行われる信一郎との勉強会を想像しながら、窓の外に広がる晴天を眺めた。




