第20話「皇帝と騎士。親友と違う道」
下着革命から一週間後。
「アリサ様、テオが……皇帝陛下がお呼びであらせられる。ご同行お願いできますか?」
実技が終わる頃、バルドゥインが何の前触れもなくやってきて、信じられない事を口にした。
「皇帝……陛下?」
「はい。今すぐにと……」
「わ、私なにかやっちゃいましたか?」
「それはもう、沢山の事を」
一気に血の気が引いていく。
確かに、ここに来てから私の行動を振り返ると、あまりにもやりすぎだ。
エロ司祭の一件に始まり、炎魔術のブレイクスルー、そして先日の下着革命。
現代日本の知識や常識を持ち込んで、一介の魔術師見習いが起こすにはあまりにも目に余る騒動の数々は、快く思わない人も多いはずだ。
つまり、私は調子に乗りすぎた。
「……あまりそう身構えないでください。アリサ様を処罰しようとも糾弾しようとも陛下は考えていませんから」
「へ?」
「むしろ、アリサ様の行いの数々に興味を示されていらっしゃいます。ただの召喚者ではないと」
「え、そっ……そうかなぁ?」
「はい。浅学の私めでは理解が及びませんが、貴方のお陰で帝都は活気づいています」
「それは……良かった……のかな?」
私はバルドゥインに連れられて歴代皇帝の肖像画が並び、何十人もの兵士による厳重な警備で守られた長大な広間へと通された。
その最奥には玉座があり……「皇帝」というにはあまりにも若々しく人当たりの良さそうな青年が鎮座していた。
そして、私は彼の恰好を見て思わずその衣装の名前を口にしてしまう。
「十二単……!」
いや、正確には更に時代を経て洗練され、重ね着の枚数が減った「五つ衣」か。
当然、その中には私が今着ているドレスと同じ藍染めの物が混じっている。
藍色の染色は着させて貰っている私が言うのもなんだが、タマ藍の無い地域ではかなり貴重な染色で、着ているだけでも強い財力を持っているとアピール出来る代物。
それが多重にある服のたった一枚に過ぎないのだと見せつける重ね着は、分かりやすく豪奢な外套を羽織るよりも国の財力を見せつけるのに効果的と言える。
王とは国のシンボルだ。日本では質素倹約の為政者が尊ばれるが、実際にはシンボルとなる人物の出で立ちや衣装でその国の力が推し量れてしまう。
つまり、彼の五つ衣は一切無駄な費用をかけず、それでいて他国へ帝国の力を効果的に誇示出来る様に計算され尽くしたコーディネートなのだ。
私は理解する。あの人懐っこい顔立ちからは想像もつかないほどに、彼は合理性と人心掌握の両方に長けた皇帝であると。
「余が第28代皇帝テオバルト・アウギュスト・フォン・ロッテンブルクである。召喚者アリサで間違いないな?」
「は、はい!」
呆然と立ち尽くしていた事に気が付き、慌てて跪づいて緊張で上ずった声で返事をすると、皇帝陛下はクスクスと年相応の笑みを浮かべる。
「いや、失敬。バルやルストから伝え聞く話に比して、とても人間味のある反応で思わず失笑してしまった」
彼は立ち上がると左手を挙げると、その合図に合わせて兵士達は去っていき、この広々とした空間には私と皇帝陛下とバルドゥインの3人だけになってしまった。
「其方はとても合理的で聡い者だと聞いている。仰々しい話は抜きにして最初から本題を話そう」
彼は玉座から立ち上がると、その五つ衣をたなびかせて私の下まで歩み寄ってくる。
「この格好は其方が気付いた通り、かの国の衣装を参考にしている。と言っても、数百年前の資料で知った範囲ではあるが」
やはり、帝国は過去にも私の国から……それも平安時代の公家のお嬢さんから召喚している。
「さて、それから更に何百年も先の世界から来た其方から見て、リガネ教はどうだ?」
どうって……。
私はなんて答えればいいんだ? もしも下手な返答をしたら強制送還もあり得る。
せっかくこの世界で上手くやっていけそうと思っていたのに、帰りたくない。
ドクドクと早くなる鼓動に反して、飽くまでも皇帝陛下は穏やかだ。
「……あぁ、そうか。なるほど、確かにこれではまるで異端審問だ」
おどけたように一度、彼は手を叩く。
「ではまず余から答えよう――リガネ教は邪魔だ、廃絶すべきだと考えている」
邪魔? いま、彼は廃絶とも言ったか?
「リガネ教は今や世界の足枷だ。これから世界は何処までも成長していくのにも関わらず、リガネ教の信徒達は技術の発展を糾弾し、教えに反すると言って妨害を続けている。これが邪魔と言わずしてなんと呼ぶ?」
「それは……」
「世界は暗黒期だ。かつて存在したオットボー帝国の栄華は失墜し、あの国で当たり前にあった技術や哲学は消え去った。それもリガネ教が世界衰退の原因を亡き帝国に押し付け、焚書をした為だ」
……私の世界でもそうだ。
ローマ帝国の衰退によりヨーロッパ全体の経済、文化、人口は悪化の一途を辿り世界はあの宗教に縋った。これは5世紀から15世紀のルネセンス期まで続き、暗黒時代と称される。
そこまで長引いた原因は縋った筈の宗教で雁字搦めになってしまって、立ち直る事すら阻んでしまったから……と皇帝陛下の様に考える人もいる。
「……私も似た考えです。リガネ教の為に生きづらく、不幸になる人も多いと見受けられます……」
脳裏にはイゾルデの顔が思い浮かぶ。
彼女も言ってしまえばリガネ教の支配によって虐げられた被害者の一人。彼女が受けた搾取や謂れの無い誹謗中傷を思えば、リガネ教への反感を覚えてしまう。
「わかってくれるか? あぁ……其方なら理解してくれると思ったよ」
皇帝陛下は朗らかな笑みを浮かべて……本当にあんな過激な事を口にしたとは思えない表情で、私の傍で跪き、手を取った。
「ならばこれから、余の助けになってくれるだろうか?」
「……善処致します……」
私は横目にバルドゥインの方を見る。
鉄面皮を気取っているが、その手は固く握りしめられ、震えていた。
皇帝陛下との謁見も終わり、私はバルドゥインに寮まで送られる事になった。
「あの、ごめんなさい」
「へ? アリサ様、どうかされました?」
「いや、その……リガネ教の事を悪く言われるの、愉快ではなさそうだったので」
「あぁ……やはり貴方には分かってしまいますか……」
バルドゥインは照れ臭そうに頭を掻いた。
「テオは……皇帝陛下は畏れ多くも私の幼馴染であり……友人なのです。だから私はテオの槍として彼の望みを叶える為に尽力したい」
「でも貴方は……」
「はい。私もリガネ教の信徒です。誰より先に凄惨なる戦場へ赴き、あの地獄を駆ける時、心の支えになるのは信仰です」
前に見せた自信に満ち溢れた若者の姿はなく、俯きながら力ない足取りで岐路を歩いていた。
バルドゥインの言っている事は分かる。現代でも紛争地帯へ派遣された軍人が精神疾患に悩まされるのが何十年も前から社会問題になっている。
現代ではカウンセリングやセラピーがあるけど、兵士や騎士のメンタルをケアするのは今この世界では信仰しかない。
皇帝陛下はそれさえも廃絶しようというのだ。
「私はテオに忠義を尽くす覚悟がありますから、その為には信仰も捨てましょう。ですが騎士団を預かる者として、部下に信仰を捨てろとは口が裂けても言えません」
身長は私と同じぐらいだというのに、今日のバルドゥインは何処か小さく見える。
「……私はどうしたら良いのでしょう?」
1か月前、私は彼に助けられた。彼の行動と言葉に。なら、今ここで恩を返すべきだ。
「簡単です。素直に話せばいいんです」
「何を……?」
「とてもじゃないけど過激な思想には着いて行けないって」
「で、ですが……」
「言わないと気づいて貰えないこと結構あります。されたら嫌な事を黙ってて辛い思いするの、それこそ合理性に欠けています。皇帝陛下ってそういうのお嫌いでしょう」
「それは……そうですね……」
「あ! でもそれで失墜しちゃったらどうしよう……私じゃ責任を取れないですよね?」
偉そうな事を口にしたが、今のは少し無責任だっただろうか?
慌てる私と裏腹にバルドゥインはさっきまでの暗い雰囲気と打って変わって、柔らかな微笑みを浮かべる。
「いえ、大丈夫です。テオは違う意見を口にされて癇癪を起こす様な器の小さい人間ではありませんから」
「そ、そうですか?」
「何故、私は彼がそういう人柄だと知っておきながら、こんな当たり前の事に気付かなかったのでしょう。やはり私が思慮に欠けた人間だからなのか……」
「いえいえ、そんな事ありませんって! というか、そんな事言われたら私も立つ瀬ありません!」
「そんな事は……」
「自分でも分かっている当たり前のこと、私も誰かから言われてようやく気づけたんですよね。案外そういうのって他人に指摘されないと分からないのかも。それか偶然にも私達二人が鈍い人間だったり……なんて」
「……ふふっ……では他の人に指摘されないと分からないものとしましょう。貴方を”鈍い人”等と貶める訳にはいきませんから」
「じゃあ私はバルドゥインの思慮深さで名誉が守られたという訳ですね」
「そうなります」
元の世界では気づけなかったこと、気づかされた事。
沢山のものをこの世界の人達から貰っている。
私の様な女性はきっとこの世界は生きづらいのだろう。
だけど、ここに生きる人々、私の周りにいる人々のお陰で、私はいまとても充実した日々を送っている。
できれば、ずっとこの幸せを守っていきたいな。