8 猫みたいな肉食獣
「見辛え、動き辛え、息もし辛え」
「つくし様? そのくらいは我慢してくださいねー?」
マッシュルームのカサみたいな帽子、闇より深い黒のサングラス、顔の輪郭を分かりづらくさせるダボっとしたマスク、喉仏を覆い隠せるくらいに襟が肥大化したワイシャツ、股間周りの装甲がやたら分厚いズボン。金輪際流行することはないだろう攻めた不審者スタイルにお着替えさせられ、ようやく外に出してもらえた俺は、そのあまりの不自由さに泣き言をお漏らしした。身軽さ命の軽装戦士な俺からすると、息を潜めて長時間、変異グマの後ろに張り付くよりも苦行レベルがずっと高い。
虚空に消えていくはずだった小声は美羅さんにナイスレシーブされて、すかさず釘を刺された。
朝とは違う受付及び警備のお姉さんたちに見送られ、男子寮を後にした俺たちは、徒歩圏内のスポーツショップに向かっていた。花央院学園とそのお姉様教育機関に当たる花京大学を囲む区画は、様々なチェーンの本店が集う商業エリアと隣接していて、区内の寮に住まう学生なら交通機関なしで気軽に行き来することが出来る。まさしく一等地と評価するほかあるまい。
往来が激しいメインストリートを避けて、人目の少ない住宅街沿いの道を進む。若干遠回りだけど、美羅曰く、俺を巡って騒動が起きる可能性を考慮すれば期待値的にはこちらの方が早く着くらしい。起きるか、騒動? 男が圧倒的に少なく、女性が男性との出会いに飢えていること、男の一人歩きに一定のリスクがあることは理解したけど、そうは言っても、人が大勢いるメインストリートなら自制くらい利くんじゃないかなぁ。
見辛く、動き辛く、息もし辛い中、念の為に周りを見渡し、住宅街の閑静っぷりを確認して、美羅さんが刺してきた釘を引き抜こうとする。
「マスクなら外してもいいだろ? サングラスが曇るんだよ。美羅たちの姿にももやが掛かって、ホントにそこにいてくれてるのか不安になるんだ……」
「……エフン! 人目が少ないからって油断しないでください、つくし様。もし外してしまわれたら……! 私の胸で、顔を隠しちゃいますからね!」
私の胸で、顔を隠しちゃいますからね……?
バチンと叩かれ、強調されるソレ。
瞼をカッと開いて、眼球をグオンと動かす。
うおっと、危ない危ない。無意識のうちに、口ほどに物を言う目で、だいぶ変態っぽい反応をかましてしまった。曇ったサングラスのおかげでバレなかったと考えると、マスクも役に立ったと言える。
安心も束の間、美羅を除くメイド三人から不快げに眉を顰められて、チ◯コ並びにその下に搭載された二つの不細工なタマがヒュッと竦んだ。
「うっわ。美羅、きっしょ。想像しただけで汗と垢臭さで死ぬ」
「美羅お姉ちゃん、リアルとフィクションの区別ぐらいつけよ?」
「近づかないで胸コブ痴魔女。仲間と思われたくないから」
「じょ、冗談に決まってるでしょ!? 装備品を外してしまわれないよう、ちょっと怖がらせたかっただけですーっ」
めっちゃドン引きされたのは、俺ではなく美羅さんの方だった。
まるで、自身の欲求を満たすために望ましくないハラスメントを働こうとした変態みたいな言われよう。で、本人は怖がらせたかっただけと供述している。前世基準なら健全な男である俺、なんなら一瞬、すべてを取っ払ってしまいたい誘惑に駆られたのに。
この世界には、美羅さんのソレが大変素晴らしいモノだという価値観がないのか? 胸コブって呼ばれ方には、肯定的ニュアンスが感じられない。これはちょっと意外だぞ。女性が極端に多い以上、お互いの女性的特徴にも積極的に良さを見出さないとやってられないような気がするんだけども。
俺や真白と同い年の元気っ子茶髪メイド、桂亜がケラケラ笑う。
「心配しすぎでしょ、美羅お姉ちゃん。つくし様の体格なら、ガン見されない限り男の子とは思われないって。前情報もないのに誰も分かんないよ」
「桂亜、そうなのか?」
「ふぇっ? はっ、はい、そうなんです! 少なくとも私は、つくし様ほど体を鍛えた男の子なんて、見たことも聞いたこともありません! 写真や絵の男の子はみんな、ろこお姉ちゃんみたいにスレンダーな方か、美羅お姉ちゃんの胸コブがお腹に行ったような恰幅の良い方でした」
マジか。まあ確かに、小さい頃、おばあちゃんたちが親切心で押し付けようとしてきた怠惰な生活をそのまま受け入れていたら、俺もどっちかになってただろうな。前世の記憶があって、「つくし」という名前を尽くしと解釈出来た俺は、この世界に生きるヒトの男としてものすごく幸運だった。
「とはいえ、異端なのは間違いないか」
前世バイアスという名のレンズから曇りが拭き取られ、道だと思っていた地面が、ここでは舗装されていないと気づく。おばあちゃんたちが度々口にした「変な男の子」の意味が、頭の内側へ唐突に染み込んできた。
信念に従って進んだ道でも、いざレールがないと分かると、怖い。
足元のコンクリートを虚無の闇と錯覚し、浮遊感が生じる。
「……やっぱりおかしく見える?」
「おかしいなんて、決してあり得ません! 決して!」
桂亜は激しく否定した。美羅さんとろこさんもハラハラし始める。
しまった。主人と使用人、立場の差があるのに、良くない質問をした。俺が揺らげばこの子たちも揺らぐ。立て直そうと焦って、不意に、スポーツショップ行くのやめようか、と提案しそうになった。ダメだろ、最悪すぎる。
良くない流れは、膿む前にぶった切られた。
「ボクたちは、ありのままのつくし様をお支えするのみです」
唯一狼狽えなかった真白が、毅然と言い放つ。
仕えて一日も経っていないメイドの気迫じゃなかった。同じ志を懐いて数年の側近レベルでは? 四人とも、最初から忠誠ポイントだいぶ高めだったと思うんだけど、真白はさらに爆増してない? 俺この子に何かしたっけ? よしんば何かしてあげられていたとしても、ちょっとチョロすぎじゃないかと心配になる。
でも、心胆寒からしめる浮遊感はなくなった。掴んでくれて、ありがとう。
自信満々に宣う。
「実際問題、おかしくねえよな? かっこいいだろ、むしろ」
スポーツショップに到着した。日本最大級の広さを誇る店舗には、チラホラと客の姿がある。ろこからは予め「貸切、打診くらいしてみたらいかがでしょう」と進言されていたものの、「店側を困らせたくない」と断った。
メイドさんたちからなるべく目立たないようにとオーダーがあったため、森で獲物の隙を伺う時と同じく、俺は存在感を消す。100点中300点の超好成績を収めて気分を良くしつつ、店内を見て回った。想像よりも上品で、少し敷居が高く感じられてしまうんだけども、その大きな要因は、値段のリーズナブルさを全面に押し出す謳い文句がどこにもないことだった。
「在庫処分の割引セールとかやらないんだな?」
「花央院学園に通う貴族の娘みたいな、お金持ちターゲットのお店ですからね」
俺の疑問に、美羅さんが答えてくれる。他の三人は「在庫処分の割引セール」という単語に馴染みがなかったのか、上手く聞き取れなかったらしい。リスニングのワンモアチャンスをプリーズしてそうな顔つきだ。
美羅さんに小声で尋ねる。
「使用人家系にも高貴度合いに濃淡あったり?」
「ご明察です。小鳥遊、小茂鳥、飛鳥、葉鳥。書類上はどれも鳳家麾下の準貴族ですが、葉鳥なんか事実上の庶民ですから」
四人の扱いに上下を設けるつもりはない。ないが、そういう俺個人の信条を抜きにして考察すると、事実上の庶民家系を自称するぐらいでない限り、貴族・準貴族には特価の赤札を避ける見栄が求められるようだ。俺も注意するべきなんだろう。それどころか、日本社会の中心担う紫徳五家が一角、鳳家の息子としては、商品の購入時には生産企業のスポンサーになる覚悟すら持っておいた方が良いかもしれない。
ハッスルマッスルが繰り出すズッコンバッコンに耐えられそうなマシンを選び始めて(真白の発言がずっと弄られていた)、二時間弱が経った頃合い。「トイレに行ってきてもいいですか?」と直球で聞いてきた桂亜が、美羅さん、ろこさんと一緒に、男子女子用の区別がない出入り口へと向かう。
休憩用ソファで、真白と二人きりになった。
「さっきはありがとうな」
辺りを警戒していた彼女の瞳が俺の姿を捉える。サングラスをずらすと、高貴なネコ、ロシアンブルーを思わせる、青み掛かった銀の光沢が映った。
「ブレそうになった。自分の特異性を実感して、日和りそうになったんだけど、真白が強めに支えるって言ってくれたから、助かった」
「い、いえ。メイドなら当然です」
当然なわけがない。メイドの職分を越えた行為だった。
俺のために踏み出してくれた。
サングラスとマスクを取る。
「いけませんつくし様!? こんな所で顔を出されては、女が痴魔女に」
「その、真白はさ。昼食の時すんげえこと叫んでたけど」
「びゃばばばばばっ!?」
彼女の好意は本物だ。
「あれは、えっと、本音を曝け出しすぎたというか……! あはは、さすがに酷かったですよね! 心の中にとどめるよう努力します」
「本当に、俺とそういうこと、したいの……?」
だから、真剣に向き合いたい。彼女が俺に欲しているモノと。
異性とそういう会話をするのは、本当に恥ずかしい。場所は悪いし、拙速なのかもしれないけど、次いつ真白と二人きりになれるか分からない以上、ここで切り出すのもやむなしだ。
いや、マジで恥ずかしいな。顔が熱くなって、視線を保てなくなる。
「したぁい!」
一切の躊躇なく、ミサイルみたいな勢いで肯定された。買い物中お仲間からずっとエロザルだのヘンタイだの揶揄われてたこの子、揶揄われるだけはあるんだろうな。温かい目になる。
「おわっ、あの、違くて、その……。お、男の子と直接そうなりたいって気持ちがアホみたいに強くなかったら、『男性付き』になるための厳しい競争なんて挑まないんですよ!」
白い頬を可愛く紅潮させて、真白は開き直った。しどろもどろになって、「おう」と返すことしか出来ない。
生まれる沈黙。気まずすぎて耐えられず、彼女が開き直るために使った、俺の知らない情報について尋ねる。
「男の担当メイドって、そんなに人気なの?」
「ええ、それはもう! 男の子一人につき、担当したい女が100いると思ってください! 一方で、男の子に侍られる人数は多くて10、大抵は5人以下。しかも、ほとんどの男の子には周りにお世話してくれる女がいますので、お貴族様の生まれでもない限り、普通は使用人の募集なんか出しません! 単純計算、倍率50倍以上に達します!」
「狭き門。真白たちはめちゃくちゃ優秀なんだな」
「え、えへへ。まあ過半は途中で諦めますし、ボクたちは使用人家系出身なので、他の人たちと比べてアドバンテージがあったんですけど」
「そっか。……男の担当メイドって、男と直接そうなっちゃうの?」
「……はい。そうなっちゃう例は、多数あります。逆に、担当した男の子以外とそうなっちゃう例は、まったくありません」
「そ、それってつまり、真白たちはもう、世間的には俺の内縁の妻ってカンジ、だったり?」
「は、は、はい! 実はそうなんです! まあもちろん側妻ですし、つくし様に釣り合う正妻様が現れるまでは『見込』が付いちゃうんですけど、はい!」
いつの間にか隣に寄り添ってきていた真白は、俺の腿に両手を乗せて、胸先三寸から上目遣いで見つめてくる。ネコみたいだ。
ネコみたいな肉食獣だ。
寝耳に水の結婚見込。社会慣行そのものが、肉食獣の狩場を形作っている。差し詰め俺は、知らぬ間に罠にかかった獲物なんだろう。俺に仕えた時点で俺以外と幸せになれない、そう聞かされてしまった以上、俺に取り得る選択肢は一つしかないのだ。チョロいのはどっちだってオチか。本当の本当に、男が極端に少ない世界に転生してしまったらしい。
俺も開き直ろっかな。真白はもう俺の女だ、みたいな。抱き締めちゃってもいいのかな? 人目がないかチェックする。他人に見られたら恥ずかしい。
よし、誰もいないな。実行に移そうとして、刹那、無粋な理性にブレーキを掛けられる。
あれ? 誰もいなさすぎじゃね?
真白も異常に気づいたのだろう、二人同時にソファから立ち上がる。
「まさか、人払いの魔法……っ?」
術を見破る真白の横で、身体強化をオンにした。
「カラスの仇」
命切り裂く不穏の波動が、首元でボリューム最大になる。
「死ね」
前話でつくしから邪悪であることを肯定された真白、早速忠臣レベルがアップしています。




