プロローグ
男性少数の貞操逆転モノにハマってしまい、自分でも書きたくなりました。
煩悩まみれのヒロインをいっぱい出したいです。
三月中旬、正午過ぎの森。息を潜めて、俺は、草藪に身を隠していた。
睨む先には巨躯がある。あいつはクマの変異体だ。幅広の獣道を我が物顔で歩いている。時々体を止めては分厚い毛皮を木の表面に擦り付ける。ナワバリの主張を更新しているのだろう。
深く屈んだ姿勢のまま、物音を立てぬよう、クマの変異体についていく。
ふと奴の注意が、俺がいる方角とは真反対の、右側前方に向いた。そして、己の巨体に掛かる慣性力を物ともしない、見事な静止を披露した。まるで、一流の歌舞伎役者が行う「見得」のようだと、今世の隣人たちには伝わらないかもしれない賛辞を内心で送る──少なくとも、静江おばあちゃんから教わった社会科目に、歌舞伎は登場しなかった。
比喩表現の齟齬については、一先ず脇に置いておこう。クマのあれは、マーキングのためのおざなりな停止とは異なる、溜め行動だ。シカの群れかイノシシの家族か、とにかく獲物を見つけたのだろうと推測する。
直感で悟る。間合いから俺が外れた。
魔力回路を開く。全身に、物理的にはあり得ないはずの力が漲る。右手に握る槍も強化された。仕事の時間だ、根性見せるぜ相棒。
立ち上がる。
槍を、全力で投擲した。
槍は奴の頸椎を正確に捉え、首の肉ごと貫く。穂先がそのまま地面に突き刺さったことで、濃いブラウンカラーの巨躯は、森の大地に縫い止められる形となった。脳幹周辺の脊髄が破壊され、喉もやられて呼吸が覚束なくなったにもかかわらず、奴はしばらくジタバタ暴れていた。身体強化を纏っていても、クマの張り手なんぞ積極的に喰らいたいものではない。
やがて奴は静かになった。途端にその体格が、生きていた頃の半分くらいまで縮まる。体の変異を促していた何かが、不快感を誘う黒いモヤとなって揮発したからだった。それでも元がクマだから、相応にデカいんだけども。
槍を引き抜きながら、俺は謝罪する。
「ごめんよ。お前は危険すぎたんだ。変異は伝染するからな」
解体用のナイフを抜いて、使える部分だけ切り出した。残りは焼いてから土に埋める。
空を眺めると、薄く黄色掛かっていた。太陽は直に沈む。
山を下りて集落に入った。擦れ違った夏菜子おばあちゃんに「ただいま」と挨拶する。
「あらーおかえり。今日も頑張ったのね。いつも助かってるわ。ホントあなたは立派ねえ、男の子なのに!」
ハートマークすら幻視されるぐらい好意的な声をかけられた。いつものお礼だと、鶏の卵と野菜を差し出される。
「夏菜子おばあちゃんのとこにも、また手伝いに行くからな!」
遠慮なく受け取りながら、元気良くそう言った。
半世紀前からほとんど景色が変わってないだろう、ノスタルジックな田舎道を進む。くねくね曲がるなだらかな坂を登り切った、その端にある古民家こそ、俺が住まわせてもらっている家だった。辿り着いた頃、空はすっかり暗くなっていた。
表口の扉をスライドさせる。玄関では、母方の祖母、恵華おばあちゃんが帰りを待ってくれていた。山で仕事をしてきた男の、泥と血で汚れ切った体に構わず、彼女は俺を強く抱きしめた。
抱きしめ返す。
「ただいま、ばあちゃん」
「おかえりなさい、つくし。ありがとう、私たちを危機から救ってくれて。今日まで村が残っているのは、あなたの献身のおかげだわ」
「そんな大袈裟な」
「いいえ、大袈裟ではありません。私たち、この限界集落の枯れた女たちは、あなたに深く感謝している。でも、もういいの。もう十分なのよ。あなたは可愛い男の子なのだから、京都に行けば、もっと良い生活が送れる」
恵華おばあちゃんは唆す。懇願するように。最近になって、この人はやたらと俺を京都に行かせたがる。
静江おばあちゃん曰く、日本の中心が関東に移ったことはない。
彼女から離れ、首を横に振って断った。
「いつも言ってるだろ。見捨てられないよ。俺を育ててくれたこの村を。恩返しをさせてくれ。もっと俺を尽くさせてくれよ。父さんと母さんがくれた、『つくし』にかけて」
恵華おばあちゃんは苦笑いした。彼女の瞳は、揺れていた。
濡れタオルで汚れた体を拭く。作ってもらった飯を食う。一緒に皿を洗う。静江おばあちゃんが出した宿題をこなす。恵華おばあちゃんの後に風呂をいただく。浴槽からお湯を抜いて、掃除する。自室に戻り、熱を冷ます。
電気を消した。床に就く。目を瞑る。
俺には前世の記憶がある。
前の名前も、どんな人生を送ってきたのかも、具体的には思い出せない。虫食いだらけの粗末な代物だけど、この世界に生を受けるまで、何処か別の場所で別の男をやっていた記録が、明確に存在していた。
魂にこびりついた断片的なメモを振り返ると、前の世界では、男女平等が叫ばれて久しかったにもかかわらず、経済的・精神的自立について、どちらかというと男性側に強く求める風潮があった。
だけど、今の世界は違う。恵華おばあちゃんを始めとする村のみんなが、偏に「男だから」と俺を蝶よ花よとばかりに甘やかそうとした。勉強なんて、運動なんて、魔法なんて頑張らなくてもいい。辛いことはしなくていい。なるべく安全な所で生きていてくれていたらそれだけで尊いのだと。物心ついた時、俺の部屋はお菓子と娯楽で埋め尽くされていた。
はっきり言って、違和感がすごかった。どのくらい凄まじいかを表現すると、物心つく前についても違和感センサーがビンビンに働いていたことだけははっきりと覚えているくらいには。
仮に、前世で勉強や運動に苦悩し挫折させられていたら、いくら違和感があったとしても、村のおばあちゃんたちが提供する甘ったるい環境を受け入れたかもしれない。しかし、曖昧だけども、前世の俺は幸運な男だった。テストで悪い点を取ったことはなかったはずだし、妄想でなければ、やり投げの全国大会で表彰台に昇った。自分で言うのもあれなんだけど、限界に挑戦するのが好きな、ストイックな奴だった。
挑戦して獲得した力で、周りの人たちを支えたかったんだ。
転生しても、その気質は変わってないらしかった。俺を愛し育ててくれるおばあちゃんたちに、まあ猫かわいがりは勘弁して欲しいんだけど、少しでも報いたい。今世の名前は「つくし」と言う。付けた両親の意図は分からないが、多分スギナの胞子茎から取ったのだと思う。
でも、俺にとって「つくし」は「尽くし」だった。
尽くせるだけの力が欲しかった。甘やかしに甘んじるわけにはいかない。勉強も運動も、やれるだけやってみたかった。
というか、勉強・運動のラインナップに魔法も並列してなかった? えっ、あるの? 俺も頑張ったら魔法使いになれたりする? 前世から憧れてたんですけど。
三、四歳ぐらいの頃から、恵華おばあちゃんの書斎に入り浸り、魔法基礎論含む様々な本を開いて彼女に質問を浴びせかけるようになった。
「か、変わった男の子ねぇ」
そのうち、もっと適任がいると言われて(恵華おばあちゃんの説明も非常に分かりやすかった)、村一番の博識家、静江おばあちゃんを紹介された。
この人のおかげで、危険なクマの変異体でも一撃で殺せるぐらいの魔法使いになれた。
翌日の早朝、狩猟師の電子掲示板で、集落周辺に変異体のシグナルがないことを確認した。日課のランニングと筋トレを済ませて、恵華おばあちゃんと自分のために朝食を用意する。一緒に皿を洗う。
静江おばあちゃん家に、熊肉のお裾分けに行く。
「おはようございまーす!」
明るく陽気に挨拶しながら、スライド式の扉をガラガラ開けた。相変わらず鍵は掛かっていない。田舎はその辺緩いのである。
「熊肉持ってきたぞ、静江おばあちゃん! 元変異体だから、寄生虫はいないし、美味い! 来たついでに熱魔法をみっちり見てくれ! 才能ないかもしれないけどよー、魔法使いたる者、火の玉くらいはポンって出したいんだ!」
……返事がない。いつもなら、「強化魔法がピカイチなんだから、その一芸を極めなさいよ!」みたいな小言が飛んでくるのに。
まだ寝てるのか? いや、もう九時だ。あの人に限ってそれはない。なら留守だろうか。
「静江おばあちゃん?」
不気味な静寂だった。恐怖で踵を返したくなる。でもそれは、みんなのためにならない。己を叱咤し、靴を脱ぐ。薄暗い廊下を進む。
静江おばあちゃんは、台所で倒れていた。
死因、クモ膜下出血による急激な頭蓋内圧亢進。
葬式は二日後に行われた。村のおばあちゃんたちが悲しみに暮れて啜り泣く中、俺はぼんやり項垂れていた。俺は「つくし」で、前世の男ではない。十四歳のガキだった。唐突に導を失い、暗闇に引き摺り込まれて、これからどう生きればいいのか、本気で分からなくなっていた。
告別式の段になって、最前列で喪主を務めていた恵華おばあちゃんが、俺たちの方に振り向いた。
「今話すべきことじゃないかもしれない。でも、すでに覚悟していると思う」
悲壮感漂う声音で、彼女は言う。
「静江さんがいなくなった。彼女の手腕と知恵なしに、村を保つことはもう出来ない」
「えっ……」
呻いたのは俺だけだった。
見開いた目に、恵華おばあちゃんの鋭い視線が突き刺さる。
「つくし。あなたは京都に行きなさい」
「俺はまだ、あなたたちに返せてないっ!」
失意に抑え込まれていた涙が、一気に溢れ出す。
「静江おばあちゃんにだって、全然尽くし切れてない!!」
感情のまま、子供みたいに叫んだ。
「田んぼも畑も手伝う! 牛も豚も鶏も全部見る! 変異体なら、何匹だって狩ってやる!! 村なら、俺がなんとかして──」
「男の子一人に何が出来るって言うのよっ!」
「ババアの軽い体くらい、何人だって背負えらぁっ!!」
常にない荒い言葉遣いで、俺は啖呵を切った。
緊張感が場を包む。俺と恵華おばあちゃんは、しばらく見つめ合っていた。先に視線を逸らしたのは恵華おばあちゃんの方だった。溜息を吐きながら、「静江さんはこうなることを見越していたのかもね」と呟く。
袖から一通の手紙を取り出し、俺に手渡した。
「静江さんから、つくし宛の遺書」
心臓が早鐘を打つ。震える手つきで手紙を開いた。
『私の理想に最後までついてこられた者は、一人もいなかった。
だから、最初につくしに会った時、この子もすぐにいなくなるのだろうなと思った。それでもいいかと諦めていた。だって男の子だもの。
最初から期待しなくていい分、むしろ楽だった』
そうだったのか。でも、あなたは。
続きを読む。
『遊び気分だった非礼を詫びる。君は私についてきた。
どんなに厳しい修行にも、どんなに密度の濃い授業にも、文句も言わずに耐えた。それどころじゃない。終わった後、君の瞳は、次を強請って輝いていた。
私の理想に、君だけが価値を与えてくれた。
つくし以上の強化魔法使いも、つくし以上の狩猟師も、私は知らない。
誇れ。君は私を追い越した』
褒めすぎだよ。らしくないな、静江おばあちゃん。
悲嘆の涙は、気づけば感激の涙に変わっていた。
『この私が保証しよう。青仁貴族の元執行役、有瀬静江の名にかけて。鳳つくしが、そこらの一人前よりも、余程女々しき男であると』
「青仁、有瀬、鳳……? おおとりぃっ!?」
「そう。あなたの苗字は鳳。日本を仕切る紫徳五家が一つ、鳳家の息子」
心底からの驚愕が、恵華おばあちゃんの追い打ちでハウリングする。紫徳五家の鳳、魔法に夢中になりすぎて歴史にあんまり集中出来てなかった俺でもよく知っている、由緒と伝統てんこ盛りの家系。青仁十二家の有瀬も同じく。
有瀬の元お偉いさんが、なぜこんな田舎村に? いかん、頭が混乱してきた。
「ここでつくしを預かってたのは、一部分家の叛逆からあなたを守るため。でも状況も鎮静化して、あなたに危害が加えられる可能性は小さくなった。つくし、落ち着いて、最後まで読みなさい。きっとこう書かれているはず。だって静江さん、いつも言ってたもの。つくしは、こんな小さな村に尽くさせていい器じゃない。あなたは京都に出て、」
「『国に尽くしなさい』」
現実感が、あまりにも薄かった。熱に冒されてフワフワする。脳のシナプスが伝え合う信号は、風に翻弄される落ち葉のように無茶苦茶だった。
恵華おばあちゃんの家に戻った後、俺は槍を握っていた。
掌から伝わってくる。
仕事の時間だぞ。根性見せろよ相棒。
「つくし様。あなたのお母様の従者、納屋中葉です。中葉とお呼びください」
葬式の三日後、お母さんの従者を名乗る若い女性が、恵華おばあちゃんの家を訪れた。二十代半ば頃の、背の高い綺麗な女性だった。
俺も十四歳の健康な男児だ。見ているだけでなんだか元気になってしまう。
「はい! 中葉さん! 今日はよろしくお願いします!」
「ありがとうございます。こちらこそ」
礼儀正しく頭を下げてから、中葉さんは回れ右して車に戻ってしまう。
「え……、えっ? あんな溌剌とした男の子、初めて見たんだけど……。筋肉すごいし、なんか爽やかな匂いした……。あれ、本当にリアル? 私にあそこまでの男の子を妄想する力はない。よって現実である。背理法によってQED。おち、落ち着け私。こんな場所で昂っちゃダメ」
運転席に入るまで、中葉さんは何事かをブツブツ呟いていた。ハンズフリー電話ってヤツだろうか。多分、運搬対象の俺に無事会えたと、京都側に連絡してるのだろう。
にしても、高そうな車だなあ。自分が由緒ある家系の子供って実感、ちょっとだけ湧いてきた。
「つくし。達者で」
「ありがとう、恵華おばあちゃん。おばあちゃんたち。みんなに手紙書くから! 引っ越した後の住所、絶対俺に教えてくれよ!」
村の人たち総出で、泣きながら見送ってくれた。俺は、彼女たちの姿が見えなくなるまで──見えなくなってもしばらくは、手を振り続けていた。
夢を見る。過去の再現だ。静江おばあちゃんの、歴史の授業。俺は魔法を教わりたがっていたし、彼女も魔法を教えたがっていた。だから、自慢出来ることじゃないけども、こういう基礎教養的な科目は消化試合風味だった。教科書を読み上げて、重要そうな部分を蛍光ペンでなぞるだけ。きっと、前世の自分が見たら、露骨に眉を顰めただろう。
歴史の教科書に載っていた人物は、ほとんどが女性だった。本当の意味でほとんどだ。女性側に自立を求める社会的風潮があるからといって、この世界の男、何もしてなさすぎないか? 前世だったら、偉人の女性割合は大きくはなかったけども、卑弥呼、紫式部、清少納言、北条政子、日野富子、淀殿、篤姫、与謝野晶子に平塚らいてうなどなど、各時代にちらほら見かけたのに。
何故女性ばかりなのか、結局聞かなかった。甘やかしてもらえるからって情けねえなあ男、で思考停止したからだ。それよりも、魔法について聞きたい質問が山のようにあった。
魔法以外に対する非積極的態度から生じたあの選択を、俺はこれから、後悔する事になる。
目を覚ます。車の外側に圧倒された。まさしく大都会と表現するより他にない景色。田舎者丸出しで、居並ぶ高層建築物に圧倒される。
赤信号で車が止まった。眠気もすっかり飛んで、意識をはっきり持った俺は、ビルのテッペンから往来に視線を落とした。その時、幼少期から発達していた違和感センサーが、ビンビンに、けたたましく反応する。
反射的に窓に張り付く。メトロポリス京都の大通り、見渡す限り人だらけ。
そこに男が、一人もいない。
自問する。俺、自分以外の男って、見たことあったっけ?
側の歩道を行く、スーツ姿の真面目そうな女性と目が合った。歌舞伎の「見得」よろしく、彼女は動きをビタリと止めた。やがて、度数の強い酒に酔ったかのようなフラフラとした足取りで、こちらに近づいてきた。
柵を乗り越え、道路に出ようとする。
「いやいや、ちょっと!? 危ない……っ」
信号が青になり、車が発進する。俺と女性の距離がどんどん開いていく。柵に股をかけたまま、彼女は放心した様子で固まっていた。
「つくし様。あまり窓の方に寄らないでください」
中葉さんに忠告される。
「希少な男に飢えた喪女ゾンビが、群がってきますので」




