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エメロッテとドリジャール、道中で事故に遭う。間一髪の危機の背後に謎の影

 板金組合での折衝をすませ、俺たちは市街地のカフェテラスで軽めの食事を取った。小さなテーブルに並んだケーキとティーセットに手を付けながら、向かい合って座るエメロッテが顔を綻ばせながらケーキの上に飾られる果実のカットに口を付けているのを眺めていた。


「ん〜」


 慌ただしく過ごしたさっきまでの時間から疲れを抜くべく、ゆったりとした空気が俺たちの間に流れていた。


「展望は、よさそうかな」

「ん? んぐ、んぐ・・・・・・ふぅ。ええ。板金組合の方々は、私をサン・アップルトンでゴーレム魔術を修めた魔術師として認めてくれたわ。後はセルジュゲイル館のガレージを改装して、ゴーレムの補修作業ができる工房に作り替えなきゃいけないわ。それに必要な部材も板金組合で調達できたわ。支払いはまってもらわなきゃだけど・・・・・・」

「現場の監督は任せるよ。初期投資が回収できるかどうかが実業の最初の分かれ目だが、気負うことはない。若いときの失敗はよくあることさ」

「まぁ! はじめから失敗する気でこんなことはじめたりしませんわ。きちんと耳を揃えて払ってみせますとも。もし、失敗しておじさまに肩代わりしていただくような場合は・・・・・・」

「場合は?」

「・・・・・・か、身体で払うわ!」


 声をひっくり返して宣言したエメロッテに、俺は椅子の上で硬直する。


「冗談でそんなことを言うものじゃない」


 自分でも酷く強ばった調子でそう言ったものだと、後になって我が身を責めた。


「・・・・・・冗談じゃ、ないもの・・・・・・」


 小さな、小さな声で彼女は呟いていた。


 

 小腹を満たした俺たちはセルジュゲイル館へ帰ろうと、辻を行き交う賃貸し馬車へ手を振った。一頭立ての、ちょいと古錆びた馬車が目の前に止まったので、俺はエメロッテの手を引いて座席に入った。


「ステープル・クロス、14の6、セルジュゲイル館までいってくれ」

「・・・・・・あい・・・・・・」


 御者が酷く無愛想に応え、馬車が動き出した。揺れる車内で俺たちは身を寄せ合うように座っていた。


「ちっ・・・・・・もうすこしマシな車を止めるべきだったな」

「うふふ」

「何だエメロッテ、その笑いは」

「小さな時、私は馬車に乗るのが怖かったわ。大きな車輪に押しつぶされそうだし、馬車の席は狭くて、とっても揺れるものだから、誰かに掴まっていないと到底乗っていられなかったの」

「そういえば、そんな頃もあったな。俺やダミアンの腕にかじり付いて離れないお前を抱き上げて、馬車から降ろしてやったこともあった」

「こうして肩がふれあうように馬車に乗って揺られていると、そんな頃を思い出しますの。あの頃より、おじさまのお顔がより近くに見えるようになったわ」

「よしてくれ。大人をからかうようなことを」

「冗談ではないわ」


 ひたり、とエメロッテが肩を俺の脇に押し当て、腕を取って己の腕に抱いた。御者は馬を操作するのに集中していてまったく気付いちゃいなかった。


「・・・・・・おじさまは笑い飛ばしなさっているけれど、私は何度も、何度でも言うわ。私は・・・・・・昔から、貴方のことを・・・・・・」


 うら若き娘が熱っぽく顔を寄せて、聞いちゃいけないだろうことを囁こうとしたとき、一際に馬車が路面を跳ね上がった。


「きゃあっ!」


 座席から瞬間放り出された俺とエメロッテは天井にたたきつけられた。幌張りの天井でなければ酷く頭を打っていたに違いない。


「もうっ! 今日は馬で酷い目にばかり遭うわね! ちょっと御者さん、もう少し静かに運転できないの!?」


 今朝からこっちの忙しさに加えて、暴れ馬に引かれそうになったり、むち打ちになりそうな馬車に乗り込んでしまったりで、とうとうエメロッテは爆発してしまったらしい。さっきまで楚々と抑えていた気性がずいぶんと声と顔に顕れていた。


「ちょっと、聞いているの!」


 御者席とこちらとの間には格子状の仕切りが立てられていて、こちらの声が聞こえているはずなのに、御者の後ろ頭は路面の起伏に併せてゆっくりと上下しているばかりだった。

 さらに頭に来たエメロッテは拳を小さく握って格子を叩き始めた。その振動が御者席に伝わったのか、御者の首がゆっくりとこちらへ傾いた。


「ひっ」


 力なくこちらへ曲がった御者の、疲れた顔はひきつり、その額にはくるみ大の穴が穿たれ、血液と脳漿がだらりと零れていた。

 間近に見た死者の顔にエメロッテは引き下がって俺の腕に取り付く。青ざめた唇が震えていた。


「おじさま・・・・・・あの方」

「そこでじっとしているんだ」


 席の上で彼女を落ち着かせて、俺は自分の目で御者の傷を見た。致命傷だった。路上の小石が跳ねて頭を打ったのかもしれないが、それで死ぬことはまずなかろう。

 それよりもっと大事なことは、この馬車が誰の制御もされていないことだ。御者が後ろに倒れかかったことで自然と馬が減速してくれているが、次にどうなるか解らない。

 俺は幌張りの天井と格子の仕切りとの間に、手の入りそうな隙間を見つけた。そこから手を入れ、幌の縁をつかんで引っ張った。すると幌がめくれて御者席まで移れるだけ隙間が広くなった。

 仕切りの縁を掴んで慎重に乗り越え、死体となった御者の隣に座った俺は、御者の足下の床板が外れていることに気付く。

 御者の足が子供のようにプラプラと揺れていた。その足下の隙間に、人の指先が張り付いていた。その異様な光景に俺は血が凍るような物を感じた。


「何だ・・・・・・これは」


 引き絞るような声が口から漏れた。それに、指先の主らしき声が応えた。


「忠告を無視なさると、今日のようなことが毎日起こることになる」


 何を、と誰何するまもなく、指先の主は馬車の床から離れた。俺は咄嗟に御者の硬直した手が握っていた手綱を取って、思いっきり引っ張った。急ブレーキを指示された馬がたたらを踏み、御者の脇にあったハンドブレーキを懸けると、がりがりと歯車を削るような不快な音を立てながら馬車は止まった。


 御者席から路面に飛び降りて、俺は愕然とした。ほんの数メートル先で道が途切れ、建設途中の橋への進入禁止札が仰々しく立てられていたのだ。

 御者があのまま死んだ状態で緩やかなブレーキが掛かることがなければ、橋桁の隙間に落ち込んで馬ともども俺たちは落下していたことだろう。


 俺は慎重に手綱を引いて馬を引き返させる。まだ基礎を打ったばかりの欄干から、下方に見える川へ下水を流す巨大な管が突き出ているのが見えた。

 また、下水路だ。俺は来た道をゆっくり、馬を引きながら引き返し、それを見た。道路の下へと延びる下水路を示す、鉄製の扉だ。しかも今回は、わずかだがそこが開いていた。


 背筋にぞわぞわと殺気を感じる。俺は腰につるしていた鎖刃剣に手をかけ、一歩一歩間合いを詰める。昨夜の時は逃がしたが、今このときはそうはいかないぞ。

 そう一念して、腰間から剣を引き抜き隙間に突き入れようとしたその時、背後から人の気配が迫り、俺は止まった。

 振り向くと、馬車から降りたエメロッテが不安げな眼差しで俺を見ていた。


「おじさま・・・・・・なにを?」


 腰の剣を掴んで気を高ぶらせた様子の俺に、エメロッテは訝しむ。俺は腕の力を抜いた。


「いや、何でもない」


 何でもない様子を見せるために手を振って、彼女の傍に戻ろうとした時、がたり、と重い物が動いて擦れる音が聞こえ、無意識に振り返った。

 下水路の扉が、さっきまであった隙間がなくなるほどに、ぴったりと閉ざされていた・・・・・・。

 自然に閉まったと思うほど、俺の感覚は鈍っちゃいない。俺は自分の足下を這い回る脅迫者の気配を感じながら、エメロッテの手を取り、その場を離れた。


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