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手紙を秘してドリジャール、エメロッテと共に街へ赴く

 ちょいちょいと目の前に積まれたパンケーキと摘みながら、俺は懐の手紙をどうするか考えていた。

 セルジュゲイル館の食堂には俺、そして昨日から居候に収まったエメロッテの二人だけが席に着いている。俺たち二人の間では給仕係のメイドが甲斐甲斐しく行き来しながら職務に励んでいた。


「よく眠れたみたいだな」

「ええ。とってもいいお部屋を使わせていただいて、感謝しますわ」

「何か必要なものがあったら女給長のクロコスミアに言ってくれ。あいにくと俺は女の機微は疎いからな、何が入り用かも解らん」

「ありがとうございますわ。・・・・・・そうですわね、化粧台くらいは置いていただいて欲しいわ」


 心臓がぎゅっと押し込まれるようなものを、俺はその言葉に感じた。女の暮らしに化粧の都合くらい、気が付けばいいものを、俺はさっぱり気付いていなかった。そんな無精な自分を恥入る気持ちが一つ。あのエメロッテが・・・・・・ダミアン・レーンに連れられて、屋敷に遊びに来ていては、俺やオルフェの足下を人馴れした仔犬みたいについて回っていた子供が、一丁前の女らしい機微を備えていることに改めて気付いた気持ちがさらにあった。


「今まで身の回りのことはどうしていたんだ」

「すべて自分で賄っていましたわ。あの人たちの世話は受けたくなかったし・・・・・・」


 あの人たち、か。ずいぶん突き放した言い方だ。エメロッテがサン・アップルトンで母親が再婚して出来た家庭で冷遇を受けたというのは、主観的には事実だろう。客観的には・・・・・・難しいところだ。少なくとも錬金術のアカデミーに通える程度の学識を修めさせて資金も援助していたのだから、愛情が無かったとは思われない。だが事物だけで愛が表現できれば苦労はない。

 エメロッテが控えめに、だが、確実にこちらへ向ける慕情が示すのは、そういった物質的ではない、人の情や愛を欲しがっている気持ちの証左なんじゃないか、と俺は感じた。亡父ダミアンが与えてやりたかっただろうもの、保護され、労られ、肯定されているという実感だ。

 と、そこまで考えて、俺の腹は自然に、良かろう、と決まった。


「お前のような淑女が手ずから化粧や髪作りをするなんて面白くないな。よし、うちの使用人からエメロッテ専属の者を決めよう。なに、うちは長らく女っ気のない家だったからな、喜んでお前に仕えてくれるだろう」

「そんな! おじさまの家の者をお借りするわけには」

「そう、俺の家に暮らすということは、俺の家の者に世話されて貰わないとな、じゃないと、俺としても世間体がよろしくないぜ」


 早速俺は給仕をしているメイドの手を止めさせて、女給長のクロコスミアを呼ばせた。

 クロコスミアはまもなく現れた。俺といくつも違わない年増女だが、細身で引き締まった長身が目を引くが、顔つきが地味な女だ。


「お呼びでしょうか、若旦那様」

「昨日からうちで暮らすことになったエメロッテに、専属のメイドをつけてやってくれ。人選は任せる。あと、エメロッテの部屋に必要なもの見繕ってやってくれ。入り用なら俺に言わず外から買ってきてもかまわん」

「かしこまりました。・・・・・・エメロッテ様には当家の重要なお客様として、粗相のないように最善の礼を尽くします」

「客ではない。家族と思ってくれ」


 そう言った途端、エメロッテの可愛らしい頬肌にさっと血が上ったのを俺は認めた。クロコスミア女給長はその様を一瞥もせず頷いた。


「かしこまりました」それだけ応えて、冷厳な女給長は食堂を出て行った。

「おじさま・・・・・・」


 惑う眼差しで俺を見るエメロッテにコーヒーを勧めながら、その目に応えるように俺は言った。


「ダミアン・レーンの娘なら、俺の娘も同然だ。でなければ後見人や共同経営者になんてならん。胸を張りなさい、エメロッテ。君は今日からセルジュゲイルの一員だ。誰が言おうとも」

 

 

 結局、俺は懐にしまったままの手紙について、エメロッテに話さないことに決めた。

 日中、俺とエメロッテは彼女の計画を現実のものとするために諸々の手続きをするべく街へ出た。プリシィアの商工会議所は、花咲くような娘と軍人貴族という取り合わせの訪問者にえらく驚いていたが、ともあれ、登記はできた。


「民生多目的ゴーレムの製造、販売、修理を引き受ける工房」

「代表エメロッテ・レーン。共同代表ドリジャール・セルジュゲイル」

「登録住所はセルジュゲイル館ガレージ」

「自己資本金はいかほど?」


 折衝してくれた商工会の事務員の問いかけに、エメロッテは懐をさぐり一個の腕輪を取り出した。

 それは細身ながら優美な装飾が刻まれたなかなかの逸品で、二重の線の狭間に細かな宝石や貴石がびっしりとはめ込まれていた。


「これを売却して宛てさせて貰いますわ」

「ほう、これはこれは。うち所属の故買人に鑑定させましょう。具体的な金額は出せませんが・・・・・・ま、登記登録には不足ありませんな」


 その言葉にエメロッテは満足した。

 商工会議所を出た後、俺は腕輪の出所を聞いた。


「・・・・・・あれは父が、ダミアン・レーンが作らせた腕輪ですわ。母へ贈られ、そして私に譲られたもの。母が今でも大事に持っていましたら、私は出奔なんてしないで済みましたわ」


 楚々としながらも痛烈な言葉が漏れる娘の鼻を摘んでやり、俺は目を見た。


「んふっ」

「あまり酷く自分の母親を言うものじゃないぜ。少なくとも天下の往来ではな」


 離してやると摘まれた鼻先を抑えながら、目の端に一粒の滴を浮かべて彼女はかわいく睨む。


「酷いのはおじさまだわ。いつまでもそうやって、私を子供扱いなさるのだから・・・・・・」


 むくれ面を背けながらも、歩調を乱さず付いてくる。そんな様子は俺のつまらぬ悪戯気分をくすぐって止まなかったが、ひとまず、その場の話題を変えることにした。


「さ、次はどこにいく? そろそろ昼餐って時頃だがな」

「お食事の前に、商工会の方にお聞きした板金組合におじゃまして、今後のゴーレム関連事業の展望について考えたいわ」


 俺も先ほど聞いたばかりだが、どうやらプリシィアのゴーレム魔術師は板金工の職業組合傘下に入るらしい。といっても、王宮や大陸軍で使われるゴーレム兵戦士は専ら軍内で製造、管理されている。そこから払い下げられた中古のゴーレムなどが民生品の主流になるから、さもありなんといったところか。

 聞いた板金組合の事務所が入っている建物まではそう遠くない。角を曲がり、道を横断した時、通りから悲鳴が聞こえた。


「何?」


 振り返ったエメロッテの視線を追うように、俺は背後を見た。

 そこには、巨大な荷車を引いた馬が暴れ狂いながらこちらに迫っていた!


「なんだ!?」


 激しく嘶き、鈍色の蹄で石畳を蹴立てる、いかにも力が強そうで頑丈そうな馬が、目に狂気をみなぎらせて路上の人や物をはね飛ばしながら、まっすぐ俺とエメロッテめがけて突っ走っているのだ。

 俺はすぐさまエメロッテの手を掴んだ。


「逃げるぞ!」

「あっ!?」


 瞬く間に暴れ馬との距離が縮まっていく中で、エメロッテと俺は駆け出し、ちらと見えた板金組合の看板を通り過ぎて、一本先の狭い路地に滑り込む。

 エメロッテのスカートの裾が路地に入りきった瞬間、暴れ馬の荷車の車輪から飛び出た鋭い錨が彼女の目の前を通り過ぎた。

 まもなく、狂獣が布とガラスで区切られた店頭へ突っ込んだらしき破砕音と、痛みにもだえて叫ぶ馬の鳴き声が聞こえた。


「・・・・・・危ないところだったな」

「え、ええ・・・・・・プリシィアでもこんなことがあるんですのね」


 冷や汗を浮かべておそるおそる、路地の角から首を伸ばすエメロッテと俺はそんなことを言っていた。そこから見えるのは音に聞こえたものが間違いの無いものであることを示すばかりの、無惨に砕けた荷車の残骸だった。

 と、そのとき。


「・・・・・・ちっ」


 背筋を震わせるような殺気の籠もった微かな舌打ちが、視界の外のどこからか聞こえた。

 すかさず俺は周囲を見渡すが、不自然に遠ざかるような人影らしきものはない。ないのだが・・・・・・。


「・・・・・・おじさま?」


 エメロッテに誰何されるまで、俺は自分が路地から離れて歩き出していることに気付いていなかった。


「なにをなさっているの?」

「いや、なんでもない。気のせいだろう・・・・・・さ、板金組合に行こう」


 その場から離れるために、俺はエメロッテの手を取って来た道に戻っていった。

 この場に不自然な所は何もない。目に付くのはプリシィアの地下を走る下水路へ降りるための、仰々しい錬鉄の戸口くらいのものだ。

 それがどうだというのだ・・・・・


 


 


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