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承(陽)19

布団の中から窓の外を眺めていた。

早朝、雨で現場中止を電話で告げられた後の二度寝を済ませた午前9時。

それは俺が寝腐っているのを横目にルーチンワークである炊飯器のセットを終え、洗濯に取り掛かる。


……雨が降っている。洗濯を終えた物はどこに干すのだろうか。

そんな事をぼんやりと考えつつ、流石に空腹に耐えかねて起き上がった。


「なぁ。それどこに干すんだ?」

「あれ、起きたのか? 大丈夫、ここに引っ掛けるからー」

それが指をさすのはリビング入り口の扉の枠。


「随分小慣れて来たな」

「毎日やってればなれるってば。畑よりは楽ちんだよね」

「畑って雨降ったら休みだろ?」

「うーん。場合によるかな」


「取り敢えず腹減った。飯食っていいか?」

「これ干したら食べようと思ってたんだ。……ふりかけ」

「それはお前のせいだからな」

「はは……」


昨晩おかずを余計に平らげた奴がいたせいで、今日の昼は米だけしかない。

その指摘を笑ってごまかすそれから視線を外し、やっと居心地の良い布団から立ち上がった。


冷蔵庫の中身は相変わらず寂しい。

毎度残念な仕上がりの野菜炒めの材料はあるがこれは夕飯の分だ。何しろこの雨の中で買い物に行くのは気が進まない。

大きくため息をついて、台所の水切りざるから茶碗を取り出した。


慣れた手つきで茶碗にふりかけの容器を振るそれ。

無言で差し出された蓋の空いたままのふりかけを受け取り、自分の茶碗の上でひっくり返す。






まぁなんと言うか。

平穏な毎日を過ごしていた。


あの夜の言いつけ通り、それは余計な事を話題にはしなかった。

結果的に以前のような緩い生活を続けており、それはそれで思う所もあるものの……問題はない。


向こうでの満ち足りた映像でも見たのだろう。ついでに言えば、こちらの世界での陰鬱な生活も、かもしれない。

しかしそこに意味などない。俺の何を覗かれようと、何を知られようと、自分がいるべき所に戻りたい。それだけだ。




「はー。もういいかなー」

「食い過ぎだろ……。よく飽きないな」

「食べられる時に食べておかないと。まぁここじゃー心配ないけど」

「太るぞ?」

一応女らしくその単語に軽く眉間に皺を寄せたものの、まいっかなどと言いながら立ち上がる。


「まだ食べる?」

「いやいや。お前と一緒にすんな」

「だから力でないんだよ」

「そういう問題じゃないだろうが」

「力くらべしよっか?」

「やらねーよ」

「ひひひ……」

変な笑いを残し、茶碗を重ねて流しへと運ぶそれを眺めながら煙草に火をつけた。


まぁ平穏な時間だ。

満月までまだ日があり、恐らく次の満月を過ぎてもまだ魔力は足らないだろう。

そうすると、特にやる事もない。


教え込む筈の戦術なども驚くほど興味を示さない為に滞りつつあり、ネット上に散らばる徒手格闘の映像もどれもこれも既視感のある物ばかりだ。

しかしそれでも繰り返し映像を見詰めるそれを放置して、次の煙草に火をつけた。


煙がぼんやりと消えてゆく空間。

ノートPCから流れる控えめな歓声。

そんな平穏は、一本の電話で粉々に破壊されるのだが。




昼を過ぎた頃。

存在をアピールするような電子音が久々に耳に入る。


「わわわ。なんだ?」

「電話だって。今朝も鳴ってたろ?」

「……そうだっけ?」

早朝、鳴り響く電話を握って体を起こした折。

平然と寝息を立てるそれが目に入ったのを思い出し、少しの脱力を覚えながら画面を確認する。

そこに表示された妹、という文字。

……どうも嫌な予感を感じ、着信音を消す釦を押す。


「あれ? でんわじゃなかったのか?」

「いや。出なくていい電話だった。多分」

「そんな事ってあるのか?」

「よくある」

断言し、着信が止まったことを確認した電話をマナーモードに切り替えてから布団の上に放り投げた。

再びPCの画面に視線を落とすそれに一瞥し、ぼんやりと窓の外を眺めていたのだが。




……その十分後。

再び電話が震える小さな音を聞きながらPCを操作していた時だった。


ドアを雑に叩く音が部屋に響く。

驚いた俺の顔を見るそれの顔が引き締まる。


「こっちにも敵って来るのか?」

「いやいや。敵じゃあない」

「え? じゃあなんだ?」

「多分……妹だ。くそ」


「はえ? えぇと?」

「気にすんな。……いや、隠れて貰った方がいいか」

「隠れる?」

「いや無理だな。どうするか……」

再び扉を叩く音。最早殴りつけるようなその音は近所迷惑も甚だしい。

妹という単語に少し考え込むような顔のそれから視線を外し、俺は諦めて玄関へと向かった。




鍵を開けて扉を引きながら、取り敢えずの文句を口にする。


「うるさいっつの」

「電話、出ろ」

「……怖えよ」

「居留守使うならもう少し上手にやりなよ。電気ついてるし」

言いながら部屋を覗き込むその姿に溜息をつきながら一歩下がる。


「まぁ上がれよ。っていうか何か用か?」

「用はないね。様子見に来た」

「マジかよ……」

当然の事ながら返らない聞き慣れた返しに少しの違和感を覚えつつ振り返る。

ノートPCの前で立ち上がりながらもどうすればいいのかわからないといった表情のそれと目が合い、再び溜息をついた。






「こいつ、妹。まいって名前だ。で、こいつは同居人。名前は……」

二つの言語が混じり、非常に話しづらい。ついでに言うとそれの名前をリオナと紹介するのは相変わらず自分の中で納得がいかない。仕方なくあちらの言葉で魔族を指すデャバエという恐らく馴染みのないであろう発音の名を告げる。


「そっかわかった。で、そのデャバエさんはどういった関係なのかな?」

「だから同居人だって。それだけで――」

「子供じゃないんだから女と一緒に暮らしてて同居人とかそんな説明ないでしょーが。そりゃ同居人なんだろうけど」

「……。」

「なんか色も黒いけど。どこの国の人なわけ?」

状況に負い目を感じる事など無いが、しかし説明には困る。別の世界から来たなどと言う訳にもいかないだろう。

更に困るのは。ここまでの説明を全て笑顔で言ってのけている事だろうか。恐らくはそれへの配慮なのだろうが。


「あーえぇと。南アフリカとか、あの辺。良く知らないんだよな」

「そんな適当な説明信じるわけないでしょ。大体そこまで黒くないでしょうが。……っていうか耳ながっ!」

「いやいや、クオーターだから――」

「ふーん。……もういい」

「……。」

一方的に俺を責め上げた妹は、笑顔を張り付けたままでそれの方へと向き直り、そちらとの意思疎通を始める。

自分を指さして名前を述べ、次にその指をそれへと向け、デャバエ?などと語尾を上げる。

それは軽く考えるが、間違ってはいないその問いに頷いた。まぁ、うまくいったという所だろうか。


しかしそこでやり取りは終わり、再びこちらに顔を向けた妹とそれ。

意思疎通も何も。名前を単語としてやり取りしただけであり、それ以上は互いに望めないだろう。


「なー。お前の妹ってさ」

「ああ。なんだよ。余計な話すんなよ?」

「ええ……。いや、似てないよな」

「親父が違うからって前に言わなかったか?」

「あぁ言ってたかも」


「なんだって?」

「俺とお前が似てないって言うから、親父が違うって説明した。前に言った話だったけど」

「っていうか何語?」

「デャバエ語」

「……あんた」


「なんで怒ってんだ? わたし、何かしたか?」

「いや、お前があっちの世界から来たとか言っても理解できないだろうから適当に誤魔化してる」

「怒ってるんならばれてるんじゃないのか?」

「ばれてないけど……嘘言ってるのはばれてるよな」

「ばれてるのかー」

「……そうだな」


「困った顔してるけど。まさか弱みでも握ってるんじゃないよね?」

「そんな訳ないだろうが」

「ビザとかないの?」

「それがあったら苦労しねぇよ……」

「密入国?」

「違う違う、そういう話じゃなくて」

「じゃあどういう話」

「……えぇと」


「なんかすごい怒ってないか?」

「……。」


「で。どうすんの?」

「何が?」

「説明するの?」

「できない。だから黙っててくれ」

「……本気?」

「マジで。別に犯罪じゃあないから気にすんな」

「……。」


「……大丈夫か?」

「……。」



気まずい沈黙が流れる部屋で、女二人の視線が俺に突き刺さる。

これが所謂修羅場とかそういった物であればある意味では嬉しい事なのかもしれないが。

……残念ながら妹と仇敵からの視線が俺に与えるのは深い溜息だけだった。



「お兄ちゃんあのさ」

「ああ。もう勘弁してくれよ」

「暇なとき、遊びに来ていい?」

「駄目だ」


「私、英語の教員免許持ってるから。これじゃ話にならないし」

「英語じゃないだろ」

「分かってるけどさ。言語学専攻だったけど聞いた事ない言葉だし、何習ってても意味ないよね」

「一体なんだよ?」


「お兄ちゃんさ。過去の経緯を考えたら何仕出かすかわからないって思われるの、分かるでしょ?」

「……。」

「教えに来るから。大丈夫、お兄ちゃんが仕事行ってる時だけだよ。邪魔しないから」

「邪魔とかそういう――」

「じゃあ尚更問題ないね? さ、当人が嫌がってないかだけ聞いて。……早く」

「ああ……」

気の乗らない風な俺を眺める、やはり気まずい表情のそれに、一応言われた通りの言葉を伝える。


「昼間の暇なとき、言葉を教えに来るって言ってる。でもお前、興味ないって――」

「本当か? 不便だなって思ってたし、毎日退屈だったんだ。……お前の妹が教えてくれるのか?」

笑顔で妹の方へと振り返るそれ。

恐らく、その姿を眺める俺の顔はひどく歪んでいただろう。






嵐が通り過ぎ、暫くの時間が過ぎていた。

妹が置いて行った煎餅を口に運ぶそれの姿にため息をつく。


「で、お前。言葉習ってどうすんだよ」

「言葉がわかれば、このぱそこんがしゃべってる事も分かるんだろ?」

「まぁ……そうだけど」

「もうじきにあっちに戻るけど、暇つぶしにはなるし」

……もう言う事もあるまい。






一週間後。

仕事から戻った俺に

「オカエリナサイ、ゴシュジンサマ」

などという言葉を告げるそれに、俺は涙目だった。


「な、なんだ? どうした?」

「お前、それ間違ってるから」

「ち、違うのか?」

ここで妹への信頼を崩すのもどうかと思い踏みとどまる。

苦情は別途直接述べる事にした。


「まぁいいや。……覚えるの早いな」

「そうだろ!」

ふんぞり返るそれから目を逸らす俺に言葉が続く。


「どんどん覚えるぞ。あいつ毎日来てるからな!」

「毎日っ!?」




まぁなんと言うか。

平穏……と言えなくもない毎日を過ごしていた。


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