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01

薄く開けた目で、携帯電話を開く。

それと同時に今朝の出来事を思い出しながら起き上がった。

見慣れた風景の中の異物。薄い毛布にくるまり、寒いのだろう、小さく丸まった女が転がっている。

ヒーターは運転時間の関係で勝手に止まったらしい。


こいつは俺を殺しに来た相手だ。

しかしそれと同時に、降り注ぐ一筋の希望の光でもあった。


目的の割に、ひどく素直に従っているそれ。

その行為には、元の世界に戻りたいという願望が透けて見えている。

本当に自らの命を顧みずに襲撃するならば、力を失おうが何だろうが、死に物狂いで立ち向かう。後のことなど考えない。自分の知りうる戦闘型の魔族とは概ねそういう物だった。


「じゃあ何しに来たんだこいつ……」

流石に寒いのだろう。ひどく縮こまったそれを眺めながら、再び暖房の電源釦を押す。

結局のところ、当人から聞き出せばいいという結論に至りその無駄な行為を辞め、そこから視線を外した。




小汚いキッチンで雪平鍋に湯を沸かす。在庫に乏しい我が家の棚からインスタントラーメンを取り出した。

温まった部屋の中。未だ団子のようにしているそれを軽く蹴飛ばすと、ゆっくりと目を開け不機嫌そうな顔で体を起こした。

はだけた毛布と、覆う物が少ない着衣。

カーテン越しに日の差し込む明るい部屋で見るそれは、魔族特有の褐色の肌色が相まって健康的なようでいて少し艶めかしい雰囲気を放っている。

少し顔をしかめて目を逸らし、再びキッチンへと向かった。


「協力するんじゃないのかよ」

不機嫌そうに目をこすっている女に、鍋から丼へと1食分ほどのラーメンを移しフォークと共に小さなテーブルに置いて差し出す。まさか箸など使えないだろう。

目の前で箸で鍋からラーメンをすすり始める俺と見て、あっつ、などと言いながらもそれを食べ始めた。


「なぁ。こっちの世界ってさ」

「なんだよ」

「こんなうまいものばかり食べてるのか?」

「そこまでうまくはないだろ。あっちでお前ら魔族が何食ってるかは知らないけど」

最後の1滴まで飲み干した女が、呆然とした表情を浮かべていた。




「で、だ。お前も俺も残念ながらただの人だ。俺も魔術なんか使えない。どうやって帰ればいいと思う?」

「それ、私に聞くのか?」

「協力するんじゃないのかよ。こっちに来たんだから同じことやれば帰れるだろ。出来るか出来ないかは兎も角、少しでもいいから思い出してくれ」

「うーん……」

あてにはしないが、何かのヒントくらいは欲しい。

何か特殊な術式とか。依り代がいるとか。


「確か。地面にこういう絵が書かれてた。私が最後だったけど何度も失敗して、10人がかりでやっと成功したんだ」

指でくるくると絵を書く女に、紙とボールペンを渡す。一通りの相変わらずなリアクションの後、そこには不細工な魔方陣らしきものが描かれていた。


「へったくそだな……」

「うるさい。大体お前が魔術使えないんじゃ無理なんじゃないのか?」

「そこも問題なんだよなぁ」

「……隠してないだろうな」

少しこちらを睨む女の視線に、水の入ったグラスを指して見せる。


もうする事は無いだろうと思っていた行為。

グラスに手のひらを向け、そこに全精神を集中する。諦めの感情を振り払い、浮き出る汗を感じながら、必死に念じた。

それはそう長い時間ではなかった。

女の方へ顔を向け、軽くため息をついて見せる。


「な? 残念ながら、無理なんだ」

「確かにそれだけ集中してそれじゃ、難しそうだな」

「難しいってお前。無理だろ」

「少しなら使えるんだろ?」

「……は?」

視線を落とした先、グラスの水面。

それが静かに波打っていた。


「マジかよ……」

「なぁ。昨日も言ってたけど、まじってなんだ?」

「一回も成功しなかったのに」

「……聞いてんのか?」

思わず唇を噛んだ。

見詰める視線の先の水面。消えつつある波紋。

さんざ取り組み、一度も成功しなかった行為。


今までとの違いを懸命に考える。いや。懸命という表現は間違っていたかもしれない。

今までとの明らかな違いへと視線をやるために顔を上げた。

目の前の女が、俺の目の前に手のひらをかざそうと身を乗り出している所だった。




ちょっと待て、という言葉と巡る思考。まとまった考えを女へとざっと説明する。


「よくわからないけど。私が来たらちょっとだけ使えるようになった。これでいいか?」

「ああ。端的に言うとそうだな。それとこれは推定だが、多分お前自身が放ってるマナがここにあるんだと思う」

「うん。それで?」

「それで、ってお前。お前が出すマナを、俺が溜め込んで、最終的に移転の魔法を使う」

「……そっか。」

少し顔を歪めている。


「そっかってなんだお前。概ねのやり口は決まっただろ?」

「私から何か吸い取るんだろ? なんか気持ち悪いな」

「お前なぁ……」

「だってなんか少し体が重いんだ。寝てる間になにかしなかっただろうな」


「するかよ。殺そうとした相手に飯まで用意した俺に言う事かそれ」

「あぁ……ごめん」

「取り敢えず、ちょっと立て」

「なんだ?」

「服買ってくる。流石にその格好でうろつかれるのは目立つから」

目立つというか、目に毒だ。水着などと表現はしたが、そういった場所でなければそれは下着と変わらない。

毛布の中。引き締まった腹筋の上にある、その下着から少し漏れている大きなふくらみ。四六時中それをちらつかされるのは勘弁して欲しい。サイズを確認して下着を買う自分の姿を想像し、少し気も滅入るが。


「身長は……この辺か」

自分の顎のあたり。他の寸法は取り敢えず置いておくことにした。

どこに行く、などと少し焦った声を出すそれに、いいからちょっと待ってろと言いつけ、ヘルメットを持って家を出た。




小一時間ほどで戻り、でかでかとロゴの書かれたビニール袋を開いた。

それがなんなのかを説明しながら開封した服を手渡す。手渡されたそれを、なんだこりゃとでも言いたげにくるくると確認しているそれから目を逸らし、部屋の隅に放り投げてあったノートPCの電源を入れる。

マウスのかちかちという音。着替えのがさがさという音。

そして、あれなんだこれ、などという気の抜けた声が響いた後。


「これでいいか?」

振り向いた先。下着を買うのがためらわれた俺が買ってきた、パットが内装されたキャミソール。前後が逆だが。ストレッチ生地のパンツ。手にぶらぶらとしてるのは、裏地にボアが付いていたパーカーだろう。先に上着を着てしまったらしい。

一度それらに突っ込みを入れ、また暫くの後。


部屋の片隅に放り投げられたダウンジャケット。小さなテーブルの向こうに胡坐をかくその姿は、ただ色が黒いだけの女だった。少し耳が長いが。


「なんだかすごいな。この服、伸びるぞ?」

「靴下も買ってきたから履いとけ。まだ日があるうちにヘルメット買いに行くか」

「くつした? あぁこれか……。別に着替えなんていらないぞ?」

「どの道、もう一度出掛けないといけない。夕飯も買わないといけないから」

「……行く」




冬のある日。

それはこちらの世界で過ごす、残り少しの時間の始まりだった。


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