西岡恵美その1
西岡恵美その1
「事件性はなかった、でいいの?」
「はい。ただ、無人の車が突如、発進した理由は不明ですので、詳しい調査が必要かと。警察、製造元とも協議の予定です」
恵美が答えているのは、昨夜、とあるファミレスに乗用車が突っ込んだ件だった。幸い軽症者のみで済んだが、テロの懸念があったので、総裁への報告の運びとなった。
「原因はしっかり調査してね。事故を起こした車種は島内では珍しくないし、今回は運が良かったから人的被害もほとんどなかったんでしょうけど、普通は大勢の客がいる店に車が飛び込んだら、ただでは済まないのだから」
「念入りに調査するよう伝えます」
発想や願望に問題が多々あるにしても、平時の遥華は総裁の実務をよく果たしている。恵美にとっては、年下であろうが真に尊敬すべき上司であった。
「テロじゃないのは一先ず安心だけど、テロと言えば、あっちの方はどうなっているの?」
テロ組織に、遥華が命を狙われているとの情報を入手しており、遥華本人にも報告されていた。
「警察により、アジトは突き止められ、武器や爆薬など押収、主要メンバーのほとんども検挙されています。残りも追跡中とのことです」
「くれぐれも、島に入れないようにしてね」
「警戒は厳重にするよう伝えております。ただ、今しばらく外出はお控えください」
「えぇ~」
途端に、生真面目な総裁の仮面が一部にしろ剥がれた。
「そんな声出しても、駄目なものは駄目です」
「もう一週間も、軟禁状態なのよ」
「総裁の安全が第一ですので」
「明日は荒野エリナのライブがあるのに?」
「だからこそです。明日、ライブがあるのだから、今日、外出していいことにはなりません」
遥華はどうにも不満顔だ。時に予想外の反応に繋がる導火線だから要注意だったりする。
「……カナ君は?」
「本日はこちらに来られる予定は今のところありません」
「連絡は来てる?」
「いえ、何も」
「私にも返事がないのよね。ちょっとひどいと思わない?」
「島に来たばかりなのですから、彼なりに忙しいのではありませんか」
総裁のお守りが全てではありませんから、とはさすがに恵美も口には出さない。
「だからって……」
遥華は言いかけてから、不毛さを悟ったのか話題を変えてきた。
「ところで、空飛ぶ女の子の話って知っている?」
「……今期のアニメか、新作のゲームの話ですか?」
「そうじゃなくて、現実の話よ」
奏人はまた何を吹き込んだのだろうか。恵美が密かに考えている間にも、遥華は話を進めていく。
「きっとあれよね、その子は時空の壁を越えた旅人か、はたまた異能の力に目覚めたか、もしかしたら、古代文明が残した石の力を借りて……」
「現在まで、そうした飛翔体があったとの報告は受けておりません」
上司が機嫌を害するのを恐れずに恵美は力強く話題を地につけさせてから、若干の訂正をした。
「いえ、DD学院内で行なわれていた実技試験で、飛翔体が施設外へ発射された事故があったとの報告がされています。ただ有人機ではなかったとのことです」
「だから、飛翔体じゃなくて、女の子、生身の女の子が飛んでいたって話なのよ」
「少女が飛行していたといった報告はされていません」
淡々とどこまでも事務的な態度の恵美に、遥華はむくれた。
「もう! なんで、そんな事務的な反応しかしないのよ!」
「それが、私の役割ですので」
「……他に報告することはないの?」
恵美はその意味合いを正確に読み取ったが、自らに課している立ち位置から寸分もずらさない。
「特にありません」
その答えで、上司が会話への熱意を失ったのを敏感に察した恵美は、やや足早に退出した。
自席に戻った恵美は、息を吐いた。まるで限られた時間で線路の保守をどうにかやり終えた鉄道工の心持だった。たまにとはいえ、更に暴走力が増した遥華を、奏人は宥め、あしらうのだから大したものである。
恵美は気持ちを切り替えて、ファミレスでの事故に関する報告書に目を通す。そこには遥華に伝えてない事柄があった。
無人の車が暴走したのもさることながら、それにも増して店内に突入した際にも不可解なことがあった。直後に謎の発光現象が起こり、車は突入した速度からしたらありえない位置で停止していた。何が起こったのか詳細を知ろうにも、店内や近隣の監視カメラは事故の前後に動作不良を起こして撮影できていない。現状の情報では、遥華の妄想を焚きつける燃料にしかならないので、できるだけその余地をなくしておきたい。
不可解と言えば、他にもある。一昨日、DD学園であったとされる実験事故の件だ。誤って発射されてしまった飛翔体は、重装機の付属装備とのことで、近くの農場試験場の農地に墜落していた。農地の復旧費用も含めて、現在、DD学院と協議中であるが、事故発生前後、やはり電波障害が発生していて、周辺のカメラは事故の模様をとらえていなかった。これは偶然なのだろうか。
DD学院は、更にまた別の問題も発生している。学院のシステムに、不正なアクセスがあったとの連絡があったのだ。そして、どうもこちらを疑っているようなのだ。
宝樹グループは学園島の実質的な統治者ではあったが、一方で、各学校の自治は保障されていた。それはネットの世界であっても例外ではない。学校によっては新技術の研究や開発に関わっているところもあり、そうした機密を宝樹グループにが犯したとなれば、勿論、犯罪となる。それだけでなく、運営母体を巻き込んだ信用問題、ある種の外交問題に発展しかねなかった。
「疑わしい点はあるが、白であれ黒であれ断定はできない。ただ管理システムのAIに不具合が発生していて、これが原因との見方もあり、引き続き調査が必要です」
これが、システム担当者からの現段階の報告である。
身の潔白をDD学院に示すにも、心許ない。
しかし、それにしても、奇妙な出来事が立て続けに起こっている。これは何かの予兆なのか。
「いけない、いけない」
恵美は首を振って、考えを打ち消した。いかにも遥華が考えそうな気がしたからだった。
気分を入れ替えるために、恵美は席を立つ。
小休止をして、珈琲片手に戻ってきた恵美は、メール受信を告げたので携帯を確認する。
学園島の意思、という占いサイトからだった。占いなど、朝の天気予報のついでに眺めるぐらいなのだが、少し前の友人が当たると熱心に勧めてきたので、試しに登録していたのだ。基本は、朝に今日の運勢が送られてくるのだが、たまに個別に来たりするという。どうも、メールはそれのようだった。
「いつも、身近な誰かに振り回されて忙しい目にあっている貴女、本日も、島風が強くてトラブルの多い日。嵐の来る前日であっても、気をつけて」
恵美は珈琲を飲みながら占いの便りを一瞥する。
それから、カップを卓に置いて、再び仕事に取り掛かろうとして、恵美は止まった。数秒の沈思を挟んで席を立つや、総裁室の扉越しに二度呼びかける。だが、二度とも返事がない。
「失礼します」
総裁室に入った恵美は茫然とした。
いるべきはずの女主人の姿がなくなっていた。




