序章 学園島
序章 学園島
その島が誕生したのは、今となってはかなりの昔、明治の終わりであった。
日露戦争の勝利に日本中が沸き立っていた最中、太平洋の先端にひょっこりと出現した。時期が時期だけに「勝鬨島」などと騒がれもしたが、その時点では岩礁と称したほうがふさわしいものだったためにあっさりと世間から忘れられた。
それから、島は風雨や波、時には時代の激変に伴い爆弾がもたらされたりしたが、世間の無関心を他所に長い時間をかけてすくすくと育っていった。拡大が一段落したのは、昭和に入ってしばらくしてであったが、そのころの日本はようやく終戦を迎えたところで、荒廃した国土と疲弊した人心を立て直すのが忙しく、島と差し支えないほどに成長したとしてもどうでもいいことだった。
この島が、それなりにしろようやく世間から注目されるようになったのはそれから、更に数十年が経過してからだった。時はバブルと呼ばれる時代、熱狂的な経済活況化にあって、行き場を求めていた資金の新たな投資先として遅まきながら、存在価値を認められたのだ。だが、新たな観光地として本格的な開発が始められようとした矢先、バブルは弾けた。忘れ去られるのもまた早く、開発途上の施設は放置され長らく無残な姿をさらすことになった。
地元の漁業関係者と島自体を研究するための施設があるだけの寂れた島が、再び注目されるようになったのは、またしばらくしてで、日本有数の企業であった宝樹グループが丸ごと所有するようになってからだった。宝樹グループは、豊富な資金力を背景に島を整備すると、やがて、学校を開設した。僻地ながらも恵まれた教育環境のおかげで生徒を増やすと、宝樹は他の学校法人にも積極的に声をかけて誘致活動を行った。そうして、島はかつてない様相と活況を得るに至り、特区へと発展したのである。
今、この島を旧い名で呼ぶ人はもはやいない。その代わりにすっかり定着した名称がある。
「学園島」
が、それだった。




