125. 井戸 その2
「無理すんなって言われてたろ」
「すみませんでした…」
キャロルに治療してもらい、すっかり元通りになったトールは、キャロルに冷たい視線を浴びせられていた。
「アーサー様もアーサー様ですよ。薄いとはいえ、瘴気のあるところで激しい運動させるなんて、何考えてるんです?」
キャロルの冷たい視線の矛先は、アーサーに変わった。
「…申し訳ないことしたって、思ってる」
しょぼんとするアーサー。
「キャロル、俺がやりたいって言ったんだ」
「あんたは黙ってろ」
「…はい」
キャロルの圧に負け、おとなしく黙るトール。
「…まあ、知ってて止めなかった私も私ですけど」
キャロルはふいと横を向いてしまった。どこか気まずそうだった。
「…本当に、瘴気のせいでしょうか?」
エステルがぽつりと言った。
「え?」
「キャロル、トール君の耐性に変化はありましたか?」
「いえ…。エステル様の治療の後から、変化はなかったと思いますけど…」
「それなら、あの森の瘴気の薄さならば、問題ないはずなんです」
「だったら、一体何が…?」
アーサーが不安げに尋ねる。
「トール、何か変なもの食べた?」
「みなさんと同じものしか食べてないですよ…」
「うーん、俺たちも変なもの食べてないもんね」
「原因は食べ物なのが前提なんですか?」
何かに引っかかったのか、キャロルが眉をひそめながら言った。
「トール、水じゃね?」
「水?」
「ほら、貧民街の井戸の」
「え、でも、キャロルも飲んだでしょ」
「まあ、私は、ね」
「?」
はっきりしない物言いに、トールは首をかしげる。
「水とは?」
「貧民街で、井戸から水を汲んで飲んだんです。もし、何か変なものを体に入れたのが原因だとすれば、それしかないかと…」
エステルの問いにキャロルが答える。
「井戸の水、ね。ありえなくはないよね」
静かに言ったアーサーの目を見て、トールはぎくりとする。アーサーの灰色の瞳は鈍く光っていた。何かに怒っているようにも見えた。
エステルの眉がぴくりと動いた。
「そうですね…」
神妙な面持ちで答えるエステル。
「今、その水を持ってたりしないですよね」
「あ、あります」
トールはカバンから水筒を取り出す。中に井戸で汲んだ水が少し、残っていた。
「ちょっとしかないですけど」
「十分ですよ。ありがとうございます」
エステルは水筒の中身をグラスに移した。そして、グラスの上に手を広げる。
「健やかなれ」
エステルが詠唱すると、水の中からじわりと黒いものが染みだしてきた。
「!」
ぎょっとする三人。
じっと黒いものを見つめるエステルの瞳は、恩寵で星のように光が瞬いていた。
エステルがすっと手を引いた。
「…何かわかった?」
アーサーがおずおずと尋ねる。
「はい。これは…、言ってしまえば、毒のようなものですね」
その言葉に、アーサーが固まる。
「毒、ですか…?」
「ええ。けれど、普通の毒ではないみたいです。どちらかと言えば、魔法薬に近いと思います」
「魔法薬…」
「エステル、どんな毒なの」
アーサーが食い気味に尋ねた。
「これはおそらく、魔力を吸収するものだと思います。その副作用で、具合が悪くなるのかと」
黒いものはいつの間にか、水に溶けて見えなくなってしまっていた。
エステルは安心させるかのようにほほえんだ。
「トール君に関しては、大丈夫です。キャロルが浄化してくれてるので。トール君、魔法は使えますか」
「あ、はい」
杖をかまえて呪文を唱える。すると、杖の先からぽっと光が放たれ、空中で散った。
「違和感はないです」
いつもと同じような感覚だった。魔力が減っている感じもなかった。
「でしたら、よかったです」
アーサーとエステルはほっと息をついた。
キャロルがおずおずと尋ねる。
「それじゃあ、トールが倒れたのは…」
「瘴気ではないでしょうね。キャロル、トール君を治療したとき、何を治しましたか」
「えっと…、異物があったので、それを除きました。瘴気によるものかと思って…」
「わかりました。そうですね…。キャロル、この水を浄化してみてくれますか?」
「…はい。"清らかなれ"」
水の中から黒いものが滲み出、そして光にまとわれ消えていった。
「…」
「どうでしたか?」
「…トールを治療したときに除いたのと、同じです」
「そうでしたか。では、トール君が倒れた原因はこの毒で間違いなさそうですね」
キャロルはぐっと唇を噛んだ。
「…ごめん、トール。気付けなくて」
「いいよ、俺も不用心だったし…」
ぶっきらぼうだったが、キャロルがとても申し訳なく思っているのがよくわかった。
「…アーサー様も、すみませんでした」
「ううん、気にしないで」
こてん、と首をかしげるアーサー。
はっと何かに気付いたキャロルは、焦ったようにエステルに尋ねる。
「待ってください。そしたら、貧民街の人たちが病にかかったのって…」
「…この井戸水が原因でしょう」
「そんな…」
キャロルの瞳が揺れる。
トールははっと気付く。
「貧民街の人たち、今もあの井戸を使ってますよ。また、再発するんじゃ…」
「十分あり得ます。井戸水を浄化しないと、根本的な解決にはなりません。もっとも、誰がなぜ、こんなものを入れたのかわからないのですが…」
「わかるでしょ、エステル」
ぞっとするような声で、アーサーが言った。
「…まだ、わかりません。確証はないです」
「わかるよ。どうせ、あのときと同じ。エステルだって知ってるでしょ、そういう奴だって」
アーサーとエステルの間に緊迫した空気が流れる。
「アーサー、落ち着いてください」
「落ち着いてるよ」
「いや、全然落ち着いてなくないですか」
キャロルがズバッと口を挟む。
「アーサー様、何に苛ついてるんです?勝手に話を進めないでください。わかるように話してくださいよ」
キャロルがじとっとした目をアーサーに向ける。
不穏な空気が流れた。
先に口を開いたのは、アーサーだった。
「…ごめん、悪かった。先走っちゃった。エステルの言う通り、まだ確証はない」
「いや、まだ何言ってるかわかんないんですけど…」
キャロルが不満げに言う。キャロルの言う通りだった。
――アーサーさん、何を言おうとしていたんだろう…?
エステルにはわかっているようだった。わからないのがもどかしかった。
翌日、トールとキャロルは貧民街の井戸に来ていた。
井戸の中をのぞきこんでみると、下の方に水面が見えた。光を反射してか、キラキラと輝いていた。
「どう?」
「なんか、嫌なかんじする」
井戸の中をのぞきこみ、キャロルは顔をしかめた。
隣でトールものぞきこんでみるが、よくわからなかった。
キャロルがそばにあった木桶を井戸の中に放り込んだ。ぽちゃん、と水の跳ねる音が響く。
「引き上げようか?」
「頼んだ」
トールはロープを引っ張って木桶を引き上げる。昨日と同じように、見た目は何の変哲もない水だった。
「健やかなれ」
キャロルが詠唱すると、水の中にじわりと黒いものが姿を現した。思わず眉をひそめるトールとキャロル。
「…間違いないな。井戸水が、貧民街の人たちの病気の原因」
そう言って、キャロルは両手を井戸の中に向ける。
「浄化するの?」
「そ」
うなずくと、キャロルはすう、と息を吸った。
「我らが母と精霊とキャロル・ハリエルの名において――」
キャロルの漆黒の瞳が恩寵で夜の星空のように輝く。
「汝、清らかなれ」
その途端、井戸の中からぱっと光が放たれた。心安らぐような光の粒子があたりに散る。
――すごい。
思わず目を見張るトール。
「トール、もっかい水汲んでくれない?」
「わかった」
トールが水を汲み上げると、キャロルは詠唱する。
「健やかなれ」
今度は何も起きなかった。
「普通の水に戻った?」
「一応ね」
「すごいね…」
もっといいことを言いたいのに、何も出てこない自分の語彙力を恨む。
キャロルは井戸の中を見つめて、難しい顔をしていた。
「何かあった?」
「…いや、なんか、半端な気がして」
キャロルはトールを手を振って追いやる。
「ちょっと離れててくんね?」
「え、なんで?」
「一応、もうちょい強い光魔法かけとこうと思って」
「離れるのと関係あるの?」
「…コントロール、苦手なんだよ」
苦虫を噛み潰したような顔になるキャロル。
「あ、うん、離れとく」
大人しく離れるトール。
「我らが母と精霊とキャロル・ハリエルの名において、汝、制裁あれ」
詠唱と同時に、一本の大きな光の矢が井戸の中に降り注ぐ。水が跳ねてあたりにしぶきがかかる。
矢は一本ではなかった。数本の小さな矢が周囲に飛び散る。そのうちの一本がトールの方に飛んできた。
「!」
とっさに剣を引き抜き矢をはじく。パリン、と軽い音がして矢は脆く崩れ去った。
――びっくりした。
「トール!ごめん!」
焦り顔でキャロルがトールの方に駆け寄ってくる。
「俺は平気だよ。大丈夫」
「なら、よかったけど…」
「井戸の方はどう?」
「嫌なかんじはなくなったけど…」
キャロルは井戸に鋭い視線を向ける。
「原因がわからないままなのが気持ち悪い」
「たしかに…」
二人の間に沈黙が横たわる。
しかし、考えても考えても原因はわからなかった。手がかりが足りない。
ぐっとこぶしを握ると、キャロルは口を開いた。
「…治療しに行く」
「わかった。ついてくよ」
「ありがとう」
トールとキャロルは、貧民街の広場へと向かって行った。
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