123. 雨の朝のティータイム
「…雨だ」
朝起きると、窓の外ではしとしとと雨が降っていた。地面には水たまりができていた。
「濡れに行く?」
アーサーが無邪気に尋ねてくる。
「嫌ですよ。風邪引きますよ」
「朝風呂の一種だよ」
「野宿してるんじゃないんですから...。それに、アーサーさんの濡れに行くって、稽古しに行くってことでしょ?洗うよりも泥だらけになる方が勝りますよ」
「あはは、エステルとキャロルに怒られそう」
「家に入れてもらえなさそうです」
「結局、雨に汚れを流してもらうことになりそうだね」
「風呂場があるのに、それは嫌ですね…。というか、アーサーさんってわざわざ濡れに行くくらい、雨好きでしたっけ?」
「ううん?むしろ嫌い」
そう言ってにこっとほほえんだアーサーに、トールはなぜかひるんでしまう。
「…何か、あったんですか?」
「んー?何も?」
こてん、と首をかしげるアーサー。
――絶対に何かあったやつじゃん。
「うーん、まあ、強いて言うなら、雨降ると屋根になるとこ探さなきゃだし、ちょっと寒くなるから。町にいたときとかは最悪」
――宿に泊まれないもんな。
「でも、返り血は洗い流してくれるから、そこだけはいいよね」
「…」
――理由…。
朝風呂代わり発言の背景に、なんと言っていいかわからないトール。
「どっちにしろ、雨は嫌いだよ」
「なら、なんで濡れに行くか聞いたんですか…」
「まあ、ちょっと、ね。雨が嫌なものだってこと、思い出しておこうかなって」
「?」
意味がよくわからず、首をひねるトール。
「ほら、俺、最近恵まれすぎてるから」
「え?」
――どこが?
たしかに、かつての仲間であるエステルと再会し、協力を得られたことは恵まれているのかもしれない。しかし、アーサーは相変わらず反逆者で、ついには騎士団にも見つかってしまったのだ。
どのあたりが恵まれすぎているのかわからなかった。
さらに首をひねったトールに、アーサーはほほえみかける。
なんとも言えない空気を察し、トールは口を開く。
「…俺、下に降りてお茶でも飲もうかなって思いますけど、アーサーさんはどうします?」
「俺はもうちょっと部屋にいようかな。トール、先に降りてていいよ」
「わかりました」
トールはこくりとうなずくと、部屋の外に出る。
――アーサーさんにも、ゆっくりできる一人の時間が必要だよな。
基本的にトールが一緒にいるし、今はエステルとキャロルもいる。トールと二人の時にアーサーが一人になる時間があっても、それは気を休められるような状況ではなかった。
――アーサーさんの「恵まれている」の基準って、かなり低いんじゃ。
なんだか悲しくなってきた。
部屋を後にする時のアーサーの表情に後ろ髪を引かれるような思いをしながらも、トールは階下に降りていく。
すると、居間にはもう、エステルがいた。
「おはようございます」
「おはようございます。エステルさん、早いですね」
「ふふ、私はいつもこんなものですよ」
エステルは楽しそうに笑うと、トールに座るようすすめる。
「今日は、あいにくの天気ですね」
「そうですね。出かけるまでに止むといいんですけど…」
トールは座りながら答える。
「きっと止みますよ」
確信のあるような物言いだった。
「女神様が、祝福してくださるはずです」
「そうですか…」
にっこりとほほえんだエステルのどこか皮肉めいた言い方に、トールはそれしか返せなかった。
エステルが思い付いたように尋ねる。
「そういえば、アーサーはまだ寝ているんですか?」
「いえ、起きてはいますよ。先に下に行ってて、と言われました」
「そうなのですね」
トールはあることに気付いた。
「あれ、キャロル、まだ起きてないんですか?」
居間にはエステルしかいなかった。
「はい。あの子は遅起きなんです。そろそろ、起こしましょうか」
エステルが立ち上がろうとした時だった。
ガチャリ、と音がして、エステルとキャロルの部屋の扉が開いた。
「…おはようございます」
いつもよりもさらに低い声で、キャロルが目をこすりながら現れた。
あわてて支度したのか、ベレー帽はずれていて、髪があちこちに跳ねていた。
「おはようございます、キャロル」
「おはよう。…眠そうだね」
「…眠くない」
目が開いていなかった。どう見ても眠そうだった。
「夜、遅くまで起きてたの?…というか、その頬の跡、どうしたの?」
よく見ると、キャロルの頬には固いものが押し付けられたような、四角い跡がついていた。
「…別に」
ふい、とそっぽを向いてしまうキャロル。
「…何か、淹れて来ますね」
エステルはにこっとほほえむと、台所へ行ってしまった。
「…変なこと言うなよ、エステル様の前で」
キャロルはじとっとした目をトールに向けながら、声を落として言った。
「え、俺、変なこと言った?」
つられてトールも声を落とす。
「言ったって。指摘すんなよ、跡のこととかいつまで起きてたとか」
「なんか、ごめん…」
何が変なことだったのかよくわからなかったが、とりあえず謝ってしまうトールだった。
「…まあ、跡つけたのは私が悪いんだけどさ」
はあ、と息を吐くキャロル。
「それ、何の跡?…本?」
首をかしげながらトールは尋ねる。
「…そ。ベッドで本読んでたら寝落ちした」
ばつが悪そうにキャロルが言う。
「えらいね」
「別に…。夜はそれしかやることないし」
「キャロルって夜型なの?」
「そういうわけじゃないけど。…私は、エステル様より早く起きるわけにはいかないから」
「…?どゆこと?」
「別に」
再びそっぽを向かれてしまった。
キャロルの言った意味がいまいち理解できないトールだった。
「お待たせしました」
トールが頭をひねっていると、エステルがトレーを持って戻ってきた。トレーにのせられたカップからは、湯気が立ち上っていた。
「あ、ありがとうございます」
「ありがとうございます、エステル様。すみません、淹れてもらってしまって...」
「ふふ、いいんですよ。味の保証はできませんが」
エステルは笑いながらカップをテーブルの上に並べた。
見た目はおいしそうな紅茶だった。
「いただきます」
口をつけた瞬間、口一杯にとてつもない渋みが広がった。
「!」
固まるトール。顔が強ばるのがわかった。
――渋…っ!
思わず口に出そうになったが、すんでのところでこらえた。のだが。
テーブルの下で、キャロルに思い切り足を蹴られた。
「痛っ!」
すねをさすりながら恨めしげにキャロルを見るトール。すねはさすがに痛かった。
「顔に出すぎなんだよ」
キャロルがじとっとした目を向けてくる。
「…すみません」
圧に負けたトールだった。
「いえ、謝らなければいけないのは私です。すみません、渋すぎましたね…」
申し訳なさそうな顔をしつつも、なんてことなさげに紅茶をすすりながらエステルが謝る。
「いや、そんなことは…」
そんなことはない、と言いたかったが、さすがに言えなかった。
「キャロルも蹴っちゃだめですよ」
「…すみませんでした」
「トール君に、謝ってください」
「…トール、悪かった」
「いいよ。俺も、悪かったし…」
そう言って、トールはもう一度紅茶をすすってみる。やっぱり渋かった。おそらく、今まで飲んだ紅茶の中でもっとも渋かった。
ちらりとキャロルを見ると、キャロルもなんてことなさげに紅茶を飲んでいた。
――よく飲めるな…。
エステルとキャロルが渋い紅茶を飲んでいる図を眺めてしまうトール。
トールの視線に気付いたエステルは、ふふ、と笑った。
「私、味がわからないんです」
「…え」
思わぬ発言に、トールは目を丸くしてしまう。
「昔はわかったんですけれどね。いつの間にか、何も味を感じなくなっていて。もう、わからないのが普通です。トール君の料理も、実を言うと、味はわからなかったんです。すみません」
「いえ、それは、全然…」
エステルは申し訳なさそうにほほえんだ。
うまい返しができないトールだった。エステルがあまりにも淡々と話すからこそ、余計に下手なことは言えなかった。
「私が落ちこぼれだと言われていたのはトール君も知っているでしょう?」
「…ええ、まあ」
「私、承認欲求の塊だったんです。落ちこぼれなのにとにかく認めてもらいたくて、教会の中で必死に勉強して、祈って、でもなかなか実力は伴わなくて。精神的な負荷で味がしなくなったそうです」
顔に出ていたのか、エステルの方から話してくれた。
「今となっては、馬鹿馬鹿しい承認欲求ですけれどね。何をそんなに認めてもらいたかったのか不思議です」
嘲笑うかのようにエステルは言い放った。
「トール君、今の、内緒でお願いしますね。私も敵がいないわけではないので、ばれるとつけこまれかねないので」
エステルは自分の唇に人差し指を当てて言う。静かな圧があった。
こくりとうなずくトール。
「言いません」
「ありがとうございます」
エステルはほっとしたようにほほえんだ。
「すみません、愚痴のようなことを言ってしまって。片付けてきますね」
エステルは空いたカップを持って台所へと行ってしまった。
「…エステルさん、全く味がわからないの?」
そっと、キャロルに聞いてみるトール。
「…うん。今もストレスが多いんだよ、いろいろと」
キャロルは苦々しく言った。
「…そうなんだ」
それしか言えないことに、トールは唇を噛む。
「キャロルは渋いって思わないの?」
「渋いとは思うけど…。別に、だからといって飲めないわけじゃないし」
「まあ、そうだけど」
「どんな味だって、食べれるのに食べないのは贅沢だろ」
そう言って、キャロルはぐいとお茶を飲み干した。
――キャロル、何か苦労してたのかな…?
「おはよう」
アーサーが降りてきた。
「お茶、残ってる?」
「少しだけなら」
ポットに残っていたお茶をカップについで、トールはアーサーに渡す。
一口含んで、アーサーは迷うことなく言う。
「これ、エステルが入れたでしょ」
「そうですが」
剣呑とした態度でキャロルが返した。文句あるか、と言ってるみたいだった。
「だよね。懐かしい」
アーサーはキャロルの態度にものともせず、カップの中のお茶を嬉そうに飲んだ。
――すごい人たちだ…。
トールは渋すぎてなかなか飲みきれないと言うのに。
飲み干したアーサーはエステルのもとに行く。
「エステル、ごちそうさま」
「アーサー、降りてきていたんですか。渋くなかったですか?」
「エステルのお茶だなってかんじ」
「はぐらかさなくていいですよ」
二人の会話が聞こえてくる。
ふとキャロルの方を見ると、台所の方を複雑な顔で見ていた。
――もしかして、エステルさんの抱えるストレスの中に、アーサーさんのこともあるんじゃ。
はたと気付くトール。
一級神官で地位も名声も実力もあるエステルが反逆者であるアーサーに協力するのは、文字通り命がけなはずだ。聖女のような微笑みを浮かべていても、その心の内では押し潰されるほどの重圧と戦っているのかもしれない。
もしそうなら、エステルを尊敬するキャロルがアーサーに敵対するような態度をとるのも納得できる気がした。
渋いお茶をちびちびと飲みながら、トールはそんなことを考える。
なんとか飲み終える頃には、舌が水分を抜かれたみたいになっていた。
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