54 恋敵達の対立④
「ロベルト・ジーク・アデルハイド! ソレイユ・ガブリエラ・ジブリール! 双方、前へ!」
ワアッ!! と空気を揺るがす大歓声に包まれながら、ソレイユは颯爽と闘技場へと進み出る。
待ち構えるロベルトは、いつもと変わらない穏やかな表情だ。悪怯れのない様子に、ソレイユはますます不機嫌になる。というのも、恋の矢に打たれたその後、ロベルトはあからさまにソレイユから距離を取っていたのだ。どちらも前半戦に参加するので、待ち時間は一緒に試合を観戦しようと約束していたのに、それすらも断って姿を眩ませてしまった。
そのくせ、帰って来るなり恋の矢に打たれた女生徒達にもみくちゃにされている有様だ。それを見るのが嫌で、ソレイユはずっと控室に引きこもっていた。婚約者が他の女性に群がられているところを見て、腹を立てるなという方が無理な話ではないか。
ソレイユが溜め込んだ怒りは、周囲の地の魔力を急激に高めていく。闘技場に敷かれた石板の上で砂が踊り出し、ピリピリと肌を刺すような怒気に、ロベルトは小さく息を落とした。
「ソレイユ……困ったな。いい子だから、そんなに怒らないでくれ」
「何よ、その言い方は……! 婚約者を放ったらかしにしておいて、わたしが我儘を言ってるだけだっていうの!? ーー頭に来たわ。覚悟なさい! 今日という今日は、徹底的に叩き潰してやるわ……!」
精霊杯での勝敗は、召喚した精霊が倒されるか、術者がリングアウトする、または、自ら負けを認めることで決まる。ソレイユは最初から、ロベルトに負けを認めさせることしか考えていなかった。でなければ、気が済まない。
殺気すら滲ませるソレイユに、ロベルトは苦笑して、剣の柄に手をかけ、鞘から刀身を引き抜いた。
「ーーいいよ。なら、遠慮はいらない。思い切り来るといい」
同時に、試合開始の合図が鳴る。
二人は眼にも止まらない速度と正確さで魔力を集め、ほぼ同時に召喚術を行使した。
「汝、恵み深き緑の化身、妖精の女王よ! 猛り狂う怒りの鉄槌をもって、仇なす者を平伏したまえ!! ーー〝ティターニア〟!!」
ソレイユが掲げた杖の先から、虹色の光が放たれる。大輪の薔薇の花が咲くように、幾重にも重なった揚羽蝶の翅が開いていく。中心から姿を現したのは、妖精の女王ティターニアだ。長く伸ばした翠緑の髪。朝露のように輝くドレスに身を包んだ彼女は、今、眠りから覚めたとばかりにあくび混じりに伸びをした。女王の目覚めに、大地も目覚める。地の力の高まりを示すように、闘技場の石板は新緑の草に覆われ、花々が咲き乱れた。
「汝、雄々しく燃え立ちたる焔炎の熾天使よ! 厳粛なる正義のもとに、我が敵を調伏せよ!! ーー〝ミカエリス〟!!」
ロベルトが天に向かって突き上げた剣の切っ先から、紅炎が吹き出し、渦と化す。金と紅の炎は、煌きながら数多の翼と化し、ある瞬間にバサリと開いた。炎の色の髪、背に閃く十二枚の翼ーー焔炎の熾天使ミカエリスは、炎の刀身を持つ剣を抜き放つなり、妖精の女王ティターニアに向かって斬りかかった。
「慈悲深き地精、御手により我等を護りたまえ!」
すかさず、ソレイユが防御系の魔術を行使して初撃を防ぐ。ミカエリスの剣は弾いたものの、防御の壁は相殺されて消し飛んでしまった。直後、離れた位置にいたはずのロベルトが、ミカエリスの翼の影から現れ、ソレイユの間合いに踏み込んできた。
「しま……っ!?」
やられた……!!
防御の魔術を発動している間、俊敏なロベルトに動く時間を与えてしまっていたのだ。ミカエリスの攻撃と、眩いばかりの光の翼を目眩しに、ロベルトはソレイユへの不意打ちを狙える位置まで距離を詰めていた。
「ごめんね?」
「ーーッ、かは……っ!!」
鳩尾に、深く、ロベルトの剣の柄が打ち込まれる。衝撃に意識が遠のき、ソレイユの身体はロベルトの腕の中へと崩れ落ちた。
ーーかに見えた。しかし、ソレイユの身体はたちまち荊の蔓となり、慌てる間もなくロベルトの四肢に巻きついた。ただ動きを封じるだけでなく、きつく締め上げられた部分から、見る間に魔力が吸い取られていく。
本物のソレイユは真後ろだ。
「ーーっ、へえ、今のはティターニアの幻視か! やるね、ソレイユ!」
「貴方の考える手口は全て読めているわ! あまりわたしを甘く見ないことね!」
「その言葉、そっくり返すよ。寵妃選考の時のようにはいかないからね!」
ロベルトの身体を締め上げていた荊の蔓が、一瞬で炎に包まれ、灰になる。ミカエリスが炎に包まれた刀身を振り下ろして、ロベルトの身体ごと蔓を断ち切ったのだ。ロベルト自身は怪我ひとつ負ってはいない。精霊との深い信頼関係がなければ、到底なし得ない芸当だった。
素早く距離を取りながら、ロベルトはくすりと笑う。
「放って置かれて寂しがってるソレイユを抱きしめてあげようと思ったのに、騙し討ちとは酷いことをするね?」
「良く言うわ! 貴方こそ、正々堂々とは程遠いわよ。精霊騎士にあるまじきと、後でローゼンハイツ様に怒られたって知らないから!」
「生憎、正攻法は好きじゃないんだよ。頭を使って追い詰めていかないと、面白くないからね」
にっこりと微笑むロベルトに、ソレイユはうんざりする。彼に向かって声援を送り、花を投げ入れている乙女達に、今の真っ黒な台詞を聞かせてやりたい。
何が王子様だ。
ソレイユの眼の前にいる彼を例えるなら、獰猛な獣だ。
「打ち捨てよ、ティターニア!!」
「薙ぎ払え、ミカエリス!!」
しなやかで鋭い植物の鞭と、激しい炎の剣撃とが幾度もぶつかり合う。息もつかせぬ攻防の中で、そう言えば、とロベルトはお茶でもしているような気軽さで尋ねてくる。
「ソレイユこそ、試合前は何をしていたんだ? なかなか闘技場に出てこないから、心配していたんだよ」
「それはどうもご親切に……! でも、わたしが誰と何をしていようが、貴方には関係ないわ!!」
「……誰と? 誰かと一緒だったのか? 誰といたんだ」
「煩いわね! 関係ないと言っているでしょう!」
カアッと、ソレイユの頭に血が上る。
瞬間、ロベルトの纏う雰囲気が変わった。
「ーー関係ないわけがないだろう」
剣を真横に構え、ロベルトは躊躇うことなく、指で刀身をなぞった。剣はたちまち鮮血に彩られ、地面に滴る赤い血に、会場は騒然となる。恋人の怪我に気を取られたソレイユは、攻撃の手をわずかに緩めたーーその隙をつき、ロベルトは血濡れの剣を足元に突き立てる。
「気高きミカエリス! 我が血を糧とせよ。浄化の業炎をもて、咎人を繋ぎ止めたまえ! 〝聖焔の檻〟!!」
剣を中心に、真紅の巨大な魔術紋が広がった。出現したのは、闘技場全体を覆う金色に輝く焔炎の檻である。
対価魔術だ、とソレイユは愕然とした。魔力に加えて、術師の血などの身体の一部を対価とすることで、通常とは比べ物にならないほど強力な魔術の発動を可能にする術法だ。
ーーだが、怪我を負うリスクがあるため、座学で習うだけで実技訓練は行われたことがない。そんな危険な術を、こんなにも易々と行使するとは。
焔炎の檻は、中に捕らえたものの魔力を急激に奪って更に燃え上がる。ティターニアの美しい揚羽の翅は瞬時に燃え尽き、地に落ちた彼女の喉元に、ミカエリスの剣の切っ先が突きつけられた。




