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黄泉夜譚 ヨモツヤタン  作者: 朝里 樹
第二三話 悪魔のメルヘンカルタ
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二 悪魔のメルヘンカルタ

「それで、俺は何をやればいいんだ?」

 坂井は六枚のカードを眺めながら悪魔に尋ねた。

「そうですねぇ、まずはそのメルヘンカルタの成り立ちから説明しましょうか」

 悪魔はステッキを一度回転させて、上機嫌に話し始める。

「これは数十年前、ヨーロッパのとある呪術師この世の悪を封じ込めたカルタでしてね、それを開放するには、その悪に染まったものの生け贄が必要なのです」

「この世の悪というのは、明確に定義できるものなのか?」

 坂井は問う。悪とは抽象的な言葉だ。場所や時間、立場や思想によってその意味は変わって来る。意味がすぐに変わるような言葉は嫌いだが、人間は馬鹿で曖昧な生き物だから仕方がないのだろう。思い込みを正しいと信じてしまう、どうしようもない生き物だ。

「貴方は、"七つの大罪"というものをご存じですかな?」

 こつりとステッキの先で地面を軽く突き、悪魔は尋ねた。

「傲慢、嫉妬、憤怒、怠惰、強欲、暴食、色欲という奴か」

 七つの大罪はキリスト教で使われる言葉だ。古くは八つであったり、この七種類以外の罪が数えられていたりしたようだが、現在ではこの七つが最も一般的となっている。

 これらは人間を罪に導くとされる欲望・感情だ。それでこの世の悪か。ヨーロッパの呪術師が考えそうなことだ。馬鹿にしたように坂井は鼻を鳴らす。

 オカルトは基本的に信じていないが、目の前に悪魔がいるのだから呪術師ぐらいいてもおかしくはないだろう。こうやって臨機応変に思考できるのが自分と他の人間の異なるところだ、と坂井は一人考える。

「しかし、七つというが、ここには六枚のカードしかないぞ」

「それは御心配なく。もう一つも勿論用意されております。まずは貴方は、このカルタ一つ一つに対応する罪、悪を考えていただきたい。楽しいゲームですよ」

 悪魔は言って、口角と釣り上げて邪悪な笑みを見せた。坂井はそれを一瞥(いちべつ)して、六枚の中から一つを取り出す。

 そこの描かれている童話は「不思議の国のアリス」。この物語に対応する童話。これは分かり易い。

「憤怒だな」

「ご名答」

 悪魔はそう指を鳴らした。

 悪を封じ込めたと言うのだから、このカードに描かれた童話の中から悪の部分を探し出せばいい。「不思議の国のアリス」の場合、その最も象徴的なもの物語の後半に現れる「ハートの女王」であろう。

 著者であるルイス・キャロル自身がこのハートの女王のことを「始末におえない激情―盲目的な、手に負えない怒りの化身」と述べている通り、この女王は作中極度の癇癪(かんしゃく)持ちとして描かれ、事あるごとに従者であるトランプたちに「首を刎ねろ」と死刑を命ずる。「憤怒」を象徴するにはぴったりのキャラクターだ。

 呪術師という奴が、何故童話に罪や悪を託し、それになんの意味があるのか、それは分からない。しかしそれを推理して行くのは嫌いではない。

「で、生け贄ってのはどうすりゃいいんだ?」

 そう問うと、悪魔は今までに一番愉快そうな笑みを坂井に見せた。

「なに、簡単なことです。憤怒という悪を象徴しているような人物を見つけ出して、殺せばいい」

 悪魔は左の掌を坂井の目の前に挙げて、握り潰す動作をした。坂井は怪訝そうに悪魔を見る。

「殺す?随分単純だな」

(にえ)などというものはそれで良いのです。それにこの私がいる限りは、貴方の殺人が露見することもない。どうです?貴方、この世界が気に入らないのでしょう?」

 悪魔は唆すように言うが、そんな言葉は関係なかった。自分が行動する時は、自分の意志と決断だ。坂井は一度腕を組み、考える。

 人を殺す、ということには対して興味はないが、自分には到底レベルの及ばないものがのうのうと生きていることに憤りを感じているのは確かだ。そして、それらが国という組に守られていることも気に入らない。

 それに生け贄を捧げた時、このカルタにどんな変化が起きるのかも気になる。坂井は決断した。

「よし、やってやるよ。まずはその憤怒を象徴するような人間を探せばいいんだな?」

「よくご決断されました」

 上機嫌に悪魔は言った。

「では、私が最も生贄に相応しい人間がいる場所までご案内しましょう」

 悪魔がマントを翻す。それと同時に坂井の視界は真っ暗に染まり、意識が途切れた。




「人、人、人。醜いものですな」

 悪魔は顎に手を当てて、感心したようにそう言った。坂井と悪魔は人通りの激しいどこかの駅前にいた。坂井は時間を確認する。先ほどからほとんど時間は経っていない。瞬間移動でもしたということか。この悪魔の力は興味深い。

「本当に醜いな」

 悪魔の言葉には同意見だった。同じような顔をした人間たちが、大した目的もなく行きかうこの空間はごみ溜めのようだ。

「さて、このゴミの中に、生贄に相応しい人間がいます。それを見つけてください。なに大丈夫、貴方の口の中には、人間の肉を食う歯が光って見えますよ」

 一々芝居がかった言葉を言う男だと辟易しながら、坂井は殺す相手を探すために歩き始める。

 そして、坂井の探していた相手はすぐに見つかった。

「あの人間はですか、よろしいですな」

 悪魔も表情に少し好奇の色を覗かせてその男を見る。筋肉質の体をして、頭をスキンヘッドに剃った目つきの悪い男。その男は丁度、痩せた背の低い男を人気のない公衆便所へと連れて行こうとしているところだった。

 恐喝でもするつもりなのだろう。小さな方の男はびくつきながらも腕を掴まれて逃げることもできずにいる。それはそれで見ていて不快だ。

「あいつでいいか」

 坂井はそう言って、二人の後を追おうとする。その肩を悪魔が掴んだ。

「お待ちなさい。素手では危険でしょう?」

 悪魔が右の掌を広げると、その上に赤黒い何かが渦となって現れ、やがて形を成した。その造形はまるで包丁だが、刃は銀ではなく赤みを帯びた黒だ。

 確かに素手で人を殺すよりは刃物を使った方がずっと効率がいい。もちろん武器などなくともあんなチンピラに負けるつもりはなかったが、その凶器は有難く頂戴することにした。

「確認しておくが、俺が何をしても問題はないんだな?」

「勿論、この私がいる限り、この世の人間たちは貴方のしたことには気付きません」

 悪魔は言った。どうやらこの悪魔は自分以外の他人には見えていないようだった。街中で黒マントにシルクハットという出で立ちにも関わらず、この男に注意を向けるものはいない。

 特殊な力があるのなら、生贄など簡単に集まるだろうに、何の目的があって自分に人を殺させるのかは知らないが、こちらとしても普段見下してる相手に手を下すことができるいい機会だった。

 トイレに入ると、予想通りスキンヘッドの男は体の小さな男の胸倉を掴み、既に何度かその顔を殴った後だった。肩がぶつかっただの何だのと文句を言っている。気の短い男だ。

 坂井は背後から近付くと、躊躇無くその背中の中心に包丁の刃先を押し込んだ。血の色をしたその刃はほとんんど抵抗を示すことなく男の体内に沈み込んだ。

 びくりと男の体が一度震えて、男は目を見開いたままこちらを振り返った。その顔が不快だったため、坂井は思い切りその顔面を殴りつける。その一撃で男の体は汚らしい便所の地面に倒れ、動かなくなった。

「邪魔ですな」

 悪魔が面倒臭そうに言いステッキを一度振うと、地面にあの赤黒い沼が現れ、そこから細い手がいくつも伸びて来て恫喝されていた小柄な男の方を掴み、悲鳴を上げるまでもなく沼の中へと引き摺り込んだ。これで目撃者はいない、ということか。

「ふむふむ、なかなかの悪の素質を持っていた人物のようで」

 悪魔は足で倒れた男を蹴って上を向かせ、そう吟味するように言った。

「これでいいのか?」

 坂井は尋ねた。もう少し高揚感があると思ったが、終わってみれば大したことも無かった。こんなものかと思いつつ、坂井は一度死体を蹴る。

「ええ、ええ、十分でございます」

 悪魔は言い、ステッキの先を男の体に突き刺すと何やらぶつぶつと呪文のようなものを唱え始めた。それは多くの国の言葉を学び、馴染みのある坂井にも聞き覚えのない言語だった。

 悪魔はステッキを男の体から抜き、懐から一枚のカードを取り出した。それは一見ただの白い紙のようであったが、悪魔が死骸に向かってそれを持った腕を伸ばすと、屍を赤黒い液体のようなものが包み、カードに吸収されてしまった。

「これで一つ、文字札ができましたよ」

 そう言い、悪魔は坂井にそのカードを渡す。坂井はそれを受け取り、眺める。そこには「Alice's Adventures in Wonderland」、つまり「不思議の国のアリス」という言葉と、「ira」という「憤怒」を現すラテン語が書かれている。

「このカードを六つ集めた時、貴方は人間を凌駕する力を手に入れる。そうなれば、貴方の憎むこの世界を変えることもできるでしょうな」

「そりゃ楽しみだ」

 そう言いつつ、坂井は次のカードを見る。適当に五枚の中から選んだそれは、「ヘンゼルとグレーテル」のカード。このカードが現す悪は……。

「強欲だろうな」

 坂井は呟く。自分のために子を捨てた親の欲、空腹のため、他人が住んでいるやもしれない家を破壊し、食べる。そして老婆は子供二人を捕らえさっさと食ってしまえばいいものの、太らせてから食おうとして結局殺された。強欲な者たちの物語だ。

 さて、強欲の生け贄は誰が良いだろう。坂井は考える。全ての文字札を集めた時に何が怒るのかは知らないが、いつもの休日よりは楽しめることだろう。




 美琴は両手いっぱいに本を抱えた詩乃(しの)を見て、心配そうに尋ねる。

「大丈夫?」

「心配は御無用。書物ならいくらでも持てます」

 言いながら、詩乃はふらふらと歩いて行く。顔の高さ以上に腕の中で本を積み上げたせいできちんと前が見えていないのだ。

 二人は都心の大型書店にいた。数か月に一度、詩乃は美琴とともに人間界の書物を収集するためのこうして書店を回る。

 美琴は美琴で顎の下まで本が迫っている。とりあえず詩乃をレジに誘導しながら、彼女と自分が他人にぶつからないか気を配る。これだけの本を持っていると落とした時に厄介だ。

 何とかレジまで辿り着き、カウンターの上に本の山を作る。店員の驚く顔を見ながら金を払い、再び詩乃を誘導して店の外へと出る。

「ここらならいいわよ」

 美琴は人気のない路地に入り、そう詩乃に言った。詩乃は縦に積んだ本の横から顔を出して美琴を見る。

「そうですか、では」

 詩乃は地面に妖力で作り出した紙を置き、その上に抱えていた書物をそっと置いた。そして、一つ一つ丁寧にそれを持つと、袖の中に収めて行く。

 これは文車妖妃(ふぐるまようび)の能力だ。書物や文などの紙でできたものに限り、自分の中に収納しておくことができる。それはまさに文車だ。その能力を利用すればいくらでも書物を持ち運ぶことができるが、さすがに人前では見せられない。

 書庫にある本は全て詩乃の頭に入っているから、同じ本を購入する心配はない。基本的にはこの数カ月のうちに新しく出た本が中心に購入され、御中書庫に収められることとなる。

 書庫は基本的に黄泉国から出ない妖たちにとっては人間界を知るための貴重な資料となる。と言ってもわざわざそれを勉強するものはあまりいないのだが。

 どんな情報でも無いよりもあった方がいい。そう思いながら美琴はほぼ自分で持っていた本を仕舞い終わった詩乃に、一冊ずつ本を渡していく。

「これだけあれば一週間は楽しめますわね」

 最後の本を袖の中に収めた詩乃がそう言った。買った本は四十冊程度だから、詩乃ならば七日もあれば十分なのだろう。

「さて、行きましょうか」

 美琴はそう詩乃に言う。一つの店で買うことができる冊数には限度があることと、店によって置いている本が多少異なるため、何店かは書店を回る必要がある。

 買う本は小説のような文学作品から、様々な専門書、雑誌、児童書、漫画などなど多岐に渡る。詩乃によれば本としてこの世に存在しているものに優劣はない、とのことだ。それらは全て知識となり、娯楽ともなる。

「本を見て回るのは楽しいですわね~、美琴様」

 詩乃はほくほくとした笑顔でそう美琴に言う。美琴も小さく笑って、それに答える。

「そうね。本を眺めるのは楽しいわ」

 それに共感してくれるものは少ない。無理に同意させるものでもないから、それでいいのだけれど。

 美琴は詩乃を連れて再び歩き出そうとして、そして(けが)れの気配に気がついた。




 坂井は地面に転がった女の顔を蹴りつけた。もう既に事切れていて、瞳は虚ろだ。

「これで強欲か」

 この女はどうやら男を誑かし、金を貢がせていたようだ。金のために罪のない男を利用する強欲さ。まあ、生け贄には丁度いいだろう。

「見事ですなぁ。これで二枚目」

 メフィストは一枚カードを取り出して、坂井に手渡した。無地のカードに、「Hansel und Gretel」というドイツ語と、「avaritia」というラテン語が現れる。これは「ヘンゼルとグレーテル」はドイツ人であるヤーコプとヴィルヘルムのグリム兄弟に編纂されたため、作品名はドイツ語で表記されるのか。

「さて、あとは四つか」

「中々の効率ですな」

 悪魔が言う。坂井は彼の方を見ないまま答える。

「それだけ、腐った人間が多いんだろうよ」




 次に坂井は白雪姫のカルタを選んだ。

「これは嫉妬だな」

 確認せずとも明白だ。あの童話は自分の美貌が魔法の鏡によって世界一と認められなかった王妃が、嫉妬によって白雪姫を殺そうとすることによって始まる物語。王妃は三度白雪姫を殺そうとし、失敗して焼けた鉄の靴を履かされ、死ぬまで踊り続けることになる。

「では、もう一度」

 悪魔がマントを翻す。三度目ともなると慣れたのか、意識を手放すことなく別の場所に出ることができた。

 坂井は辺りを見回し、そして生け贄に必要な人間はすぐに見つけた。坂井の体には既に異変が起き始めていた。誰を殺せばいいのか、人間たちを見ただけで分かるのだ。

 その女は駅前のベンチに座って、携帯で何やら話している。

「なんであたしがあんな子なんかに……。私の方がずっと美人なのに。あいつも見る目ないわ。ほんと、世の中の男って馬鹿みたい」

 近付いていくと、そんな話し声が聞こえて来た。女の年齢は三十を超えた辺りだろう。それで、若い女に嫉妬しているのか。

 坂井は今までにない殺意が込み上げてくるのを感じた。殺したいと言うよりは、早く次の文字札が欲しい。あの文字札が増えるほどに自分の中で何かの力が大きくなって行くのを、坂井は実感していた。

「手伝いましょう」

 悪魔はにやりと笑って言うと、ステッキでアスファルトを一度叩いた。するとその点を中心としてあの赤黒いものが急速に広がり、また上にも半透明の赤黒い膜が広がって半球の空間を作り出す。

「な、何よこれ」

 女は携帯を落とし、立ち上がった。その空間は既に赤く湿った空気に包まれ、地獄の底から聞こえてくるような呻き声に満たされている。地面は赤黒い何かが溶岩のように沸騰しているが、熱さも無ければ体が沈んで行くこともないようだ。

 まるで地獄のようだと坂井は感想を抱いた。そして、怯える女の方に、包丁を握って近付いて行く。

「誰か!」

 女は叫ぶが、それは亡者たちの呻きに飲み込まれる。坂井は二人の命を奪った刃を振り上げると、女の首に向かって突き立てた。

 血飛沫が飛び散り、地面の赤黒い世界に沈む。坂井は倒れ、自身の血と同じようにゆっくりと沈んで行く女の体をにやにやと眺めていた。これで三人目。半分だ。

「愉快ですなぁ。では、これが三枚目です」

 坂井は悪魔からカードを受け取る。三枚目の文字札に「Schneewittchen」というドイツ語、そして「invidia」というラテン語が表われる。「白雪姫」もグリム童話であるため、言語もドイツ語のようだ。

「さあ、次の獲物を探しに行くか」

 新たな力が自分の中に芽を出し始めた昂りを感じつつ、坂井は悪魔にそう告げた。早く、早く次の力が欲しかった。彼の精神を欲望が支配し始めていることに、坂井自身は気付かない。

「楽しんでいただけているようで、何よりです」

 悪魔はシルクハットを撫でながら言った。坂井は頷く。確かにこのゲームは面白い。テレビゲームよりも、試験よりも、仕事よりも。人を殺すことは自分の生を実感させてくれる。

 こんな感情を自分が持つなど、今まで思ったことがなかった。もしかすればこのカードがなにか影響しているのかもしれない。だが、そんなことはどうでもよかった。ただひたすら、このカードの続きを集めたい。悪魔のメルヘンカルタを、完成させたい。



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