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黄泉夜譚 ヨモツヤタン  作者: 朝里 樹
第二三話 悪魔のメルヘンカルタ
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一 悪魔の囁き

 その男、坂井充宏(さかいみつひろ)は世界の全てを憎み、また見下していた。

 この世の中は自分のような人間には相応しくない。自分の力が認められない社会の低俗さに、彼は呆れ果てていた。

 三十年近くも生きてきて、何故自分がこんな凡俗の中に埋もれていなければならないのか。それを訴えたところでそこらの人間の頭では理解できない。自分にこの世を変える大きな力があれば良いのに。

 そう思っていた時だった。彼の目の前に悪魔を名乗る異形のものが現れたのは。


第二三話「悪魔のメルヘンカルタ」


 その日も坂井は眠りから目覚めた後、苛立ちで掛け布団を蹴り上げた。つまらない一日が始まった。

 時刻は昼過ぎ。父も母も仕事に言っていない時間だ。坂井は起き上がると部屋のドアを開け、一階に降りた。

 今日は仕事が休みだ。だからと言って気が晴れるわけでもない。母の用意した朝食を文句を言いながら乱暴に食べ散らかし、適当に服を着替えて外に出る。やることはないが、それは家にいても同じ。世間にいる馬鹿な人間たちを観察することが、坂井にとっての唯一の楽しみだった。

 彼は幼いころから何でもできた。勉強で他人に負けたことはなかったし、スポーツだって得意だった。逆に、周りの子供が馬鹿に見えて仕方がなかった。いや、大人もだったか。

「つまらん……」

 両手をジャージのポケットに入れて歩きながら一人呟く。

 小学校に入学するころには、この世界は自分には相応しくないと言うことを理解していた。騒々しく叫びまわる同い年の人間たち。それを制御することさえできない大人。

 全く持って滑稽だった。だが、そうやって冷静な視点を持った自分を彼らのような低能に理解できるはずもなく、坂井は孤独に、いや孤高に生きてきた。

 親も親だ。坂井は思う。自分の才能を理解できず、それを活かすことができる環境を与えなかった。その結果、自分は国のトップに立つべき人間にも関わらずサラリーマンとして働かされている。こんな屈辱はない。

 町を歩きながら、坂井は楽しそうに歩く学生や家族、俯きながら歩くサラリーマンたちを見た。自分がこの人間たちと同じ一般市民なのだと考えると、無性に腹が立った。

 自分の頭に渦巻く感情を小声に出して悪態をつきながら繁華街を歩いている坂井は当然目立つ。多くのものは彼を奇異な目で見て避けて行ったが、しかし逆に近づいて来るものもいた。彼の目の前にボタンを全開にして学生服を着た高校生が二人現れた。坂井は怯むことなくその二人を睨み返す。

「なあおっさん、金貸してくんね?」

「何ガン付けてんだよ?いいから来いよ」

 高校生の一人が坂井の腕を掴み、引っ張って行く。坂井はその場は彼らに従った。ここで派手なことをするほど頭は悪くない。

 坂井が予想した通り、二人は坂井を人気(ひとけ)のない路地裏に連れ込んだ。ここまで分かり易い行動を取られると笑うきも失せてしまう。目の前の欲望に従うことしかできない低俗な動物。笑いではなく怒りが沸いて来る。

「さあ、おっさんちょっとか……」

 その男の言葉が終わらないうちに、坂井はその右頬に自身の拳をめり込ませた。汚らしい血と唾を口から飛ばしながら、高校生の体が路地裏のビルの側面にぶつかる。

「何すんだよてめえ!」

 突然の出来事に一瞬行動が遅れたようだったが、もう一人の高校生も掴みかかって来た。坂井はそれを鼻で笑うと、その高校生の腹を手加減せずに殴りつけた。

 汚いうめき声を上げて、掴みかかって来た方の高校生が地面に蹲る。昔から運動は得意だった。それにこんな虫けらのような人間を殴ることに躊躇はない。どうせこんな奴らは生きていても仕方がないのだから。そう思いながら、坂井は高校生二人を何度も蹴りつけた。

 やがて二人ともじめじめとした路地裏の地べたに倒れ込んだまま動かなくなった。死んではいないだろうが、後遺症ぐらいは残るかもしれない。まあ、それぐらいいいだろう。良い薬だ。

 少し気分が晴れて、路地裏から出ようとした時、不意に坂井の耳にゆったりとした拍手の音が届いた。

 坂井は怪訝な表情でその音がする方向を見る。そこには、黒いマントとシルクハット、それに右手にはステッキという出で立ちの、奇妙な男が立っていた。

「いやいや、良いものを見させてもらいました」

 肌の色や彫の深い顔の作りから見るに白人であろうその男は、流暢な日本語でそう話した。だが、坂井には外国人の知り合いなどはいない。ましてやこんな怪しげな格好をした男など。

「なんだお前は」

 そう尋ねると、黒マントの男は「ふふふ」と気持ちの悪い笑い声を漏らした。

「これは失礼。そうですねえ、世間では私に様々な名前を付けていますが、この国の言葉で言えば、悪魔ということになるのですかな」

「悪魔ぁ?」

 坂井はそう苛立ちの混ざった声を上げる。この男は自分を馬鹿にしているのか。坂井は拳を握った。下に見られることは何よりも嫌いだ。

「ふむ、信じていないようですな」

 悪魔と名乗った男は顎に手を当ててそう言った。

「当たり前だ。突然目の前に現れた男に悪魔と名乗られて、信じる奴がいるか」

「ごもっともなことです。では、証拠を見せましょうか」

 悪魔はそう言って口角を釣り上げると、ステッキの先を倒れ呻いている二人の高校生に向けた。

 直後に二人が横たわるアスファルトに赤黒い染みのようなものが広がり、ぱっくりと口を開けた。そこから無数の黒く細い腕が伸びてきて、二人の体を掴んだ。

 そして、腕たちは静かに二人を黒い水たまりのような闇に沈めて行く。高校生二人は目を見開いているが、既に口は黒い手によって塞がれ、声を上げることもできない。やがてどちらの体も赤黒い闇の中に飲み込まれ、完全に見えなくなった。

「気に入りませんね。何時見ても心から嫌だ。人間が毎日毎日みじめにあがいているのを見ると、気の毒になって来る。だから、楽にしてあげました」

 悪魔は坂井を見て、にやりと笑う。

「これで、証明になったでしょうかな?」

 悪魔がステッキで地面を軽く叩くと、赤黒い闇は中心に向かって集まって行き、やがて消えた。

「ああ、よく分かった」

 凡人ならばここでうろたえていたところだろうが、坂井は目の前で起きたことを否定するよりも理解することに頭を回した。この存在は確かに今、二人の人間を消して見せた。一瞬ではなくじわじわと、異空間に飲み込まれるようにして。

 それは手品というより、映画の特殊撮影のような光景だった。何か錯覚でも起こさせたのかもしれないが、それでも、この悪魔と名乗る存在は他の人間にはない何かがある。

「なら一つ、私とゲームをしませんかな?」

「ゲーム?」

「ええ。このカードを使うゲームです」

 そう言って、悪魔は坂井の前にトランプほどの大きさのカードを差し出した。その枚数は六枚で、一つ一つになにやら絵が書いてある。

「この国では、絵の描かれたカードと字の書かれたカードを使うゲームは、確かカルタと言うんでしたな」

「ああ」

 坂井は頷いて、六枚のカードを受け取った。カルタは元々はポルトガル語だが、日本にその言葉が輸入され、札を文字札と絵札を分けて行う遊びを歌留多と呼ぶようになった。

 坂井は六枚のカードを見る。一般的なカルタならば札は絵札文字札共に四六枚あるはずだが、そんな常識に囚われても何の意味もない。大事なのはこのカードが何をしてくれるのか、だ。

 カードにはそれぞれ、白い服を着た女に林檎を渡す黒いフードを着た老婆、ベッドに横たわる狼と、それを覗き込む赤い頭巾を着た少女、檻に入れられた少年と、その檻を掴む少女、そして近くで笑っている老婆、砂浜に上がり、喉を押さえている人魚、トランプを擬人化したような兵隊たちと、その中心にいる女王のような存在、そしてそれを目の前にする少女、そして最後に鼻の伸びた木製の人形の絵が精密に書かれている。

「白雪姫、赤ずきん、ヘンゼルとグレーテル、人魚姫、不思議の国のアリス、ピノキオか。お伽噺(とぎばなし)だな」

「ご名答。その通り、お伽噺(メルヘン)です」

 そう言って、悪魔は満足げに笑った。

「で、文字札はお前が持っているのか?」

「いえいえ、文字の書かれたカードはまだ存在しません」

 悪魔は笑った表情のまま、ステッキをくるくると回す。

「私があなたに提案するゲームはこのカードの文字札を集めてもらうことなのです。それが完成したとき……」

 悪魔と名乗る男はたっぷりと間を置き、坂井に言う。

「あなたは強大な力を手に入れることができるでしょう」

「強大な?」

 坂井が問うと、悪魔は頷く。

「この世界を変えられるほどの、ですよ」

 坂井は考える。そんな簡単にこの男を信用する気はない。だが、ただ人間社会に流されて生きて行くよりは興味が惹かれそうだった。暇潰しぐらいにはなるだろう。

「分かった。それで、このカードの名前は?」

 坂井が問うと、悪魔はにやりと笑い、答える。

「そうですねぇ、悪魔のメルヘンカルタ、とでも名付けておきましょうか」




 美琴は一人、陽の当らない小部屋で古書を開いていた。ここは黄泉国(よもつくに)最大の書庫である、御中書庫(みなかしょこ)。人の世界でいう図書館のような場所だが、ここにあるのは千年を越える昔から人や妖が書いてきた物語や情報が、所狭しと並べられている。

 物語を読むのは勿論好きだが、ここには古から記録された異形のものの情報もある。日本のみならず大陸や欧州のものも豊富だ。

 事件が起きた時に、事前に知っていることが多いために損をすることはない。それに良い暇潰しにもなる。この真っ暗で静かな空間は心地よい。

 誰にも邪魔されることなく本に向き合える時間は心が落ち着く。何時間でもこうしていられるが、今日は無理だ。約束がある。

 美琴は読んでいた本を閉じ、閲覧用のその個室を出た。

 扉を開けると、まず目に入るのは遥か先まで続く本棚の群れだ。遠く頭上まで伸びるそれらは均等な間隔を開けて規則正しく立ち並び、その数を数えるのには一日という時間では足りないだろう。

 数百年前からこの書庫は存在しているが、まだまだ読み切れていない書物が多量にある上、毎年増えて行っている。これだけの数があるにも関わらずさらに新しく書物が生まれていることを考えると、喜ばしい気持ちにもなる。

 美琴は本に両側を囲まれた通路を歩いて行く。この通路を抜けるのには一番短い場所でも数分かかる。だが、こんなところで急いでも仕方がない。

 この書庫はたった一人の妖によって管理されている。今日の約束はその(あやかし)と結んだものだ。

詩乃(しの)、そろそろ行きましょう」

 美琴は書庫の入り口で和綴(わと)じの本を幾つも机に広げている妖にそう声を掛けた。その妖はひとつ呼吸を置いて、眠そうな目で美琴を見た。

「あらぁ、美琴様。そうですわね、そろそろ出ましょうか」

 詩乃はそうゆったりとした言葉使いで言い、机の前から立ち上がった。

 いつも陽の当らない場所にいるために白い肌と、眠そうに外に垂れた目尻、黒い髪を目深に伸ばし、背中に伸びた髪は先の方で一つに縛った髪の房を右肩に乗せた若い女の姿をしたこの妖怪は、文車妖妃(ふぐるまようび)と呼ばれる種族の妖だ。

 (ふみ)や古書、文車など、言葉に関するものから生まれる付喪神である彼女の種族は、生まれながらにして書物を管理するのに優れた能力を持っている。

 実際あの書庫にある本をほぼ把握できるのは詩乃だけだろう。数や種類だけではなく、どの場所にどの本があり、いつその書庫に格納されたのかまで、詩乃は完璧に記憶している。彼女がいなければ目当ての本をあの広い書庫から探し出すのは到底不可能だ。

「いつもすみませんねぇ、外に出る度に付き添ってもらってしまって」

「いいのよ。私もあなたには世話になっているから」

 外というのは、書庫の外のことではなく、人間界のことだ。普段は書庫に籠り切りの詩乃だが、たまには外に出て黄泉国を歩く。それでも多くて週に一度程の頻度のようだが。

 ゆったりとした詩乃の歩調に合わせて、美琴も遅い足取りで黄泉国を歩く。時刻はまだ昼前、妖怪の姿は少ない。

「眩しいですねぇ」

「書庫は暗いからね。最近何か面白い本はあった?」

「そうですねぇ。そういえば、夢桜京の本屋の方から取り寄せた書がありまして」

 こののんびりとした空気は嫌いではなかった。それに書を読むことが好きな美琴にとっては、こうして本について語り合える相手は貴重だ。

「夢桜京からねぇ。何の本なの?」

「あそこでの着物の歴史が詳しく書かれた本でした。今度読んでみます?」

「そうね、お願いしようかしら」

 夢桜京は昔から着物の生産で有名な異界でもある。美琴自身が持っている着物の中にも、夢桜京で作られたものがいくつかある。

「美琴様も、何か面白い本はありましたか?」

「あなたの知らなそうなものだと、人間界のものならね。外に出たら色々教えるわ」

 会話をしている内にやがて人間界に繋がる境界の門が見えて来た。美琴が前に出て、その巨大な門の片方の扉を押す。

「いつ見ても、不思議なものですわね」

 にこにこと笑いながら詩乃が言う。扉を開けた先には、黄泉国とは全く違う景色が待っている。



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