一 自殺の連鎖
※今回の話はグロテスクなシーン、残酷なシーンが多く含まれています。お読みの際はお気を付けください。
怨みや悲しみ、悔恨や焦燥、苦痛によって追い詰められたものたちは自ら命を絶つことがある。特に霊体が発達したものたちはその傾向が強い。
それは自殺と呼ばれ、人も異形もたくさんのものたちがその行為によって命を落としている。
それには基本的に理由がある。しかし理由も分からずに自殺の連鎖が始まったとしたら、どうだろうか。
今回はそんな物語。
第二一話「それでは皆さんさようなら」
六人の男女が皆手を繋いで、心地よさげに夜風を浴びている。男女の数は三人ずつで、交互に並ぶ形で立っている。
彼らが立つのは六階建てのマンションの屋上。星空でも見ているのか、皆気味が悪いほどの笑顔を顔に張り付けている。
「いっせーのーれ!」
六人は同時にそう叫ぶと、笑顔のまま前に向かって跳んだ。屋上の端に建っていた彼らの目の前には、当然虚空が広がっている。
手を繋いだまま、彼らは頭を下に夜の空間を落ちて行く。そして、地面に大きな赤い花が咲いた。
自殺、自殺、自殺。最近その話題ばかりだ。警察官である上野は頭を抱えた。
昨日は十人の女子高生が一斉に電車に飛び込み、三つの家族が一家心中を行い、大学では学生四人が同じ教室で首を吊り、そして日付が変わる頃に三組のカップルが同じマンションから同時に飛び降りた。もしかしたらまだ見つかっていないだけで、他にも自殺した人間はいるのかもしれない。
一体何が起きていると言うのだろう。警察という職業柄自殺という事件に関わることは日常茶飯事だが、こんなにも多くの人々が亡くなった上、その全てが複数人で行われているという経験は今までになかった。
「ある意味殺人事件より恐ろしいよな」
上司である安田が上野の隣にやって来て、そう言った。
「本当っすよ。なんで急にこんな」
「なんでだろうなぁ。確かにここ最近空気が重苦しい気はするが、だがそんなことでみんながみんな死にたがるかね。彼らに自殺する理由は見当たらないんだろう?」
「はい。遺族の方々や友人関係を当たってみても、死ぬ理由は思いつかなかったと」
自殺が多発しているのは、昨日だけではなかった。この一週間ほど、日を追うごとに自殺者が増えている。毎日毎日自殺の現場に赴き、聞き込みを行う。上野の精神もすり減っていた。これでは自分もいつか命を絶ってしまいそうだ。
「大丈夫か?上野。顔色悪いぞ?」
「すいません、大丈夫っす」
自分でも変だと思う。今まで死ぬなんてことを考えたこともなかったのに、最近の仕事のせいだろうか。
上野は溜息をついて立ち上がる。今日もまた自殺が起きた。現場に向かわなければ。
「最近自殺多いねぇ」
そう小町に話しかけたのは、クラスメイトの上野映子だった。小柄で明るい女の子で、気さくな性格のためクラスの人気者の女生徒。小町とも、たまに話すぐらいの中だった。
「毎日ニュースでやってるものね」
小町はそう返した。一週間程前から、毎日のように東京で異常な自殺が起きているというニュースがテレビや新聞を賑わせている。当然だが、こんなことは初めてのことであるらしい。
「不景気のせいかなぁ。電車とかでもさ、皆暗い顔してるし」
「そうやねぇ。でもそんな簡単に死のうと思うかな?」
小町は首を傾げる。自らの命を絶つということが、そう簡単にできることだとは思えない。この短期間に追い詰められた人間が一気に出てきたとも言うのだろうか。それとも、何かきっかけでもあったのか。
「私も、死のうと思う人のことは分からないなぁ。本当に追い詰められたっていうのなら仕方がないかもしれないけどさ、今死んじゃってる人たちって絶望的な状況にいた訳じゃないみたいでしょ」
ニュースでは、ほとんどの人たちの自殺した理由が不明だと言われていた。人間関係も金銭的なものも問題はなく、目撃者によれば笑顔で楽しそうに死んでいった者たちもいるという。
「不気味やね、なんか」
「そうでしょ~。葛葉さんはやっぱりそう思う?他の友達に話しても別に不思議なことじゃないみたいに言われてさぁ」
小町は教室を見渡した。改めて見ると、教室全体の空気も重苦しく感じる。瘴気が濃くなっているのかもしれない。
「皆疲れてるんやない?もうすぐ中間試験やし」
「そうなのかな。でも、同意してくれる人がいてよかった!葛葉さんも気をつけてね。クラスメイトが死んじゃうのは嫌だからさ」
小町は小さく笑って頷いた。自分が自ら死ぬことは恐らくないだろう。まだまだ生きてやりたいことがある。だけど、この高校でも既に何人か自殺した生徒は出ているらしい。
映子は小町の側を離れて、他の女子生徒たちの輪に入っていく。もしかしたら明日にはあの中の誰かがいなくなっている可能性もあるのか。
明らかに異様なこの状況、美琴も今調査に行っている。原因があるならば早く終わって欲しいと小町は思った。
東京全てを覆うような濃い瘴気に、美琴は不快感を覚えていた。こんなものが人間の精神には良い影響を与えるはずがない。人の目には見えない分余計に厄介だ。
美琴は町を歩きながら、考える。
瘴気は霊気のうち、負の感情によって作られるものだ。それは霊体に影響し、人々の不安や怨嗟、恐怖や絶望を増幅させる。
この瘴気は人間の心が作り出しているものなのか、それとも何かこの瘴気を作り出すものがいるのか。それが問題だった。前者ならば美琴一人の力ではどうしようもないが、後者ならば元を断つ必要がある。
問題はどう見つけるかだ。今のところ自殺する人間は無差別に見えて、手掛かりはない。何か共通点はあるのだろうか。町を行く人々の顔はいつもと変わらない。だが、人はふとしたきっかけだ命を絶つ。
美琴は空を見上げる。秋空は澄んでいる。この綺麗な空の下で、また今日も自殺は起きるのだろう。
上野はわざわざ公園という場を選んで手首を切って自殺した二人の女子大生の遺体の身元を確認し、そしてやりきれなくなって公園のベンチに腰を掛けた。
殺人なら、まだ犯人を探さなければという使命感に燃えられる。だが、理由もなく自殺されては何もできない。ただ遺体を見つけて、回収して、冥福を祈る。その繰り返し。
突然吐き気を催して上野は口を押さえた。どうして死ぬ必要があったのか、死体は話してはくれない。
上野の携帯が鳴った。それが安田のものからであることを確認して、上野は電話に出る。
「また自殺だ。今度は大学だとよ。現場に向かってくれ」
「……分かりました」
上野はそう呟いて、立ち上がる。彼がどんなに祈っても。自殺の連鎖は止まらない。上野は唇を噛む。まるで自殺者が自殺者を呼び込んでいるようだ。
小町は放課後恒を見つけて、一緒に帰ることにした。昼間学校で映子と話したせいか、急に恒がいなくなることを想像してしまい、不安に駆られたためだ。
「恒ちゃん大丈夫?」
「何が?」
帰途を辿りながらそう問うと、恒は不思議そうな顔をした。
「ほら、最近自殺ばっかりやない。恒ちゃんも暗い気持ちになってないかなぁ、と思って」
「別に死にたいとは思わないけど、暗い空気だよね最近。変な霊気みたいなのが漂ってる」
小町は頷いた。夕焼け空は綺麗だが、景色は瘴気で濁っている。これがいつまで続くのだろう。黄泉国に影響がほとんどないことがせめてもの救いだった。
「小町さんこそ暗い顔してるけど大丈夫?」
「え、うん、大丈夫よ」
小町は笑顔でそう答える。自分たちは黄泉国という異界に住んでいるからいいが、四六時中この瘴気の中にいれば確かにおかしくなるかもしれない。映子たちは無事だろうか。小町はそう思いながらも、対処の術は思い浮かばなかった。
映子は友人の永田、小松とともに夕方の木久里駅を歩いていた。映子はいつも放課後にはこうして誰か友人を誘って、遊びに出掛けるのが彼女の日常だった。
「上野さんのお兄さんってさ~警察官なんでしょ~?」
「うん、そうだよ」
永田に問われ、映子は頷いた。兄である伸介は、スポーツ万能で勉強もそこそこでき、容姿もそれなりで、何よりも正義感の強い、昔から映子にとっては自慢の兄だった。
「じゃあさ、最近の自殺事件にも関わってるの?」
「もちろん。今原因を調査中だって」
上野は自慢げにそう言ったが、実際は捜査の内容を教えてくれることはほとんどなかった。例え家族であってもそれは言ってはならないことなのだそうだ。だから、これも半分以上は想像だ。
でも最近は仕事が忙しくなっていると言っていたから、恐らく頻発する自殺に追われてるのだろうと映子は予想していた。
「でもさあ、この不景気だもんね。死んじゃいたくなるのもわかるなぁあたし」
小松がそんなことを笑顔で呟いた。
「そんな簡単に死ぬなんて言わない方がいいよ」
上野は小松に言う。上野は自分で簡単に命を絶つことができる人間の気持ちが分からなかった。自分が苦しいのはもちろん、自分がいなくなったら悲しむものはいないのか。
家族はもちろん、友人だっている。そんなに親しくしていないクラスメイトだって、突然同じ教室にいた生徒が死んでしまったら悲しむだろう。
「そうかなぁ、だってさ、昔と違って就職したって終身雇用じゃないし、いつリストラされるかもわからない。それにこれから社会がよくなるなんて思えないしねぇ」
そう言ったのは永田だった。上野は怪訝そうに二人の顔を見る。どうして、笑いながらそんなことを言っているのだろう。
映子は昔から、兄に命を大事にしろと言われて育ってきた。正義感の強い兄らしい言葉で、映子はそれを胸に大事に抱えて生きてきた。そんな彼は現在警察官として人の命を助ける仕事をしている。
そんな兄を見ているせいか、簡単に死ぬなんていうことは映子にはできなかった。そんなことを言う前に、精一杯もがいてみるべきだと思ったが、それを面と向かって言うこともできなかった。
「二人ともどうしたの?なんか変だよ」
「別に?たださ、このまま高校卒業して、大学行って、就職してどうなるのかなぁって思って。あ、あのクレープ屋おいしいんだ。行こ」
小松の言葉に違和感を覚えながらも、映子は頷いた。こんなことを話すような人たちではなかったのに。最近の自殺事件のせいだろうか。
その後は特に暗い話題が持ち上がることはなく、映子は楽しい時間を過ごした。やっぱり二人とも自殺事件を話の種にしたかっただけなのか。映子は安心して、暗くなった木久里町を二人と一緒に歩いていた。
「次はあそこ行こうよ」
小松がそう言った。彼女の指さす先には何の変哲もないスーパーがある。
「何?何か買うの?」
「いいから、今日ここでイベントがあるんだ」
そう話す小松の言葉に、永田もしきりに頷いている。本当になにかあるのだろう。映子は腕時計を確認した。現在六時過ぎ。もう少しなら、二人といられる。
映子は心配だった。先ほどの会話のせいか、ここで自分がいなくなってしまったら、この二人とはもう二度と会えないのではないかという悪い予感がした。
イベントがあるためか、スーパーの中は混雑していた。男の人も女の人もみんな一様に笑顔を浮かべて、何かを待っているように同じ方向を見ている。
「まだ始まってないみたいだね、良かった」
永田が言った。小松も期待に溢れた笑顔で何かを待っている。一体こんな小さなスーパーで何が催されるというのだろう。映子は期待半分不安半分で待っていた。
やがて、小太りの五十台ほどの歳の男が現れ、レジのカウンターの上に上ると、大歓声のようなものが起きた。それほどの有名人には見えないが、それは自分が無知なだけなのだろうかと映子は周りを見渡す。
「みなさん、今日はよく集まってくれました!」
男が元気な声で言う。映子の周りの人間たちは怖いほどの興奮状態で彼を見ている。一体何だと言うのだろう。
「今日という日に皆さまと出会えたことを私は光栄に思います!準備はできていますかな!?」
男の言葉に、スーパーの中にいた者たちは歓声を上げ、一様に手を上げる。そしてその手には、カッター、包丁、ナイフなど、刃物が握られていた。
映子はその異様な光景に思わず悲鳴を上げ、逃げ出そうとした。しかし、前後左右を人々に阻まれ、動くことができない。自分以外の者たちの視線は小太りの男に向けられている。
「それでは皆さん!さようなら!」
男がそう叫んだ。それに応えて客たちも「さようなら!」と叫ぶ。
そして彼らは、一斉に自らの首筋に刃物を突き刺した。
映子の周りで到るところから鮮血が飛び散り、彼女は生温かいそれを全身に浴びた。
立ちつくす彼女を残し、人々がばたばたと倒れて行く。映子はそれを茫然と見ていた。
やがて、立っているのは映子一人となった。辺りは床や壁、商品を問わずに真っ赤に染まり、凄まじい匂いが鼻腔を突く。
映子はたまらずに地面に膝を付いて吐いた。胃が暴れているようだった。そして体の中のものをひとしきり出した後、再び周りを見渡した。彼女の目の前には半笑いを浮かべたまま首から血を流し続ける小松の死体がある。
一体何が起きたと言うのだろう。これは夢だろうか。どうして皆笑いながら死んでいるのだろう。
堪え切れず、映子は嗚咽しながら涙を流した。その涙は血の溜まりに落ちて同化し、消えて行く。早く店から逃げ出したかったが、震える体は思うように動いてはくれなかった。




