二 冷凍凶獣の惨殺
美琴は吹雪の向こうにレプティリカスの姿を見た。翼を畳み、冷気を突き破ってそれはこちらに向かって急降下して来る。
美琴は後方に跳んでそれを避けた。レプティリカスは地面にぶつかる直前で翼を広げ、再び舞い上がる。美琴もそれを追って、ビルの側面を蹴りながら跳び上がった。
レプティリカスが口から氷の妖力を砲弾のごとく放出した。その巨大な冷気の塊を、美琴は太刀を抜いて切り払う。
拡散した冷気は地面や建物にぶつかり、その部分を氷結させた。美琴は冷気によって白煙を上げる太刀の刃を見る。凄まじい妖力だ。
レプティリカスはこちらを睨んで、再び口内に妖力を蓄積し始めた。だが、その背後に現れる影がある。
朱音と良介が翼竜を背後から攻撃した。青い炎の塊と赤い妖気を纏った髪がレプティリカスの背部に突き刺さる。
レプティリカスは悲鳴を上げ、長い首を後ろに曲げると同時に、尾で二人を薙ぎ払った。そして片腕を振り上げ、美琴に叩きつける。
空中に支えのない美琴はその攻撃で下方に向かって弾き飛ばされた。ビルの屋上にぶつかり、コンクリートを砕きながらも、美琴は追撃の氷の妖力の塊を後方に転回して避けた。次々と小さな白い妖力の弾が美琴を狙うが、美琴は身軽に動きながらそれを避けつつ、いくつかを斬撃で撃ち落とした。
相手が空にいるとやりにくい。美琴は太刀の刀身に妖力を溜め、紫の斬撃を飛ばすが、レプティリカスは翼を一度動かすだけで避けてしまう。
美琴は一度ビルの上から飛び降りた。このままではこの建物自体が崩壊しかねない。
レプティリカスは空中に留まったまま、こちらを見ている。出方を窺っているのだろうか。どちらかが倒れなければこの戦いは終わらない。
「とんでもないやつですな」
吹雪の中から良介が現れて、そう言った。視界は利かないが、妖気で互いの位置は分かる。朱音は少し離れた場所にいるようだった。
「そうね。飛んでどこかに行かないのが救いだわ」
美琴は太刀を握り直した。せめて空が晴れていれば、こちらも戦い易いのだが、恐らくこの吹雪もあの異形が起こしたものだろう。ならば、この天候の中で相手を討つ他ない。
「まずは叩き落としますか」
良介は言って、脚部を青い炎で染め、一気に跳び上がった。そしてビルの上に着地し、それを蹴ってさらに上へ向かう。
レプティリカスはその様子を見て、良介に向かって妖力の砲弾を放つが、それは下から現れた朱音の髪によって防がれる。指示はしなくとも、二人とも自分のすべきことは分かっている。
良介はレプティリカスの上空まで辿り着くと、右脚に妖力を集中させ、青く燃え上がらせる。
「落ちろ!」
良介の踵落としがレプティリカスを直撃した。その直後、朱音が怯んだレプティリカスの両の翼にそれぞれ硬質化した髪を突き立てた。
たまらずレプティリカスは悲鳴を上げ、地面に落ちて来る。美琴はその落下時点まで疾走すると、反撃の隙を与えずにその首に向かって刀身を突き立て、体から頭部を切り離した。
白い雪に赤色の血液を撒き散らし、光を失った頭部が地面に落ちる。これで終わった。美琴は血を払い、太刀を鞘に納める。そして、レプティリカスに背を向けて歩き出す。
だが、少し歩いたところで美琴は立ち止った。おかしい、死んだのなら程なくして妖気が消えるはずなのに、むしろ濃くなってきている。美琴は振り返り、そして再び胴体繋がろうとしている首を目にした。
「まさか……!」
美琴は再び十六夜の柄に手を当てた。しかし彼女に向かってレプティリカスの尾が伸びて来て、その体を弾き飛ばした。
近くのコンビニにぶつかり、ガラスを破って美琴は内部の商品棚を押し倒した。
再生能力を持っているのか。しかも普通なら死ぬような状況から再生できるほど強い能力を。美琴は舌打ちした。益々(ますます)厄介な相手だ。
レプティリカスは再び暴れ始めた。翼につけられた傷ももうほとんど癒えている。そしてレプティリカスが振った右前足が、近くの民家の壁を崩壊させた。
そして美琴は、その中にまだ子供の男の子の姿を見た。
宗助は窓の外で響く轟音にびくりと体を震わせた。
外の景色は見えないが、音は次第に近付いてきているようだった。不安で不安で仕方がない。にも拘わらず、父は帰って来てくれない。
もし外にいる何かが、この家に入ってきたらどうすればいいのだろう。そう思っていた時だった。
凄まじい音とともに、家の壁が砕けた。そして、そこに巨大なドラゴンを思わせる顔が覗いた。
安田はしっかりと防寒着を着て、警察署を出た。町の所々でこの吹雪以外にも異変が起きていた。暴風の向こうで何かが爆発するような音や何者かの咆哮のような音など、そんな奇怪な音が報告されている。
どうしてこう異変に異変が重なるのか。吹雪の中で凍りつきそうな思いをしながら、安田は町を見回る。
誰か倒れている人はいないか、何か壊れてはいないか。そうほとんど前の見えない吹雪の中で確認しながら歩いている時、安田はすぐ目の前に落ちている瓦礫の山に気がついた。吹雪のせいで近くに来るまで分からなかった。
大きいものでは一メートル以上はあるコンクリートの破片が落ちている。これは吹雪によってできるものではない。この白に閉ざされた景色の中で、何が起こっているのか。
そして安田は見た。空にある巨大な影を。鳥とは違う形をした翼と、細長い体。その体長は少なくとも数メートルはある。。
その怪物は何者かと戦い、飛行能力を失って地面に落ちた。そして、その方角は彼の家族が住む家がある場所だった。
安田は絶望的な思いで、怪物の落ちた場所へと走り出した。
レプティリカスは美琴からその子供に注意を向けた。このままではあの人間たちが犠牲になる。美琴は十六夜を抜き、地面を蹴った。
レプティリカスが少年に向かって首を伸ばす。その頭部を美琴は思い切り踏みつけ、そして親子とレプティリカスの間に立った。
頭骨を陥没させるほどの蹴りを受けたにもかかわらず、レプティリカスは怒りの声を一つ上げただけだった。
既に翼に受けた傷は回復し、頭部も目に見えるほどの速度で再生している。
レプティリカスが口を開く。美琴は右手に妖力を集中させ、レプティリカスが放った冷気を受け止める。
美琴の右の掌に当たった白い妖力はそこで拡散し、辺りを氷結させる。そして完全に防ぎきることはできず、美琴の右手の先端が凍りついた。
ここから退けば、後ろの子供に被害が及ぶこととなる。美琴は空いた左手で太刀を持った。そして逆手で握って斬撃を放つ。
その攻撃でレプティリカスが一瞬怯んだ。美琴は妖気を感知し、自分の方へ走ってくる妖に声を出した。
「良介!」
「はいよ!」
良介はレプティリカスの下に入り込むと、右脚を自身の火で加速させ、竜の体を思切り蹴り上げた。
良介の一撃で、レプティリカスの巨体が浮き上がった。レプティリカスは口から血を漏らしながらそのまま翼を広げて空に逃れようとする。
「そうはいきませんよ」
レプティリカスの上に現れた朱音が、その胴体の中心に向けて太く束ねた槍状の髪を打ち込む。
レプティリカスの体が再び地面に沈む。美琴は右手の握って氷を砕くと、両手で十六夜を握った。そして再び凶獣に斬り掛かる。
首を切断しただけならばこの異形は再生してしまう。ならば、再生できないほどに切り裂くのみ。
美琴は凄まじい速さで刀を振った。刀身が何度も肉を通り抜ける感触とともに、美琴はレプティリカスの体を走り抜けた。
美琴の背後で、ばらばらに切り刻まれた冷凍凶獣が倒れた。肉片が散らばり、血液が雪に染み込んで行く。
「これでもまだ、というのね」
だが、美琴は太刀を握ったままその肉片を振り返った。未だに妖力が消えない。まだ足りないと言うのか。
美琴は右手に妖力を集中させる。これを放出して、肉片を跡形もなく消失させる気だった。だが、それを放つ前に切り離されたレプティリカスの頭部が単独で動き出し、美琴に向かって緑色の液体を吐き出した。
「妖力じゃない……!」
美琴はその攻撃から身をかわした。ただの氷の妖力なら自身の陰の妖力で受けることができる。だがこれはもっと別の物質だった。
美琴の頬をその液体が掠り、美琴はそこに強い熱を感じた。そして彼女をそれた液体は電柱を直撃し、その部分を溶解させて数秒で倒壊させた。
頭部に呼応したかのようにばらばらになった肉片たちが蠢きだし、それぞれ緑色の熔解液をばらまき始めた。これは物理的に防ぐ以外に術がない。美琴は先程の少年の元へ向かうと、右脇に抱えて高く跳び上がった。
とにかくこの場所から離れなければ、この子まで巻き添えを食らうことになる。
下で良介と朱音が肉片に向かって行くのが見えた。良介の炎が溶解液を蒸発させるも、今度は氷の妖気をも同時に放ち、熱を防いでしまう。朱音の髪でさえも緑色の液に触れて白煙を上げ、攻撃を許さない。
肉片は再び一つに統合されて行き、あの竜のような姿を形作った。だが美琴は子供を違う建物の中に避難させ、凶獣に向かって太刀を振り下ろす。
だが、レプティリカスはそれを体を捻って避けると、氷の妖力を撒き散らしながら飛び上がった。
美琴ら三人はその妖力を避け、追撃しようとするが、既にレプティリカスは空高く舞い上がっていた。
レプティリカスは一度だけ巨大な妖力を三人に向かって放つと、一度だけ吠えて海へと墜落するように潜って行った。
美琴は最後の妖力を消滅させると、太刀を鞘にしまった。
相手は海中に潜ってしまった。手の出しようがなかった。だが、これであの怪物がこれきり姿を現さないとは考えにくい。
だが、空気中の妖気は薄くなってきているようだった。レプティリカスもそれなりに妖力を消耗したということか。これで吹雪だけはもうすぐ晴れる。
決着は次に持ち越しのようだ。その間に、何か対策を立てねばならないようだった。




