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黄泉夜譚 ヨモツヤタン  作者: 朝里 樹
第一七話 青柳恋慕
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二 青柳の木霊

 小町と朱音がその(あやかし)を見かけたのは、昼食を食べ終えてただ当てもなく木久里町を歩いていた時だった。

 朱音と一緒に人間界に出たのは久し振りだったが、小町は自分の悩みに親身に相談に乗ってもらえて大分気が楽になっていた。黄泉国には自分の家族がいないから、こんな風に悩みを打ち明けることができる人がいるのは貴重だった。

 目に付いた店に入って、買い物をしたりしなかったりしながら、そろそろ帰ろうかと二人で話していた時、小町は二人の髪を金色に染めた若者に絡まれているある女性を見つけた。

「あの……、えっと……」

 見た目二十前後の細身で気の弱そうなその女性は、男二人に何か話しかけられる度にそう返答に窮していた。

「朱音はん、あの子……」

 そう言うと、朱音は頷いて答える。

「困ってますね。助けてあげましょうか」

 朱音はそう言って細い髪の束を二つ、ゆっくりと伸ばし始めた。他の人間に気付かれないように、地面に這わせるようにして髪を男たちの足元に近付かせて行く。

 静かに男たちの足元にそれを巻き付けると、朱音は髪を一気に引いた。突然足を(すく)われ、男二人が派手に転倒する。

 同時に、小町がどこからか葉を取り出し、二人の方にそっと投げた。それはぱちんと小さな音を立てて消失し、男たちに軽い妖術を掛ける。ほんの数秒の間だけ、気を失う術だ。

「さ、早く」

 朱音はきょとんとしている女性の手を取って走り出す。小町も目を擦りながら起き上がろうとする男たちを一度振り返ってから、その後を追った。


「あの、ありがとうございました。(わたくし)青花(あおか)と申します」

 青花と名乗ったその女性は深く頭を下げた。両肩に垂らした髪の房が下に垂れる。

 三人は近くの公園のベンチに座っていた。ブランコと滑り台、それに砂場があるくらいの小さな公園で、時間が夕方に差しかかろうとしているためか、人の姿はなかった。

 小町はしばらく警戒していたが、あの二人の男が追って来る様子はないようで、ふうと溜息をつく。

「ええよええよ。同じ妖怪なんやから」

 小町がそう言うと、青花はまた驚いた顔をして小町の顔を見た。

「妖怪の方、だったのですか」

「え、気付いていなかったのですか?」

 思わずそう朱音は声を出した。女の妖怪はびくりとして、「すみません」と謝る。

「あ、いえ、別に怖がらせるつもりはなかったのですが、あなたは何の妖なんです?」

 そう朱音が問うと、

「ええと、私は、ある青柳(あおやぎ)の木の精なのです。つい昨日こうして動けるようになったばかりで、何も分からず……」

 青花は不安そうにそう言った。それで小町は納得が行った。この女性は植物の妖怪なのか。それならば、他の妖気が分からなくても仕方がない。基本的に動物の妖と植物の妖は別々に暮らしているものだから。

「つまり、木霊(こだま)の妖ですか。私は朱音と申します。種族は針女。そしてこちらは……」

「小町。種族は妖狐」

 そう小町が笑いかけると、青花もぎこちなく笑顔を返した。

「すみません。私、人里にやって来たのは初めてで、お二人にご迷惑をかけてしまって」

「大丈夫よ、そんな気にせえへんでも。でも、どうして町にやって来たん?」

 小町が問うと、青花は顔をほんのりと赤く染めて、しかし嬉しそうに言う。

「私には、想い人がいるのです」

 小町と朱音が顔を見合わせる。

「想い人、ですか」

「はい。私はその人に会いたくて、こうして動くための体を手に入れたのです」

 朱音が問うと、青花はそう顔を輝かせて答えた。その純真な表情に、小町は思わず羨ましいと思ってしまう。こんなに素直に言えるなんて。

「その男の人は妖怪?人間?」

「人間の方です。ずっと前から、あの人が子供だった頃から(わたくし)は知っているのです。とても素敵な方なのです」

 少しだけ力んだ様子で青花は言う。木霊である彼女が人間であるその男性(ひと)を好きになったのだから、余程の理由があったのだろう。そう小町が問うと、青花は照れたように頷いた。

「はい。あの方、友章(ともあき)様は、私にとっては本当に大事な方です」

「良かったら、その友章という人との貴方の関係を教えてくれる?」

 小町は好奇心から青花にそう言った。自分と同じように、種族の違う誰かに想いを寄せている女妖(じょよう)。それを応援したいという気持ちもあったし、自分と重ね合わせている部分もあった。

「はい!私があの方に出会ったのは、もう十年以上は前のことです」




 (わたくし)はその頃、まだ大きな木ではありませんでした。この町からは少し離れた場所に植えられていて、ただ陽の光を浴びて生きていました。

 そんなところですから、人が来ることはあまりありませんでした。でもある時、子供たちがたくさんそこにやってきたことがありました。

 そんなことは今までありませんでしたので驚きましたが、樹木である私は何もできず、ただそこに立っているだけでした。

 だけど何人かの子供が私のことを見つけて指差すと、こちらに向かって歩いてきました。そして、その中の一人が私の幹を掴んで揺すり始めました。まだ細く小さかった私の幹は、彼らの両手でも十分に掴めるものでした。

 その頃の私はほとんど人の言葉は分からなかったので、彼らが何を話しているのかは分かりませんでした。でも、私の幹を揺さぶったり、枝を折ったり、根元を蹴ったりしていることから、私のことを傷つけて楽しんでいたのかもしれません。

 私は自分では動けない体でしたから、なすがままにされていました。木ですから、痛みを感じることはありませんでしたが、自分の体が傷付くことは分かります。私は恐ろしくて仕方がありませんでした。

 そんな時、私を助けてくれた方がおりました。声を上げて私の方に近付いて来て、私を傷付けていた子供たちを追い払ってくれました。その方が、友章さんでした。

 友章さんは私の体の傷に、布を巻いてくれました。私はその気持ちがとても嬉しかった。

 それから、友章さんはたまに私のところにやって来ては水を根元に掛けてくれたり、傷の様子を見てくれたりしてくれました。いつの間にか、私は彼が来るのが楽しみで仕方がなくなっていました。

 柳として生まれた私には、それは初めての感情でした。

 私が大きくなるにつれて、彼も大きくなって行きました。彼はたまに、私に話しかけてくれました。彼は植物が好きで、その勉強をしているんだと、私に語ってくれました。

 私が答えないことなど分かっているはずなのに。彼が私に寄り掛かってくれる時が、一番の幸福な時間でした。

 私はいつか、自分から友章さんに会いに行きたいと、そう思うようになりました。その思いがかなって、私はこの動くための体を手に入れたのです。




 青花は遠くを見るような眼差しで、そう語り終えた。

「それでその体を得たんやね。すごいねえ」

「いえ、それほどでも」

 青花は頭を掻いた。想い人のために、本来動くことのない樹木の妖が、動くための体を手に入れた。その強い意志が小町は素直に畏敬の念を覚えると同時に、その行動力が羨ましくもあった。

「でも、それならば友章さんに会いに行かなくても良いんですか?」

 朱音が問うと、青花は困ったような表情をする。

「それが、彼がどこにいるのかが分からないのです。私、人里のことなどほとんど分からずにやって来たので、こんなに人がいるとは思わずに、そして他の方に話しかけられて困っていたところに、貴方がたやって来て助けてくれたのです」

 確かに、植物と植物では価値観も生き方も全く異なるから、木の妖である彼女がここにやって来るのには、かなりの覚悟と苦労が必要だったろう。それだけ、青花の想いが強いと言うことだろうか。

 同じ想い人がいる身として、小町は彼女を助けてあげたくなった。自分はこの子の悩みが分かると言うのは、単なる思い込みかもしれない。でも、青花をこのまま人の世界に一人放置することはできそうにない。

「ねえ青花はん、私たちがあなたの手伝いをしてあげようか。どちらにせよ、ここであなたを一人にする訳にはいかへんし」

「え、そんな。助けていただいたのに」

「断ることはありませんよ。それに小町さんの言う通り、あなたを放っておくわけにもいきません。人の世界を良く知らないのでしょう?」

 青花は遠慮がちに頷いた。

「とにかく今日はもう夜になるから、友章はんを探すのは明日やね。今夜はとりあえず、私たちの住んでいるところに行くしかあらへんね」




 椿は着用者を失い、地面に横たわった衣服を見た。これで十人目。中々の進行度だ。椿は赤い口元を微笑ませる。

 もうすぐ陽が暮れる。一度本体に戻るべきか。

 椿はそう考えながら、ハイヒールの踵を鳴らして歩き出す。その周りを、羽音のような音が付いて行く。




 屋敷に現れた突然の客を、美琴は快く受け入れてくれた。

 青花と彼女を連れてきた小町、朱音は、現在美琴の屋敷の居間にいた。青花の着替えのため、男二人は部屋の外に出ている。

 青花の身長は丁度美琴と同じくらいであったため、美琴の青い和服を貸してあげることになった。そもそも服というもの自体に余り馴染みのない青花に着物の着方を教えるのに少しだけ時間がかかった。

「助けていただいて、さらに宿まで提供していただけるなんて、本当にありがとうございます」

 両膝を着き、青花は深々と(こうべ)を垂れる。小町はそれを見て、笑って言う。

「このお屋敷は私のものではあらへんから、お礼は美琴様に言ってね」

「いいわよ、お礼なんて」

 美琴は手を小さく振ってそう言った。だが、青花は今度は美琴に頭を下げる。律儀な性格なのだろう。

 小町は改めて青花の姿を見る。顔は小さいが、目鼻立ちははっきりとしている。体の線は細く、両肩の前に髪の房をそれぞれ伸ばしていて、髪の長さは肩のすぐ下辺りまで。

 見た目は綺麗だと思う。そこで心配になるのは、やはり恒のことだ。彼のことだから青花に一目惚れ、ということはないと思うけれど、それでもやはり不安になる。

 自分で連れてきて何を悩んでいるのだろうと、小町は自嘲する。でも、青花を放置してはおけなかった気持ちと、恒のことを心配する気持ちは全く別のところから生まれている気もする。

「小町さん、どうしたんですか?」

 青花に問われ、小町ははっとする。

「なんでもあらへんよ。明日は友章はんを探さへんとね。青花ちゃん一人だと大変だから、私も付いて行くよ」

「本当ですか?ありがとうございます」

 そう青花は無邪気な笑顔を見せる。どこか義姉に似ていると思いながら、小町も笑顔を作る。そうだ、この子だって真っ直ぐに自分の想いに向き合ってるのだから、自分もくよくよと感がていても仕方がない。

「青花ちゃん、お風呂行こか。男の人に会う前なんだから、綺麗にしないとね」




「あの子たちは銭湯に向かったのかしら」

 美琴は朱音に向かってそう問うた。

「そうみたいですね。恒君も連れて、楽しそうに行きましたよ」

 朱音はそう言って笑った。若い妖たちを見るのは微笑ましい気持ちになれて、朱音は好きだった。

「それにしても、柳の木霊は若かったわね。あんなに樹齢の低い木の精が自分で動き出すこともあるのね」

「美琴様、大事なのは重ねた年齢ではなくて、想いの強さですよ。それだけ、青花さんの友章さんへの想いが、真っ直ぐだったと言うことなのでしょう」

「そうかもしれないわね」

 美琴はそう言って、しんみりと頷いた。その時、襖の向こうから足音が近付いて来て、襖が開いた。

「皆銭湯行っちゃったのか。じゃあ晩飯はまだ作らない方がいいな」

 居間に顔を出した良介が言う。

「そうですね。今日は少し遅いくらいでいいんじゃないですか?」

「そうするか。朱音は銭湯行かないのか?」

 良介が居間の卓袱台の前に腰を下ろしながらそう尋ねた。

「若い子たちの邪魔はしませんよ。ねえ、美琴様」

「そうねぇ。多分私たちが一緒に行っても、あまり役には立てないでしょうからね」



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