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黄泉夜譚 ヨモツヤタン  作者: 朝里 樹
第一六話 陽炎の記憶
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四 火の妖力の使い方

「また良介さん何か考えてる」

 眞希(まき)の声で、良介は現実に引き戻される。彼の目の前には、自分を覗き込むようにしている眞希の顔があった。

「いや、すまないね。眞希ちゃんも俺が見ていなくても平気になってきたから、つい気が抜けてね」

 そう言うと、眞希は嬉しそう笑顔を作った。

 自分が見守ることのできたなかった幸の成長を、良介は眞希に重ねている。初めて眞希を見た時、炎の扱い方を練習していた幸を思い出して放っては置けなかった。

 あれからもう、八百年以上の時が経った。だが、あれは忘れられる記憶ではない。死ぬまでこの胸に刻み込んでおかなければならない記憶だ。

 家族を失い、そして美琴と出会った。それからは、彼女を助けること、誰かのために戦うことを目的に、日々を過ごした。あの頃の良介には生きるための目的が必要だったのだ。

 今はもう、生きることに目的などは必要なくなった。この長い時の間には色々なことがあった。美琴とともに戦い、朱音と出会い、黄泉国で様々な妖たちが暮らすようになって、そして人と妖の世界が隔てられた。

「良介さん、私もさ、この力をいつか誰かの役に立てることができるかな」

 眞希は良介の隣に腰を下ろして、そう言った。その言葉は、幸の言葉を思い出させた。村の人を守るために力を使うのだと、娘はそう言っていた。

 昔は自分の力を忌み嫌っていた眞希がこんなことを言ってくれるようになったのが、良介には嬉しかった。自分の能力を憎み続けるよりも、こうして受け入れられた方がずっと良い。

「ああ、きっと役に立つ日は来るさ。だから、そのためにもっと上手く火を使えるようにならないとな」

 そう言ってから、良介は強い妖気を感じて立ち上がった。まるで、八百年前のあの日のような禍々(まがまが)しい妖気だった。

「どうしたの、良介さん?」

 良介の異変に気が付いて、眞希が問う。それもあの日と同じだと良介は思った。

 良介は振り返る。そこには、にやつきながら二人を見ている巨漢の男の姿がある。




 その異形は、心配そうな顔で自分を見つめる少女を見て大きく口の端を釣り上げた。妖気の高い人間、もっとも食欲をそそる食べ物だ。

 隣にいる男は人間ではないようだが、どうでもいい。殺してしまえばいいだけだ。異形の肉はまずい。食うならやはり人間の、若い女や子供に限る。

 袖で口から垂れた唾液を拭って、異形の男は歩き出す。すると、少女の隣にいた男が彼女の前に立った。




「眞希ちゃん、危ないから下がっていなさい」

 良介は表情を険しくして、そう言った。眞希は素直に頷いて、彼の後ろに立つ。

 良介は歩いて来る異形を睨む。今まで感じたことのない部類の妖気だった。もしかしたら、日本の妖ではないかもしれない。

「あんちゃん、そこどいてくれないか?」

 予想通り、男の使う言語は日本のものではなかった。良介は霊術を使って、相手の言語を変換する。

「貴様は誰だ。この子に何の用だ?」

「俺は、ズウーという。チベットから来た異形さ。訳あって怪我をしちまってねえ、今この国でちょっと力を蓄えてたとこなんだよ。そのためにそこにいる奴をただ食いたいだけだよ。だからさ、お前は邪魔なんだ」

 下劣な笑いに敵意を滲ませて、その異形は言った。良介は拳を握り、異形を見つめる。八百年と同じだ。自分は異形を前に、眞希を後ろにしている。

 あの時は守れなかった。だが、今度は守る。青い炎が両の拳を染めた。

 眞希に眼で合図をすると、彼女は小さく頷いて彼から離れ、近くの岩場に逃げ込んだ。ズウーは忌々しげにそれを見ている。

「あの子を食いたきゃ、まず俺から倒すことだな」

 良介は右手を上げ、挑発するように指を曲げる。

「かかってきな」

 その言葉が終わらぬうちにズウーは良介に向かって地面を蹴った。巨体に似合わぬ俊敏さだったが、良介はその場から垂直に跳び上がって、それを避けた。

 ズウーの体当たりによって防波堤の一部が崩壊する。だが、傷一つつかず、ズウーは良介を振り返る。そして、苦々しげに言った。

「何だ貴様?俺を馬鹿にしてるのか?俺と戦うのなら、武器ぐらい構えろ」

 良介はそれに対して不敵に笑み、答える。

「分かってないな。俺の武器はこの脚と」

 良介はズウーに向かって青い炎を纏う右手を見せ、握った。

「この拳だ」

 ズウーは嘲るように笑って、再び突進して来た。自分も武器を持たないにも関わらずあのような挑発をするのだから、肉弾戦には余程の自信があるのだろう。

 だが、それはこちらも同じだ。

 良介は左足に火を纏わせた。そして、真っ直ぐに突っ込んで来るズウーに向かって、一歩も退かずに回し蹴りを叩き込む。

 妖力と火による加速を得たその蹴りは、ズウーの巨体を後ろに弾き飛ばした。

 八百年前とは違う。家族を失って、美琴とともに生きるようになってから、良介は様々な戦いを経験してきた。死線を潜り抜けたことも一度や二度じゃない。今さらこんな相手に怯みはしない。

 良介は両腕と両足に火を灯した。眞希には指一本として触れさせるつもりはない。青の光が真夜中の暗闇の中に良介の姿を浮かび上がらせる。

 怒りに顔を歪ませて、砂まみれズウーが立ち上がる。彼は近くにあった防波堤の破片を持ち上げると、それを良介に向かって投げつけた。

 良介は右手を突き出して、熱と打撃によってそれを打ち砕く。だがその破片の向こうからズウーが向かって来るのが見えた。

 良介は拳を引き、両手でズウーの体を受け止めた。だが、ズウーの前進する力は止まらない。彼の体を突風が後押ししているようだった。どうやらこの異形の妖力の属性は風のようだ。

 だが、正面から受け止め続ける必要もない。良介は体を横にずらし、相手の勢いを利用して相手の体を投げ飛ばした。

 砂を撒き散らしながら地面を転がり、ズウーは素早く立ち上がる。

「中々やるじゃないか。それは認めてやる」

 ズウーはそう言って怒りと嘲りの混じった表情をした。

「だが、ここからは本気だ。貴様の炎など、俺の風の前では無力。全て吹き消してやる」

 ズウーは自身の体を妖気で覆うと、その体が変化し始めた。手足の先は蹄に変わり、頭部には一本の大きな角と、その左右に二本ずつ、小さな角が生える。口は大きく裂け、鼻は豚のような平たく、大きなものになる。そして、その体長は十メートル程にまで巨大化している。

 ズウーは野太く笑い声のような声を上げた。

「これが俺の本当の姿だ。人間たちが俺をなんと読んでいたか教えてやろう。魔神だ」

 自慢気な笑みを浮かべて、ズウーは続ける。

「俺の息に触れたものは獣と化し、俺の食糧となる。貴様はまずそうだがな、ただ殺すだけでは気が済まん。食ってやるよ」

 そう言ってズウーが足を踏み出すと、地響きが鳴った。だが良介はその巨体にも退くことなく、口角を釣り上げた。

「獣にはならんさ。俺は元々獣だからな」

 良介は言い、そして自身の中の妖力を開放した。彼の全身を青い炎が走る。妖力の属性に優劣はない。その強さと使い方に優れた方が勝つ。

「火の妖力の使い方、教えてやるよ」

 火が良介の体を包み込んだ。そしてそれが消えた後には、全身を赤い体毛に覆われ、青い炎のような(たてがみ)を頭部と両手に生やした、虎のごとき顔を持つ妖がいた。その獣の妖は、鋭い視線で魔神を睨みつける。

「それが貴様の正体か」

「ああ、俺の種族は火車。悪行を行った輩を地獄に連れて行く妖さ」

「ほざけ。地獄が何だ。俺は魔神だ!」

 ズウーが右手の蹄を叩きつけようとするが、良介は簡単にそれを避けた。

 この姿になるのは久し振りだ。良介は鋭い爪の生えた拳を握る。だが、妖力はずっと使い易い。

 良介は炎の軌跡を残して跳び上がった。赤い腕に青の火が灯り、その拳がズウーの巨体の真ん中にめり込む。

 咆哮を上げてズウーが砂浜に倒れ込む。良介の攻撃によって体の一部が焼け焦げ、煙を上げている。

 ズウーが立ち上がるが、今度は炎を纏った良介の踵落としがその脳天を砕いた。今度はズウーの体が顔面から砂浜にのめり込む。

 ズウーが怒りの咆哮を上げ、立ち上がって鼻に空気を溜め、一度に放出して突風を吹いた。妖力を含んだそれは触れたもの全てを巻き上げ、砕く。だが、良介は火の妖力で全身を包んで防いだ。こんな風では、この炎は消すことはできない。

「残念だったな」

 良介は砂浜から跳び上がった。そして自分を睨みつけるズウーの顔面の中心に向かって、妖力を注ぎ込んだ右脚を叩きつけた。

 火車の脚を伝い、ズウーの全身を炎が包む。魔神の断末魔が空を割る。

 良介は地面に降り立ち、再び自身の体を炎で包んで人間の姿に戻った。そして、呟くように言う。

「悪行を行えば因果は自分に返ってくる。地獄に行っても覚えておくことだ」

 良介は振り返ることなく、煙草に火を点けて口に咥えた。その後ろで悲鳴は消え、魔神の体は夜の下に燃え尽きた。




「眞希ちゃん、もう出てきても大丈夫だ」

 良介がそう声をかけると、近くの岩場に身を隠していた眞希が現れた。青い顔はしているが、ずっと大人しくしてくれていたようだ。パニックになって跳び出したりせず、良かった。

「良介さん!」

 自分に抱きついて来る眞希の頭を、良介は優しく撫でた。今度こそ守ることができた。

「もう大丈夫だ。だけど、気をつけるんだぞ。妖力が強い君のような人間は、ああいう奴に狙われやすいからな」

「うん。でも、私怖くなかった。良介さんが助けてくれるって信じてたから」

 そう言って、眞希は笑った。良介も頷く。

「ああ、俺は負けないさ」

 もう失ったものを取り返すことはできない。だが、まだ失っていないものを守ることはできる。今はただ、それでいい。




 明け方屋敷に帰ってくると、居間では美琴と朱音が座っていた。美琴は本を読み、朱音は編物をしている。

「派手にやったみたいね」

 美琴が顔を上げ、静かにそう言った。あれだけの妖力を使ったのだから、異界にいてもある程度のことは伝わるのったのだろう。自分の妖力はの特徴は、美琴もよく知っている。

「ええ」

 良介は頷いて、卓袱台(ちゃぶだい)の側に座る。

「良介さん、女の子に会いに行ってるって聞いたのに、なんで暴れてたんですか?」

 朱音が編物の手を止めて、興味深そうにそう尋ねた。

「なんでって、あっちから来たんだから仕方がないだろう」

 良介が事の次第を語った。朱音は黙って聞いていたが、話が終わると少し納得がいかないように言った。

「そんなのが日本に来てたのですか。それなら私たちに知らせてくれれば、助けに行ったのに」

「まあな、だけど美琴様や朱音の手を煩わせる必要はなかったんだよ」

 良介がそう言って笑うが、朱音は不満そうな顔をした。

「自信満々ですね。確かに良介さんは美琴様に次いで、この国では二番目に強いと言われていますけどね、私だって負けてないつもりですよ」

 良介は頷いた。朱音のことは信頼している。そう伝えると、朱音は今度は満足そうに笑った。

「ならいいです。無理はしないで下さいよ。鬼たちだって動き始めているのですから」

 良助は頷く。そう、朱音の言う通り恒を狙っている鬼たちが動き始めたと美琴から聞いていた。それならば自分の力は必要だろう。鬼族との因縁は長い。

 そして、恒も守らなければならない。今の自分は一人ではない。美琴も朱音もいる。だからきっと、彼を失わなくて済む。

「朱音、恒ちゃんのことは俺たちが守ってやらないとな」

「もちろんですよ。あの子は何も悪くない。私たち三人が恒君の守り手となってあげなければなりません」

 良介は「ああ」と答えた。鬼たちのとの決着は、もうすぐだろう。




 朱音との会話の後、良介はひとり縁側に座って煙草を吸っていた。今日は久し振りに昔のことを思い出した。

「そんな顔をしてるのは、珍しいわね」

 そう後ろから声が聞こえて、隣に美琴が座った。

「美琴様」

「昔のことでも考えていたの?」

 そう穏やかな声で言う。何でもお見通しだ。

「ええ。確かに、眞希ちゃんと会うといつも家族のことを思い出してしまうんですよ」

 良介は白んだ空に向かって煙を吐いた。美琴は頷いて、言う。

「もうあれから八百年経ったのね。あなたも大分強くなったわ」

「美琴様のお陰ですよ」

「力だけでなく、心も強くなった。頼りにしてるわよ。黄泉国の二番手として」

 そう美琴は冗談めかして言った。

「ありがたいお言葉で」

 良介も笑ってそう返す。そして、縁側から立ち上がる。

「そろそろ恒ちゃんが起きてくる時間ですね。朝飯でも作りましょうか」

 美琴も同じように立ち上がって、言う。

「そうね。あなたの作る料理はいつも楽しみだわ」

「そう言ってくれると嬉しいですよ」

 良介は笑った。今の自分にはこの、何気ない幸福を感じられる日々がある。この日々が壊されないように努力していこう。

 良介はそう思いながら屋敷の中を歩いて行く。その顔に、穏やかな笑みを浮かべながら。



異形紹介

・魔神ズウー

 チベットのトルクジャン地方に存在する魔神とされる。

姿は豚に似ており、鼻から赤と黄色の煙を吹きかけることで相手を獣に変身させるという能力を持つ。地元に人間は、自分たちがその被害にあわないようにズウーの生け贄を捧げているとされる。

 しかし現実にはチベットにはトルクジャン地方は存在せず、またズウーという魔神の伝承も確認されていない。初出は中岡俊哉氏の『世界の魔術・妖術』という本であるが、後に水木しげる氏が『水木しげるの世界妖怪事典』に登場させたことで知名度が上がった。

 文献によっては「ズウー」の他に「ズゥー」や「ズー」という表記が見られるが、ここでは初出である中岡氏の「ズウー」を採用した。

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