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黄泉夜譚 ヨモツヤタン  作者: 朝里 樹
第一六話 陽炎の記憶
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三 良介と美琴

「お父さぁぁぁん」

 幸が泣きながらこちらに走って来ようとするのが見える。来るなと言いたかったが、内臓の痛みで口が思うように動かなかった。

「お幸ちゃん!」

 その幸を食いとめたのが、お六だった。彼女は幸の手を引いて、魔道から離れようと走り出す。良介はお六に感謝した。とにかく、二人が無事に逃げられることを祈って良介は立ち上がった。

「無駄なんだよなあ」

 逃げようとする二人を、そうにやつきながら魔道が眺めている。良介は一気にその後ろに走り寄ると、振り向いたその顔に拳を叩き込んだ。

 魔道が弾き飛ばされ、崩壊しかけた家屋にぶつかって、その壁を砕いた。

「まだ動けやがったかぁ」

 魔道は苛立ちの混じった声でそう言うと、口を開いた。どう見ても顔の大きさとは不釣り合いな程に大きく開かれたそこから、黒い霧のようなものが吐き出される。

 それは草花に当たればそれを枯れさせ、家屋や石に当たればそれを朽ちさせた。

 良介は一度空に飛び上がってそれを避けようとした。だが、その判断は間違いだった。巨大な掌が逃げ場のない空中で良介を捕えた。

「魔道様。捕えました」

 良介を握るのは、先程殴り飛ばした大入道だった。だが、その大きさはさっき見たものの何倍も巨大になっていた。まるで小さな山ほどの大きさがある。

「ああ、そのままにしといてくれ。そいつにゃあ、絶望を味わってから死んでもらう」

 魔道はそうにやりと笑って、お六と幸の方を見た。良介は全身の妖力を放出して大入道の手から逃れようとするが、強く握りしめられた痛みで上手く炎を操れない。ただ、二人に近付いていく魔道の姿だけはっきりとその目に映っていた。

「はい、残念」

 魔道はお六と幸の前に立つと、そう言った。そして逃げる暇を与えずに、二人の首を掴んだ。

 良介は少しずつ体の力が抜けて行く二人の姿をただ見ているしかなかった。そして幸の体が動かなくなった時、彼の中で何かが切れた。

 悲鳴を上げたのは、大入道だった。燃え尽き、炭化した大入道の手から逃れた良介は、凄まじい形相で魔道に迫った。

「おいおい、おめえが弱いのがわりいんだろうが」

 魔道は両手に持った二人の骸を無造作に放り投げた。良介は二人の骸を抱き止め、そっと地面に置いた。

 その隙に魔道が良介の腹を再び蹴り上げたが、良介はびくとも動かなかった。もう自分の体などどうでもよかった。ただ、この目の前の妖を殺せればいい、そう思った。

 良介は咆哮を上げて青い炎を纏った右手で魔道の体の中心を殴った。魔道は口から大量の血を吐きながら後方に弾き飛ばされる。

 追撃しようと地面を蹴った瞬間に、今度は巨大な足が良介を踏みつけた。とてつもない重圧に、良介の体が土に沈む。

「全く、なんて馬鹿力だ。せっかくの暇潰しが台無しになるとことだった」

 魔道の声が聞こえた。暇潰し、あいつは確かにそう言った。良介は両腕に力を込める。だが、大入道の巨体は持ち上がらない。炎を使おうにも、自身の体が潰されぬようにするのが精一杯だった。

 良介は自分の無力を呪った。妻を、娘を、村の人々を殺されて、自分はその仇も取ることができないのか。悔しさに視界が(にじ)む。

 彼らは殺される謂われなどなかった。自分の命が消えてもいい、どうにかして、こいつらだけは、こいつらだけは許しておけない。

 良介は願った。まだ自分は戦える。だから、戦わせて欲しいと。そしてその願いは、聞き届けられた。

 体が不意に軽くなって、再び大入道の悲鳴が響き渡った。体を起こすと、黒い巨体が地面に沈むのが見えた。その黒い背中には大きな切り傷がぱっくりと空いていて、赤い血が滝のように流れている。

 そして良介は、魔道と向かい合っている新たな妖の姿に気がついた。青紫の和服、紫の帯、黒く腰まで伸びた髪。そして、振り返ったその少女の瞳は、濃い紫色に染まっていた。

 少女の持つ太刀に流れている血で、この少女が大入道を切ったのだと分かった。敵なのか味方なのか、それは分からなかったが、少なくとも魔道の仲間ではなさそうだった。

 少女は良介の方をちらと見て、安心したように微笑した。それで、良介は彼女が敵ではないと直感した。まだ妖力が自分の中に残っているのを確かめて、良介は立ち上がる。

「なんなんだ貴様はぁ」

 魔道は苛立ちを露わに、少女に問う。少女は冷たい声でそれに応えた。

「私の名は美琴、死神よ」

 美琴と名乗った妖は太刀を構える。その背後で、良介は巨大なものが立ち上がるのを感じた。大入道だ。良介が警告しようと口を開くより早く、大入道は拳を死神の少女に向かって振り下ろした。

 魔道の顔が歓喜に歪む。だが、美琴は驚くこともなく、跳んでその攻撃を避けた。そして、良介のすぐ側に着地した。

「大丈夫?まだ生きているみたいね」

「ああ、俺だけはな……」

 良介は虚しく拳を握った。この拳を叩きつける相手は、目の前にいる。

「なあお譲ちゃん、君は強いんだろうということは分かる。だけど、あの男だけはこの俺にやらしてくれないか?」

 美琴は逡巡するように良介を見た。そして、静かに頷いた。自分の無念を分かってくれたのだろう。

「私はあの大きな妖を始末する。あちらはあなたに頼むわ」

 美琴は太刀を握り直して大入道に向かって行った。良介はその背に無言の感謝を送って、両手と両足に妖力を巡らせた。

「貴様が、俺に、ひとりで勝てると思っているのか?」

 魔道は嘲笑った。だが、良介は答えなかった。体中が熱く燃えている。良介は全身に青い炎を纏わせて、魔道に飛び掛かった。

 魔道は再び口から黒い霧を吐き出す。だが、良介はそれを避けようともしなかった。全身を覆う妖力の炎が霧を防いでくれた。

 真っ直ぐ突っ込んできた良介の行動に、魔道の動きが一瞬鈍った。良介はその顔面に右脚を叩き込んだ。炎を纏った蹴りは打撃とともに、妖の顔を焼け焦がした。

 倒れた魔道が立ち上がる前に、良介は燃え盛る右手をその胸に向かって打ち込んだ。それは呆気なくその体を貫通し、地面を溶かした。

 魔道は一度だけ大きく震えて、そして動かなくなった。

「お縁、幸、仇はとったぞ」

 そう言いながら、良介は心を喪失感が支配するのを覚えていた。仇は取った。だが、家族も村も、全てを失ってしまった。たったこの日だけで、全てを。

 良介の背後で、何かが倒れる音がして、地面が揺れた。恐らくあの少女が大入道を倒したのだろう。だが、良介はそれを確認する気力もなく、ただそこに立ち竦んでいた。自分の顔を、生まれて初めて涙というものが伝うのを感じた。

 そして、良介の意識は闇に落ちた。




 次に目を覚ました時、良介は立派な部屋の中にいた。畳の上に布団が敷かれ、自分はその中で眠っていた。

「気がついたみたいね」

 声がして、良介はその方を目を薄く開いてみた。あの死神の少女が布団の側で横座りしていた。

 見た目の年齢は幸よりは大きいが、それでも子供のように見えた。だが、妖の歳は外見(そとみ)では計れない。

「君が助けてくれたのか」

「ええ。目の前で倒れられたら、放っては置けないでしょう?」

 美琴はそう言って小さく笑った。その笑みは見た目よりもずっと大人びて見える。

「済まなかった」

 良介はそう言って、上半身を起こした。頭が覚醒してくると同時に、言いようのない虚無感と寂寥感(せきりょうかん)が胸を襲った。この広い部屋にいるのは、自分と美琴だけだった。いつも隣にいたお縁も幸も、親切にしてくれた村の人たちも、いなかった。

「あの村は、もうないのか……」

 そう呟くと、美琴は目を伏せて答えた。

「助けることができたのは、あなただけだったわ」

 良介は頷いた。分かっていたが、心臓を縛られたように胸が苦しかった。

「少しの間、一人にしてくれないか」

「分かったわ」

 美琴はそれだけ言って、部屋から出て行った。

 一人になって、良介はただ虚空を見つめていた。お縁に出会ってからの日々が、浮かんでは消えて行く。一緒に人の村で暮らして、幸が生まれて、幸せな日々だった。

 その全てが、もうどこにもないのだ。自分の腕の中からすり抜けてしまったのだ。良介は拳を握りしめた。俺は、何も守れなかった。

 良介は声を出さずに泣いた。一人だけ生き残ってしまった自分が許せなかった。魔道は殺した。でも、残ったのは胸に空いた穴だけだった。

 どれくらいそうしていたのだろう。涙も枯れてしまった頃、良介は立ち上がった。せめて、村に戻って家族と、村の人たちをきちんと葬ってやりたかった。




「起きたのね」

 ふらふらと廊下を歩いていると、美琴が良介を見つけてそう言った。

「妖力を使い過ぎた上に、あの魔道という妖の陰の妖気にも当てられている。急に動かない方がいいわよ」

「大丈夫だ。ただ、あの村に行きたい。皆野晒しにしておくのは、嫌なんだ……」

 美琴はその言葉に、少しの間を置いて頷いた。

「分かったわ。なら私も一緒に行く。行き倒れでもされてしまったら、夢見が悪いから」




 村の惨状はひどいものだった。ほとんどにの家は焼け、崩壊し、そこら中に人の死体が転がっている。そして、その中にはお縁と、幸の姿もあった。

 良介は無言のままに二人の亡骸(なきがら)を抱き上げた。そして二人を自分たちが暮らしていた家まで運んで行った。

 半壊したその家屋の中に二人を横たわらせて、良介はその姿を改めてみた。

 お縁の右手は肩の部分から無くなり、幸の首にはまだ魔道に首を絞められた跡が残っている。

 良介は二人の瞼を閉じて、その側に座り込んだ。

 もうこの二人が目を覚ますことはない。これが永遠の別れになる。ずっとここで、こうして三人でいたかった。だが、そうする訳にもいかない。

 生者は、死者と決着を付けなければならない。良介は目を閉じて、最後にもう一度だけ家族の思い出を辿った。

 自分を満たしてくれたあの明るい日々は、もう帰ってくることはない。当たり前だと思っていた日々の喪失に、良介の体は震えた。

 そして、良介は静かに二人の上に手を掲げた。彼の掌から放たれた妖力は、二人の体に火を点けて、その亡骸を燃やして行った。

 火の妖として、最後は火の中で葬ってやりたかった。青の炎の中に消えて行く家族を見届けて、良介は歩き出した。その後ろで、家が燃え、朽ちて行く音がした。




 村の人たちは、美琴に手伝ってもらって一人一人埋葬した。それぞれに墓を作ってやることはできなかったが、手を合わせて、その魂が天に昇ることを祈った。

「皆、俺のことを怨んでいるだろうな」

 良介は変わり果てた村を見て、そう呟いた。自分はこの村を守ることができなかった。こんな力を持っていながら、皆を見殺しにしてしまった。

「誰もあなたを怨んではいないわ」

 美琴は優しく、そう言った。

「私は死神。怨みの中で生きてきた。だから分かるわ」

 その言葉は良介の心を少しだけ軽くしてくれた。

「なあお譲ちゃん。君はどうして魔道と戦っていたんだ?」

「死神という種族は、誰かが背負った怨恨を見ることができる。誰かを傷つけ、泣かせた怨みをね。そしてその怨恨に塗れたものを殺す。そういう種族なのよ」

 死神という妖のことは、噂で聞いたことはあった。だが、この少女は、一人でその重荷を背負うのには、あまりにも儚げに見えた。

「その仕事は、ひとりでやってるのかい」

「ええ。誰かに頼むものではないもの」

 良介は頷いて、そして決心した。

「なら、俺を使ってくれないか?」

 それは、家族や村人を守れなかった罪滅ぼしのつもりだったのかもしれない。この少女に付いていけば、あの魔道のように誰かの怨みを背負った者たちと戦うことになるだろう。

 でも、きっとそれは、自分のように家族を失うものたちを、もっと少なくすることができる。こんな気持ちを味合う誰かを、減らすことができる。

 自分の力は、そうやって使いたい。そして、たった一人で戦い続けるこの少女の力にもなりたかった。

「あなたが……?」

 美琴は意外そうな顔で良介を見た。恐らく、そんな提案をするものも今までにいなかったのだろう。

「駄目かい?」

「……、いいわ。力になってくれる誰かがいるのなら。私も嬉しい」

 美琴はそう言って、微笑んだ。良介も久し振りに笑って、口を開く。

「これからよろしくお願いしますよ、美琴様」



異形紹介

火車(かしゃ)

 生前悪事を犯した者の死体を連れ去るとされる妖怪。その姿は炎を纏った巨大な猫のような姿とも、火の車を引く獄卒のようなものだともいわれる。

 また火車が生きている罪人を襲った話も残されており、その際は人間に化けていたとされる。また、出現の際には暗雲を伴うという伝承が多いのも特徴である。

 その死体を連れ去るという特性から、墓を暴いて中の死体を食うといわれる魍魎(もうりょう)と関連付けられることも多い。

 火車から死体を守るには、葬式を二回に分けて最初の葬式の棺桶に石を詰める、棺桶の上に髭剃りを置く、などがある。

 日本では古来から猫は魔性の持ち主とされ、「死体に近づけてはならない」「猫が棺桶を飛び越えると死体が起きる」などといった俗信があり、また「火車」という言葉は地獄の迎えの火の車から来ていると予想され、この猫と火の車が結びつき、さらに中国の魍魎の影響もあって、火車という妖怪が誕生したのではないかと言われている。

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