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黄泉夜譚 ヨモツヤタン  作者: 朝里 樹
第 十 話 青空の座敷童子
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四 青空の座敷童子

 花子と加代が家に帰って来た時には、もう日は暮れかけていて、田圃(たんぼ)の水面は朱色に染まっていた。(かえる)の鳴き声が夕焼けの中に響いている。

 美琴は二人の姿を見つけて、それぞれの肩にぽんと手を置いた。

「この家に憑いているものの正体は分かったわ。きっと解決できる。でも、それでいいのね?」

 美琴は確認するように、加代に問う。加代はしっかりと頷いた。

「分かったわ」

 美琴は山口を庭に連れてきて、縁側に座らせた。その横に加代と花子が並ぶ。加代はかつての親友の顔を見つめるが、山口はそれに視線を合わせることはできない。

「加代ちゃんも、ここにいるんですか?」

 山口に問われ、美琴は頷く。

「ええ、もちろんですよ」

 山口には見えないだろうが、確かにそこにはずっと昔からの友達がいる。

「そうですか、なら何があっても、安心です」

 山口は穏やかに微笑んで、そう言った。

「これから、この家に憑く悪しきものを追い払います。いいですか?」

「はい」

 美琴は確認を取ってから、家ではなく庭にある蔵の方を向いた。日が傾くにつれて強くなってきた霊気は、あそこから発せられている。

 美琴は一人、蔵の扉を開け、中に入った。暗闇の中、隅にそれはいた。継ぎ接ぎと(かび)だらけの灰色の着物を着た、老人姿の妖怪。その(あやかし)は美琴を睨んで言った。

「お前か、さっきから妖気を放っていたのは。何のようじゃ」

「あなたに用があるのよ。どうして貧乏神であるあなたが、こんなところにいるの?」

 美琴が問うと、貧乏神は卑しく笑って、言う。

「そりゃあ食い物があるからにきまってるじゃろ。我々は他人の幸福を食って生きておる。まあ、この家にいる座敷童子は、わしに自動で飯を運んでくる召使いみたいなもんじゃな」

「それで、この家に留まり続けたのね」

 普通の貧乏神であれば、ひとつの家を没落させた後は、また食べるものを探しに他の場所へと移る。だが、この家は加代がいたため、幸運が尽きることがなかった。それで、この貧乏神はこの家に十年以上もの間憑き続けていたのだ。

「あなたの種族は本来、あくどいことをして富を得たものたちのいるところに行くべき妖怪でしょうに」

「ふん、あんたは死神じゃな?なら分かるじゃろ。我々のように世界の均衡を守るようなことをやらされる種族は、わざわざ苦労したり、危険を冒さなければそれを満たすことはできん。それに嫌になったって仕方がないじゃろう。ここにいりゃあ自分から勝手に食い物を運んでくるんじゃ、どうしてそんな場所から出たいと思う?」

 (あざけ)るように貧乏神は言う。この妖怪は、自分のことだけで加代のことは何も考えていない。彼女がどんな思いでこの家に憑き、そして離れようとしているのかも知らない。恐らく説得しても無駄だろう。

「わしとやる気か?長年幸運をたんまりと吸い続けてきたわしに勝てるとでも?」

「さあね、やってみなければ分からないわよ?」

「若造が!」

 貧乏神が吠え、その体から黒い霧のようなものが放出された。それは美琴の体に叩きつけられ、美琴は蔵の外まで弾き飛ばされた。




「お姉ちゃん!」

 花子が突然蔵の扉を破って現れた美琴を見て、そう叫ぶのが聞こえた。美琴は空中で後方に一回転しながら妖気を放出し、紫の着物の姿に変わった。着地し、蔵の入り口を睨む。

 蔵からは、黒い妖気が煙のように溢れだしてきて、一つの形を取った。袈裟を着た二足歩行の大きな黒猫と形容すべきだろうか、その奇妙な風体と化したその妖気は、目に当たる部分を爛々(らんらん)と黄色く光らせ、唸り声を上げた。

「下手な人形ね、貧乏神」

 美琴が挑発するように言う。しかし、蔵の入り口まで出て来た貧乏神はそれを無視して、叫ぶ。

「行け、黒坊主。その死神を食ってしまえ」

 肉食獣のように口を大きく開いた黒坊主と呼ばれた化け物は、美琴に向かって飛び掛かって来ようとしている。

「危ないよ!」

 そう言うのは、加代の声だ。だが、その後の花子の言葉が、それを否定した。

「大丈夫、お姉ちゃんは強いんだから」

 美琴は口元だけで笑った。その期待に答えるとしよう。美琴は左手を太刀の(さや)に、右手を(つか)に当てた。静かに刀身を引き抜き、襲い来る黒坊主に対して上段に構える。防御を無視した攻撃的な構えだ。

 黒坊主の開いた口が眼前に迫る。だが、美琴は一歩も動くことなく刀を垂直に振り下ろした。体を中心から二つに斬り分けられた黒坊主は、妖気に戻って空中に雲散した。

「さて、これでもまだ抵抗する?」

 太刀を鞘に仕舞い、美琴は貧乏神に問う。自慢の化け物を一刀両断された貧乏神は、口惜(くや)しそうに美琴を睨む。

「わし自身が敗れた訳ではあるまい。わしはここから出て行かんぞ!」

「そう、なら……」

 美琴は拳を握り、貧乏神に言う。

「殴られても文句は言わないわね?」

「ふん、余裕を見せていられるのも今のうちじゃ」

 そう言って、貧乏神はその貧弱な外見からは想像できない速度で地面を蹴り、美琴の横に回った。そして、一気に近付いて来る。

 貧乏神は元々霊力の方が強い種族のはずだ。それなのに生身でぶつかって来るのは、よほど自分の妖力に自信があるのだろう。だが、その妖力も、加代によってもたらされたものだ。

 美琴は握った拳を後ろに引いた。そして、横を向く勢いも載せ、その拳を突っ込んで来る貧乏神の顔に正確に叩きこんだ。呆気なく、貧乏神は吹き飛ばされて、地面に叩きつけられた。

「まあ、こんなものね」

 ぱんぱん、と手を払い、美琴は山口と、少女の妖怪二人の方を向く。そして、茫然としている山口に一言、「終わりました」とだけ告げた。




「負けたのはわしじゃ、煮るなり焼くなり好きにせい」

 程なくして意識を回復した貧乏神は、ふてくされたようにそう言った。

「あなたの処置は加代に任せるわ。どうする?」

 美琴が尋ねると、加代は少しだけ考えてから貧乏神に向かって言った。

「私は何も、あなたの恨んでいません。だから、このお家から出て行ってもらえればそれでいいです。でも、その力はちゃんと正しく使ってくださいね」

 そう笑いかける。貧乏神は拍子抜けした顔で加代を見た。

「それだけかい?お嬢ちゃん」

「はい。それでいいです。その代わり、約束は守ってくださいね?」

「分かった。ありがとう……、お嬢ちゃん」

 貧乏神は頭を擦りつけるようにしてそう礼を言った。今度は加代が困惑しているように、美琴を見た。

 まあこれで、貧乏神も反省したことだろう。美琴は貧乏神の肩を叩いた。

「これからはちゃんと、憑くべき家に憑くのよ。善良な人を不幸にするのは、あなたの役割じゃないんだから」

「分かっておる。何だか生き返ったような心地じゃ。やっぱり少しは運動しなきゃだめじゃな」

 貧乏神は冗談ぽくそんなことを言って、一礼し、去って行った。夕焼けは落ち、空は星の光を灯していた。

「あの老人のような妖怪が、この家に加代ちゃんを縛りつけていた原因だったのですね」

 山口はそう美琴に問うた。美琴は「はい」と答える。貧乏神は肉体化していたから、彼女の目にも見えたのだろう。だが、加代の姿は見えていない。座敷童子は、家に幸福を授けるという力を使っている限り、幽体でいなければならない。とても大きな霊力を使い続けるためだ。

「これで明日にも、加代ちゃんはこの家から去っていくのですね」

 山口は寂しそうにそう言う。加代も、そんな山口をもどかしそうに見ていた。すぐ側にいるのに、話すこともできない。二人を隔てる壁は大きい。

「美琴さん、ひとつだけ、私のお願いを聞いてもらえるでしょうか」

「何です?」

「今夜だけ、もう一度だけ、私を加代ちゃんと会わせてはもらえないでしょうか」

 美琴は一度だけ、静かに頷いた。

「ひとつだけ、方法があります」

 そう言って、美琴は加代の肩に両手を置いた。

「今からあなたに、私の妖力を送るわ。それであなたは人の目に見えるようになる。だけど、これをすれば余計に別れが辛くなると思う。どうする?」

 加代は美琴を見上げて、言った。

「お願いします。私ももう一度、春子ちゃんと話したい」

「分かったわ」

 美琴はそっと、自分の妖力を加代の体に注ぎ込んだ。一瞬加代の体がびくりと震えて、そして加代は肉体を得た。

「加代ちゃん!」

 現れた加代を見て、山口はそう叫んだ。加代も山口の方を見た。五十年の時を経た、親友同士の再会だった。




 私は布団の上で、昔と変わらないままの姿をした加代と向かい合っていた。お気に入りの赤い着物を着て微笑むその姿は、間違いなく加代だった。本当に、加代は私の家にいてくれた。

「久しぶりだね、春子ちゃん」

 加代はにっこりと笑って、そう言った。

「本当に久しぶり、私はもうこんなにおばあちゃんになっちゃったけどね」

「知ってるよ。あたしずっとこの家にいたんだもん。春子ちゃんがどんな風に大人になって、年を取って行ったかも全部知ってる」

 加代は明るくそう言った。まるで、五十年の時の隔たりなどないように。

「そうなんだね。でも私は加代ちゃんのことを見ることができなかった。ごめんね」

「いいんだよ。あたしのこと憶えていてくれたんだもん」

 加代はそう言って、無邪気に笑った。本当に、五十年の月日が溶けて行くようだった。

「ほら、私、まだ加代ちゃんがくれたお人形、持ってるんだよ」

 私はぼろぼろになってしまった、布と綿で作られた女の子の人形を見せた。

「本当だ。懐かしいね。まだ持っててくれたんだ」

 加代はそれを手に取り、慈しむように胸に抱いた。その加代の姿を見ながら、私は語りかける。

「小さいころは、二人で色々な場所にいったね」

「うん、春子ちゃんは泣き虫だったよね」

「そうだったねえ。いつも加代ちゃんに頼ってばかりだった。今も泣いちゃいそうだもの」

「泣いちゃだめだよ。最後くらいは、笑って話そう?」

「そうよね。泣いちゃだめだよね」

 私と加代は、二人で幼いころの思い出を話し合った。一緒にいたのは私が生きてきた年月の中ではほんの僅かな時間だけれど、語り合う思い出はいくつでもあった。

 ある日には、川を伝ってどこまでも歩いてみた。この先に何があるかなんて考えずに、ただ青空に続く道がどこで途切れるのか確かめてみたかった。そうして結局、二人で海まで行ってしまって、帰り道が分からなくなって、お巡りさんに厄介になった。そのあと、親にとんでもなく叱られた。

 またある日には、山の麓から伸びる石の階段を上った。一人だとそれがどこに続くのか怖くて確かめられなかったけれど、二人なら平気だった。きっとそれは、加代も一緒だっただろう。

 石段は、小さな神社に続いていた。誰からも忘れ去られたような、寂れた神社。鳥居の赤は剥げ掛けていて、雑草がたくさん生えていた。でも神社を囲う森の木漏れ日が綺麗で、二人で見とれていた。

 二人で水芭蕉の咲く川辺の道を、せせらぎの音を聞きながらいつも歩いていた。その情景は、まるでいつも私の心の中にあるように、色褪せることはない。

 加代との思い出の日は、いつでも青空だったような気がする。本当にそうだったのか、それとも楽しい、懐かしいという思いが、記憶の中の空に青を塗るのか、それは分からない。




 気がつくと、私は眠っていたようだった。布団から体を起こすと、もう側には加代の姿はなかった。ただ、あの人形だけが布団に横たえられていた。

 縁側には、美琴という少女と、花子という少女が座っていた。蝉時雨が地面を叩く朝、私はその少女たちの隣に座った。

「加代ちゃんは、もう行ってしまったんですね」

「ええ」

 美琴が答えた。私はひとり、静かに頷いた。私の目から、一筋だけ涙がこぼれた。やっぱり、私は泣き虫のままだ。だけど、表情だけは笑顔だったから、それで許して欲しい。

「あの子は、五十年ぶりに家に帰れたのですね」

「そうですね」

 私は青い空を見上げる。

「美琴さん、私は思うんですよ」

「はい」

 美琴が私の方を見たのが分かった。私は、空を見たまま、言う。

「お化けというのは、みんな夜に出るものなのかもしれませんね。けれど、あの子だけは、こんな広い青空の下が似合う、そんな気がするんです」

「そう、ですね」

 大きな入道雲がひとつ、青い空の向こうに伸びていた。




 花子は、ひとりで笹木家にいた。昨日のように縁側に座って、笹木と雄太の姿を見つめていた。

「ひいおばあちゃん、何だか今日は、すごく調子がいいよ」

「本当に、今日はいつもよりずっと顔色がいいね」

 二人は、そんな会話をしていた。花子は黙ってその会話に耳を傾ける。

「ひいばあちゃんもね、今朝不思議な夢を見たんだよ」

「へえ、どんな?」

 雄太が聞くと、笹木は懐かしそうに笑って、言う。

「ずっと昔に死んでしまった、私の娘が夢に出てきたんだよ。私が病気に気付かなくって、死なせてしまったのだけどね。その子が私を見て、夢の中でにっこりと笑ったんだよ。昔私が買ってあげたお気に入りに赤い着物を着ていてね」

 笹木は涙ぐみながら、空を見た。

「あの子が、雄太を助けてくれたのかねえ」

 花子はそこまで聞いて、縁側から地面に降りた。そのまま庭を駆けて家の前で待っている美琴に抱きついた。

「加代ちゃんは、やりとげたよ」

「そうみたいね。きっともう、あの少年の命が絶えることはないでしょう」

 美琴に手を引かれて、花子は歩き出す。花子は心の中で、つい昨日できた友達に別れを告げた。またいつか、ここに遊びに来よう。

「ねえ花子、水芭蕉(みずばしょう)の花言葉、知ってる?」

 昨日と同じ川沿いの道まで来たときに、美琴が尋ねた。昨日と変わらず、水芭蕉の花は綺麗に夏の太陽を浴びて咲いている。

「分かんない」

「水芭蕉の花言葉はね、"美しい思い出"、なの」

 その言葉は、まるであの二人を表しているようだと花子は思う。きっと美琴も、そう思ったのだろう。

 花子と美琴は、畦道を歩いて行く。花子は夏の空気を胸いっぱいに吸い込んで、空を見上げる。

「ねえお姉ちゃん。綺麗な空だね」

「ええ」

「あのおばあちゃんも言ってた通り、加代ちゃんにはこんなお日様が似合うね」

 美琴は微笑して、頷いた。

「そうね、誰かに幸福を与える優しい妖怪。そんな座敷童子は、きっと一番青空が似合う妖怪なのでしょうね」

 夏の白い日差しは、どこまでもこの町を照らし続ける。そんな青空の下で、加代は人々に幸福を与え続けるのだろう。きっと、いつまでも。



異形紹介

・座敷童子

 柳田國男の『遠野物語』などに見える、岩手県を中心とした東北地方に現れる妖怪。別名を蔵ぼっこなど。座敷童子がいる家は栄えると言い、逆に出て行くと没落されるとも言われる。

 三~一三歳くらいの子供の姿をしていると言われ、男児、女児どちらの座敷童子の話も残っており、二人一組で現れることもある。基本的に姿は見えないが、寝ている時に枕をひっくり返したり、金縛り起こしたりと悪戯することがある。また、稀に姿を見ることができたり、子供だけは姿を見ることができるとされることもある。また、岩手の小学校に現れた事例もあったようだ。

 その正体は間引きされた子供の霊とも言われ、幸福ではなく祟りをもたらす場合は、「たたりもっけ」という妖怪として区別される。

 座敷童子という名は東北のものだが、座敷童子に似た伝承は全国的に存在する。また、妖怪の中では数少ない現代まで生き残っている妖怪でもあり、岩手には座敷童子が出ると言う宿がある。


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