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黄泉夜譚 ヨモツヤタン  作者: 朝里 樹
第 十 話 青空の座敷童子
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三 幸運を呼ぶ妖

「加代ちゃん!」

 人生で一番走ったのは、恐らくあの日だっただろう。加代が倒れたと聞いた私は、履物も満足に履かずに家を飛び出して、加代の家に向かった。そこで私が見たのは、青い顔をして布団で寝込んでいる加代の姿だった。しきりに咳き込み、息をするのも苦しそうだった。それでも、加代は私を見るとにっこりと笑って見せた。

 そしてその数日後、加代は息を引き取った。まだ十歳だった。




 病名は、肺炎だった。それが分かった時にはもう、病気は小さな体では耐えられないところまで進んでいた。家族に心配をかけまいと、ずっと体調が悪いのを我慢していたらしい。それでも限界が来て、倒れたところを彼女の母が見つけたのだという。

 加代の母は、病気に気付いてあげられなかったことで、錯乱するほどひどく嘆いていた。私の母が毎日のように様子を見に行っていたのを覚えている。そうでもしないと、自ら命を絶ちかねない状態だったからだ。だけど、その気持ちはよく分かった。私自身も、加代の様子の変化に気付いてあげるべきだった。自分を、親友だと思っていたのに、そんなことも分からなかった。

 私はずっと、暗い気持ちで日々を過ごした。加代がいたときに見えた抜けるような青い空は、まるで灰色のフィルターを掛けたように見えたものだった。

 そんな私の前に、加代が再び現れたのは、彼女が死んでから一ヶ月ほど経ったある日だった。

「春子ちゃん」

 夜、(かわや)に行こうと起きてきた私の耳に、その懐かしい声が響いた。振りかえると、ぼんやりとした体だけれど、確かに加代が立っていた。

 怖くはなかった。それよりも、懐かしくて、嬉しくて泣きそうだった。例え幽霊でもいいから、春子に会いたかった。私は彼女に抱きつこうとした。でも、私の腕は加代をすり抜けた。

「加代ちゃん……」

「ごめんね、春子ちゃん。私はもう、人間じゃないの。でも、私、春子ちゃんのことを幸せにしてあげるから」

 そう微笑んで、加代の姿は消えた。私はしばらく茫然としたまま、虚しく空間を見つめていた。




 それから、私の家では次々と幸運が起こるようになった。都会に出稼ぎに出ていた父が仕事に成功し、こちらに会社を作ると言って家に帰ってきた。そして、その会社も成功し、私の家は人並み以上の生活を手に入れた。家にはカラーテレビや自家用車が入って来て、豊かになった。だけど、私が一番欲しい親友は、帰ってこなかった。

 あの日からも、何度か加代の姿は見た。だけど、ちらりと見えるだけで触れることはもちろん、話すことさえもできなかった。私が中学に上がる頃には、姿さえも見ることはできなくなっていた。

 きっと、あの幸運は加代が呼び込んでくれたのだろう。死んでまでも、人のために尽くすことなんてないのに、自分のために自分の力を使えばいいのに、そう言いたかった。だけど、結局言う機会もなくこんな年月が経ってしまった。




「まだ、加代ちゃんはこの家にいてくれているんですね」

 涙ぐみながら、山口はそう最後に言った。美琴は黙したまま頷く。

「あの子は、水芭蕉の花が好きでした。この近くに川があるでしょう?よくそこを、二人で歩きましたよ」

 山口は一人目を瞑り、その情景を思い出すようにして、言った。

「加代さんは今、座敷童子という妖怪になっています。知っていますか?」

 美琴が問う。

「ええ、家に幸運を授けると言う妖怪でしょう?あの子は、本当に、妖怪になってまで他人のために生きようとするのですね」

 山口は寂しそうに微笑した。

「でも、そんな加代ちゃんが、頼みごとですか。それは、私も協力できることなのですか?」

 美琴が頷くと、今度は山口は、少しだけ嬉しそうに口元を緩ませた。

「そうですか。やっと私は、あの子のために何かすることができるのですね」

 涙をぬぐって山口はそう笑う。五十年の時を経て、片方は歳を取り、片方は子供のまま。それでも、二人の絆は変わらないようだ。

「私が、責任を持って加代さんの願いを叶えます」

「お願いします。私も協力します。何なりと言ってください」

 山口はそう言って、頭を下げた。




「花子ちゃん、春子ちゃんは、まだ私のこと覚えていてくれたんだね」

 懐かしそうに空を見上げながら、加代は言った。縁側に座って、花子と加代は山口の話を聞いていた。

「当たり前だよ。親友だったんでしょ?」

 花子が言うと、加代は嬉しそうに笑った。

「でも、何だかこのお家から出て行きたくなくなっちゃうな」

「そんなこと言ったら、きっと春子さんが怒るよ」

「……そうだね」

 加代は頷いた。だけど、その心が揺らいでいるのが花子にも分かった。そこでひとつ、花子が提案する。

「ねえ、私と一緒に、加代ちゃんのお家を見に行ってみようよ」

「でも、私がいないとこのお家は……」

「今は美琴お姉ちゃんがいるから大丈夫だよ。ね、行こう!ずっと帰ってないんでしょ?」

 加代は少しの間逡巡してから、「うん!」と笑った。




 花子と加代の霊気が離れて行くのが、美琴にも分かった。放っておいてもすぐに戻ってくるだろう。そう考えながら、美琴は山口に質問する。

「最近、この家に何か異変はありませんでしたか?」

「異変、ですか」

 山口は首を傾げる。

「ええ、加代さんは、この家に自分の力と反対の力、つまり幸運を吸い取る、または不幸を生み出す何かがいるということを言っていたようです。そのせいで、あの子はこの家から離れることができないでいます。加代さんがここからいなくなってしまえば、この家に不幸が舞い込んでしまうから」

「そうなの、ですか。本当に、相変らずですね加代ちゃんは」

 山口は縁側の向こうの景色に目を向けた。美琴も同じ方向を見た。遥か向こうには、緑色の山々と、それを縁取る青い空がそびえている。夏の風が舞い込んできて、太陽の匂いがした。

「私の家から離れることに、私は反対なんてしません。もうあの子に幸福を貰うよりも、あの子が少しでもしたいことをさせてあげたい、そう思います。恐らく、加代ちゃんが次に行こうとしているのは、自分の家でしょう」

 美琴は頷いた。山口は、「やっぱり、そうですか」と言い、静かに息を吐いた。

「加代ちゃんの名字は、笹木と言います。まだ、彼女のお母さんは生きていらしゃって、時々私も笹木さんの家に行くんです。笹木さんはまだまだ元気なのです。でも、佐崎さんのひ孫の、雄太君という子がいましてね、重い病気なのだそうです。こちらに療養に来ていますが、きっと大人になるまでは生きられないと言われています。加代ちゃんのことだから、お医者さんにも見放された雄太君を救えるのは、自分だけだと思っているのでしょう」

「恐らく、そうなのでしょうね」

 美琴が同意すると、山口は苦笑いしながら言う。

「ごめんなさいね、話が逸れてしまって。異変といえば、私の家から目立った幸運がなくなったのは、もう十年以上も前になると思います。夫が死に、孫も成人してこちらに顔を出すこともなくなり、私は一人ここに残されました」

 ということは、その何かは十年以上も加代とともにこの家に憑いていたということか。座敷童子には戦う力はない。他の座敷童子ならば家を出て行くところだろうが、加代はそうしなかった。

「そんなことは、他の老人にとっては当たり前のことなのでしょう。きっと、加代ちゃんがその何者かから私を守ってくれていたから、これで済んでいるのでしょうね」

 山口は美琴にそう語りかけた。恐らくそうなのだろう。加代がいなければ、この家は幸運を吸い取られて没落してもおかしくはない。

「だいたい分かりました。ありがとうございます」

「こちらこそ、こんなことしか話せなくて」

 二人は互いに頭を下げた。美琴は考える。相手の正体の予想は大方ついた。今夜中に決着はつけられそうだ。

 



 花子と加代は、加代の生家である笹木家の前にいた。花子は既に幽体化しており、人の目につくことはない。二人は縁側に登って、家の中を覗く。

 そこには、布団に体を預けた少年の姿があった。歳は十二歳ほどで、顔は青く、ただ朦朧(もうろう)とした目で天井を見ている。この子が、加代の言う病気の少年だろう。

 その少年の寝かされた部屋の(ふすま)が開いて、一人の老人が入ってきた。頭はほとんど白髪で、腰は曲がり、しわも多い。だけど、動きはきびきびとしていて決して体が弱っている風ではなかった。少年と同じ部屋にいるせいで、余計にそう見えたのかもしれない。

「あれが、加代ちゃんのお母さん?」

 そう尋ねると、加代はゆっくりと頷いた。久しぶりの母の顔を、じっと見つめている。

「雄太、調子はどうだい?」

「割と良いよ、ありがとうひいおばあちゃん」

 状態を起こし、笹木の持ってきたお(かゆ)を受け取りながら、雄太が言う。

「お礼なんていいんだよ。だから、早く元気になっておくれ、こんな田舎はつまらないだろう?」

「そんなことないよ。まだまだ見たいところがたくさんあるんだ」

「そうかい。じゃあ、元気になったら一緒に色々なところを歩こうね」

「うん、楽しみにしてる」

 雄太は笑顔を作る。だけど、その表情は無理をしているように見えた。体調が悪いせいなのか、それとももうそんなことはできないと諦めているのか、それは花子には分からなかった。

「花子ちゃん、私の力で、あの子を元気にしてあげられるかな」

 加代が雄太を見つめながら、そう言った。

「できるよ、きっと」

「そうかな。私、もう誰かが死んじゃって、悲しんでるお母さんは見たくないんだ」

 それは、自分が死んでしまったときのことを言っているのだろうか。花子は思う。自分には、人間として生きていたころの記憶はない。どうして自分が死んだのか、それも分からなくなってしまっている。今までそんなことは気にしたことがなかったけれど、加代を見ていたら、何だか少しだけ羨ましくなってしまった。



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