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黄泉夜譚 ヨモツヤタン  作者: 朝里 樹
第 十 話 青空の座敷童子
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二 春子と加代

 大人一人と子供一人の分の切符を買い、改札を抜ける。初めての駅にそわそわと落ち着かない花子がどこか行ってしまわないように手を握り、電車を待つ。

「こんなに朝早くから電車って来るんだね」

「そうね。文明が発達するとね、忙しい人も増えるのよ」

「ふ~ん」

 そんな会話をしていると、やがて電車がやって来た。車内には美琴が考えていたよりも人がいたが、座れないほどでもない。二席分の空きを見つけて花子を隣に座らせ、電車が発車するのを待つ。

「お姉ちゃん、動き出したよ~」

 花子が窓を見ようと精一杯首を後ろに捻りながらそう言った。本当に、初めて電車に乗った子供の反応だ。もしかすれば幽霊になる前には乗ったことがあったのかもしれないが、この子は生前の記憶を失っている。それが良いことなのかどうかは分からないが、とりあえず花子自身は気にしていないようだ。

「ねえ、そういえば幽体ってどういう状態なの?」

「珍しいわね、あなたがそんなこと聞くなんて」

「加代ちゃんに教えてあげるの」

 花子は楽しそうにそう言った。座敷童子も基本的に幽体の妖怪だ。

「幽体というのはね、肉体と霊体の真ん中にある体なの。つまりどちらの特徴も合わせ持っているのね。姿は霊力の強いものにしか見えないけれど、自分からならものに触れるし、妖力が高い相手からなら触られる。それにね、幽体というのは生き物なら誰でも持っているものなのよ」

「そうなの?」

 花子が聞き、美琴は頷く。

「ええ、幽体というのは、肉体と霊体を結びつける役割を持っていてね、妖力と霊力を置換する役割も果たしているの。そしてあなたや座敷童子のように幽霊から妖怪化する場合はね、肉体を作り出すためにまず幽体を作り出すの。霊体だけだとでは生きているとは言えないからね。ただ、あなたたちは妖力よりも霊力の方がずっと強いから、普段は肉体よりも霊体に近い幽体を維持してるんじゃないかしら」

「へぇ~。じゃあさ、私が肉体になれるように、お姉ちゃんも逆に幽体になったりできるの?」

「できるわよ。私の場合は逆に霊力を使うんだけど。ただ、私が使っても人間から隠れたい時ぐらいしか意味はないから、あまり使う機会はないのだけれどね」




 電車は問題なく進み、二人は新宿駅で乗り換えて、宇都宮駅へ向かった。それからいくつか電車とバスを乗り継ぎ、喜善町に着いたのは昼を少し過ぎた時間だった。

「ここから道は分かる?」

 バスを降りて花子に尋ねる。

「多分大丈夫」

 花子は少し自信なさそうにそう言った。木造の雨除けの下から晴れた空の下に出て、美琴は大きく息を吸った。

 視界を遮るものがほとんどない、緑色と青色で二つに分かれた景色。朝に東京にいたとは思えないほどの景色の変化だ。黄泉国にも産巣村(むすむら)という大きな村があるが、人間界のこうした田舎町に来るのは久し振りだった。

 車をほとんど見かけない歩道のない道路を、花子と手を繋いでしばらく歩いた。こんな晴れ晴れとした空の下を妖怪が二人で歩いているなんて奇妙な光景かもしれない。そんなことを思いながら、美琴は花子の手を引いて進んで行く。

 途中、歩きながら美琴は花子に尋ねた。

「花子、座敷童子になる子供の霊はね、女の子の霊が多いの。どうしてだと思う?」

 花子は首を捻るが、答えは出ないようだ。

「分かんない」

「座敷童子になるのはね、捨てられた子がほとんどなの。昔は貧乏な家はね、たくさん子供を育てることができる余裕がなくて、働き手になる男の子よりも、ならない女の子を捨ててしまうことが多かったの。そんな女の子たちが、かつては座敷童子になる子供たちだったのよ」

 夏の風が二人の髪を揺らす。

「だからね、座敷童子は、自分のような不幸な子供をこれ以上増やしたくないという優しさで妖怪になった子供たちなのよ。でもその背景には自分を必要として欲しいという、悲しい思いもあったのでしょうね」

「そうなんだ……。加代ちゃんもそうなのかな?」

「さあね、それは分からないわ。でもきっと、優しい子なのは確かなのでしょう」

 二人はしばらく手を繋いで歩いた。花子の見覚えのある場所に着いたのは、二十分ほど歩いたあとだった。

「あ、この川覚えてる!」

 花子の言う川は、水田に挟まれて流れていた。水田の中にはいくつか細い畦道が伸びている。花子はこのどれかを歩いて加代という座敷童子の憑く家に辿り着いたのだと言う。

「この田圃たんぼの向こうにあるのは確かなのね」

「うん」

「まあ、私も近くに行けば妖気か霊気で分かるわ。行きましょうか」

 川の横の道を選んで、二人は並んで歩いた。水辺には白い花がいくつも咲いている。花子がその一つを指さして美琴に尋ねる。

「これなに?綺麗だね~」

水芭蕉みずばしょうという花ね。綺麗だからといって引っこ抜いたりしては駄目よ?」

「分かってるよ~」

 川沿いを十分ほど歩いたころ、美琴は微かな霊気を感じた。どうやら花子の記憶は正しかったようだ。向こうに見える丁字道を右に曲がって進めば恐らく目的の家に辿り着く。

 その予想通り、遠くに建っている平屋が見えた瞬間に花子が叫んだ。

「あった!あの家だよお姉ちゃん!」

「そうみたいね。行きましょうか」




 その家の標識には「山口」と書かれていた。瓦屋根で木造の、古いが立派な家だ。その縁側に赤い着物を着た少女の姿が見える。幽体のようだし、あれが花子の言っていた座敷童子だろう。

「加代ちゃん!」

 花子が言うと、赤い着物の少女はこちらを見て、嬉しそうに笑った。

「花子ちゃん!ええと、そのお姉さんは?」

「この人が美琴お姉ちゃん。加代ちゃんの悩みを解決してくれるの」

「初めまして」

 美琴がそう言って微笑むと、加代は照れ臭そうに笑った。

「初めまして。えと、美琴さんも妖怪なんですか?」

「そうよ。大丈夫、あなたの抱えている問題を解決しに来たの」

「美琴お姉ちゃんはとっても強いんだから、何が相手でも大丈夫!」

 花子がまるで自分のことのように胸を張って言う。加代もまた、目を輝かせて美琴を見ている。子供のときに妖怪化したものというのは、やはりいつまでも子供の感性を持っているのだろうか。美琴がそんなことを考えていた時、不意に後ろから声を掛けられた。

「どなたですか?」




「あら、わざわざ東京から」

 山口春子と言う名のその老人は、そう感心したように言った。歳は六十ほどで、浅黄色の着物を着ている。山口家の居間で、四角いテーブルの前に敷かれた座布団の上に座っていた。

「はい。勝手に敷地に入ってしまって申し訳ありません」

 そう美琴が謝罪すると、山口は「いいんですよ」と笑った。

 あの時美琴に話しかけてきたのは、この家の主である山口だった。山口は突然現れた美琴と花子を、特に怪しみもせず家に招いてくれた。

「でもこんなところにご用事なんて珍しいですねえ」

 にこにことしながら、山口はそんなことを言う。どう見ても見た目だけならこちらの方が年下なのに、丁寧な人だと美琴は思う。

「私のところに人が来るなんて久しぶりなんですよ。夫も先に逝ってしまって、子供もこの町を出て結婚してしまって、ほとんど帰って来なくなってしまってね、ずっと一人だったものですから。ごめんなさいね、年よりの愚痴を聞かせてしまって」

 山口はそう苦笑した。美琴は「いえ」と言って、どうここに来た目的を話そうか考える。

「ここに用があるのは確かです。少々説明が難しいのですが……」

「あのね、加代ちゃんのために来たの」

 美琴が上手く説明しようと言葉を選んでいると、花子が横から口を挟んだ。

「今、加代と言ったのお譲ちゃん?」

 かなり驚いた様子で山口が聞き返す。花子は頷いて、再び口を開く。

「加代ちゃんだよ。おばあさんの昔の友達なんでしょ?」

「こら、花子」

 少しきつく言うと、花子はむくれた顔で美琴を見た。

「だって、加代ちゃんのこと話さないと始まらないもん」

 美琴は溜息をついたが、仕方がないと諦めた。黙ってこの家に憑いているものを何かを(はら)うのに、黙って行う訳にもいくまい。

「花子は少しあっちで遊んできなさい」

 憮然としたまま花子が去って行くのを見てから、美琴は山口の方に向き直る。

「すみません、山口さん。単刀直入に言います。私は加代という子に頼まれてこの家にお伺いしました。その名前に覚えはありますか?」

 その問いに、山口は静かに頷いた。

「加代という子は、私の小さなころに死んでしまった友達です」

 山口はそう言って、複雑な表情を作った。

「でもそれは、五十年以上も前のことです。もしかしたら、あなたは、幽霊や妖怪が、見えるのですか?」

 先に言おうとしたことを言われ、今度は美琴の方が驚いた。山口は寂しそうに笑って、美琴に言う。

「私もね、子供のころは見えたんです。そういうものが。加代ちゃんもね、死んでしまった後に私の側に現れました。いつのころからか見えなくなってしまいましたがね」

 山口はそう言って、自分の過去を語り始めた。




「私加代っていうの。あなたは?」

 加代が私に初めて掛けた言葉は、そんなものだった。

 まだ一九五〇年を過ぎて間もないころに、私は生まれた。そのころは山口ではなく、西田という名字だった。

 まだテレビもなく、映画も白黒だった時代の話だ。私は他の農家の子供と同じように、学校へ行ったり、家の手伝いをしたり、友達と遊んだりしながら育った。そんな友達の中でも、加代という女の子が一番の友達だった。

 加代はどんなことでも自分より他人を優先して、困っている人がいれば放ってはおかない、そんな子だった。

 私が加代に出会ったのも、そんな彼女の優しさがきっかけだった。ある日、私が外で遊んでいて、大事な人形を無くしてしまった時に、同じくらいの年の少女が通りかかった。それが、彼女だった。

「どうしたの?」

 そう尋ねる加代に、私は泣きじゃくりながら言った。

「お人形をなくしちゃったの」

 ただその言葉を聞いただけで、加代は私と一緒になって人形を日が暮れるまで探してくれた。その日会うまでは、知らない子供同士だったのに。

 それでも人形は出てこなかった。すると加代は、私に言った。

「じゃあ今度、私のお人形をあげるよ。だから、泣かないで?」

 そうして本当に彼女は次の日に私に人形を持って来てくれた。それからだ、私たちが友達として付き合いだしたのは。

 家が近かった訳でも、学校の教室が同じだった訳でもない。ただ、一度の出会いだけをきっかけにして、いつの間にか仲良くなっていた。子供というのは不思議なもので、それに何の疑問も感じずに、当たり前のことだったと思っていた。

 小学校に入学する前後に友達になって、それからは毎日のように遊んだ。まだテレビゲームなんてなかったから、二人で野原を駆け回った。


 ただ、二人でいるのが一番の幸せだった。でも、そんな日々は突然崩れてしまった。



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