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黄泉夜譚 ヨモツヤタン  作者: 朝里 樹
第二五話 冬の夜空に月の光
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三 ミイラの願い

「ああ、うざい!」

 氷雨(ひさめ)は両腕を前に伸ばすと、ミイラの左右両側に氷壁を出現させた。それを同時にミイラ男に向かって突進させる。そのまま押し潰すつもりだった。

 だがミイラは素早く反応し、上に逃れた。重機同士がぶつかるような音を立て、二枚の氷壁がひとつになる。

 上からの銃声。氷雨は青戸を庇うように立ち、頭上に氷壁を出現させた。一瞬で作ったそれは長くは持たない。氷雨は青戸を抱え、弾丸が氷壁を貫く前にその下から逃れた。その直後弾丸を続けて受けた氷の壁は破片と化して夜のアスファルトに散らばった。

「ったく、なんであたしらが銃で撃たれなきゃならないのよ!」

 氷雨は妖力を一気に放出した。上空に大量の巨大な氷柱が現れ、降り注ぐ。それはミイラを襲うと同時に氷雨と青戸との間に厚い壁を作り出した。

「逃げるわよ!」

 氷雨は青戸の手を握り、走り出す。

「でも、まだ……」

「あんたが死んじゃったら意味ないでしょ!」

 氷雨は後ろからあの異国の異形の妖気が付いてこないか確認しながら走った。とにかくあの男に黄泉国への境界を知られてはいけない。美琴やその側近ならまだしも、青戸のような妖たちがあいつに見つかればひとたまりもない。氷雨は唇を噛んだ。

 よりにもよって、何で青戸が待ち望んでいた日に現れるのか。この子の夢はあんな男に壊されるのか。そう考えると(はらわた)が煮え返りだったが、冷静さを失って青戸の命を奪われるのが一番まずい。

 あのミイラについては一度、美琴と相談する必要があるだろう。




「無茶苦茶だな……」

 カリスは目の前に作られた氷の壁を見てそう呟いた。二メートルほどある巨大な氷柱が地面に幾つも突き刺さり、白煙を上げている。

 雑魚と言えるほどの弱さではなかった。あれは戦闘慣れしている。この能力、氷の属性の妖力を持った妖怪か。だが、それでも足りない。

 カリスは緑色の宝石を見る。これにあの妖怪の妖気は記録した。異界に入れば妖気は途切れるだろうが、再び人間界に現れればすぐにでも見つけることができる。




 光永(みつなが)はその夜、渋谷のコンサートホールに置いて一日目の演奏会を終えた。鳴りやまぬ拍手を背に受けながら、光永は舞台を離れ控室へと向かう。

「お疲れ様ですお婆様」

 リサが横について歩いてくれる。光永は微笑して頷いた。

 久々の日本だったが、光永にはあまり時間が与えられていなかった。船を降り、懐かしい匂いと随分と変わった景色を少しの間だけ楽しんで、それから用意されていた車で渋谷へと向かった。そしてホテルで仮眠を取り、すぐに演奏のため会場へと急いだ。

 そして、自分のことを待ってくれていた故郷の人々のために、光永はその全力を尽くして音楽を奏でた。この旋律は彼らの心に届いてくれただろうか。

「次は明日ね」

 そう光永が言うとリサは静かに頷いた。

「はい、ちゃんと体を休めてください」

「分かってるわ」

 光永はふと、窓の外に映る明るい町を見た。アメリカもそうだったが、日本もこの数十年で変わったようだ。日本に来るまでには長い時の隔たりがあったから、より顕著にそれが分かる。

 昔はもっと闇が濃かった。それが良いのか悪いのかは分からないが、変わってしまったことは寂しかった。かつてはよくこの辺りで走って遊んだものだったが、今の子どもたちにそれをすることが許されているのだろうか。

 そんな風に子ども時代を思い出していて、光永は今朝に見た夢に思い至った。

「ねえ、リサ。あなたは自分が最初に買ってもらったピアノのことを覚えている?」

「ええ、お婆様が買ってくれたピアノでしょう?まだ私の家にありますよ」

「そうかい」

 やはり、覚えているものなのだろう。自分が初めて買ってもらったピアノ。そしてこうして、音楽の道で生きて行くことを決定づけてくれた友達。

 私は別れの日、もう一度戻ってくるとあのピアノに約束したんだ。そんなことを思い出す。あの頃は、きっとあの黒いピアノが自分の言葉を分かってくれると信じていた。いや、今だって楽器は持ち主の言葉に答えてくれると、そう信じている。




「ミイラ男……」

 美琴は氷雨の報告に、そう怪訝そうに呟いた。

「そうです。顔を包帯でぐるぐる巻きにして、突然襲って来たんですから」

 氷雨は怒りを思い出すようにして言った。現在の刻は夜明け前。何とか異界へと逃げ込むことができた氷雨は、真っ直ぐこの屋敷までやって来たのだという。

「それが私を狙っているのね?」

 美琴は腕を組んだ。異国の魔物に襲われる理由、それは考えれば幾らでも出て来るように思う。黄泉国の主という立場、そして死神という種族として彼女はいくつもの恨みを買って来た。

「分かったわ。私のせいで巻き込んでしまって済まなかったわね」

「悪いのは美琴様ではなくミイラ男ですよ」

 氷雨はむすっとした調子でそう言葉を吐いた。一緒に青戸がいたようだから、その怒りも収まらないのだろう。彼女は彼を弟のように可愛がっている。

 それに、今夜はその青戸も特別な思いがあって人間界に出たようだった。それを台無しにされたのだから、ただでさえ気が短い氷雨のことだ。自分で復讐に行くと言い出しかねない。

「もうこのことは心配しなくていいわ。あなたと青戸はその人間に会いに行きなさい。まだ機会はあるのでしょう?」

 美琴は小さく笑い、言う。

「でも、またあのミイラ男に襲われたら」

「それは、私がなんとかするわ」

 対処せねば、また黄泉国の妖が狙われるかもしれない。それは避けたい。自分のせいで大事なものたちが傷付き、死ぬのは見たくない。特に氷雨には、そんな光景を見てほしくなかった。

「美琴様、お一人で行かれるつもりですか?」

 一瞬氷雨の表情が昔に戻った。かつて共に戦っていたころの顔。美琴はそっと、立ち上がろうとする氷雨を制す。

「私の問題ならば、私が解決する。それとも氷雨は、私がその異形に負けると思う?」

「そうは思いませんね」

 氷雨は笑顔を作る。

「分かりました!ぶっとばして下さい美琴様!」

「ええ。あなたも、青戸のことをよろしく頼むわね」




 いつかまた会えると信じていた。だから妖怪になってまで、彼は生き続けた。

 青戸は異界の空を見上げた。雪の降る黄泉国の空は、人の世界に比べればずっと暗い。まるで心が吸い込まれていくように暗い。

 何十年もの間会いたいと思っていた人がすぐそこにいる。それなのに会えない。今まで自分の非力さについて考えたことはなかったが、この日だけは彼は自分の弱さを呪った。

 自分が強ければ、あの包帯男を倒して光永に会いに行くこともできたかもしれない。また昔のように、音楽を通して語り合えたかもしれない。

 青戸は自分の膝に顔を埋めた。ただの楽器でしかなかった自分でも、今はこうして涙を流すこともできる。それを伝えたかった。

「ああ、いたいた」

 聞き慣れた声が聞こえた。青戸は着物で涙を拭い、顔を上げる。そこには氷雨と、そしてこの国の領主の姿がある。

「氷雨さんと、美琴様」

「行くわよ。まだあんたの会いたい人は日本からいなくなった訳じゃないんでしょう?」

「でも、僕たちが出たらまたあの男に……」

「それは大丈夫よ」

 そう答えたのは美琴だった。話すのは初めてではないが、滅多にそんな機会はないから体が強張る。

「恐らくその異形はあなたたちの妖気を辿って来るでしょう。でもその目的は私。私が相手をするから、あなたたちはあなたたちの目的を果たしなさい」

 美琴は諭すように言う。青戸は首を横に振るべきなのか縦に振るべきなのか迷った。自分の我儘のために領主を危険に晒して良いのだろうか。

「そんなに考え込まなくても良いわ」

 美琴の優しげな声が聞こえて、青戸は顔を上げる。

「どちらにせよ、その異形がいる限りは私の国の住民たちに災禍が及ぶことになる。それは、私が責任を持って止めるから」

「そうよ青戸、美琴様はあんたが思ってるよりずっと強いんだから、安心しなさい」

 二人の女性に諭されて、そして青戸は決心した。この機会を逃せばもう二度とかつての主とは会えなくなるかもしれない。人の寿命は短いのだから。

「分かりました。美琴様、よろしくお願いします」




 その夜、カリスはあの妖気が再び街に現れたことに気が付いた。もう現れないか、もっと間隔を開けて現れるものかと思っていたが、それは徒労だったようだ。それにもうひとつ、昨夜のものとは違う、もっと強力な妖気の気配もする。

 恐らく伊耶那美のものだろう。異界の主が自ら出向くとは、予想以上に短絡的なのか、それとも自分のことを嘗めているのか。

 どちらにせよ、カリスには戦える自信があった。何百年もの間多くの異形の命を奪って来た自信がある。

 一度死んだ身であるからこそ、死は恐ろしいものではない。だからこそ簡単に引き金が引ける。

 自分が近付いて行くとともにあちらの妖気も近付いて来る。正面からやり合おうということか。それならば受けて立とう。

 月夜の下、三人の日本の異形が現れた。そのうち二人は昨夜出会ったものたち。そしてもう一人は紫色の目をした少女。

「伊耶那美か」

「ええ」

 殺し屋と死神はそう短く言葉を交わした。死神の少女の後ろで、二人の妖怪が去って行くのが見える。だが、もう彼らは必要ない。獲物は目の前にいる。

 カリスは両の手で自らの武器を引き抜いた。




 月が空に昇る中、人の少ない路地に美琴は立っていた。対峙するは異国の魔物。その両手には妖気を纏う拳銃が握られている。

「自ら俺の前に姿を現すとは、余程の自信があるのか、それとも感情に身を任せているのか」

 包帯を巻いた男はそう問うが、美琴は答えずに太刀を抜く。言葉は必要ない。相手が黄泉国のものたちを手に掛けようと言うのなら、この手で葬るまで。

 街の明りを映した夜空に銃声が響いた。美琴は太刀を振り、銃弾を弾き反らす。

 そして、そのさっ先を生ける屍へと向けた。




 青戸と氷雨がそのコンサートホールの前に辿り着いた時には、既に観客たちが会場から出始めているところだった。スーツやドレスを着たたくさんの人々を無視して、青戸はかつての主の霊気を思い出すことに集中した。きっと、まだこの中にいるはずだ。

 やがて人影もまばらになった頃、青戸はその気配を見つけた。青戸は一度唾を飲み込んで、そちらの方へ歩き始める。




「これで、日本での演奏は終わりだね」

 光永はそうリサに言った。たった二日間の演奏会。それだけだったが、日本の人々に自分の音楽を届けられたことに満足感はあった。

「次は関西ですね。明日の夜には出発しなければなりませんが、何かやり残したことはありますか?」

「そうだねぇ」

 光永は会場を出ようとして、そして自分の方を見ている少年の姿に気が付いた。とても嬉しそうな、それでいて泣きそうな顔をしてこちらを見ている。光永はふと、足を止めた。

「あの子は……」

 自分でもどうしてだか分からないのにとても懐かしい感情が心の中に沸いて来た。

「どうしたんですか、お婆様」

「ちょっと、待ってくれるかい?」

 光永は言って、自ら少年の方へと歩いて行った。少年は瞳に涙を溜めてこちらに向かって歩いて来る。

 東京の冬空には、白い雪が降り始めていた。



異形紹介

付喪神(つくもがみ)

 「九十九神」とも書く。室町時代の『付喪神絵巻』には「陰陽雑記に云ふ。 器物百年を経て、化して精霊を得てより、人の心を誑かす、これを付喪神と号すと云へり」と書かれており、日本では器物が長い年月を経ると怪しい能力を持ち、妖怪化すると考えられていた。

 土佐光信の『百鬼夜行図』には多くの付喪神が描かれ、また鳥山石燕の『百器徒然袋』には多くの種類の付喪神が描かれ、それぞれに名前と解説が加えられている。

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