「トラ転」があるなら「月転」があってもいいじゃない?
今日の月は、やけに大きかった。
まんまるで、輪郭がやけにくっきりしていて、表面の模様まで見える気がした。
そんなことを考えながら、夜道をぼんやりと歩いていた。インターンで張りつめていた神経が解放されたのか、眠気で頭はぼんやりと霞んで、意識が白んでいる。
気がつくと、前を歩くパリッとしたスーツの男の背中のすぐ後ろで、私は妙な歌を口ずさんでいた。
位置エネルギーの高さを讃える歌。そんなもの、知っているはずもないのに。
男は振り向かない。
私も、なぜ歌っているのか分からない。
ただ、月だけがやけに近い。
——月は、恐ろしい。
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トラックに轢かれて異世界に行く話を「トラック転生」と言うらしい。
けれど、そんな大げさなものじゃなくても、人はもっと簡単にどこかへ行けるのではないかと思う。
例えば、月だ。
あんなふうに近くて、くっきりした月を見ると、現実の輪郭のほうが曖昧になる。
自分が自分であるという確証が、少しずつ削れていく。あの恐ろしい月の世界に、この世界が魅了されてしまう。
今ここにいる「私」が、本当に連続した存在なのか。
ここはさっきまでの世界と同じなのか。
そんなことを考えてしまう。
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Mond駅からlune駅に行く時、私はあえてMonat線を使う。mois線でも行けるけれど、あえて遠回りをする。
理由は単純で、景色が違うからだ。
Monat線とmois線は同じ線路ではないらしい。
たったそれだけの違いで見える世界が変わるから驚きだ。
Monat線に乗ると、途中で「おはぎの月」の看板が見える。
あの看板を見ると、いつも少し怯えてしまう。紺色に浮かぶあの金のような月は、今日も1つなのだろうか、と。
だから、ただ1つ、ぽっかりと丸が浮かぶ看板を見ると「ああ、いつもの世界だ」と安心するのだ。そのために、遠回りをしているのかもしれない。
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けれど——
今夜、月はあまりにも近すぎる。
窓に映る自分の顔が、どこか他人のようで、
流れていく街の光も、作り物みたいに見える。
ふと、さっきの歌がまた口をついて出た。
位置エネルギーの高さを讃える歌。
月の位置エネルギーは実はマイナスで、月は地球に落ち続けているらしい。
窓の外に、月がある。
夜道を歩いているとき、気が付いたら「重力の外へ」なんて歌っていて恥ずかしかったです。
今日の妖艶な満月を讃えたい。でも高校時代から物理はちょっと苦手で、今も苦戦している。




