表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
26/28

第26話 主役には、名前が必要でしょ

 観測者(クロノス)の実験は、

 想定外の段階へと進んでいく。


 計算は続いている。

 演算も止まっていない。

 だが、その前提が、静かに崩れ始めていた。


 だが、それはもう――

 千聖(ちせ)の知ったことではない。


 世界がどう動くか。

 観測者(クロノス)が何を考えるか。

 未来がどう収束するか。


 そんなことは、関係ない。


「……次は」


 千聖は、小さく息を整える。

 肺の奥まで空気を送り込み、

 ゆっくりと吐き出す。


 線を、もう一本、生成する。


 指先に、わずかな重みが乗る。

 まだ不安定だ。

 だが、確かに応えている。


「私が、行く」


 世界が、応えた。


 空間に生まれた“線”は、まだ不完全だった。

 揺れている。

 細く、かすかに歪んでいる。


 千聖の正面、わずかに歪んだ空間に浮かぶそれは、

 触手のように蠢くこともなく、

 観測者(クロノス)が用いる因果(カウズ・)圧縮触(テンタクル)のように自律的に獲物を追うこともない。


 ただ。


 圧縮された因果の束として、

 そこに「在る」だけの存在。


 呼吸もしない。

 意思も持たない。

 だが、確実にそこに存在している。


 だが――

 在るだけで、十分だった。


 未来線が、触れられない。


 正確には。


 触れようとした未来が、

 成立しない。


 観測者(クロノス)の周囲を走る無数の未来線が。

 因果(カウズ・)圧縮触(テンタクル)が。

 千聖の前に浮かぶその“線”を避けるように歪み、再配置され、何度も演算をやり直している。


 迷っている。

 計算が、止まりかけている。


『……因果干渉体』


 淡々とした声。

 だがその裏で、演算速度が確実に落ちていることを、

 千聖は肌で感じ取っていた。


(……効いてる)


 確信が、胸の奥に灯る。

 小さな火。

 だが、消えない火。


 空間支配(ゼウス・エピクラト)で“舞台”を保ち、

 (けい)が“否定”で致命的な干渉を折り、

 海音(うみね)が薙刀で流れを断ち、組み替える。


 そして。


 千聖自身が――

 因果に、直接、手を伸ばしている。


 この瞬間。


 三人は初めて、

 完全に噛み合っていた。


「……ねえ」


 張り詰めた空気を破ったのは、海音だった。


 薙刀を肩に担ぎながら、

 千聖の前に浮かぶ“線”をじっと見つめている。


 その瞳には、恐れよりも、

 強い興味と――歓喜が宿っていた。


「それ、さ」


 くるりと一度、薙刀を回す。

 刃が空を切る音が、

 舞台の拍子木のように響く。


 乾いた音。

 だが、不思議と場を整える音。


「名前、ないと落ち着かなくない?」


 千聖は、一瞬だけきょとんとした。


「……名前?」


 言葉の意味を確かめるように、

 ゆっくりと繰り返す。


「そ。舞台装置にも、技にも、ちゃんと名前がある方がいい」


 当然のことのように言う。

 迷いも、疑いもない。


 その瞬間。


 観測者(クロノス)が反応する。


『命名は不要』

『機能のみで十分』


 無機質な返答。

 効率と結果だけを重視する、研究者の論理。


 感情も。

 象徴も。

 意味も。


 そこには存在しない。


 海音はちらりと観測者(クロノス)を見て、鼻で笑った。


「うわぁ、最悪」


 肩をすくめる。


「それ、芸能もスポーツも、両方敵に回してるよ?」


 そして、何事もなかったかのように千聖へ向き直る。


「千聖ちゃん、それね」


 薙刀の切っ先で、空間に浮かぶ“線”をなぞる。

 触れてはいない。

 だが、確かにそこを“指し示している”。


「圧縮してるけど、潰してない」


「未来を消してないし、否定もしてない」


 一拍。


「息をしている」


 圭が、はっとしたように息を呑む。


「……確かに」


 視線が、線へ向く。


「成立させない、だけだ」


 その言葉は、短い。

 だが、核心を突いていた。


「それはきっとまだ、赤ちゃんなんだよ」


 海音は、にっと笑った。

 優しさと、確信と、期待が混じった笑み。


「だからさ」


 一拍置いて。


 宣言する。


「《未成立因果(アンリアル・リンク)》」


 その瞬間――

 空間が、微かに震えた。


 わずかな波紋が広がる。

 目には見えない。

 だが、確かに感じる振動。


 名を得た瞬間だった。


『……』

『命名確認』

『因果干渉体、定義更新』


 観測者(クロノス)の声に、

 初めて明確な遅延が生じる。


 処理が、追いついていない。


 千聖の胸の奥が、熱くなる。


 ――名前を、与えられた。


 それは。


 「ただの力」ではなく。

 「偶然の現象」でもなく。


 「誰かと共有できる技」になったということ。


 一人で抱え込むものではない。

 孤独に背負うものでもない。


 舞台の上で、

 誰かと呼吸を合わせるためのもの。


「……ありがとう」


 自然に、言葉が出た。


「どういたしまして」


 海音は軽く手を振る。


 照れも、誇張もない。

 ただ当然のことをしただけ、という顔。


「主役には、名前が必要でしょ」


 その言葉に。


 千聖は、一瞬、息を詰めた。


 主役。


 その言葉を。


 もう、否定できなかった。


『戦闘プログラム、修正』

『最終段階に移行』


 観測者(クロノス)の周囲で、空間が不自然に軋み始める。


 きし、きし、と。

 耳鳴りのような音。


 実験箱が、限界を迎えている。


 過剰に弄られた時空が、

 耐えきれずに悲鳴を上げているようだった。


 圭が、前に出る。

 迷いのない足取り。


「千聖」


「今だな」


「ええ」


 千聖は、空間支配(ゼウス・エピクラト)を一段階、深く潜らせる。


 舞台全体を掌握するのではない。


 観測者(クロノス)そのものを――

 舞台に引きずり上げる。


観測者(クロノス)


 千聖の声は、震えていなかった。


 静かで。

 確かで。

 揺るがない。


「あなたは、ずっと“結果”しか見てない」


 一歩。


「だから、負ける」


『被験体の発言、無意…』


「意味があるかどうかは」


 無意味、と言おうとしたそれは、

 千聖によって遮られた。


 千聖は、未成立因果(アンリアル・リンク)を、前へ押し出す。


 迷いはない。


「私と、仲間が決める」


 圭が叫ぶ。


「――否定(ディナイ)!」


 観測者(クロノス)が用意していた未来線が、音もなく折れる。


 砕けたわけではない。

 壊れたわけでもない。


 成立条件そのものが、

 書き換えられた。


 海音が、踏み込む。

 薙刀が、空間を切り裂く。


 その一撃は、単なる攻撃ではない。


 観測者(クロノス)が立っていた“安全圏”を、

 舞台へと引きずり出す一撃だった。


 観測者(クロノス)の中核が、揺らぐ。


 研究者としての立ち位置。

 俯瞰し、観測し、記録する側という前提。


 それが。

 崩れた。


 千聖は、最後の一歩を踏み出す。

 未成立因果(アンリアル・リンク)を、観測者(クロノス)へ。


「あなたの実験は――」


 一拍。


「成立しない」


 千聖が拳を握る。

 空間が、閉じる。


『……』


『……』


 観測者(クロノス)の声が、途切れる。


 わずかな沈黙。


 そして。


『記録』

『実験終了』

『被験体、生存』


 一呼吸。


『……想定外』


 さらに。


『主役交代』


 観測者(クロノス)は、その言葉を残し、

 完全に崩壊した。


 音もなく。

 抵抗もなく。

 まるで役目を終えた装置のように。


 世界が、戻る。


 信号が動き。

 風が流れ。

 交差点は、ただの交差点へと戻っていく。


 千聖は、その場に立ったまま、

 しばらく動けなかった。


 足が、少しだけ震えている。


(……私)


 呼吸が、まだ浅い。


(前に、立ってた)


 胸の奥が、じんわりと熱い。


 圭が、肩を叩く。


 軽く。

 だが、確かな力で。


「……勝ったな」


 海音が、笑う。


 満足そうに。

 誇らしげに。


「うん。最高」


 少し離れた場所で。

 それを見ていた男が、静かに笑う。


 すべてを見届けた者の、

 静かな納得の笑み。


「……やっぱりな」


 男は、呟いた。


「女神様だよ」

こんにちは。椎野陽葵です。「未来が視える女神様ですが、正解は選びません」を手に取っていただき、ありがとうございました!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ