第1話 時を拒む少年と女神様
世界が、止まった。
正確には――止められたのだ。
自然現象でもない。
偶然でもない。
意思を持った誰かにとって、選択された停止。
この瞬間だけを切り取り、保存するかのような操作。
常野 千聖は、夕暮れに染まる私立慶能高校の中庭で、静かに息を吐いた。鮮やかな色彩は少し褪せ、風に揺れていた木の葉は宙で固まり、空を横切っていたカラスは羽ばたいた姿勢のまま停止している。落ちかけていたボールも、放物線の途中で凍りついた。
音も、温度も、匂いも。
全てが途中で止まったように、世界は奇妙な静寂に包まれている。まるで、巨大な模型に閉じ込められたかのように。
誰かの笑い声も、遠くでなっていたチャイムの余韻も、風が芝生を撫でる微かなざわめきも、その全てが時間の外へ追い出されたように消えている。
千聖の紅い瞳が、ゆっくりと瞬いた。
「……よし、問題ない」
五秒後に起きるはずだった事故「二階の渡り廊下から落ちる植木鉢」は、千聖の能力によってその未来から完全に外れる。
ほんの少し前、視界の端に映った不自然な揺れ。それだけで彼女は、起こるはずの未来を正確に予測していた。
人が通る。頭上に落ちる。間に合わない。
…だから、止めた。 時間を五秒だけ巻き戻し、植木鉢の位置をずらす。それだけで十分だった。
ほんの数センチ、わずかな角度の調整。
それだけで、大小の差はあれど、結果は変わってくる。
今回でいえば、事故は起きなくなる。
神に生まれし者にとって、これは呼吸と同じくらい自然な行為なのだ。
特別な努力など必要ないし、集中する必要すらない。ただ、「止めたい」「巻き戻したい」と思えば、世界が呼応する。
そして正解を選びなおす。
それが、千聖に与えられた当たり前だった。
千聖が能力を解こうとした、その瞬間。
「女神様?」
「……え?」
ありえない光景が目に飛び込んできた。
光景、ではなく現象、が正解かもしれない。
目、というよりも耳かもしれない。
音が、聞こえた。
時間を止めているのに、音が。
今まで一度もこんなことなかったのに。
予想外のことに、千聖は目をぱちくりさせた。
中庭のベンチに座っていたはずの少年が、立ち上がって――こちらを見ている。
時間は、完全に止まっていた。 神の一族以外、動けるはずがない。
ハーフアップにした銀色の長い髪が、わずかに揺れる。 千聖の思考が、一瞬で加速する。
(私の未来視に、いなかった)
彼は神の一族なのだろうか。
否。その考えは一瞬にして否定される。
神の顔と名前は全て把握している。
つまり、もし彼が神だったとすれば、千聖が知らないわけがないのだ。
黒髪に栗色の目。背は平均的で、制服の着崩し方もごく普通。 ――私立慶能高校、同じクラスの男子。
「……犬馬場、圭?」
彼の名前を口にしてみる。
その瞬間、彼の目が見開かれた。
「……今、俺のこと呼んだか?」
2回目。
はっきりと聞こえた。
つまり、さっきのは幻聴ではないということだ。
(この人……何者?)
時間が再び流れ出す。
ざわめき、風、鳥の羽音。 何事もなかったかのように、世界は鮮やかな色彩を取り戻した。
だが、二人だけが、異常の中に立っていた。
「今の……時間、止めてた…よな?」
圭は、困惑と緊張が混じった表情で千聖を見ていた。 逃げる様子も、騒ぎ立てる様子もない。
「……見られたのは、初めて」
千聖は静かに言った。
「今日見たことは、絶対に秘密にして」
圭が息を呑む。
「その代わり――」
千聖は、ほんのわずかに微笑んだ。
「友達になりましょうか」
「それと、女神様って呼ばれるのは少し苦手だから…」
一息ついたあと、千聖は言った。
「そうね、千聖でいいわ。女神様よりもそっちの方がずっといい。私、そんなに大それた存在じゃないし。」
「……は?」
圭は思わず声を上げた。
「いや待て待て待て。情報量多すぎだろ」
女神と、一般(?)男子高校生。 こうして、誰にも知られてはいけない関係が始まった。
初めまして。椎野陽葵です。この度は「未来が視える女神様ですが、正解は選びません」をお読みいただき、ありがとうございます。これから一話あたり1,500〜4,000文字を目安に投稿していこうと思っています。
さて、本編の方いかがだったでしょうか。「時を操れたらなぁ」そんな思いからこの作品は生まれました。ちなみにこの作品、設定考えたのに半年くらい寝かせています。(思うように文章が書けなかっただなんていえない...)
初めての投稿につき、至らない点多々あると思いますが、温かい目で見ていただけると幸いです。また、感想や評価いただけると大変励みになります。
最後になりますが、「未来が視える女神様ですが、正解は選びません」をお読みいただき、ありがとうございました!




