森の朝、湯気の向こうで
朝、目が覚めた瞬間、冷気が肌を刺した。
「……なんか今日、寒くないか?」
思わず身を縮めたユウは、横で寝ていたもふもふを半ば無意識に抱き寄せる。
「わふっ!? くぅーん」
シロが驚いたように声を上げたが、ユウは構わず、その頭頂部に顔をうずめた。ふわふわの毛がひんやりした頬に触れ、すぐにじんわりと温かさが戻ってくる。
最初はこわばっていたシロの身体も、やがて力が抜けた。仕方ないな、とでも言いたげに小さく鳴いて、ユウに身を預けてくる。
「こんなに昨日も寒かったか? 秋から一気に冬になったみたいだな」
「きゅー」
ずっとこうしていたい。
だが、そんなのんびりしていられる身分でもない。
ユウは名残惜しさを振り切って身体を起こし、茶色の外套を羽織って外へ出た。
空を見上げると、もともと晴れとは縁遠いこの森の空が、今日はいつにも増して重たく垂れこめていた。昨日が薄い灰色なら、今日は黒みがかった濃い灰色だ。今にも空がそのまま崩れてきそうな圧迫感がある。
「うわ、これはひどいな……」
テントの前に立ったユウは、肩に掛けていたマジックバッグをそっと下ろし、ふうと息を吐いた。
「……ほんとに便利だな、これ」
何でも収納できると分かってから、食材も調理道具も、必要なものはほとんどこの中に放り込んでいる。今となっては、これなしの生活なんて考えにくい。
……これが盗まれたら、わりと本気で詰むかもしれないな。
一瞬よぎった不吉な考えを振り払うように、ユウはバッグの口を開いた。
「シロ、何が食べたい?」
「ミツはあたたかいもの!!」
テントの陰から、ひょこっと丸い目をのぞかせたミツが元気よく顔を出す。
「……いつからいたんだ?」
「ちょっと前から!!」
とことこと小走りでやってきたミツが、当然のような顔でマジックバッグを覗き込む。ユウの手に触れるしっぽの毛が少し冷たい。
シロは会話を遮られたのが不満らしく、目を細めてミツを見た。
「ちょっと前からってわりには身体が冷えてるな。……温かいもの作るか。俺も寒いし」
ちょうどバッグの中には、小麦粉もあるし、イースト菌らしきものもある。角豚の肉も、この前蛇型の魔物からもらった玉ねぎも残っていた。
あれを作るにはちょうどいい。
「なに!? なにつくる? スープ?」
「また、あの汁を作るのか? たしかに今日は瘴気が一段と濃い。悪くはないかもしれんな」
のそり、とテントの前へ現れたのはグラードだった。
その隣には、グラードを二回りほど小さくしたような白狼がいる。こちらは灰色の毛が多い。鋭い目つきで、若さと棘がそのまま形になったような雰囲気だった。
初めてシロに会った時、グラードの隣にいた片割れか。
「なんだ? 人間。見るな」
不快そうに灰色の狼がじろりと睨んでくる。背筋にぞわりと悪寒が走った。
グラードがじっとその狼を見つめると、相手は気まずそうに視線を逸らす。
「ロウ、この人間は――」
「でも、人間です」
「種族だけで決めつけるのは、いい加減やめたほうがいい」
「こんな、我らが少し力を込めれば壊れてしまうようなやつに、敬意を払う必要はないでしょう」
「単純な力だけが、その者を測る物差しにはならんと何度も言っているだろう」
グラードは珍しく、頭を悩ませるように眉を寄せた。
それからユウのほうを見て、軽く頭を下げる。
「申し訳ない。何分、この通り若輩者でな」
「いやいや、俺がじっと見てたのも失礼でしたし……」
「その通りだ。人間、少しは頭が――」
グラードに睨まれ、ロウはぴたりと口を閉ざした。
なんだか前世で、モンスター新人社員に振り回されていた頃を思い出して、胸が少し痛い。
「ミツ! 早く食べたい!!」
「わふっ!!」
ミツとシロの声が重なって、森に沈んでいた空気を吹き飛ばした。
「そうだな。作るか」
ユウは改めてマジックバッグの中身を見下ろした。
見た目は地味な革袋なのに、中には小麦粉も、角豚の肉も、香草も、鍋まで入っている。前なら何度かに分けて運ぶか、持ってくるものを諦めるしかなかった量だ。
――これはあなたのためじゃないわ。村のために使わせるだけ。
ミリーのつんとした顔を思い出して、ユウは少しだけ苦笑した。
「はいはい、村のため、村のため」
「くぅん?」
足もとでシロが首を傾げる。
「なんでもない。今日は、お前らが好きそうなやつを作る」
「わふっ!」
その一言で、シロの尻尾が勢いよく揺れた。
木箱の上では、ミツが前足を揃えて身を乗り出している。
「すきそうなやつ! あまいの!?」
「違う」
「にく!」
「あたりだ」
「やった!」
ミツがしっぽをぶわっと膨らませる。
「そういえば……持ってきたんだろう」
「はい……」
グラードに顎で促されて、ロウがぽとり、ぽとりと茶色いものを地面に落とした。
「最近見かけるようになった作物だ。何に使えるかは知らんが……。お前の作ったものを食うには、対価が必要なんだろう?」
「そうですね。食べ物をもらえるのは、すごく助かります」
今のところ材料を手に入れる方法は、村で料理を売って金に換えるか、こうして分けてもらうかのどちらかだ。こんなふうにまとめて食材が手に入るのは、本当にありがたい。
「これは……?」
「最近なっている木の若芽だ。森の者が、まだ柔らかくて食いやすいと言っていた」
「たけのこ? ……たけのこだ!!」
日本じゃないのに、たけのこが手に入るなんて。
「ありがとうございます!! これで肉まんがかなり完成に近づく!」
ロウは戸惑ったようにユウから視線を外した。
今ある材料だけでも肉まんは作れる。だが、具の食感にもう一段ほしいと思っていたところだった。そこへたけのこが来るなんて、あまりにもピンポイントすぎる。
ユウは思わず、信じていなかった神様に向かって心の中で手を合わせた。
「よし。じゃあ肉まん作るか」
「にくまん?」
ミツが復唱する。
「まるくて、ふかふかで、中に肉が入ってるやつ。こういう肌寒い時期に食べると、すごくほっとする」
「うまい!」
まだできてもいないのに、ミツは断言した。シロも「わふぅ」と短く鳴いて同意する。
まずは具からだ。
角豚の肉を細かく刻み、まな板の上で包丁を何度も往復させる。ひき肉にはしすぎず、食べたときに肉の感じが少し残るくらいに刻む。そこへ刻んだキノコと香草を混ぜる。
フライパンに落として火を入れると、じゅっと音が立って脂がにじみ出した。
そこへ味噌を少し加える。
途端に、肉の匂いに味噌特有の甘じょっぱい香りが重なって立ちのぼる。
「うわ、これだけでもう飲めそうだ」
「わふっ、わふっ」
シロが落ち着きなく足踏みを始める。ミツは木箱の上から身を乗り出し、鼻先をひくひくさせながら、そっと手を伸ばそうとした。
「まだだぞ」
「まだ!?」
「まだ」
ユウは木べらで具を返しながら笑った。角豚の脂を吸った味噌がきらりとつやを帯びる。キノコの水分も加わって、ただ濃いだけじゃない、噛んだらじゅわっとしそうな匂いになっていた。
そこへ、さっきロウからもらったたけのこを加える。
普通ならたけのこはあく抜きが必要だが、さっき生で少しかじってみた限りでは、渋みもえぐみもなかった。
たけのこのあく抜きがいらない――それだけで、異世界に来てよかったと思えるくらいにはありがたかった。




