表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
魔物領のはしっこで、飯屋はじめます  作者: もちのき


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

11/12

森猪ステーキと風魔法

 森の奥に入ると、空気が一段ひんやりした。瘴気の匂いも、さっきより少し強くなる。


 グラードはその中を、迷いなく進んでいく。俺とシロは、その後ろにぴったり張り付いた。


「いつもこうやって狩りしてるんですか?」


『獲物にもよる。森猪〈モリボア〉なら、音と匂いがでかい。見つけるのは容易い』


 そう言い終わらないうちに、グラードの耳がぴくりと動いた。


『……来るぞ。人間、そこにいとけ』


 足もとの低い茂みを顎で示される。


「え、ちょ、待――」


 言うより先に、グラードの前足が俺の胸を軽く押した。


 その勢いで、俺とシロは茂みの影にひっくり返るようにもぐり込む。


「うわっ……!」


『動くな。息を潜めろ』


 短い命令。少し文句を言いたい気持ちもあるが、さすがに従った。


 シロも状況を察したのか、ぴたりと俺の脇腹に張り付き、毛を逆立てながらも声を出さない。


 森の奥から、ずしん、ずしんと重い足音が近づいてきた。


 土が揺れる。低い唸り声。鼻息まじりの呼吸。


 木々の間から姿を現れたそれは――


「……でか」


 思わず小声が漏れた。


 丸太みたいな胴体に、丸太より太い脚。土を掘り返しそうな二本の巨大な牙。


 背中の毛は針金みたいに固そうで、ところどころ黒紫に染まっている。


 森猪〈モリボア〉。さっきグラードが言っていた名前が、頭の中で繋がった。


『……腹が減っているな』


 グラードが低く呟く。


 森猪は地面を鼻先で掘り返し、うろうろと動き回っていた。


 その周りの空気が、じわりと重たくなる。瘴気の濃度が、目に見えるような気がした。


(こんなの、まともにぶつかったら人間なんて一瞬で木っ端みじんだよな)


 心臓がどくどくと早鐘を打つ。


 森猪の鼻先が、こちらのほうを向いた。


 茂みの中の俺とシロにも、きっと気配は届いているはずだ。


「グラードさん……?」


『黙って見ていろ』


 森猪が、唸り声を上げた。


 次の瞬間、巨体からは想像できないスピードで、グラードめがけて突進してくる。


 大地がえぐれ、土が跳ね上がった。


 俺は思わず目をつむりかけ――それでも、ぎりぎりで踏みとどまって見続ける。


『ぉおおお――ッ!』


 グラード咆哮が、森を震わせ、森猪の進みを止めた。


 同時に、グラードの周りの空気が、ぐっと収縮した。


 風が一瞬、全部吸い込まれたように静まり返る。


(……え?)


 次の瞬間、その静けさが弾けた。


 グラードの前方に、透明な刃の束が生まれる。


 目には見えない。けれど、空気の層が、ぎらりと光ったように見えた。


 ぶわ、と風が爆ぜる音。


 森猪の手前、地面がぱっくりと裂けた。


 足を取られた森猪の体勢が、一瞬だけ崩れる。


 その隙を、グラードは見逃さない。


『そこだ』


 低く呟くと同時に、もう一度、前足を振り下ろした。


 ど、と鈍い音が鳴った――かと思ったら、森猪の片方の牙が、根元からぼとりと落ちていた。


 切断面が、あまりにも滑らかで、ぞっとする。


(今の、風……?)


 グラードの爪は、森猪の体には触れていない。その少し手前――空気の層のところで止まっていた。


 だからこそ、あの牙は「何か見えない刃物」で切り落とされたようになっている。


 重心を崩され、片牙を失った森猪が、怒りに満ちた目で吠えた。


 突進の方向を無理やりねじ曲げ、再度グラードに向き直る。


 今度は、咆哮に混じって、ぐわりと瘴気の塊が吐き出された。


 黒紫のもやが、前方に飛び散る。


『ふん』


 グラードは鼻で笑うと、後ろ足で大地を踏み鳴らした。


 それだけで、彼の周りに、目に見えない円が広がったように感じる。


 瘴気の塊が、その円のところで止まり、風に押しつぶされて霧散していく。


(バリア……? いや、これも風で……)


 グラードは風タイプなのだろうか。


 ついついゲームに引っ張られてしまうのは、前世の悪い癖だ。


 しかし、グラードにはゲームの枠に収まりきらない迫力があった。


『もういい』


 グラードの声が、少しだけ低くなる。


 次の瞬間、彼の体の周りに、いくつもの細い線が走った。


 空気が鳴る。


 森猪が再度地面を蹴るより早く、その線は一斉に前へと奔った。


 風の刃が、森猪の足元と肩、首筋を横切る。


 ばしゅ、と短い音。


 森猪の動きが、そこで止まった。


 巨体が、そのまま前のめりに倒れ込む。


 ドン、と地面が揺れた。


 耳の奥が少しだけきんと鳴る。


(……終わった?)


 しばらく、森に静寂が戻る。


 鳥の声も、風の音も、何も聞こえない。


 やがて、グラードがゆっくりと振り返った。


『出てこい、人間。もう危険はない』


「……はい」


 俺は胸の前で知らず知らずのうちに組んでいた腕をほどき、シロと一緒に茂みから這い出た。


 近くで見る森猪は、やっぱりとんでもなくでかい。


 だが、その体には、ほとんど血が流れていなかった。


 皮一枚の表面に、ごく細い切り傷が何本か走っているだけ。


 思わず喉を鳴らす。


「グラードさん、すごいですね」


『森の長だからな』


 さらりと言った。


 さらりと言っていい規模じゃない気がする。


『さて――』


 グラードは森猪の死体のそばに歩み寄ると、前足を軽く触れた。


『見ておけ、人間』


 そう前置きをしてから、ひとつ息を吸い込む。


『裂けろ』


 短い言葉とともに、足もとの空気が震えた。


 森猪の体の上、目に見えない線が幾本も走る。


 皮の上に浮かんだ白い筋が、そのまますっぱりと裂けていく。


 背中から腹にかけて、大きく一枚。


 脚の付け根から、関節に沿って、すとんと。


 切り口は、驚くほど綺麗だった。


「うわ……」


 思わず声が漏れる。


 皮が、まるでチャックを開けるみたいにぺろんとめくれた。


 中から現れたのは、脂をまとった赤い肉と、白い骨。


 普通なら、血がどっと溢れ出すはずなのに、それもほとんどこぼれてこない。


『風で血管も締めてある。あとは筋を断てば、肉は簡単に外れる』


 さらっと言うが、やっていることの意味が分からない。


 俺が前世で何度か見た肉の解体は、もっとこう、力技というか、大量の血と骨と格闘する作業だったはずだ。


 今目の前で行われているのは、元々切れていたものが裂けた感じに近い。


 グラードは巨大な前足で筋の位置を押さえ、そのたびにそこへ細い風の刃を通した。


 筋膜だけが切れ、肉がすとんと外れる。


『この腰のあたりは、お前が欲しがっていた“塊”だろう』


 そう言って、ちょうどステーキに良さそうな位置を示す。


「……これ、全部?」


『全ては渡さん。森の者たちも食う。お前には、このくらいだ』


 前足で軽く押された部分が、すっと一塊で外れた。


 巨大な肉の塊が、どさりと地面に落ちる。


 その切断面も、きれいすぎて怖い。


(風魔法で肉屋ができるな……)


「ありがとうございます。これだけあれば、しばらく肉には困らなそうです」


『むしろ余るだろう。残りは干し肉にでもすればいい。そうすれば長く持つのだろう?』


「はい」


『……それと』


 グラードは、森猪の体を一瞥してから、付け足すように言った。


『さっきの牙も、お前に一本やる』


「え、いいんですか?」


『人間の道具にでも使え』


 牙を見やる。


 さっき途中で切り落とされたほうだろうか。長くて太い。


(……吊りフックとかしか思いつかないけど、町に行ったら加工してくれるかな)


「じゃあありがたく。何かに再利用してみます」


『そうしろ』


 グラードは頷き、残った森猪の各部を風の刃でてきぱきと切り分けていった。


 骨と臓物、それから別の部位の肉を、それぞれまとめて投げ飛ばすと、森の影から別の魔物たちがひょいひょい顔を出し、それを咥えて消えていく。


「あ、他にも、いたんですね……」


『匂いに釣られるのは人間だけではない』


 言われてみればそりゃそうだ。


『さあ、肉と牙を持ってさっさと戻れ。ここでじろじろ眺めているより、火で焼いたほうがうまい』


「はいはい、そうします」


 俺は肉の塊と牙を布で包み、シロと一緒にテントへ引き返した。


 ◇


 テントへ戻ると、まず肉を水に晒した。


 大きめの鍋に水を張り、切り出した塊の表面を何度かくぐらせる。


 赤い血がじわじわと抜けていき、それに伴って、鼻を刺すような匂いも少し弱まった。


「よし、これくらいならいけるだろ」


 布で水気を拭き取り、包丁でまな板に乗せ切れないほどの大きさの肉を分厚い一枚肉に切っていく。


 塩を両面に多めにまぶし、少し置いてなじませている間に、コンロに火を入れた。


 折りたたみコンロの上に鉄板を置き、十分に熱する。油を少し垂らすと、すぐに煙が立ちのぼった。


「シロ、ちょっと離れてな」


 鉄板に、肉をどん、と乗せる。


 じゅわあああっ、と勢いのいい音がテントの前に響いた。


 脂が弾ける匂いと、肉が焼ける香りが、一気に広がる。


「おおお……」


 思わず見惚れてしまう。


 表面にこんがりと焼き色が付き始め、端から脂がにじんでいく。


 しばらく動かさずに焼いてから、ひっくり返す。裏面にもきれいな焼き色が付く頃には、テントの入口から、鼻先だけ出して覗くシロの目が完全に肉に釘付けになっていた。


「もうちょい待て」


 焼き加減は、厚みと相談だ。


 あまり火を通しすぎると固くなりそうだが、生に近すぎてもこの世界の肉事情を考えると怖い。


 何度か箸で押して弾力を確かめ、ほどよく中まで熱が入ったところで火を落とした。


「最後に、ほんのちょっとだけ」


 鉄板の端のほうに、醤油をすっと一筋垂らす。


 じゅっ、と音がして、一瞬だけ立ちのぼる香り。


 肉自体には直接かけない。香りだけ、まとわせるイメージだ。


「よし。森猪ステーキ、一丁上がり」


 皿に肉を移し、少し休ませてから、繊維に沿って厚めに切り分ける。中はうっすら桃色で、肉汁がじわっとあふれ出た。


「シロ、お前の分はこっちの端っこな」


 脂と筋の少ない部分を、小さめに切って椀に入れる。ふうふうと冷ましてから、前に出した。


「よし」


「きゅっ!」


 シロは勢いよくかぶりつき、数回噛んだあとで目を見開いた。尻尾が床を叩くような勢いで動く。


「そんなにうまいか?」


 自分でも一切れ、口に運ぶ。


 噛んだ瞬間、じゅわっと肉汁が広がった。


 猪特有の野性味はあるが、嫌な感じではなく、赤身でさっぱりしてて食べやすい。


 塩だけのシンプルな味付けに、さっきの焦がし醤油の香りが、ほんのりと乗っている。


「……うまっ!ビールが欲しいな」


 思わず笑いが漏れた。


 前世で食べた高級ステーキとは種類が違うけど、どうでもよくなるうまさだ。


『ふむ、もう焼き上がったのか』


 またしても、低い声。


 顔を上げると、グラードがこちらを見ていた。


「いつの間に来たんですか。今度はさすがに早すぎません?」


『肉の匂いがこれだけ立っておるからな』


 言いながら、じっと皿を見つめている。


「じゃあ、長のぶんも」


 最初からそのつもりだったので、厚めに切った中から、食べやすそうな大きさのものを数切れ皿にとる。


 グラードの前に差し出すと、彼は豪快に皿の中身を口の中に入れた。


 よく噛んで、飲み込む。しばし沈黙。


「どうです?」


『……うまい!』


「それはよかったです」


『にしてもすごいな。森猪の肉は、こう見えて腹にもたれる。獣の血と瘴気が混じっておるせいだ。だがこれは、腹の中でも、すっと馴染む』


「水に晒したのが効いてるんですかね。血抜きは大事ですよ」


 自分でそう言いながら、「まあ、そういうもんだろ」と納得してしまう。


 こっちの世界の肉の扱いはまだよく分からないが、それでも前世からの経験則でやっているだけだ。


『……お前は本当に、料理のことしか考えておらんな』


「褒め言葉として受け取ります」


 グラードは鼻を鳴らした。


『うまいものというのは、こう……体の芯が温まるな』


「それは分かります。飯がうまいと、嫌なこともだいぶ薄まりますから」


 俺は笑って、自分の皿の残りをもう一切れ口に運んだ。


 噛むほどに、肉の味がひろがる。


 この世界に召喚されて、王宮で肩身の狭い思いをして、追い出されて。


 今、森の端っこのテントで、魔物と肉を囲んでいる。


 客観的に見れば、むちゃくちゃな状況だ。


(でも、悪くないな)


 そんなふうに思いながら、皿の肉を最後まできれいに平らげた。


『人間』


「はい?」


『今度、なにか狩ったときも、肉の一部をここに回す。その代わり――』


「代わり?」


『時々でいい。森の者にも、今日のような肉を分けてやれ』


 それは、断る理由のない提案だった。


 肉が安定して手に入り、俺はただ調理するだけ。


 それで森の連中が喜んでくれるなら、こんな楽な話はない。


「分かりました。みんなの分を焼くとなると、もう一枚鉄板ほしいですね」


『そこは自分でなんとかしろ』


 そう言い残して、グラードは森の影に消えていった。


 テントの前には、まだ肉の匂いと、焦がし醤油の香りが漂っている。


 シロは満腹でひっくり返り、腹を見せている。


「シロ、お前もよく食べたな」


「きゅ……」


 眠そうな声を出しながら、尻尾だけがゆっくり揺れた。


 森の空気は冷たいままだが、テントの中と、俺の腹の中と、胸のあたりだけは、ぽかぽかと温かかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ