山盛りの骨のおすそわけ
森猪ステーキを平らげた、その日の夜のことだ。
「ふぅ……食った食った」
皿を積み上げて、俺は満腹のため息をついた。
シロはと言えば、テントの入口の脇でひっくり返って、腹を出して伸びている。さっきまで尻尾をぱたぱたさせていたのが、今はぴくぴく小さく揺れるだけだ。
「お前もよく食べたな。ちっこいくせに、どこに入ってんだか」
「きゅる……」
返事になってるんだかなってないんだか、間の抜けた声が返ってくる。
と、そこでテントの外から、ずしん、と地面を踏み鳴らす音がした。
「人間、まだ起きているな」
聞き慣れた低い声。グラードだ。
「起きてますけど、ノック的な概念はないんですか、グラードさん」
テントの布をめくると、月明かりの中に白い巨体が浮かび上がった。
シロが「くぅ」と小さく鳴き、半分寝たまま耳だけぴくんと動かす。
「飯の匂いが残っていたからな。さすがに、腹はすでに満たしていそうだが」
「ええ、もう無理です。肉も焼いた分は全部片付きました」
「ふむ。これの出番だな」
「これ?」
グラードが前足を軽く振ると、その横にどさりと何かが落ちた。
見れば、太い骨の束だ。森猪の背骨や脚の骨、それから、肉をほとんど削ぎ落とした端っこの部分までまとめてある。
「うお、でか……」
「さきほどの森猪の残りだ。肉と牙以外も、お前なら何かにするのだろう?」
「嬉しいですけど、なんでわかったんですか?」
「肉を切り分けておるとき、お前がずっと骨を物欲しそうに見ておったからな」
「言い方」
否定はできない。正直、めちゃくちゃ気になっていた。
「助かります。骨からスープが取れるんですよ。いい出汁になるんで」
「スープ……さっきの芋や肉の汁と同じものか」
「そうそう。今度はもっと濃いのが作れます」
俺が目を輝かせていると、グラードは少しだけ目を細めた。
「……やはり、お前は料理のことになると目の色が変わるな」
「他に取り柄がないんでね」
「ふん。ならば存分に使うがいい。骨だけではないぞ」
グラードは森のほうを振り返り、ひと声唸った。
しばらくすると、暗がりから、さっきの解体のときに見た影がいくつか現れる。小さな狼のような魔物や、猿っぽいのや、耳の長いウサギみたいなやつまで。
それぞれが、包帯みたいに細く切り分けられた森猪のスジ肉や端切れをくわえていて、そのうちの一匹が、遠慮がちに一束こちらへ放った。
「森の者たちのぶんを取り分けたあと、まだいくらか余りが出た。これも持っておけ」
地面に落ちたのは、細いスジと、コラーゲン的なぷるぷるした部分がまざった端肉の束だった。
「うわ、ありがたい……。これ、じっくり煮込んだら絶対うまいやつじゃないですか」
「そうなのか」
「明日のごはんに決定ですね」
もう明日のメニューが決まってしまった。
俺がにやけているのを見て、グラードは鼻を鳴らした。
「ただ、ここで全部食うつもりか?」
「いや、それが……」
ちらりと視線を、森の向こう――村の方向に向ける。
前に芋粥を作ったときの、人々の顔が思い浮かんだ。
「せっかくなら、村にも少し持って行きたいですね。あっち、栄養塊もろくに回ってこないみたいですし」
「栄養塊……あの、人間が好き好んでいる代物か」
「そうです。腹が膨れるだけのやつ」
グラードは少しだけ眉をひそめるような顔をした。
「人間というのは、本当に妙なところで我慢強い生き物だな」
「それは否定しません」
「じゃあ、この骨と端肉、ありがたく使わせてもらいます。明日、森猪テールスープってやつを村で振る舞ってきますよ」
「てーるすーぷ……よく分からんが、また妙なものを作るのだな」
「うまいですよ?」
「期待しておこう」
グラードはそれだけ言うと、くるりと背を向けた。
森の影に溶けていく巨体を見送ってから、俺は足もとで寝ているシロの頭をつついた。
「おいシロ。明日も歩きだぞ。村まで出張だ」
「わふ……」
眠そうな声だけ返ってきたが、尻尾がぴくぴく動いているあたり、話はちゃんと聞いているらしい。
◇
翌朝。
テントの入口を開けると、森の空気は相変わらず冷たかったが、昨日よりは少しだけ軽く感じた。
「さて、仕込み開始といきますか」
俺は袖をまくり、昨夜もらった骨の束を調理台にどさっと乗せる。
「シロ、かじるなよ?」
「きゅっ!」
すでに前足を乗せかけていたシロが、慌てて手を引っ込めた。
「これはあとで。味が出なくなるからな」
まず、大きめの骨を選んで、焚き火の上に渡した簡易の網に乗せていく。
骨から脂が落ち、じゅう、と煙が上がる。森猪特有の獣臭さが一瞬強まったあと、すぐに少し香ばしい匂いに変わっていった。
「骨はね、軽く焼いてやると旨味が深くなるんだ。たぶん」
「きゅ?」
「たぶんって言うなって顔してるな。経験則だよ、経験則」
ほどよく表面が色づいたところで、今度は大鍋の中に骨をまとめて突っ込む。
あらかじめ汲んでおいた森の水をなみなみと注ぎ、火の魔法石をコンロにセットした。
「まずは強火で一回ボコボコっとね」
ぐつぐつと泡が立ち上がり始めると、表面には灰色がかったアクがどんどん浮いてくる。
「はいはい、悪いところは出ていけー」
お玉でアクをすくいながら、独り言が増えていく。
しばらく煮立たせたあと、一度火を止め、鍋の中身を半分ほど捨てて、また水を入れ直す。
「ここまでやれば、臭みはだいぶ取れるはず……たぶん」
「たびたびたぶんと言うな」
「うおっ」
振り返ると、いつの間にかグラードが後ろに座り込んでいた。
「おはようございます。朝から見物ですか?」
「瘴気の匂いが変わったからな」
「変わった?」
言われてみて、鼻をひくんと鳴らしてみる。
確かに、さっきまでまとわりつくようだった冷たい匂いが、周りだけ少し和らいでいる気がした。
「その骨は、森猪の中でも瘴気をよく溜め込んでいた部分だ。お前が鍋に放り込んだとき、一瞬、嫌な匂いが強くなった」
「うわ、それはすいません」
「だが、今は……妙だな。湯気のほうに、あやつらの濁った匂いが吸い込まれ、外へ逃げていく感じがする」
「……下茹で効果ですかね」
「なにそれは」
「悪いものをお湯のほうに出して、外に捨てるっていう」
「ふむ……理屈は分からんが、お前の鍋を見ていると、確かに“悪いものだけ出している”ようにしか見えん」
グラードが、じっと鍋の湯気を眺める。
その視線に若干の圧を感じて、俺は苦笑した。
「たぶん、ただの料理スキルですよ。ありがたいことに、《調理加護》のおかげで、臭み抜きとかは得意っぽいですし」
「その“たぶん”が一番怪しいのだがな」
「褒め言葉として受け取っておきます」
俺は話を打ち切るように、鍋に芋と、昨日村で買ってきた根菜の残り、それから、もらったスジ肉の束を加えた。
コトコトと火を弱めて、時間をかけて煮る。仕上げに塩をひとつまみ、醤油をほんの数滴。
骨からじわじわと出てきた白濁色のスープが、鍋の中でとろりと揺れた。
「……よし。いい感じ」
木の杓文字で軽くすくい、一口だけ味見する。
口に入れた瞬間、骨の旨味と脂の甘みが舌に広がり、喉の奥から胸のあたりまで、すうっと温かさが降りていった。
「うまぁ……。体に染み渡るな」
「わふっ?」
足もとでシロが首を傾げている。
小さな椀にスープと芋を少しよそってやると、シロは嬉しそうに尻尾を振って啜り始めた。
「……ふむ」
横でグラードが、じっとシロの様子を見ている。
しばらくしてから、わずかに目を細めた。
「シロの中の瘴気も、だいぶ薄くなっているな」
「え、そうなんですか?」
「前と同じだ。お前の飯を食うたびに、黒い棘のようなものが抜けていく」
「棘……」
「気にするな。お前が気にしても仕方あるまい」
「いや、普通に気になりますけど」
「なら、もっと飯を作れ。そうすれば、その“棘”とやらも早く消える」
「結論が雑!」
でも、まあ、グラードがそう言うなら、それでいいのかもしれない。
「とりあえず、この鍋は村行きですね。俺とシロだけじゃ食べきれないですし」
「そうしろ。人間の村も、そろそろ冷えがきつくなる頃だ」
「そうですね」
骨から出た旨味たっぷりのスープ。これを飲めば、少なくとも今日一日は、体の芯から温まるはずだ。




