09 あしたの約束
「うぅ……黒瀬くんにいじめられたよぉ……」
ベッドに寝転んだ白石が、こちらを見上げ潤んだ瞳で抗議してくる。
あのまましばらく耳をいじり倒された白石は、終わった瞬間脱力してベッドに倒れ込んだあと、そのまま起き上がれなくなっていた。
…………倒れたあと、しばらくの間ベッドの上でぴくぴくと体を震わせていた光景は、なんともアレだった。
(いや、耳を軽く弄っただけのはずなんだけどな……)
本当になんとなく、白石は耳が弱そうだと思ったからやったわけだが。白石への耳責めは、思った以上に効果てきめんだったようだ。
……が、しかし。『お仕置き』という名目でやったことを考えれば、これくらいでちょうどよかったのかもしれない。
そして、今なお抗議するような目を向けてきてる白石なわけだが……やられている途中の白石は、明らかに喜んでいた気がする。
……というか、よく見れば今も、どことなく顔が嬉しそうである。
「もーっ、全然他のことだと思ってたのに……っ! まさか耳をあんなふうにいじられるなんて思ってなかったよぉ……」
目から下を布団で隠し、再び抗議の意思を伝えてくる白石。
「……へー。じゃあなにされると思ってたの?」
俺の質問を聞いた瞬間、白石が固まる。
その後、自分の考えていたことを思い出してか、だんだんと顔が紅潮していき、表情が羞恥の色に染まっていく。
「~~~っ!! ……そ、それは、その……!
……え、えっと~~…………うぅ、そんなの言えないよぉ……っ!」
寝転んだまま両手で顔を覆い、転がりながら悶え始める白石。
……黙っていればよいものを、自分から「他のことだと思った」なんて言うからこうなるんじゃないだろうか。
なんというか……白石は墓穴を掘らせれば超一流だということが、この数日間でよく分かった。
「まあ、今度またお仕置きの機会でもあれば、もっと強めのやつにするかもな。そう、白石が喜ぶような」
「~っ、ううぅ……、なんで喜んでることばれてるの~……」
顔を覆ったまま、恥ずかしそうに体を丸める白石。
全ての反応が面白すぎて、いろいろとやめられそうにない。
「そういえば、今日の勉強はどうするんだ? もう時間ないし、やるんだったら今からでも付き合うけど」
久しぶりの真面目な質問に、白石がゆっくりと体を起こして座る。
「んー」と少し考えるようにしたあと、白石は俺の質問に答えた。
「今日はやだ、代わりに家帰ってから自分で頑張る。
だって、いま勉強の気分じゃないの……」
言いながら、少し体をこちらに寄せてくる。
せっかく教えてやることにしたのにわがままな奴だな……とも思うが、どうやらさっきのアレのせいで甘えたい気分になってしまったらしい。なので仕方ないかもしれない。
……あと、サボる代わりに家でやるあたりがちょっとだけ偉い。
「はいはい」
俺は呆れたような返事と共に、頭を白石の反対に少しずらして肩を下げる。
それを見てはっとした顔の白石は、
「……えへ」
という短い甘声と共に、肩に頭をのせてくるのだった。
☆★
今日も白石が帰らなくてはいけない時間が来た。
「うぅ……帰りたくない……」
白石が窓の外を見ながら肩を落とし、寂しそうな声で呟く。
「それ毎日言ってるだろ。もう三日連続で来てるんだし、そろそろ慣れろ」
俺がそう返すと、白石は「むっ」という顔で俺を見つめてくる。
「そんなの、何日経っても慣れないもん……私はいま、この時間だけを楽しみに生きてるのに」
……これでも「大げさだな」とは思えないのが、こいつの凄いところだ。表情と声からして、もっと言えばこれまでの言動からして、間違いなく本気で言っている。
そして俺も、それを否定する気はない。
「──あ、でも明日は土曜日だぞ。どうせ休みも来るんだろ?」
「……! そっか、明日休みなんだ!! やった、じゃあ朝からお弁当とか準備して来るねっ!」
……。
確かに、「休みだから早めに来れるだろ」と宥めたつもりではあったが。
さすがの俺も、まさか朝から来ると言い出すとは思わなかった。
(そしてもはや俺に意思確認さえしてこないのか……)
「……まあ、いいけどさ。診察とかで病院の人と話さないといけない時間もあるから、その時間は我慢して外に出てろよ?」
俺の言葉を聞いて、白石がはっとする。
「あ、そうだよね……!? ごめんなさい、ついはしゃいじゃって……
……あ。ねえ、診察に来るのって女の人……?」
途中から白石の目の色が変わった気がする。
変わった、というか、濁った。
「いや、先生は男だし、女が来ることはほとんどないけど」
答えを聞いてすぐ、白石の表情が和らいでいく。
俺が女と話すのが、そんなに嫌なものなのだろうか。
……いや。そういえばこいつは、嫉妬で俺をクラスから孤立させようとした女だった。
「♪」
今度はやけに上機嫌だ。
……本当に感情が忙しすぎて、見ていて飽きない。
「……ていうか、明日も弁当持ってくるのか?」
「え? うん、もちろんだよ! だって黒瀬くんが毎日作ってきてもいいって言ってくれたもん。
……それに……私は黒瀬くんの、か…………か、かよ……っ」
白石はそこで硬直して口ごもり、その後ごにょごにょと何かを呟いて、最後に小さく「だから」と付け足した。
……いったい何を言ったのかは知らないが、この表情と様子から察するに、聞かないほうがいいのかもしれない。
「……そういや、休みってことは私服で来るのか?」
「あっ! う、うん……! そうだ、初めて私服で会うんだからいっぱいお洒落しなきゃ……っ! あ、黒瀬くんどんな服が好みかな……? えっと、朝は三時に起きて……」
最後のほうは小声&早口で何を言ってるか聞き取れなかったが、まあなんとなくの察しはつく。
だって、あのハイクオリティ弁当を作って、わざわざ見た目まで気にして、その上で朝早くから来るというのだから……。
「……ほんと、お前は凄いよ」
ぶつぶつと言っていた白石が、俺の言葉に驚いて顔を上げる。
「……えっ!? な、何が!? どうして私いま褒めてもらえたの!?」
「さあな」
「ええっ!?」
白石が困惑した顔で声を上げる。
……こんな会話がしばらく続いた結果、結局白石が帰ったのは一時間以上も後のことだった。
明日の朝は、彼女も俺も、きっと早くなるだろう。