22 指先の間で
――それから一時間ほど経った。
「……白石」
「なぁに……? 黒瀬くん」
「手。本当に離さないんだな」
「うん……♡」
俺が呆れ半分に言うと、白石は幸せそうに返事をして、繋いだ手をきゅっと握り直した。
宣言どおり、白石はあれから一度も俺の左手を離していない。
弁当を食べる時も片手、勉強も片手。
途中、消しゴムを床に落として拾えなくなった時でさえ、
『手を離すくらいなら消しゴムは諦める……!』
と言い出した。ので、最終的に俺が拾った。
(……手繋ぐだけでそこまでか?)
まあ、本人がこれで幸せなら別にいいのだが。
「……えへへ」
隣を見ると、白石はまた繋いだ手を眺めてにっこりと笑っていた。
「飽きないな」
「飽きるわけないよぉ……! だって黒瀬くんと手繋いでるんだよ……?」
「もう繋いでから一時間くらい経ってるけどな」
「ちがう! 『一時間しか経ってない』だもん!」
「時間の基準がおかしいだろ、実際手汗凄いしお前」
「うっ……だって、ほんとなら一生繋いでたいし……」
さらっとまた重いことを言いながら、白石が肩へ頭を預けてくる。
……しかし。
「…………」
「……?」
さっきから、白石の視線が妙なところへ向いていた。
繋いだ手。俺の顔。
そして――俺の膝。
その三つを、何度も行ったり来たりしている。
「白石」
「ひゃいっ!?」
「今度は何だよ」
「えっ!? な、なにが……!?」
「さっきから俺の膝見てるだろ」
「~~っ!!」
白石の顔が一瞬で赤くなった。
……本当に、分かりやすい。
「み、見てないよ……?」
「その言い訳今日で二回目だな」
「うぅ……はい、ごめんなさい」
「……乗りたいのか?」
「っ……!」
反応を見るに、どうやら図星だったらしい。
白石は繋いだ手を胸元まで引き寄せるようにして、もじもじと俯いた。
「……えっと、そのぉ……」
「うん」
「せっかく手繋げたから……もっと、くっつきながら繋げたら……幸せだなぁって……」
「つまり、久しぶりに膝に乗りたいと」
「うぅ……はい……。乗りたい、です……」
……ふむ。
この前までならここで五分くらい悶えていた気がするので、白石も成長しているらしい。ちゃんと言えただけでもかなりの進歩だろう。
「乗れば?」
「……!」
白石の表情がぱっと明るくなる。
「い、いいの……!?」
「いいって言ってる。というか、いつも乗ってるだろ」
「そうだけど……今日は手も繋いでるから……さすがにわがまますぎるかな、って」
何が違うのかは分からないが、白石の中では俺からの評価がそれだけ重要らしい。
「いいから早く来い」
「う、うんっ……!」
そう言って立ち上がろうとした白石が――途中で止まった。
「……あ」
「何?」
「…………手」
「手?」
「乗るために立ったら、一回離さないとダメ……?」
「まあ普通に人間の身体の構造を考えたら」
「…………やだ」
「じゃあ乗れないだろ」
「うぅ……」
白石が本気で困った、というか、しょぼくれた顔になる。
たった数秒手を離せば済む話なのだが、本人にはそれですら問題らしい。
「……黒瀬くん」
「ん?」
「乗るけど、やっぱり手も離さないでほしい……」
「器用なこと要求するな」
「だ、だめ……?」
「別にいいけど」
「……っ! ほんと!?」
ぱっと表情を明るくした白石が、繋いだ手を見つめる。
……とはいえ、このまま握り合った状態で正面から俺の膝に跨がろうとすれば、途中で腕が変な方向に捻れる。
「じゃあ、一回握るのだけやめるぞ」
「えっ」
「離しはしないから」
「……! う、うん……」
白石の指から力が抜ける。
俺も握っていた指を開いて――けれど、その手を離すことはせず。
互いの手のひらだけを、ぴたりと合わせた。
「~~っ……」
それだけで、白石の顔がまた赤くなった。
「これなら問題なく動けるだろ?」
「う、うん……」
白石が恐る恐る立ち上がる。
手のひら同士を重ねたまま、一歩、俺の正面へ。
動くたびに指先が少しずれて、掌が擦れる。
離れそうになるたび、白石が慌てて押し戻してくるせいで、むしろさっきより互いの手の感触を意識することになった。
「……白石、そんな押しつけなくても離さないって」
「だ、だって……ちょっとでも離れそうになると怖いんだもん……!」
「数センチの話だろ」
「それが私には大問題なの……!」
顔を真っ赤にしたまま、白石は空いている左手を俺の肩へ置く。
「し、失礼します……」
「毎回その一言いるか?」
「うー、いるの……! 何回しても緊張するんだから……」
俺の肩を支えにしながら、片脚をベッドへ上げる。
それから俺の膝を跨いで、ゆっくりと身体の向きを変えていく。
その間も、重ねた手だけは離れない。
白石が向きを変えるのに合わせて互いの手首も自然に返り――さっきまで横並びで重なっていた掌が、今度は正面から向かい合う形になる。
「んっ……」
白石が、そのまま俺の膝へ腰を下ろした。
軽い重みが加わる。
目の前には、真っ赤になった白石の顔。
そして二人の間では、俺の左手と白石の右手が、まだ掌をぴたりと合わせている。
そのまま白石の指が、恐る恐る俺の手を握ってきた。
俺もそれに応えるように指を閉じて――再び、手を繋いだ。
「~~~っ」
「お前、自分から乗りたいって言ったのに何でそんな真っ赤なんだよ」
いつものことだけど、とこっそり心の中で付け加える。
「だ、だって……! こんなに恥ずかしいとは思ってなかったの……!」
白石が俺と繋いだ手を見下ろす。
「……手も繋いでるし……黒瀬くんの顔もずっと見えるし……っ」
「うん、そうだな」
「正面向き合って……それも、こんな近くで……っ」
「うん」
白石はそう言いながらも、繋いだ手を離すどころか、むしろぎゅっと握る力を強くする。
「……でも」
「ん?」
「すごく、好き……この繋ぎ方」
小さく呟いて。
白石は照れ隠しのように、俺の胸へ額をこつんと預けた。
「……しあわせすぎる……」
そして最後には、ふにゃっと力が抜けた。
「白石?」
「ちょっと待って……いま幸せを処理してるから……」
「処理って」
「私には一気に色々な感情がありすぎてるのぉ……」
また、何とも大げさな。
……まあ、嬉しそうだからなんでもいいけど。
しばらくすると、白石はゆっくり顔を上げた。
そしてまた、繋いだ手を見る。
「……黒瀬くんの手、大きいね」
「さっきも似たようなこと言ってただろ」
「だって、こうして近くで見るともっと分かるの……。私の手、すっぽり入っちゃう」
白石が空いている左手まで添え、俺の手をぺたぺたと触り始めた。
指先から手の甲、手首まで。
何か愛しいものでも見るように、やたらと真剣だ。
「……人の手をそんな観察することある?」
「……黒瀬くんの手だからいいの」
白石が空いている左手を、俺の左手の横へ並べる。
「……指も長い」
「そうか?」
「うん……私より全然長い……」
何となく二人の手を並べて比べていると――白石の視線が、あるところで止まった。
「……」
「?」
「……」
俺たちの指と指の間。
白石はそこを見つめたまま、なぜかまた顔を赤くしていく。
(……ああ)
なんとなく、察した。
「まだ何かしたいの?」
「うぇっ!?」
白石の肩が跳ねる。
「な、何かって……!?」
「その顔してる時、大体何か考えてるだろ」
「うぅ……黒瀬くん、私のこと分かりすぎだよぉ……」
「で?」
「…………」
白石がまた手元を見る。
「あの……」
「うん」
「手を繋ぐのって……こういう普通の繋ぎ方以外にも、あるでしょ……?」
「あー、まああるな」
「……っ」
「恋人繋ぎのこと?」
「~~~~っ!!」
言葉にされた瞬間、白石が俺の胸へ顔を埋めた。
「い、言わないでよぉ……!!」
「いや、だってそれをしてほしいんじゃないの?」
「そうだけどぉ……!」
相変わらず、認めるのは早い。
「でも、その……恋人繋ぎって名前がもう恥ずかしいの……私たちまだ恋人じゃないのに……っ」
「じゃあやめとく?」
「やだっ!!」
即答。
「絶対やだ! したいもん……っ!」
「忙しい奴だな」
「だってぇ……!」
白石が涙目で顔を上げる。
「黒瀬くんとしたいの……。まだ恋人じゃなくても、私は黒瀬くんのこと大好きだし……その……いつかは、なれたらいいなって……」
後半はほとんど聞こえないくらいの小声だった。
「ふーん」
「うぅ……ちゃんと聞こえてた……?」
「まあ、うん。この距離だし」
「あうぅ、忘れて……!」
「無理。お前と話したことだいたい覚えてるし」
「~~っ!」
白石がまた俺の胸へ逃げようとする。
俺はそんな白石を眺めながら――繋いでいた手の力を少し緩めた。
「……っ!」
それだけで、白石が反射的に俺の手を握り直す。
「やっ、離さないで……!」
「離さないよ」
「え……?」
白石が顔を上げた。
その間に。
俺は少し開いた白石の指の間へ、自分の指を滑らせる。
「――っ」
一本。
また一本。
指と指の隙間を埋めるように絡ませ――最後に、掌を重ね直した。
「…………」
白石が固まった。
目を大きく開いて、繋いだ手を凝視している。
「したかったの、これだろ?」
「…………」
「白石?」
「こ……」
「こ?」
「恋人繋ぎ……してる……」
「うん、してるけど」
「黒瀬くんと……私が……恋人繋ぎしてる……っ」
「見れば分かるだろ」
「だってぇ……!!」
白石が顔を真っ赤にして叫ぶ。
それから改めて絡んだ指を見て――少しだけ、自分から深く握り直した。
「……すごい」
「何が?」
「さっきより、いっぱい触れてる……」
掌同士がぴったりと重なり、互いの指が交互に絡んでいる。
確かに普通に握るより密着は強い。
「……これ、手繋いでるのは同じなのに……なんかさっきより恥ずかしすぎるよぉ……」
「なら戻すか?」
「戻さない!!」
「食い気味だな」
「だって、せっかく黒瀬くんからしてくれたのに……絶対やだ……! 何があっても離さないもん……」
白石は絡めた指をさらに強く握る。
もはや、俺が離そうとしても離れなさそうだ。
「……えへへ」
しばらくすると、白石の表情からは、羞恥よりも幸せの方が強くなっていった。
膝の上で俺に密着しながら、絡めた手を大事そうに胸元へ寄せる。
「……黒瀬くん」
「ん?」
「もう一個、お願いしてもいい……?」
「内容によるけど、いいよ」
「このまま……抱きついてもいい……?」
「片手でできるなら勝手にどうぞ」
「……っ、やった」
白石は空いている腕を俺の背中へ回して、ぎゅっと抱きついてきた。
頬が俺の肩へ触れる。
絡んだ指だけは、二人の間に残ったまま。
「……普通に抱きつくより、なんか恥ずかしい……」
「じゃあ離す?」
「もうっ!! さっきからいじわるばっかり……!」
「だって、何度も恥ずかしいって言うから」
「恥ずかしいけど嬉しいの!! 黒瀬くんなら私のことくらい分かってるでしょ……!!」
「まあな」
「……いじわる……」
そう言いながらも、白石の声は嬉しそうだった。
絡んだ指が、また少し強く握られる。
「……今日はずっと、このままがいい」
「ずっとって言うけど、帰る時間までだろ」
「…………帰る時間になっても、このままがいい」
「それは無理だろ。病室から連れ出す気か?」
「うぅ……できるならそうしたい……」
「無茶言うな」
白石は少しだけ不満そうに頬を膨らませたあと、また俺の肩へ顔を埋めた。
「……じゃあ」
「ん?」
「帰る時間になるまでは……絶対、離さないでね?」
俺の返事を待つように、絡んだ指へ力が入る。
「はいはい」
「約束だよ……?」
「分かったよ」
「……えへへ」
ここまで言って、ようやく満足したらしい。
白石は膝の上で俺に抱きついたまま、幸せそうに目を閉じる。
その間も――俺たちの指は、一度も離れなかった。




