朽ちゆく御手10
魔術と錬金術の大きな違いは、アプローチをする対象だろう。
魔術は魔力を用いて他の魔術や魔力の流れ、魔力的な存在に干渉する。
精霊や悪魔と交信し望みの結果を導く。あるいは魔術師を殺す。また、星の奥深くに渦巻く魔力の源流から力を汲み取る、等々。
一方、錬金術は魔力を用いて、物質に干渉する。
木石の魂を改造し、卑金属を貴金属に変貌せしめ、複雑で魔術的な調合によって化学を超越した結果を生み出す。
何方が優れている、という差はない。何方も複雑な計算と多量の知識を要する。
とはいえ……
「現代社会では錬金術の方が便利そうですね。これを見るに」
錬金術師の大家が使う実験室、とあってそれなりに想像を巡らせていたが、いやはやここは想像以上だ。
歩くのも億劫になる大部屋にずらりと並ぶのは蒸留器や遠心分離機という科学的研究設備、そして魔力を調節したり、注入したりする器具も綺麗に連なっている。
どれもこれも一級品で、それを十全に活用すれば一代で財罰を作ることも可能だろう。大老の実力なら、一夜でだって出来るかも知れない。
一夜城ならぬ、一夜企業だ。
が、その一角で顕微鏡を覗く彼はやはり謙遜するらしい。
「実の所そうでもないんだよ。どの錬金術団体も、経済の混乱を招く行動は禁止されている」
「でも、草からパンを作れる。でしょう? 服も薬も、何もかもが自分で生産できるんですから、現代では勝者ですよ」
「ははは。確かにそれは出来るが、不毛だよ」
「不毛ですか? どうして?」
「そうだな。少し試してみよう」
クロード老が顕微鏡から顔を上げ、直ぐ後ろの魔術器具の一つに手を置く。
幾つもの円が重なる、同心円という奴が中心にある箱だ。
「これは魔力の質を変えて、物質の魂を変質させるものだ。この円を一つ一つ操作して微調整する。確か、魔術師にも似たような道具があったね」
「我々のは、主に源流から魔力を汲み取るためのものですよ」
「知っているよ。星の流れは複雑怪奇で、一日経てばもう様変わりしているようだね。それで一々魔法陣を書き換えるのが手間なので、今の形になったとか」
「お詳しいですね」
「年を取ればそれだけ知識が増えるものさ。よし、ではこれを使って……この鉄を、貴金属に変えてみよう」
そう言うと、クロード老は棚からサイコロ状の四角い物体を取り出して、器具の中心に据えた。
器具の上に手を置いて、円盤をずらして設定を変える。
「質量と原子核、それが物質の鍵だ。それを変えさえすれば、物質はその姿を変える」
クロード老が魔力を注ぎ始めれば、急にそのサイコロは縮み始める。
縮んで、徐々に色が変わり……そして黄金の粒となった。
「これで、金の完成だ。大体……二十セントくらいかな」
「一気に価値が上がりましたね」
「そうだね。しかし……ニ十セント分の労苦はかなりのものだ。食事や休息に使う時間を計算すると、減少した魔力を補うにはニ十セントでは足りないだろう。これで生活することは難しいだろうね」
「成程、確かにそうですね」
「これと同じく、被服や食事を作るのも、あまり効率がいいとは言えない。パンを焼くならば、普通にトースターを使った方が良いくらいだ」
「星の源流を使えばどうですか? あそこのエネルギーはほぼ無限ですよ」
「君も知っているように、源流は荒れ狂う流れだ。それを錬金術に使った場合、先ずその流れを制御し、次に物質の魂に転用することになる」
「ああ、かなり苦労しますね」
「もしかしたら君達なら出来るかも知れんが、私は錬金術師でね。そこのコツや知識を学ぶには、また長い時間を要するだろう」
つまり、都合のいい話はないって事か。俺の知っている錬金術師も金策に苦労をしていたなぁ。
「ん? 待ってください」
「どうしたのかね」
「私の知り合いに錬金術師が居るのですが、その人は薬草の薬効成分を錬金術で抽出して売っています」
「ああそれは単純な話だよ。物事にはエネルギーが必要な変化と、さほど必要でない変化があるのだ」
そう言うとまた新しい鉄を取り出す。
そして今度は機材の上に載せず、自分の手で転がし始める。
黒い鉄だ。艶もあって、よく磨かれている。
しかし、彼が転がしていくと、徐々にそれは赤く変じて、ざらつき始め、遂に赤褐色のまだら模様に変ってしまった。
「この様に、酸化しやすい物質なら片手間で出来る。君の知人も、抽出しやすい物質を集めて薬にしているんだろう」
「そういう事でしたか。勉強になります」
錬金術というのは、もっと幅広い活用法があると思っていたが、制約は意外と多いらしい。
その気になれば人間の構造を破壊して、生命活動を止めることも容易いという考えは撤回しよう。
「しかし、これでは敵を倒すことも一苦労ですね」
「錬金術師にそこまで敵はいないよ。君達と違って、悪魔や精霊と対峙しないし、勢力争いも微弱だ」
「それでも研究を狙われているのでしょう? 皆が言っていましたよ」
「ああ、それは……最近はめっきり居なくてね。少しきつめに脅したら、効果てきめんだったらしい」
数多の殺し屋が来なくなるほどの脅しは少しきつめで片付けられるだろうか。
もしかしたらそれが呪いの一端になっているかもしれない。……が、その考えは保留にしておこう。
そもそも殺し屋が脅された程度で呪いを発するほど恨むとも思えない。例え殺されたとしてもそうはならないだろう。
人を殺す以上そう言う負い目が何処かにあるのが、多くの人間の心理状況だ。
例え精神異常者が混じっていたとしても、あれだけの呪いになる訳がない。
そして何より関係があったとしても、それがスピネルの耳に入れたくない話ではないからだ。
後、もしそうだとしたら、現在金を弄って何かやってる彼女の前では話さないだろう。
俺が探るべきは、彼が言外に語っていること。クロード卿の一挙手一投足である。
それとなく彼を観察していると、早速スピネルの異常行動に気付いたようだ。
「スピネル、何をやってるのかな」
「師匠、これをこのままどんどん小さくするとどうなるんでしょうか?」
「安定する形で、というなら限界があるね。オスミウムやイリジウムという形が無難だと思う。これ以上縮小するならば、押さえつける力を常に要求されたり、あるいは小さなブラックホールとなって消滅するかもしれない」
「ブラックホール……」
スピネルが目を輝かせて呟く。実験で身を亡ぼす典型的な性質だな。もしかしたら自身だけで済まない可能性もあるが。
しかし、その反応にクロード卿は朗らかに笑うだけだ。
「しかしブラックホールを作るのは私でも骨が折れる。私達の魔力だけでは作ることも出来ないだろう」
「なら、魔力の源流を使いましょう」
「さっきも言ったように魔力の源流は流れが複雑で制御が難しい。ミクロン単位の精密な動きは出来ないのだよ」
「ブラックホール、難しいですね」
「そうだね。ブラックホールを容易く作れたなら、きっと大変なことが起きていただろうね」
「じゃあ、逆に思いっきり広げてみたらどうなりますかね」
楽しそうに尋ねる弟子に、師匠は笑いかける。
「それは中々面白い着眼点だ。私の持論だがね。物事は分解してみて初めて理解が深まるものなのだよ。分解し、再び組み上げることが出来たなら尚良いね」
その持論で想像するのは、ラジオか何かを分解してしまう子供なのだが、錬金術の大家が言うと重みが違うな。
分解と、組み上げか。
ちらとクロード卿の方を見ると、彼は円盤をくるりと回転し、設定を変えている最中だった。
「鉄を分解し、どうすれば元通りになるか。やってみるかね?」
「はいっ」
そうしてさながら子供が図画工作をするようなノリで始まった実験だが、その内情に嘆息が出るのは仕方ないだろう。
段ボールを切り貼りする感覚で鉄を気体にする家庭が何処に居るかって話だ。
しかも外見は休日に孫と遊ぶ老人、という絵面なのが益々違和感を覚えさせる。
視覚と認知の差異を利用したスタングレネードだ。暴動を起こしたデモ隊に見せつけてやれば動きなんて立ちどころに封じられるだろうな。
彼女専用なのか、革で出来た分厚い手袋をはめて、いそいそと準備を始めるスピネル。
その薔薇とリンゴの可愛らしい刺繍付きではあるが、その手袋の気配は間違いなく魔術具の一つ。
しかも、随分と魔術が複雑そうだ。製作者は恐らくクロード卿だろう。
よく見れば、彼女がたった今着ようとしている茨と薔薇の付いたエプロンも、同じような気配を感じる。
全く、過保護にもほどがあるぞ。
「見ていると思考が乱されるな。クロード卿は暫く孫と遊ぶようだから別の所に行くか。エル、行くぞ」
「はい」
勝手知ったる、というわけではないが、彼は家探ししていいと言った。
誤魔化す為に言ったかも知れないが、言質は既に取っているので、俺の行為は不法でも何でもないのだ。
それに、彼の人となりはおおよそ把握できた。そしてどんな理由で呪われるかも、実の所おおよそ目星は付いている。
後は……確証を得られればいいだけだ。




