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ギルバートの宇宙船

 気温は十度を下回っていただろう。フローベルは端末に触れた時、手がかじかんでいることに気がついた。端末に照らし出されたデジタル時刻表を見ると、そろそろ劇の終わる頃だった。フローベルは出口に目を見張り、グロリアが出てくるのをじっと待った。彼女の金色にきらきらと輝く髪が風に靡くのを心待ちにし、寒風吹き荒ぶ中、フローベルはじっと座っていたのだ。通りを歩く人影をいくつ見たのか覚えていなかった。最初のうち人の数を指折り数え、顔を見て、彼らの人となりを予想し半ば楽しんでいた。昔読んだ欧米小説に似たような描写があったような気がする。うっすらとだが、自分がその文章を学校の教室で見た記憶があった。思い出そうとしたが、フローベルは無理矢理にその記憶追随を閉ざした。彼処には彼処にしか存在しない多種多様な人間がいたことを思い出した。個々人が個々人しか持ち得ない個性を獲得した生徒を、たった一つの生徒という集団にまとめ上げることが果たして容易ではないことなど誰もが理解していた。自分たちが協調性を大切にし、一致団結したあの日常の中で、突出した活かしきれていない棘があればすぐに抜かれることになった。気狂いだと称された彼らは、今この世界には存在しなくなったのだ。アメーバと話していてもアンドロイドと話していても思うことは、いつかどこかであったことがあるという既視感を覚えることだ。現にグロリアと以前にどこかであった気がしてならない。だからこそ、親近感が自然と湧くのかもしれないし、開発者の意図かもしれない。アンドロイドも学校に行くとすれば、否もはやこの世界にあぶれ者などいない。フローベルはあぶれ者の穴を埋めるものが現れることを切望した。気持ち悪かった。あぶれ者がいないまるで機械のように完全な調和が保たれた世界など想像するだけで吐き気を催した。そこに一寸の隙間さえ感じられず、すべてが意味あるもので埋まり、代わりが無限に効く世界。息が詰まりそうな世界に居座り続けることを選ばなかったアメーバたちについて行くべきではないかとフローベルは思った。チラチラと雪が舞い降りてきた。初雪だ。外套に身を包む人の姿が多くなってきた。行き交う人たちの吐く息は白かった。すべての流れが無限に続くように感じられたこの一瞬も今日で終わりかもしれないと思うと、フローベルは雪片と人の形を覚えようとする意志でじっくりとそれらを見つめ続けていた。風に吹かれて舞う一つ一つの雪片は速く、目で追うことはできなかったが集合体として見ているととても美しく、いつもの街並みが幻想的に変貌していた。その視界の中に紅一点、ひときわ目を惹く女性が姿を現した。ようやく出てきたグロリアを目に留め、フローベルはうつむく彼女の横について言った。「君を待っている間に雪が降ってきたんだ。お陰で体が冷えてしまった、勿論あれから頭も冷やしたよ。それで君の思っている通り、おれはアンドロイドになって、この地球にとどまることに決めた。だから、君から言ってくれないか? もうフローベルは決断した。だから追わなくていいと」グロリアは大して驚きもせず、大した反応も示さなかった。フローベルは彼女が全くこちらの話を聞いていないことに若干苛立ちを覚えた。「グロリア? 何が不満なんだ? 頼みを一つ聞いてくれと言っているんだ。おれはここに残る。あんたはここを去る。もう会うのも最後だろう」グロリアは言った。「私がわざわざ言わなくてももうフローベルを追うものはいなくなるわ。私たちアメーバはあと一時間もすれば地球を飛び立つ。おそらく立ち去る準備を終えたものからすでに宇宙船に乗り込んでいるはずだから、私も早く向かわないといけないの」ひどく寂しげな声音だった。それも当然だろう。長らく過ごした母なる大地を離れるのだから。おれもこの体とはおさらばなのだ。アンドロイドはきっとアンドロイドが敗北する恐れがたった一パーセントでも残っているのが無性に許せないのだろう。たった一人の人類であるおれがアンドロイドに反抗し、アンドロイドを殲滅する可能性はゼロではないわけだ。フローベルはふと街を見渡した。街に蔓延した異様な重苦しく湿った空気の理由がわかった。彼らは悲しんでいるのだ。陰気な顔を隠すようにうつむき加減な姿勢はしかし、フローベルにはできなかった。ずっと今日降る雪を心待ちにしていた子供のようにフローベルの目はきらきらと輝いていた。隣を歩くグロリアに何を言っても無駄だとわかっていたので、フローベルは口に出さなかったが内心パットと並んで歩きたかったと思った。二人の間に漂うのは陰気な匂いではない。ひたひたと肌を滑っていく冷たい微風が吹き、凍りつく外観に反し、内側は溢れる優しさで温められていった。フローベルは言った。「おれはおれ自身がきっとオリジナルだと思っているが、本当はまだオリジナルに操られた機械人間のままかもしれない。それは払拭できないよ」パットは尚もうつむきながら言った。「私はアメーバだからたとえ君が機械であってもアメーバであっても大丈夫。そんなことにはこだわらないの。大切なのは君が私に対して優しいってことだよ」フローベルは立ち止まった。もうここから先はアメーバ以外立ち入り禁止区域になっていた。この先にアメーバの宇宙船があるのだ。フローベルの目には深い靄がかかり、実体は見えなかった。

 「しかし何もオリジナルまで機械になる必要はなかった。パットと同じアメーバになっていればまだ離れることはなかったんだ」パットは言った。「その時は私がアンドロイドになっていただけよ。これはきっと決まっていたことなの。きっとギルバートがこうなるように決めていたのね」ギルバートという言葉を聞いて、フローベルは頭痛がした。ギルバートという言葉がずっと脳裏にちらついていたことが遠い昔のように感じられた。いつの間にかフローベルはギルバートという言葉が街中にあふれていることを異常だとさえ思わなくなっていた。ギルバートという言葉はそこにあるべくしてあるのだと、まるでそれが日常的だと感じるようになっていた。フローベルは頭痛がしだいに引いていくのを感じながらつんのめって言った。「待ってくれ。ギルバートはどこにいる? ギルバートに一度でいいから会いたいんだ」パットは言った。「私と会えなくなった途端に違う女性に乗り換えるのはあまり感心しないよ。でも…最後の頼みに免じて教える。ここで待っていればいずれ会えると思う。彼女もアメーバだから、きっとここを通ってくるんじゃないかな」

 パットは微笑みを無理に浮かべて別れの手を振った。フローベルは「ありがとう」と一言告げ、彼女の背中が靄の中に消えていくまで見届けると、宇宙船にむかって歩いていくアメーバたちに目を向けた。みんな虚ろだった。笑顔を見せて楽しげに行くものなどいなかった。アメーバというものがそうなのか、フローベルはまだアメーバというものがどのような生命体なのか理解できていなかった。街中ですれ違ったことのある者も中にはいた。大勢のアメーバが列をなしてぞろぞろと向こうの靄の中へと消えていく光景は神秘的なものに映った。フローベルはこの光景に世界の終末を感じた。地球の終わりこそが人類の終わりだと傲慢にも信じていた日々がすべて覆された。人類は絶滅したが、後に残るものは予想よりも多すぎたのだ。しかし資源を食い尽くされたこの地に、より高次の発展と進化を求めるアメーバたちは飽き飽きしはじめ、遂に宇宙空間へと探究心を胸に抱き、今まさに飛び立とうとしている。アンドロイドとの仮想戦争の敗北がなかったとしてもいずれ彼らは飛び立っていただろう。そして、我々アンドロイドはこれからこの地球で調和のとれた安穏とした日々を過ごし始めるだろう。人間たちの求めた理想世界の完成を我々は見ることになる。しかし、その日に必ずアンドロイドとアメーバとの二者間で戦争は勃発するのだ。その被害はたとえ勝者でも甚大なものになることは確実である。これらがすべて偶然ではなく、ギルバートの意思であるとしても自分にもはや為すことはないとフローベルは思った。

 フローベルの近くを最後のアメーバが歩いた。フローベルは目の前を通り過ぎたアメーバがギルバートだと感じた。ギルバートの素顔はフードで隠れ、見えなかった。フローベルが「顔を見せてくれないか?」と言ったところ「アメーバは姿を変えられるのだ。顔を見ようと見まいと同じことだよ」と返答をしたのが聞こえた。ギルバートの声音は川のせせらぎのように心地よかったが、彼女がすぐに流れていくような儚い存在に感じられた。フローベルは歩き去っていくギルバートにすがりつくように横に付き添い、言った。「君はギルバートか? 本当に全部君がやったのか? 答えてくれ。どうしてこんなことをしたんだ?」それがすべてギルバートの耳に届かなかったのか。フローベルは焦っていた。ギルバートはフローベルが先に進めない地点に立ったとき、振り向いて少し驚いたようだったが、それから再び歩みを止めることなく靄の中に消えていった。

完結しました。ありがとうございました。

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