表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
30/31

グロリアの血

 特別恋しかったわけではなかったが、また戻ってきたという郷愁を僅かに覚え、フローベルは国立オペラ劇場を見上げた。ネオルネッサンス様式、要は十七世紀まで続いたルネサンス建築を再び十九世紀に復興させたものだ。今もなお人々を圧倒させる荘厳な造りに当時の人々はきっと畏怖に近いものを抱いたに違いない。第二次世界大戦の凄絶な戦禍を免れた歴史があるとして、しかしアンドロイドを前にしては簡単に崩れ去ってゆくのではないだろうか。アンドロイドに審美眼が備わっていると信じたい。しかし、そのような悠長な思考にとらわれている暇がないことをフローベルは思いだした。

 フローベルはちょうど見学ツアーの一行が中に入っていくのを見た。その中にグロリアの姿はない。彼女の人目を引く金髪はどれだけの群衆がいようと、異質感を放ち、主張してきそうなものだ。フローベルは柱に手を置き、まさか当てが外れたのかと不安になった。しかし、予定調和のようにグロリアは現れた。髪を後頭部で一房に束ね、草色の毛糸で編まれた服にぶかぶかのねずみ色をしたズボンを穿き、スニーカーを履いていた。落ち着いた服装だが、かわいらしいと周りの者は思っただろうが、フローベルは気にもとめずに言った。「歩いて来たのか? でもドナウ川は見えないだろう。目に入るのは高級ブランド店ばかり。しかしいずれ潰れるだろうな。アンドロイドはファッションを気にしないし、流行やブランドに興味がないとおれは思ってるからね」グロリアは目を泳がせて、目をつむり、口をパクパクさせた。グロリアは呆れてしまってすぐに口を開けなかった。「私はあなたの後ろでそびえ立つ立派な劇場に観劇しにきたの。もし話がしたいのなら後にしてくれない? 私たち事前に待ち合わせてないわよね? つまらない話に花を咲かせてる時間が惜しいの」グロリアはフローベルの横を不満げに通り越した。彼女はもしかして端末を更新していないのか。おれが来た意味を理解していないのではないか、とフローベルは苛立ちを覚えた。フローベルは後を追いかけ、彼女の腕を掴んで言った。「おれが来た意味を理解しているのか? 観劇したいとか言いつつ逃げるつもりだろう。端末はもう見てるはずだ。お前を捕らえるようアメーバを管理しているご老人に言われたことを知っていないわけがない」グロリアはフローベルの手を振り払おうとしたができなかった。「ええ。知ってるわ。だからここに来たのよ。もうじき私たちは地球を離れるの。本当の意味でエイリアンになるのよ」

 フローベルは驚いて言った。「地球を離れる? 嘘をつくな。そんな話は聞いていない」「事実よ」とグロリア。フローベルは彼女の言葉に圧倒され、彼女の腕から手を離した。彼らはアンドロイドと人間の共存を諦めたばかりか、アメーバたちとの共存さえ捨て去ろうと言うのだ。確かに彼らの精密な計算によると、将来彼らの間に大規模な戦争が起こるのは間違いないかもしれない。いや、機械など用いなくとも歴史がそれを証明している。そしてその勝敗さえ計算したのだ。立ち去る者がアメーバである以上、おそらく勝者はアンドロイドなのだ。これは架空の戦争だ。予知された架空戦争においてアンドロイドたちが勝利した結末なのだろう。そんな戦争につぎ込まれる予算や労力を用いれば、アメーバを宇宙空間に解き放つロケットの製造は容易く、そちらの方が効果的かつ効率的だ。「主にアンドロイドたちが切磋琢磨して私たちの乗るロケットを造ってくれたわ。内部構造や安全管理、エンジンシステムなど端々にアメーバ自信も関わってるけど。当然よね。どこかに超小型爆弾なんて積まれて、宇宙空間で爆破されたら、私たちになすすべはないわけだし」フローベルは唖然とした。グロリアはそのフローベルの様子が初々しくてくすくすと笑った。「今更なにを驚くの?」グロリアは懐からフローベルの位置からは見えなかったが、近くによると見えただろう超小型装置を取り出してみせた。《視力調節装置》だ。フローベルは確信した。あれはおれの視力を弄った機械だ。グロリアは言った。「あなたと私が持つ米粒みたいなちっぽけなこの機械がすべてを変えたの。個々人が過去に類を見ない殺戮をすることが可能となった世界になってしまったわ。少人数で多人数を殺すと偏りが生まれる。殺戮、疫病、侵略のいっさいを含み、この世界に偏りをもたらしたところに平等な世界の訪れなどあるわけがないの。平等な世界を目指すなら人は獣を相手にした時代からやり直すべき。それが私たちの出した結論だったの」彼女の一言一句に耳を傾けていたうちに、夕刻に差し掛かっていた。いや、もう日は落ちかけていたと言っても過言ではなかった。しかし、建ち並ぶ建物の陰に隠れ、フローベルはしっかりと日の傾きを見ることはできなかった。フローベルは言った。「すべてを無に帰すはずだった?」「そうよ」とグロリアは言い、続けて喉を鳴らして言った。「もういいでしょう」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ