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グロリアの芯

 フローベルがただ使命を遂行したかったのをグロリアは知っていた。それを阻止すべく彼女はまた彼女の使命に従うのだが…。

 あと一人のアンドロイドを始末するだけだったはずの仕事がアメーバという巨大な壁を目の前にし、失敗に終わるのはなんともひどい話だとフローベルは思った。左手の指先でエレベーターの床に触れると冷たかった。何かの動作をしていないと落ち着かない状況にあった。グロリアが今にもおれを撃ち殺しそうなのだ。フローベルは震える声を抑えながら言った。「そこまで警戒する必要はあるのか?おれは手ぶらだぞ。何もできはしない」セキロク病院で見たギルバートの容姿が突如として思い起こされた。本当にアメーバならグロリアも元は気持ちの悪い粘液質の体に違いない。体を自在に変えられる生命体ならどのように個人を特定するのだろうか。グロリアの声が背中越しに聞こえた。「人間を相手に警戒しすぎることはないわ。私ももとは人間なの。人間はいつも人間を相手にして技術を発展させてきたわ。人間を相手にしすぎたおかげで私たちアメーバには対抗できなかった。それでもフローベルみたいに対策はしてきたけど、遅すぎたわね。既に私たちが確認できているだけで人間の数は残りたったの千人程度らしいわ。お気の毒だけどもう人類の時代は終わったの。これからは皆、アメーバとして生きていくのよ。あなたもその一人になることはできるわ。今ならまだ間に合う。どうかしら? 別にあなたの伴侶をアメーバにすることも可能だから、一緒に誰か…そうね。パットとか誘ってみれば? 遺伝子を改造するのも悪くないって言ってあげなよ」

 人間をアメーバにする技術が民間人に使用されているのか。あの技術を使い実際にアメーバになった者はたった一人のギルバートだけではなかったのだ。「冗談はよしてくれ。嘘もつくな! こんなどうでもいい話をしたいのか? ならもっと的確な相手をおれが用意してやる。お前の言っていることはすべてでたらめな妄言だ。そんな現実は存在しない。もし仮にそれが現実だったとしてもそれはギルバートがでっちあげた偽物の世界の出来事だ。おれには関係ない」恐怖を感じているのか、緊張から来るのかフローベルの手に痺れがきた。手が震えてふっと肩の力を抜こうとしても抜けなかった。歯をカチカチ鳴らしながらフローベルは頭を抱えた。

 いや、ここが本物か偽物か誰にも判断できない。もしかしたら夢をみているのかもしれない。ここのすべては虚構かもしれない。世界の定義は何だ。どこに答えはあるのか。ギルバートに会って話をしなければ、という思いがフローベルの胸にふつふつと沸き起こってきた。今おれが問題にしているのは背後にいるグロリアというアメーバ一人の存在ではない。世界そのものだ。アメーバで埋まってしまった世界がいいのか、やはり人類として再び繁栄を続けていくのか正解はわからないし、回答は存在しないのだろう。しかし、今は何より逃走しているアンドロイドを見つけ出し、破壊するのだ。話は仕事を全うした後だ。なんとしても目的を達成することはおれの使命なのだ。何らかの変化が起ころうと自らの使命を一度足りとて忘れたことはなかった。フローベルは顔に流れる汗を袖で拭いながら端末の電源が入っているのを確認し、なんとか懐から《人間を毒殺する機械》が取り出せないものかと思案していた。グロリアは何をしているのだ? フローベルの言葉に彼女は無反応だ。ただ彼女の微かな動きに生じる衣擦れが聞こえてくるだけだ。

 グロリアがアメーバであることを否定するということは、アンドロイドである彼女を仕留めるという目的が達成できていないことになる。いや、そんなはずもない。おれは確かに奴をバラバラにした。ではなぜ彼女が今おれの背後に存在するのだろう。彼女はやはりエイリアンなのか。フローベルはエレベーターの揺れを感じ、若干酔ってきたように頭の中がぐるぐると回り始めた。おかしい。さっきからグロリアに動きが見られない。奴は何をしている?

「ごめんなさい。フローベル。別に騙すつもりはなかったのよ。あなたの言うとおり、私はアメーバじゃないわ。人間よ。それもあなたと同じアンドロイドハンターなの。あと残りの一体始末できていないアンドロイドがいるでしょう?」こっちを向いていいわ、とグロリアは言った。優しげで疲れ気味の声音だったが、惹かれるようにフローベルは彼女の言うことが真実だと思えた。フローベルはようやく姿勢をもとに戻し、立ち上がるとグロリアが打って変わって可憐な女性に見えた。彼女から強さも気高さも感じられない。質素だった。フローベルは言った。「グロリアは実在する人物だと聞いていなかったが、もしそうなら間違えて君を撃ちかねないじゃないか。ガムの奴はどうして人間のグロリアの存在を報告しなかったんだ?」

「私の存在は極秘だったの。だから所長のガムはそもそも私の存在を知らなかった。でも今はもう関係ないわ。リッカード。それがもう一体のアンドロイドの名前よ。情報はつかんであるから、それをガムに報告に行くところだったの。そうしてら偶然あなたがいたから、ちょっとからかってやろうと思ったのよ」グロリアは意地の悪い笑みを浮かべながら、フローベルの脇に立つと、端末をいじり始めた。誰かとメッセージのやりとりをしているようだ。フローベルはパットのことを思い出した。何かメッセージは来ていないか確認したが何もなかった。「ついてきて」グロリアはそう言うと、黄金色に輝くエレベーターの振動に不快な表情をしながら扉前で小型携帯銃を構えた。フローベルが耳を塞いだところ、閃光がほとばしり、数秒後にはポッカリと穴が空いていた。そこを抜けると、ガムの所長室だった。

 中央に檻が置いてあった。それは部屋のクラシックな雰囲気に変わって少々無骨だった。正直言ってレイアウト的には似合わない。フローベルは檻の中に青年がいるのが見えた。おそらく自分とさほど変わらない年頃だろう。腕に手錠がかかっていて、目には布の上から針のような棒状のものが突き刺さっている。ちょうど目玉に突き刺さっている。そこにフローベルの視線が向いていたことに気づいたグロリアは言った。「視界は潰してある。彼には今何も見えないよ。そうだね。たとえば視力を上げることのできる機械なんかあれば話は別だけど、そんなものなかったよね?」フローベルは頷いた。すると、彼女はフローベルに近づき、彼の手に小型携帯銃を握らせた。「あなたが撃って。この仕事を成し遂げるのはあなたにしかできない。役目だから」

 そうか。こいつがリッカード。アンドロイドなのだ。人間に刃向かおうと逃走した最後のアンドロイドなのだ。案外見た目はアンドロイドだと分からない。今までの奴と同じだ。誰かにアンドロイドだと指摘されなければきっと分かることはないだろう。しかし、彼らは機械なのだ。おれはそれが事実だと知っている。おれが狂っていなければ、目に見えていることがすべて真実だと信じざるを得ない。手が湿ってきた。別に怖くはない。アンドロイドを撃つだけだ。ではなぜこんなに緊張している? 誰か第三者に見られているからか。フローベルは後ろに控えたグロリアを一瞥した。その目は撃てと言っている。この状況はもう撃つしか手はないと言っているようなものだ。フローベルは窓から見える外の明るい街の風景に数秒見とれた後、リッカードを見た。どうして逃げようと思ったんだ? 心中問いを投げかけながら、フローベルは引き金を引いた。「後始末は私の連れがやってくれるわ」グロリアはそう言うと、部屋から出ようとフローベルを促した。小型携帯銃は小さいが強力だ。檻ごとアンドロイドの体を焼き切り、機械の残骸が残るのみとなった。

 これですべてを達成した。フローベルの内に達成感が沸き起こってくると同時にパットに会いたいという思いが沸いてきた。一緒に温泉でも行って、今回の仕事の疲れを取りたいと思った。フローベルは額を流れる汗を拭き取ると、ため息をついた。やっと終わったんだ。エレベーターで下まで降りてエントランスに着いたとき、グロリアが言った。「あなたは自分が人間ではないと思ったことはあるの?」フローベルは言った。「ないさ。自分は人間だ。今まで人間じゃない奴をたくさん見てきた。そうしておれは確信を得てきた。おれは人間だとな。奴らとおれには違いがある」

「違いがあるの?」グロリアは言った。「フローベルはアンドロイドを狩ることを命令されたアンドロイドじゃない?」フローベルは眉を顰めて言った。「なんだって?」歩を進めていたところ立ち止まり、フローベルはグロリアの顔を見て彼女に近づいた。気丈な彼女に戻っていた。目に力がこもっている。冗談を言っているようには見えなかった。「役目を全うして満足なんじゃない? 違う? なぜならあなたはアンドロイドだからよ! 命令を遂行できて喜ぶことしかできない旧型のアンドロイドよ」そんなことはありえない。いやあってはならない。おれは人間だ。「人間だと思い込まされているアンドロイド。そしてあなたは人間の命令どおり反抗したアンドロイドを全て抹殺し、任務を完了した。あとあなたに残されていることは何かしら? パットに会いに行くことなんじゃない?」グロリアは小型携帯銃をフローベルに照準を合わせ構えた。「命令が下りたわ」フローベルは自分の端末が通知を受信したことに気づいた。電子音が鳴り、フローベルはそれを恐る恐る確認した。画面にはフローベルの顔写真が写っていた。「アンドロイドであるフローベルを抹殺しろ。所長ガムより」そんな馬鹿な!フローベルは焦ってグロリアに情けをこう視線を投げかけた。「そんな目をしてももう遅いわ」グロリアが言葉を発した直後、フローベルは懐から小型携帯銃を取り出し、グロリアを打ち抜いた。すさまじい速さに彼女はついていけなかった。みるみるうちに彼女は溶けてなくなった。しかし、ドロドロに溶けた彼女は再び形を取り戻そうと、より集まり、固まっていく。アメーバだ。フローベルは恐れおののいた。彼女の言葉に一言も嘘は含まれていなかった。彼女はアメーバだ。ギルバートの粘液質の体が蠢くあの病室を思い出した。そっくりだ。間違いない。グロリアは姿形を形成し直すと、フローベルに向けて引き金を引いた。フローベルは逃げだそうと、彼女に背を向けて窓ガラスのはめ込まれた扉へと、ぴかぴかに磨き抜かれたエントランスホールを走り出したが間に合わなかった。その場に一滴の血も残さず彼は砕け散ってしまった。

 グロリアは彼がアンドロイドだと夢にも思っていなかった。今知ったのだ。ガムから寄せられた情報によると、フローベルはアンドロイドを捕まえるハンターとしての使命を負ったアンドロイドだったらしい。しかし、グロリアとフローベルがさきほど殺したアンドロイドのリッカードが実はガムだった。それをグロリアは知っていた。彼女がフローベルにガムを殺させたのだ。だから、ガムがアンドロイドの情報を送ってきたなどと信じられない事実だ。ガムは死んだのだ。ガムはリッカードのホロを被ったまま自分の所長室でバラバラになっているはずなのだ。グロリアは本当にフローベルがアンドロイドだったと知り、ショックだった。「まさか。こんなことがありうるの? 彼は絶対に人間だった!」心中で彼女は叫び声をあげた。

 グロリアにとって信じられない事実が二つあった。ガムの生存とフローベルの正体だ。グロリアはアメーバだ。だから撃たれても死ぬことはない。彼女は外に出た。日差しを浴びて、朝の冷たい空気をその肺一杯に吸い込んだ。溜まっていた諸々の鬱憤とともに二酸化炭素をはき出すと、耳鳴りがし、頭が痛くなった。

 グロリアは車に乗り込み、ガンガンと殴られるような痛みを抱えた頭の側頭部を指圧し、ピンと思い至った温泉に行こうと思った。どこの温泉がいいかしら? 温泉といえばどこかしら? グロリアは感情を持たない機械に質問を浴びせ、ようやく行き先を指定した。

 フローベルがこの世界はギルバートの偽物の世界と言っていたなとグロリアは思い出した。それとなくグロリアは車を運転している自律走行車君に尋ねてみた。「この世界以外の他の世界ってあるの?」すると機械らしく数秒の一定の間を空けたあと、誰もが聞き取れるクリアな音声で言った。「ありません」グロリアは街中を歩く人々を見つけた。「街を歩いているモノが人間じゃないことに気づいてるの?」機械は即座に返答した。「分かりません」グロリアはあっさりと言った。「ここ最近死んだ人間のリストを見せて」機械音声が律儀に答えた。「最終更新日が昨日の二十二時になっています。それでもよろしいですか?」グロリアは言った。「じゃあいいわ」

 フローベルがどこかで寝ている可能性がある。おそらくアンドロイドに自身の意識のみを投入し、本体はどこかの研究室で横になっているのだろう。そのはずだったが、私とリクことリッカードに記憶を消され、自分がアンドロイドに乗り込んでいたことを忘れてしまったというところだろうか。であればフローベルはいつからすり替わっていたのだろう。私が彼の視力を悪くさせたところで既に入れ替わっていたのだろうか。だとしたら、すべて私のしてきたことは無意味だった。グロリアは自律走行車に劣る自身に激しい嫌悪を抱いた。なんだ。この気持ちは? 何もかもに意味などありはしなかった。ただそこには意味を持たない石が転がっていた。坂を滑り落ちるように私は無意味な石とともに転がっていく。どんどん落ちるスピードが上がっていき、ついに何者も追いつけない速さに達した。私は一人になり、崖から飛び降りた。

 …自律走行車は絶対に事故を起こさないはずだろう? 警官が渋面を浮かべながら言った。「不幸な事故だ。幸い誰も乗っていなくてよかった。しかしなぜだ? なぜだれも乗っていない車が一人で動き出したんだ? 車の記録にも載っていないな…」自律走行車の音声システムは奇妙な断絶する音声を発した。「海…溶けた」警官はそれをメモに記録して先輩警官に見せた。「海が溶けた? どういう意味だ?」自律走行車はガードレールにぶつかり炎上していたのだが、一歩前は海だった。車は崖の上にある道で発見されたのだ。海に溶けて消えたのだ! 彼女は海に溶けて消えたのだ! 自律走行車は知っていることを叫んでいた。

 自律走行車は人を殺すために作られたのではなく、人の移動を助けるために作られたのだと当然グロリアは知っていた。グロリアはあえて車で自分を海に落とし自分を殺したのだ。車の助手席にメモが置いてあった。「車はどういう意味をもってこの世に存在するの? どういう意味かって? 人を殺すためだよ」

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