フローベルの転換
フローベルは夢を見た。
フローベルとパットはいい関係を保っているようだね仕事に支障はないようだし嬉しい限りだよ。ガムは助手席でたばこを吹かしながら窓の外を眺めていた。「あれをやったのはどの管理会社の人間でもなかったよ」ガムはため息をついた。じゃあどこのどいつがレイを殺したのだ? フローベルが訝しげにパットの方に目を向けると、パットと目が合った。
「じゃあどこの誰が?」パットは横髪を耳に掛けながら言った。「まさかアンドロイド同士の仲間割れ?」
ガムはせせら笑い言った。「それはありえない。アンドロイドは権利を持った生命を絶対に殺せないようにセーフティがかけられている。彼らは我々もアンドロイドも殺せない…アメーバも例外じゃない」絶対に? フローベルは眉間に皺を寄せた。絶対に殺せないのか? 一ミリもそこに隙間はないのだろうか。いや違う。一ミリの隙間は存在するが、その隙間を我々人間が「慣れ」という概念で埋めてしまったのだ。パットは言った。「アンドロイドならそのセーフティを外せるのでは?」フローベルが窓から外を覗くと見知った土地が見えた。またガムの会社に戻ってきたのだ。ガムは力のこもった声音を出した。「不可能だ。彼らはそのような思考に至らない。そもそも殺人という概念を持たないのだよ。持っているとすれば、それは言葉を話さない冷徹な武器、兵器だけだろう」
フローベルは言った。「でも絶対はないでしょう。彼らだって逃げるだけしか脳のない存在じゃない。今まさに考えているかもしれない。毒を使えないならば、薬を使えばいい。薬を使いすぎれば人間は死ぬ。そうでしょう?」車外は雨が降っていた。ガムがスーツを整えながらたばこをもみ消すのを見て、フローベルとパットは車から降り立ち、降りしきる雨の冷たさを肌身に感じとった。ガムがフローベルの横にならび咳払いをして言った。「アンドロイドと人間の違いがフローベル君に分かるかな?」フローベルは頭を横に振った。「いいえ」ガムがパットに目を向けるが、彼女もまた首を横に振ったのでガムは口を開いた。「アンドロイドは人間を絶対に傷つけないんだ。人は初対面の人間とコミュニケーションをとるとき無意識的にも意識的にも用心し、警戒するはずだ。だが相手がアンドロイドなら話は別だ」ガムはそこで何か言い淀んだ。「この話はまた後にしよう。もう夜中だ」フローベルとパットは奇妙な空気を感じ、何も言わないままガムが会社に入っていくのについて行った。
暑苦しい夜だった。雨で湿っぽく、蒸し暑い夜だった。隣にパットが寝ているのを見ると、フローベルの汗は余計に止まらなくなっていた。くそっ!パットの寝息がおれを狂わせる。ずっと耳にこびりついてその微かな音が忘れられないのだ。そうしているともう朝が来るのではないのか。フローベルは窓辺によってそこにある椅子に腰掛けた。ベッドに寝ているパットを見た。気分転換に散歩をしたいが、外は雨が降っている。フローベルの目は自然と机の上にあるワインボトルを捉えていた。ダメだと分かっているのに、もう体が言うことを聞かなかった。フローベルはボトルの腹に手を這わせ、それをグラスに注いだ。別にいいじゃないか。一回きりだ。そうだ。一回きりだ。おれはなんたってこんなにもハードな仕事をしているのだから、許されることなのだ。罪悪感など抱く必要はない。フローベルは虚ろな目でそれを口に運んだ。
フローベルは草むらに横たわっていた。意識がはっきりしないが、体を起こし四つん這いになった。視界がぼやけていたが、左手を見ていると世界がクリアに見えてきた。ああ。そうか。もうギルバートはこの世界に人間なんかいらないと思ってしまったんだ。フローベルは立ち上がり、周りが木々に囲まれているのを見た。近くで呻き声が聞こえた。そちらを見るとリッカードが仰向けに倒れていた。
「おい、リッカード。無事か?」リッカードは頭を左右に振り、くぐもった声だったが言葉にならない苦悶を発した。「どうしておれたちはこんな所に?」「さあな。それを知っている奴がいるとすればギルバートしかいないかもしれない」「おれたちが狂ってるという考えはどうだ」とリッカードは皮肉めかして真剣な面で言った。
「今は自分を信じるしかない」フローベルとリッカードは斜面になった道なき道をひたすら上に登りはじめた。靴が砂利道を踏みしめる音が響き、鳥のさえずりが混じった。汗が滴る。フローベルは手の甲で額の汗をぬぐった。どうしておれたちはこんな目にあわなきゃいけないんだろう?
森林はあてどなく続き、やっと木々の数が減ってきた。あと少し。あと少しだ。脹ら脛が張ってきたし、もうつらい。木陰の道に光があたり、風が強く吹いてきた。風だ!…涼しい。「これは・・・」とリッカードは目を丸くして呟いた。フローベルはリッカードの後を追い、山頂の岩によじ登った。
二人は感嘆の声をあげた。辺り一帯、緑しか見えなかった。街はどこにいった? 人は? さっきまでおれたちがいた世界はどこにいった?「まるで違う惑星に降り立ったみたいだ」というリッカードの言葉にフローベルは総毛立った。
「ギルバートがこれをしたと・・・本当にそう思うのか?」
「分からない」フローベルは跳ね起きた。まだ外は暗く雨が降っていた。おれはなんて夢を見ていたのだろう。リッカードという男をおれは知らない。あいつは誰だ。なぜおれたちはあんな場所に? ギルバートがどうとか言っていたな。よく分からない。だめだ。考えようとすると、頭が痛くなる。もう今日はいいじゃないか。休もう。うんざりなのだ。一度考え出すと止まらない。人間はどうしたって考え続けなければいけない生き物だ。それがどうしたって面倒だ。本当に変な夢だ。




