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フローベルとパットの時間

フローベルとパットは共にホテルの一室に泊まることになった。休みたいフローベルと意見を異にしたパット。フローベルはパットに従い、二人は外食に向かうのだが…その道中記。

 国立オペラ劇場の近くにあるモシュトで食事をとろう、とパットは言った。モシュトはお洒落なレストラン・バーとして人気だが、この時間帯は人が多いだろう。鬱々たる思いでベッドに下ろしていた腰を上げると、パットの黒い束ね髪に目がいった。ガムはおれたちを試しているのかもしれない。きっと部屋のどこかにカメラがあるのだ。しかし、それはホロ・スキャナー故に見つけるのは難しいだろう。パットがこわごわと言った。「もし外食でよかったら着替えない? 交代で。片方は風呂場に入ってもらって」フローベルは我に返って言った。「まあ、いいんじゃないか」フローベルは無言で風呂場に行った。綺麗な風呂場だ。

 パットはチェックのスカートを穿き、インナーの白シャツに紺色ベストを重ね着した学生のような装いで言い訳めいたことを言った。「これしかなかったの」フローベルはうんともすんとも言わなかったが、内心似合っていると思った。おそらく彼女のそれは端末おすすめコーデなのだろう。フローベルはグレーのシャツに青いチェスターコートを着、黒のパンツを穿きながら、そろそろ涼しくなってきたと感じていた。

 そうだ…ガムはおれたちを試しているのかもしれない。だが、何を試すのだ? 試す意味は何だ? おれは自分がすることの意味も、しようとしていることの意味も…行為すべての意味が分からない。フローベルはパットの肢体に視線を這わせた。引き絞られた腰がくねるのを想像する。肉付きがよく張りのある生足が目についた。フローベルは追い求めるように彼女の胸元を見た。くそっ! このわき起こる情欲がおれの判断を狂わせる。

 フローベルは落ち着かない様子でパットの背中に付き従い、部屋から出た。咀嚼するように何度も同じ言葉が頭の中で繰り返される-「今日の夕食は部屋でとって、このダブルベッドで休んだほうが…」

 ドアの自動ロック音が鳴り響いたのを確認すると、前を歩くパットがフローベルに歩調を合わし、目を向けた。「フローベル君に任せたのは信用してるから。君なら責任を持って、こなせる仕事だと思ったの」

 フローベルはパットの線の細い横顔を見て、言った。「アンドロイドに頼めばいい。おれより数倍はいい働きを期待できるんじゃないか?」パットは失笑した。「アンドロイド狩りをアンドロイドに? もし、送った子が敵の仲間になったらどうするつもり?」そんなことはありえないと以前のガムなら言っただろう。そして絶対に安心というフレーズを広告にでかでかと表示する。フローベルは眉間に皺を寄せてエレベーターのボタンを押す彼女の顔を一瞥し、後ろに乗り込んだ。人間ならアンドロイドの仲間にならないと、彼女は信じているのか。「アンドロイドはおれたちが人間かアンドロイドかの区別がつくのか?」フローベルは気がかりだったことを聞いた。パットは気の毒だと言わんばかりにうら悲しい顔をして言った。

「区別はつかないと思う。私たちもまた見分けがつかないし、きっと彼らにとってそんなことは重要じゃないの。悪い人なのか良い人なのか、どちらかの判断に尽きるんじゃないかな」

 そうかもしれない、とフローベルは思った。たとえ彼女が人間じゃなかったとしても、おれは彼女を以前のまま愛することができると心底思うのだ。しかし、もしも自分が人間ではなかったらと考えたとき、腹の底が冷えるおぞましさが体の内側から浸食してくる。自らが人間だと証明するものが存在しない恐怖は、おれを狂わせるだろう。見えるものすべてを疑うようになり、光に照らされた儚くも美しい物事すべてに影が降りかかり、闇の中を彷徨い歩く狂人と化すのだ。

 フローベルとパットはエントランスホールから外に出、常駐してあった自律走行車に乗り込んだ。走り出し、二人して窓から外の景色を眺めていると、パットが口を開いた。「フローベル君がおかしなことを言っていると、ガムが言ってたわ」パットは奥歯を噛みしめ、乾燥する喉を潤そうと唾液を飲み下した。フローベルをチラ見すると、依然として外を眺めていた。「彼は私を妻にしたがってる。彼は私のことが好きなんだろうって言ってたわ」フローベルはそれに対する答えを保留し、無視した。ガムの奴、余計なことを言いやがったな。あの夢を見たことは彼女が好きだという表れではないのだ。あれは現実だった。夢であり同時に現実でもあったのだ。世界が改変されている証拠がおれの頭の中に記憶として微かに残っている。窓の外を見れば、いくつ『ギルバート』という文字が目に入るだろう。この世はすっかり『ギルバート』色に染まってしまった。もしかすれば今向かっているモシュトというレストランも今まさに『ギルバート』に変わろうとしているかもしれない。そしていつしか記憶からも消えてしまうのだ。

 パットは小さな声で「ごめんなさい。変な話して」と呟いた。フローベルは沈んでいく彼女の声を聞いて、思った。おそらくこっちが本当の彼女の姿だろう。「いや、事実だよ。夢と現実の区別がつかなくて、寝惚けてガムにパットは妻だって言ったんだ」フローベルは情けなかった。彼女が妻だったことが現実だって? 違う。そんな現実が存在するはずない。やはり彼女に対する想いが高ぶりすぎたのだ。そうに違いない。パットは相好を崩して言った。「私もそういうことあるわ。今私がいるここは夢なのか。現実なのか。迷うことが一瞬だけれどある。でも驚いた。フローベル君には嫌われてると思ってたの」

 フローベルは言った。「嫌ってる風に見えたなら、たぶんそれはパットが上司のときかな。パットは仕事のときとプライベートなときの顔が微妙に違う」パットのプライベートな顔など記憶にない。そもそも今日初めて彼女と一体一で会話をし、同じ空間にいる気がする。プライベートな顔というのは今目の前にいる彼女の姿だ。パットは初耳だと目を丸くした。「そんなこと初めて言われたわ。そう言えば、こうして誰かと二人きりでゆったりする時間も久しぶりかもしれない。今の私たちは忙しいよ。本当だったら学校に行って、私たちは勉学に励んでいるのかな」フローベルは彼女の顔を見た。それほどやつれてはいないが、目の下に隈があった。「まだ睡眠薬を使ってるのか?」パットは顔を背けて言った。「控えてたけど、最近また使い始めてる」パットは端末をとりだし、電源をオフにすると、目を閉じて寝入ろうとした。疲れているのだろう。正直、今日は風呂に浸かり、すぐベッドに体を沈ませたかった。ここはまだエギアの街だ。ペストに到着するまでまだ時間がかかるだろう。フローベルは外に目を向けた。しかし、寝るわけにはいかないのだ。彼女が端末を外してしまった以上、おれが端末に送られてくるアンドロイド情報に目を配らなければいけない。ギルバートの文字ばかりが目につく。フローベルはパットのガラス細工のような腕を見つめた。

 彼女はアンドロイドのように美しい作りをした肉体を持っている。人間が肉体において彼らに勝るところは一つとしてないだろう。いつしか遺伝子を人為的に組み換えた人間が生まれれば、すべてを超越した者は現れるかもしれない。だが、現時点で彼女は本当に人間なのか、疑いたくなるほどに美しかった。

 そんな彼女が寝息を立て始め、もうじきモシュトに着く頃だろうという時、端末からコール音が鳴りだした。

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