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ミステリー好き女官の死に戻り事件簿  作者:


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1/7

第1話 毒を疑うだけなら、生きられた

皇帝が死んだ夜、後宮は毒で満ちた。


杯に毒。

香炉(こうろ)に怪しい香。

寝所(しんじょ)に残った薬湯(やくとう)

恨みを抱いた(きさき)の噂。

それから、皇帝と不仲だった皇子の名。


誰もが息を殺していた。けれど口だけは止まらない。


「毒殺だ」

「杯から毒が出たらしい」

薬湯(やくとう)にも何か混じっていたとか」

「香も変だったそうよ」

(きさき)のどなたかが……」

「いや、皇子殿下では」


廊下を走る足音、怒鳴る宦官(かんがん)、泣き崩れる女官。


後宮の最も奥、皇帝の寝所(しんじょ)を抱く一角を、女官たちは奥宮(おくみや)と呼ぶ。

普段なら羽虫一匹の羽音でも叱られるその場所が、今夜だけは鍋をひっくり返したように騒がしかった。


姚小桃(ヤオ・シャオタオ)は、洗い場の隅で盆を抱えたまま立っていた。


下級女官である。

皇帝の死について語る立場ではない。

語れば首が飛ぶ。語らなくても、機嫌の悪い上役に見つかれば半日は膝をついて謝ることになる。


だが、耳は塞げない。


「杯に毒が残っていたのよ」

毒見役(どくみやく)は?」

「知らない。でも毒殺だって」

毒見役(どくみやく)も死んだの?」

「いいえ、取り調べられているって」


小桃(シャオタオ)は眉を寄せた。


盆の縁を指で叩く。

こつ、こつ、と乾いた音が鳴った。


毒殺。

それは分かりやすい。

皇帝が杯を口にした。倒れた。杯に毒が残った。周りには怪しい香と薬湯(やくとう)がある。犯人候補も都合よくいる。


都合がよすぎる。


小桃(シャオタオ)、顔が怖い」


隣で鈴鈴(リンリン)が震えていた。丸い目に涙が溜まっている。彼女は怖がりだ。血も怖い、怒鳴り声も怖い、夜の廊下も怖い。偉い人など、息をしているだけで怖いらしい。


「怖い顔ではありません。賢そうな顔です」


「賢そうな顔って、首が飛ぶ前の顔に似てるよ」


「縁起でもない。せめて飛ぶなら綺麗に飛んでほしいです」


「やめて!」


鈴鈴(リンリン)が半泣きで小桃(シャオタオ)の袖を引いた。


その向こうで、呉菲(ウー・フェイ)が小声で叱る。


「二人とも、声を落としなさい。今夜の奥宮(おくみや)で余計なことを言えば、事情聴取です。事情聴取で済めば幸運です。普通は処罰です」


呉菲(ウー・フェイ)はいつも背筋が伸びている。

髪も衣も乱れない。規則が人の形をして歩いているような女官だった。


小桃(シャオタオ)は肩をすくめた。


「毒殺なら、毒見役(どくみやく)が死んでいるはずでは?」


呉菲(ウー・フェイ)の目だけが動いた。


「皇帝陛下の杯は、毒見役(どくみやく)を通ります。けれど今は、正式な検分(けんぶん)前です。断定は禁物です」


「断定しているのは私ではありません。廊下全部です」


実際、廊下は毒殺という言葉で埋まっていた。


毒。

毒。

毒。


多すぎる。


小桃(シャオタオ)は盆を置き、洗い場の入口から奥宮(おくみや)の方を見た。

侍医(じい)たちが走っていく。宦官(かんがん)が女官を押し戻す。武官が通路を塞ぐ。

誰かが泣き、誰かが怒鳴り、誰かが「毒を探せ」と叫んでいる。


毒を探せ。


まるで、探すものは最初から決まっているみたいだ。


小桃(シャオタオ)


呉菲(ウー・フェイ)の声が硬くなった。


「その顔は、規則にないことを考えている顔です」


「規則にあることだけ考えていたら、人生はだいぶ退屈です」


「退屈でも生きていられます」


それは正論だった。


小桃(シャオタオ)は正論が嫌いではない。

ただ、正論だけでは目の前の違和感が黙らない。


杯に毒。

香に毒。

薬湯(やくとう)に毒。

恨みを持つ(きさき)

不仲の皇子。

毒殺だと騒ぐ人々。


そして、生きている毒見役(どくみやく)


「おかしいです」


鈴鈴(リンリン)がびくりと肩を跳ねさせた。


「な、何が?」


「毒が多すぎます」


小桃(シャオタオ)は呟いた。


その声は、自分で思ったよりも大きかった。


近くにいた女官が振り返る。

宦官(かんがん)が眉をひそめる。

呉菲(ウー・フェイ)が目を閉じた。今から処罰内容を数え始めた顔だ。


小桃(シャオタオ)は一歩も引かなかった。


「毒が多すぎます。多すぎる証拠は、証拠ではなく飾りです」


空気が止まった。


鈴鈴(リンリン)小桃(シャオタオ)の袖を握りつぶす。

呉菲(ウー・フェイ)が低い声で言った。


「その発言は、かなり危険です」


「やっぱり?」


「首が飛ぶ方向で危険です」


小桃(シャオタオ)は笑った。

笑わないと、指先の震えが見えるからだ。


その時、洗い場の入口に影が差した。


姚小桃(ヤオ・シャオタオ)


低い声だった。


高亮(ガオ・リャン)


後宮の人事も物品も通行も握る総管府(そうかんふ)、その周辺で動く宦官(かんがん)で、下級女官たちには最も近づきたくない相手の一人だった。

目つきが冷たく、口元だけがいつも人を見下している。

彼に名を呼ばれた女官は、だいたい泣く。泣かなければ、後で泣くことになる。


鈴鈴(リンリン)が小さく悲鳴を飲み込んだ。

呉菲(ウー・フェイ)がすぐに膝を折る。


小桃(シャオタオ)も遅れて頭を下げた。


「はい」


「来い」


「今ですか」


「陛下が崩御(ほうぎょ)された夜に、下級女官が時を選べると思うのか」


「思いません。希望を述べただけです」


呉菲(ウー・フェイ)の顔が、今度こそ本気で青くなった。


高亮(ガオ・リャン)は笑わなかった。


「口が回る女官だ」


「足も動きます。仕事向きです」


「なら歩け」


小桃(シャオタオ)鈴鈴(リンリン)の手をそっと外した。


鈴鈴(リンリン)が涙目で首を振る。

行かないで、と口が動いた。


小桃(シャオタオ)は軽く笑ってみせた。


大丈夫。

そう言おうとして、やめた。


大丈夫な気がしなかった。


高亮(ガオ・リャン)に連れていかれた先は、奥宮(おくみや)の外れにある薄暗い廊下だった。

夜の冷気が石床から上がってくる。

灯りは少ない。

人払い(ひとばらい)が済んでいる。


小桃(シャオタオ)はそこで、自分の足音だけが妙に大きいことに気づいた。


高亮(ガオ・リャン)様」


「何だ」


「事情を聞かれるにしては、証人が少ないですね」


「下級女官に証人が要るのか」


「後で私がすごく面白いことを言った時、聞いた人がいないともったいないので」


高亮(ガオ・リャン)が立ち止まった。


ゆっくり振り返る。

その顔に、ようやく薄い笑みが浮かんだ。


「下級女官が、皇帝陛下の死を語るな」


「語ったというより、疑っただけです」


「だからだ」


小桃(シャオタオ)の背筋に冷たいものが走った。


逃げるには遅い。

叫ぶには、廊下が遠すぎる。

高亮(ガオ・リャン)の背後にも、前にも、人はいない。


人払い(ひとばらい)

閉じられた扉。

助けを呼べない位置。


小桃(シャオタオ)は唇を湿らせた。


「私が何を疑ったと?」


「毒を疑うだけなら、生きられた」


その言葉は、ひどく静かだった。


小桃(シャオタオ)の胸が縮む。


毒を疑うだけなら。


つまり、違うものを疑ったから。


「なるほど」


声が震えた。

小桃(シャオタオ)はそれを隠すために、少しだけ顎を上げた。


「下級女官にも、たまには当たりが出るのですね。景品が死とは、後宮は趣味が悪い」


高亮(ガオ・リャン)の手が動いた。


喉に、冷たい指。


短い痛み。

息が詰まる。

体が冷える。


派手な音はしなかった。

ただ、体の奥から力が抜けていった。


小桃(シャオタオ)は石床に膝をつく。


怖い。


怖かった。


言葉でごまかせないほど、怖かった。


それでも小桃(シャオタオ)は、かすれた息で笑った。


「……せめて、毒を盛るくらいの情緒は欲しかったですね」


高亮(ガオ・リャン)は何も答えなかった。


視界が傾く。

灯りが滲む。

冷たい床が頬に触れる。


最後に思ったのは、杯でも毒でも(きさき)でも皇子でもなかった。


毒見役(どくみやく)は、なぜ生きていたのか。


そこで、姚小桃(ヤオ・シャオタオ)は死んだ。


次に目を開けた時、小桃(シャオタオ)は寝台の上にいた。


朝の光が、薄い布越しに差し込んでいる。

鳥の声。

遠くの掃き掃除の音。

煮えた粥の匂い。


小桃(シャオタオ)は跳ね起きた。


喉に手を当てる。

胸に手を当てる。

痛みはない。

血もない。

冷たい石床もない。


隣の寝台で、鈴鈴(リンリン)が寝ぼけた声を上げた。


小桃(シャオタオ)……まだ暗いよぉ……点呼まで、もう少し……」


小桃(シャオタオ)は息を呑んだ。


鈴鈴(リンリン)がいる。

生きている。

呉菲(ウー・フェイ)が奥で布を畳んでいる。

外の女官たちは、いつも通りの朝を始めている。


壁に掛けられた日付札を見た。


七日前。


皇帝が死ぬ、七日前の朝。


小桃(シャオタオ)の指が震えた。


「陛下が――」


叫ぼうとした。


喉が詰まった。


見えない手に喉を握られたように、声が潰れる。

息は出る。

なのに言葉が出ない。


「……っ」


鈴鈴(リンリン)が起き上がった。


小桃(シャオタオ)? どうしたの? 顔が死人みたい」


「失礼ですね。死人はもっと静かです」


そう返す声は出た。


小桃(シャオタオ)は凍りついた。


言える言葉と言えない言葉がある。


もう一度、口を開く。


「陛下が、七日後に――」


喉が閉じた。

痛いほどに閉じた。


呉菲(ウー・フェイ)がこちらを見た。


「何を言おうとしたのですか」


小桃(シャオタオ)は喉を押さえ、笑おうとした。


うまく笑えなかった。


皇帝は七日後に殺される。

私は一度死んだ。

高亮(ガオ・リャン)に殺された。

毒ではない――いや、毒だけではない、はずだ。


何一つ、言えない。


小桃(シャオタオ)は寝台の縁を掴んだ。

爪が木に食い込む。


未来は、言えないらしい。


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