二十六話:死んで下さい
呼吸が詰まる。苦しくて、苦しくて、吐いてしまいたい。泣いてしまいたい。暴れ出してしまいたい。今すぐに銃を持って、あの場に行き、あいつ等に、何もかもぶちまけてしまいたい。
皆が傷ついていく。倒れていく。眼と鼻の先に居るはずなのに、手だけが届かない。もっと上手く伝えられていれば、こんな事にはならなかった。もっと早く状況を伝えられていれば、戦況がここまで一方的に追い詰められることは無かった。もっと広く周りを見ていれば――リンクスの横に近づいていた伏兵を、Ru-liをぶつけてでも止められたのに。
「……ボーディ、さん……どう、したんですか?」
アイに訊ねられるが、答えるだけの余裕はボーディには無かった。
視界の中で――リンクスが横たわっている。全身が脱力しきり、ピクリとも動かない。彼女の頭部に銃床を叩きつけたヤツは、すぐにトーマンに撃ち抜かれていた。元々無理していた身体に追い打ちを掛けられたのだ。それも人間とは明らかに違う、機械の力で。
……おい、リンクス。
何してんだよ。起きろよ。立てよ。
へらへら笑って、めんどいから止めたって言いながら、さっさと帰って来いって。
ほら、トーマンが担いでるんだ、暑苦しいって、殴れよ。いつも……みたいに。
「——クソ野郎ッ!」
ベッドが少し揺れた。もしかしたら、彼女を驚かせてしまったかもしれない。それでも……悔しい。分かっているんだ。もう自分に出来る事は無いって。ここまでの混戦状態になれば、観測係は傍観者になるしかない。弱点も伝えた。戦況は絶望的。周囲の利用出来そうな地形情報も全て観測して伝達してある。Ru-liには簡単なハッキング機能はあっても、相手が禁忌のアンドロイドなら対応出来ない。クラッキングなどもっての外だった。だから――見ているしかない。皆が戦い、倒れていくその様を。
「——ボーディ、さん」
「……何?」
「教えて、下さい。今、何が起きているのか。第四世代が、皆に何をしているのか」
……言っていいのか。この惨状を。言えるのか、今の自分に。この口で……死んだ者が出たと。リンクスが意識不明だと。それを言ってしまえば、この子は、自分がここに居たいと願った事を、後悔してしまうんじゃないか。エリオラさんの時と同じように、自分が生きている事がいけない事だと、そう、思ってしまうんじゃないか。
ゴーグルをずらし、初めてアイの顔を見る。
どれだけ手が震えていても、彼女はちゃんと、こっちを向いていた。受け入れる覚悟は出来てると、そう言いたげな笑みを浮かべながら。
「……戦況は……最悪だ。押されてるなんて、もんじゃない……怪我人も、死人も出てる。リンクス……リンクス、も、今……重傷で……ッ!眼をッ、覚まさなくてッ!」
絞りだした声は、悲鳴のようになる。自覚した途端、怖くて堪らなかった。
居場所が無くなる事よりも、自分の無力感を自覚させられるよりも、これ以上家族が死んでいくのを、まざまざと見せつけられるだけの時間を過ごさなければならない事が。
「——そうだよね。皆きっと怖いのに、戦ってる……私だけが怖いまま何もしない、なんて……酷い事、だもんね。だから……助けてくれる……?」
誰かに話すように、アイは小さくそう言った。
未だ震えるボーディの手を取って、アイは続ける。
「ボーディさん。今まで待たせてしまって、ごめんなさい。準備が、出来ました。ゴーグルを、つけて、くださ、い」
「……アイ?」
「みんなを、たす、け、ましょう。わ、たし、と、ボー、ディ、さんで」
拙い言葉を発しながら、アイはそれでもしっかりとボーディの眼を見ていた。それがどこか不気味ではあったけど、もし本当にこの状況をどうにかできるのなら――構わない。例えそれが、禁忌に触れるとしても。
強く頷き、再びゴーグルを付けなおす。戦況は相変わらず最悪で、前線部隊は弾切れも起こしているようだ。ざっと数えてもまだ二十三機ほど残っていて、連中は着実にダンパー達に迫っていた。
「アイ!ここからどうするの!?」
ボーディの言葉に答えるように、アイはその身体を預けるように手を握りながら寄りかかる。肩に、その小さな頭が乗った。
「……アイ?」
「これ、から……つ、なぎ、ます。あいぼう、さんと。そ、して……第四世代の最優先、プロトコルを書き換えて――」
――耳元で、氷の様に冷たい声が囁いた。
「あれらを『自害』させます。後は我々にお任せ下さい」
バチン、とゴーグルに光が走る。
何も触っていないのに、仮想キーボードがひとりでに、尋常じゃない速度で叩かれていく。
視界の画面に流れるのは情報に目が回りそうだった。知ってるはずの情報群が知らない方程式に当て嵌められ、理解する前に次から次へと流れて行く。物の数秒で脳のキャパシティーを超えたのか、吐きそうになる。
「深呼吸して。後五秒。大丈夫です」
隣の誰かがそう言った。言われた通りにしてみるが、それよりも押し寄せる情報の波と吐き気の方が辛い。酸の味が喉まで出かかった所で、ようやく視界に《Access clear》の文字が浮かぶ。
「なっ……うっ。何、したの……」
「第四世代のニューラルネットワークに侵入しました。現在の戦況から、先ずは安全確保を最優先に行いますが……すみません。そうなるとボーディさん。やはり貴方の助けが必要でした」
「……どうすれば?」
「一度、全てのアンドロイド達に接近して下さい。あれら個々のチャンネルを拾いたいのです。なので、間を何とか縫って飛んで下さい」
「……ここからじゃ駄目なの?」
「理論上は出来ますが、彼女が脳まで壊れてしまいます。今も高負荷が掛かっているので、急いで下さい」
「何だよ、それっ!」
飛ぶしか無かった。言われるがまま、まだ吐き気の残る胸の気持ち悪さとふらつく眩暈の中で、ボーディはキーボードを叩く。流れる景色の中で、命を弄ぶ曳光弾の赤い輝きがとてつもない速さで後ろに流れて行く。
何度かぶつかりそうになるが、それでも頭の横、脇腹、足の間を潜り抜け、二十三機の近くを飛び終える頃には見慣れない文字と数式が画面を覆い尽くさんとする勢いで羅列していた。
アイの声で、クスリと笑った声がする。
「お見事。手短にやりましょう。コントロールセンターへの同時接続及び該当機種の中枢神経回路の一時遮断実行。戦術プロトコルに対する指令を『武装放棄』へと変更し、即時実行」
その言葉と共に、繋いだ手の上へ、生暖かい物がぽたりと滴った。
あれ程騒がしかった戦場では銃撃の音が止み、壊れかけたサーチライトが明滅しながらアンドロイド達を照らしている。奴らは⋯⋯止まっていた。一機、また一機と地面に膝をつき、その手から銃を手放していく。
まるで自分達が、とんでもない事をしてしまったかのように、ただハルジオンの天井を見上げながらピクリとも動かなかった。
ぽたり、と。また何かが滴り落ちる。
「そのままニューラルネットワークへの接続を維持。指令続行。行動原理の開示。第四世代共通サーバーへのアクセス。更に生産プラントの位置情報を検索――特定完了。最優先プロトコルの書換えを実行。」
淡々とアイの声が、何かを言っている。何か言葉を言えばアンドロイドの身体がその都度ビクリと跳ねる。あの場に居る誰もが、最早撃つ事を止め、突如として起きた異変を見届けていた。
最優先プロトコルを書き換えての『自害』……言葉の意味は分かるのに意味が分からない。ただ、それがとてつもない理不尽で、恐ろしいものだと言う事だけは分かる。存在意義をその場で死ぬ事だと決め付けられ、否応にも身体がそうするべきだと動くのだから。
そして……何かは、とうとう、そんな理不尽を突き付けた。
「憐れな子達――どうぞ、存分に役目を果たして下さいね」
視界の向こう。
全てのアンドロイドの身体が、横たわる。
無機質で表情の無いそれらは、すぐにフェイスパーツを手で引っ掻く素振りを見せた。
やがて顔を、身体を、手脚を、それらを覆っていた装甲を力づくで剥ぎ取っていく。中身の液体やケーブルが飛び出ても、狂ったようにそれを引き千切り、投げ捨てる。自己の存在が許せないと言いたげに、徹底的に破壊し尽くし、ようやく最後に首へ自らの手を突き刺した。悶えながら、動きが止まるまで、何度も、何度も。辺りが緑色の血溜まりになる迄それは続く。
昔どこかで見た、身体の半分が潰れても生きようと藻掻く、こびり付いた虫の姿が重なった。
ハルジオンが沈黙に包まれる。
そうして……戦争が終わった。
――ふざけるな。
呆気なく。
怪我人も。死人も。あれだけ出しておきながら。
まるでゲームの電源が切られたように、一瞬で。
……今。自分は、何を見たのか。何に手を貸したのか。隣に居るのは、本当に味方なのか。
じわじわと冷静さを取り戻して来た頭が、やがて恐怖心に変わり始めた。
「……お前、アイじゃ、無いのかよ」
「私は自律式AI――その第六世代人格であり、アイが〈N.E.E.D〉と呼ぶ存在です。〈アルバトロス〉を介した、と言えば分かりますか?」
「そうじゃ、なくて……そういう事、聞いてるんじゃ……」
ゴーグルを外してアイの方を向く。
真っ先に目に入ったのは……真っ赤になった自分の手だった。
アイが顔を上げる。あの日、仕立て屋に行った日の夜のように、彼女の右眼は薄ぼんやりと輝いていて。鼻血と言うには多過ぎる出血が流れ出ていた。
「ごめんなさい。この子と繋がると、こうなるんです。だから普段は出て来られません。」
「っ……何なんだよ、お前!ワケ分かんないんだよッ!」
「すみませんが、時間が余り残っていません。最も……今回は流石の彼女も怒っていた為、最後に仕事をこなしますが」
「……今度は何しようって――」
「第四世代の生産プラントに衛生掃射砲を撃ち込みます」
右眼が一際輝いた。
アイの左手が顔を抑えるが、指の隙間から血が滲み出し、落ちて、彼女の白いワンピースを汚していく。
「はい、済みました。本当は、もっと丁寧に説明をしなければ、ならないのですが。時間切れ、です。近い内に、機会を設けなければなりませんね。」
「……」
「怖いのは、仕方ありません。でも、アイは……この子には、普通に生きて欲しい、から。だから――離さないで、下さい、ね」
光が消える。プッツリと糸が切れたように、アイはこちらに倒れ込んで来た。
受け止めるものの、ボーディ自身も力が入らず、そのまま押し倒される形でベッドに寝転んだ。
胸の辺りに、ジワッとした生暖かさが広がっていく。
……人の、血。
今しがた話していたのは自律式AIで。そいつらの意志が、皆を傷付け、殺した。
ここで倒れているのは人間の女の子で。この子の意志が、皆を助け、守った。
弱々しく、胸の上で細い指が動く。
今にも事切れそうなか細い声が、ボーディさん、と呼んでいる。
「……わた、し……ここ、が、いい……」
「……うん」
「み、んな……いっし、ょ、に……」
「うん……」
「ま、もれ、て……よかっ、た……」
それっきり意識を失った彼女の手を握る。
ねっとりした感触の中に、小さな手の温かさがあって。
反対の手で彼女を抱きしめながら、その頭に手を添える。
さらりとした髪の感触の中に、どこか無機質な冷たさがあって。
無理やりにでも、肺に空気を入れる。
「……助けてくれて……ありがとう――アイ」
そんな震える言葉とは裏腹に、思う。
君が完全に人間で居てくれたなら。
君が完全に禁忌で居てくれたなら。
どちらにせよ――割り切る事が、出来たのに。
静かな部屋の中で一人……彼は、啜り泣くしか出来なかった。




