第二十四話「股間流」
九善鳳輔は倒れる豊田一光を見下ろしていた。
その眼はまるで機械のようだった。その表情からいかなる感情も読み取れない。
ふぅ、と息をつくと、九善の顔に先ほどの愛嬌のある笑顔が戻った。
「さすが、豊田一光、強かったですね」
そう言ってジョージ中佐に笑いかける。
ジョージは頬を汗が流れるのを感じていた。あの、最強と言われた豊田を下して、笑っている。その強さはぞっとするほどであった。
「優しく当てたんでしばらくしたら起き上がると思いますよ。まぁ、少し疲れましたし、一服しましょうや」
そう言うと、九善はズボンのポケットから煙草を取り出して、火をつけた。
「恐ろしいほど強いな」
ジョージは白目をむいて倒れている豊田を一瞥していった。
「そんなことありませんよ。勝負に絶対はない。次やれば俺が転がされるかもしれません。豊田さんは柔道家でしょ?だから掴みにくるかなーと思ってたんで、そこにカウンターを当てたまでです。まぁ当て技も強いの持っているのは少し意外でしたけど」
そう言う九善の鼻腔から鼻血が一筋こぼれた。
それを手で拭い、ほらね、やっぱり豊田さんは強かったですよ。とこともなげに言う九善をジョージは信じられないといった瞳で見つめた。
豊田がつかみに来る。そんなことは誰だって知っている。それでも勝てないから豊田は最強と言われているのだ。
「キングでもここまで鮮やかにするか怪しいぞ」
「買いかぶりすぎです」
「どうやってそこまで強くなった?」
「師匠がねいうんですよ。最強であれってね。俺はそれを忠実に守ってきただけです」
「師匠?」
「そう、俺が使う股間流のね、師匠がいうんですわ」
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原龍徳の下に汗の水たまりが出来ていた。
既に1000回は連続で腕立てをしている。
ここは岩本股間の屋敷にある道場。あの日以降、岩本の家で原は修行をしていた。
最初は老人の世迷い事と取り合わなかった原だったが、なんど組手をしても岩本に指一本触れることが出来なかった。そして、この老人の得体のしれない、底知れない凄みに気おされ、原は仕事が終わると岩本の家で修行するようになったのであった。
「1002、1003」
掠れる声で腕を折り曲げている。その横で岩本は嬉しそうにその双眸を細くさせている。
「原君、ほれほれ、まだまだ、あと900回残っておる。君は線が細い、一から鍛えなおさねば猛者には勝てんぞ」
はしゃぐ声で原に話しかける。
修行、と言っても、この数日、この様な基礎鍛錬ばかりであった。
それでも原は耐えた。なぜか。脳裏に炎山の勝ち誇った顔が焼き付いているからである。
あの日、俺は負けた。完膚なきまでに。もう二度と負けない為に、そのためならどんな修行にも耐えてやる。決心が原を突き動かしていた。
腕の筋繊維が引きちぎれ、それでも負荷をかけるから激痛が走る。
痛みを無視する。それには強固な意志が必要であった。
一度腕立てをするたびに、炎山の顔を思い出す。炎山、炎山、炎山。
腕立てを終了した時、歯を食いしばりすぎたせいで原の口元から血がしたたり落ちる。
「よし、今日から技を少しずつ伝授していこうか、これをつけなさい」
汗の水たまりに倒れこみ、荒い息をしている原に岩本は鉄のかたまりを投げつけた。
「これは?」
「それは万力じゃ、それで睾丸をはさみなさい」
「・・・そんなことしたら死んでしまうぞ」
「死ぬのが怖いか」
原はその問いかけに、言葉をなくす。死ぬのは怖い。当たり前だ。だが
「負ける方が怖い」
原の言葉を聞いて岩本は笑った。
万力で睾丸を挟み込み。下腹部にえぐられたような強く鋭い痛みが走り、原は思わずその場に倒れこんだ。
「立ち上がって外に出なさい」
岩本はそんな原なんてお構いなしでそう言うと、ふすまを開けて外に出ていった。
なんとか立ち上がった原もよたよたと外にでていく。
外に出ると同時に強烈な光が原を襲った。
手で目を覆い、なんとか指の間からその光を凝視する。
それは軽トラックだった。軽トラックのハイビームが原を襲っている。そして、運転席には岩本の姿があった。
「原君。今から君は軽トラックと相撲を取ってもらいます」
岩本が少し興奮したのか上ずった声で原にそういう。
無茶な、こんなの修行ではない、リンチである。人と車、勝負になるわけない。
「怖いのですかな?」
岩本の声が原の脳裏で反芻する。怖い?怖いに決まっている。こんなこと続けていたら死ぬ。そうでなくても後遺症の残るような怪我を負う。
軽トラックがぶつかり、自分の骨と肉が裂かれる姿を想像すると足元が震えた。
「正気を捨てろ、原君。最強は狂気の向こう側にしかない、それが股間流の初歩にして極意」
原は覚悟を決めた。思考を捨てる。睾丸の痛みも忘れる。どのような怪我を負うか想像することもやめる。狂え、狂え、狂え。
気が付いたら原は叫んでいた。その原にめがけて、岩本はアクセルを床まで踏んで軽トラックを走らせるのだった。




