第一話「オフィス流柔術」
皆さまこんにちは。作者の牛丼一筋46億年です。
はてなブログでぽつぽつ書いておりましたが、せっかく書いてるんだから大手にも載せてぇと
欲をかき、小説家になろうに密入国をいたしました。
以後よろしくお願いいたします。
「おい、何度言ったらわかるんだ!?あぁ???」
南路商事、営業2課、剛田課長の声がフロアに響いた。周りの社員たちは、またか、と苦々しい思いを抱きながらも、黙したままデスクへと向かっていた。
剛田は歳は50を過ぎたところ、短く刈り込んだ髪、浅黒い肌、デカい目を見開き、デカい鼻から息を吐き、デカい手で机を叩きながら目の前の男を怒鳴りつける。
嫌な光景であった。それは上司が部下を指導すると言う度を遥かに越していた。
剛田の口が時折吊り上がる。この男は楽しんでいるのだ。その黒い愉悦を隠そうともしない。品性のかけらも感じれなかった。
少しでも反論しようものなら倍になって返ってくる。高圧的でどうしようもない暴力性を孕んだ男だった。
その目の前で顔を伏せ、ひたすら耐えている男は矢吹晴男であった。
こんな光景がもう2年も続いている。
矢吹晴男が南路商事に入社したのは2年前の春だった。新入社員の晴男は営業2課に配属された。
配属された日から剛田の叱責は始まった。
晴男は痩せていて、内向的だった。先輩社員が彼の肩を叩いただけで彼は飛び上がってしまう。そんな男だった。
そんな彼を剛田は見逃さなかった。
剛田のような男は独特の嗅覚を持っている。
それは弱者を見抜く嗅覚だ。虐げられてもおどおどとし、誰にも告げ口することなく、黙ってサンドバックになるような人間。そんな者を見抜く力を剛田は持っていた。
それは薄暗く、人間の暗い本質のようなものだ。
彼はその力を学生時代から遺憾なく発揮していた。幼い頃から体が大きく誰も彼に逆らわなかった。
そして彼は誰にも負けることなく、その黒い力を用いてこれまで生きてきたのだ。
彼のような人間は虐げられる人間の気持ちなど分からないし、考えたこともない。
その悪意を晴男は入社した時から受けていた。
はじまりは些細なことだった。
晴男が簡単な記録ミスをしたのだ。新人社員でその様なミスをするのは致し方のない事だった。
誰もが、次頑張ればいいさ、と優しく声をかけた。晴男は過剰なまでに頭を下げた。すいません、すいませんと。
課員はこの新人のミスに対する怒りよりも、その誠実さに感心した。剛田以外は。
剛田はそんな彼をデスクの前まで呼び出し、コンコンと説教をした。くさしたような内容だった。
それでも最初は常識の範囲内であった。
しかし、晴男はその剛田の悪意に対して、過剰に反応した。
晴男は翌日からデータチェックの際は殊更時間をかけた。時間をかけてチェックする。ミスがないか虱潰しに見る。
すると、剛田がまたデスクに呼び出す。
お前は仕事が遅い、お前は亀か?
すいません。
人間だよな?
すいません
すいませんしか言えないのか、この馬鹿
万事この様な内容だった。
翌日、晴男はデータをチェックする。今度は早く、正確に。そう意識すると、緊張する、緊張するとミスをする。ミスをすればまた剛田が怒鳴る。
この繰り返しだった。
それにまた晴男は過剰に反応し、恐れ慄く晴男に剛田はまた増長していく。
そんな悪循環がもう2年も続いている。
「お前、さっきから何にも言わねえけどよ…反省してんのか!?」
剛田が叫ぶ。
そこで課員達は異変に気がついた。
いつもならすいません、すいません、とひたすら頭を下げる晴男がこの日に限っては顔を伏せ、ひたすら黙りこんでいる。
どうしたと言うのだ。皆の注目が晴男に集まる。
「てめぇ、無視とはいい度胸してるじゃねえか!?」
剛田は立ち上がり、晴男の顔を覗き込む。
その顔は無表情だった。そして、口だけが小さく動いていた。
その時、剛田は気がついた。晴男は黙っていなかった。
小さく口を動かし、般若心経を唱えていたのである。
異様であった。
昨日までの気弱な男ではなかった。剛田と目が合っても怯えることなく真っ直ぐとその目を見つめ返していた。いや、見つめ返すのではなく、剛田の更に奥を覗いているかのような目をしていた。
心頭滅却していたのだ。無論、そのことに剛田は気がつかない。
この男が遂に壊れてしまったと思っただけだった。
営業2課入社10年目、吉田琢磨は語る
「晴男はなんていうか、ずっと気弱で少しなよってしてたんですよね。
あれは学校ではだいぶやられたでしょうね。
でも、悪いやつじゃないし、真面目だからね、色々と教えてやりましたよ。営業成績も下手に口が立つ奴よりもずっとがよかったですよ。やっぱり、あいつはコツコツと頑張るから信頼されてるんです。客からもみんなからも。
だからね、剛田が絡んできても無視しろ、もし辛かったらパラハラで訴えちまえ、って言ってたんですよ。
でも、あいつ『悪いのは俺ですから』ってね、今思えば、俺がもっと前に助けてやりゃ良かったんですけど…」
そこで、吉田は遠い目をしてタバコに火をつけた。
「あの日はね、おかしかったですよ。剛田が何を言っても黙りでね、あれ?おかしいな?と思ったんですよ。それでね、よーく見たらね、やっぱりおかしいんですよ」
「え、何がって?」
「俺、あいつの左後ろにいて、顔はよく見えなかったんですけど、背中はよく見えたんですよ、それで気づいたんです。晴男ってガリガリなんですよね、だと思ってたんですよね、でもね、あいつの背中、後ろから見たらね、あの、ヒッティングマッスルって言うんですか?背筋?がね、もうデカいのなんのって、今にもシャツが破けそうでしたもん。それだけじゃないんですよ、1目じゃわからなかったんですけど、よく見りゃあいつの腕も足も太くなってて、毎日会ってるから気がつかなかったんですね、あいつめちゃくちゃ鍛えてたんですよ」
ボソリ
晴男が何かを言った。
「あー!?なんつった?」
異変も感じながらも剛田はなおも高圧的な態度を崩さない。
それが剛田の意地だった。己の腕力と威圧で人を虐げてきた男がここで引くことが出来なかった。
「いくぜ…オフィス流柔術…食らってみろ…」
晴男が動いた。そして、これがオフィス流柔術が人の目に始めて触れた瞬間でもあったのだ。