夏の陽射しへと歩こう
夏の空は青い。南の方に見える入道雲を眺めつつ、私は腰を下ろした。太い幹に背中を預け、脚を草の上に投げ出す。
大きな楡の木が木陰を提供してくれるお陰で、それほど暑くも無い。帝都東京には、まだまだ豊かな自然が残っている。私はその恩恵を被っている訳だ。
傍らには、愛用の旅行鞄が置いてある。幾ばくかの着替え、それにピイスメイカーくらいしか持ってはいない。所持金が増えたとはいえ、何のことは無い。四ツ葉を出た時から、大して変わっていないのではなかろうか。
さて、どうするか。空白の予定を思いつつ、左手を目の前にかざした。小さな火傷が手の甲に残っている。葉隠炎夜が残した火傷の痕だ。あれから二ヶ月が経過し、かなり薄くなってはいる。だが、まだしぶとく残っている。
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灰鉄之牢獄に止めを刺され、葉隠炎夜は死亡した。黒焔の連中はあと二人残っていたが、彼らは呆気なく投降した。頭領の死を目の当たりにして、これ以上の抵抗の愚を悟ったらしい。正直疲れていたので、有り難かった。
結局、私が命を奪ったのは葉隠一人だけだった。重傷を負った三名と無傷のまま投降した二名は、あっさりと官憲のお縄についた。恐らく、村上が事前に官憲に根回ししていたのだろう。私が引き渡した時、さほど驚くことも無く、彼らは応対してくれたから。全く食えない男だ。
依頼完遂の報告を果たすと、村上はすぐに報酬を渡してくれた。その笑顔の裏では、人には見せられない策が渦巻いているのだろう。密かに恐ろしく思いつつ、それでも私は彼を否定しない。淹れてもらった珈琲を飲みながら、私は彼に疑問をぶつけた。
「四ツ葉で死んだ星火の中に、黒焔の連中の身内はいたか?」
「ああ。血縁者だけではなく、恋仲までも含めればね。六人が六人とも、何らかの形で彼らの大切な何かを失っている」
「......そうか」
「君が気に病むことじゃない」
珍しく沈痛な表情を浮かべ、村上が声をかけてくれた。親切心なのか何なのか分からないが、彼は説明を補足する。
「葉隠炎夜についてだけ、少し話しておこうか。彼が星火燎原の義理の弟であることは話したね?」
「ああ、依頼を受けた時に聞いたよ」
「彼らの父親が先代の星火燎原にあたる。女癖の悪い男でね、外に愛人を作っていた。その愛人の連れ子が葉隠炎夜だ」
「待て。連れ子ということは、葉隠は星火の血を引いては」
「いない。完全に余所者だ。血筋の恩恵無く、努力一つで彼は実力を身に付けたんだ」
信じられなかった。彼の高速火炎は、通常の星火を遥かに凌駕していた。血筋の欠落という大きな不利がありながら、彼はあれほどの術をものにしたと言うのか。
「信じられないな」
「実際敵に回したのに?」
「敵に回したからこそだ。恐ろしい程の威力だったぞ」
「才能も勿論あったのだろうね。だが、葉隠炎夜は一人で才能を開化させた訳じゃなかった。彼と同じように、星火の外から連れてこられた子供が何人かいたからね」
村上は珈琲挽機をもてあそぶ。中の豆が、カラカラと乾いた音を立てて転がった。一回だけ豆を挽いた後、村上はまた口を開く。
「同族ばかりで偏ると、思想や思考方法によろしくない。その為、定期的に外部から無縁の人間を取り込んでいたらしい。共同体の活性化の方法としては悪くないね」
「集団としては健全かもしれないが、連れてこられた方はたまったものじゃないな」
「そうだね。葉隠炎夜も、そんな外部からの一人だった。同じように外部から連れてこられた子供らとは、当然仲良くなる。星火内での疎外感を共通項にして、彼らは結束を固くする」
「そこまで言われれば、私でも分かる。葉隠と特に仲の良かった一人が四ツ葉侵攻の部隊に選ばれ、そして死んだんだな」
「御名答。葉隠にとっては、自分の半身に等しい相手だったらしいよ」
私の推測は、概ね正しかったらしい。今更証明されたところで、最早何が変わる訳でもないけれど。
「命まで奪ったことを後悔しているのかい、レイン」
「まさか。私も奴も全身全霊を賭けて戦った。生死は結果に過ぎない。それに」
私は一度口をつぐむ。あの炎の榴弾と炎刀で、葉隠は必死で抗ってきた。その気迫と戦う姿勢には敬意を表するとしよう。
「――大切な何者かを奪われて、死地を探していたとしても、奴は自分の気持ちをどこかにぶつけたかったはずだ。私が偶々その役目だっただけに過ぎない」
「そうだな。これも人同士が生きていく中で生じる、避けられない歪みに過ぎないのだろうね」
そう、村上の言う通りだ。私は葉隠の恨みを、執念を真正面から受け止めてやった。ただそれだけ。
それが四ツ葉で沢渡井澄に対峙した時に出来ていたかどうかは......分からない。
「いやあ、それにしても暑いね。すっかり夏だ」
村上が窓を開ける。むわりとする夏の空気が部屋に流れ込み、私は顔をしかめた。
「日本で暮らしてもう長いが、この蒸し暑さには閉口するよ」
「はは、君にはことのほか辛いだろうね。さて、どうするね、レイン。もし独逸に渡航するなら、船の切符くらいは手配しよう。今回の報酬のおまけだ」
「その権利、保留にして貰えるか?」
「ん、別に構わないけれどね。どうかしたのかい」
すぐには返事をせず、私は立ち上がった。村上の使っている執務用の机へ近付くと、卓上の写真立てを軽く触る。幾分不鮮明な白黒写真。けれどもそこに映る三名の人物の姿が、ただひたすらに懐かしい。
「私もお前も随分遠くに来てしまったな」
陰陽寮で寝起きして、日々を共にしていた頃の三人がそこにいた。若き日の村上英治、私、そしてまだ少年の面影が濃い亘理井澄だ。
意図せず湿っぽくなってしまった私の声に、村上は気がつかない振りをしてくれた。「そうだね」とだけ呟き、彼はくるりと背を向ける。
あるいはその瞬間だけ、村上は過去に思いを馳せていたのかもしれない。徹底した現実主義者であっても、情が無い訳ではないのだから。
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私は子供だったのだと思う。井澄の為にと言いながら、本当は彼を自分の思い通りにしたかっただけなのだから。それを知ったからこそ、井澄はあれほど怒ったのだろう。裏切りに身を震わせ、私と対峙することを決めたのだろう。
「私も変わらなきゃな」
左手を木漏れ日に透かす。小さな火傷が、葉隠炎夜の最後を思い出させた。裏切られ、傷ついて、捨て鉢になって、それでも最後まで奴は戦い抜いた。事の是非はあれ、筋の通った生き方だったとは言える。
私はどうする。私の筋の通った生き方とは何だ。
答えはまだ出ない。だが、これだけは言える。過去に囚われ、現在を見失うことだけはするまい。現在を見据えて、未来の為に動こう。少なくとも、思い出の為に生きるよりは、その方が健全だ。
束縛する物が無い今なら、そんな生き方が出来るような気がする。
立ち上がる。夏草の匂いが鼻をくすぐり、ひょうと風が耳元を通り抜けた。どこへ向かうかと決める為、私はナイフを懐から取り出した。ぽいと宙高く投げると、それはくるくると回転しながら地に落ちた。
「南か。取り敢えず、行けるところまで行ってみるか」
刃の指した方角へ、ただ行こうと決めていた。無造作に地面からナイフを拾い、私は歩き出す。夏の陽射しへ、太陽の方角へ、あるいは過去への決別へと。




