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14.番外編1:満点怪盗、追試アリ! 後半

   ★

 オークション自体は封印入札方式をとる。誰がどんな値を付けるのか、買い手同士には分からないやり方だ。見本市で実物を見た後、規定された形式のメールなどで売り手に値段を送付し、期限までに最も高い値を付けた人がその商品を落札できる。つまり、A.A.C.ホテルで開催される見本市では、実際の売り買いは行われない。

 とはいえ、現物を見ないで大枚をはたくような輩はそうそういない。目当ての物の状態を確認するため、参加する者は割合多い。或いは、ただ単純にコミュニティーに存在感を示すためだけに来る者もいる。

 竹中(たけなか)(かん)()は、唾を飲んで緊張を押し殺し、会場に入った。彼は警察である。一緒に入った他の警官たちと別れ、会場の全体に散らばり、怪しい物や不審な人物がないか、目を凝らす。

『お集りの皆々様、本日はようこそお越しくださいました――』

 挨拶を始めたのは古美術商《黒兎堂》の社長、()()()(つね)(ひこ)。この店の経営には、暴力団が関わっているとの噂がある。《黒兎堂》が開催するオークションに関しても、たくさんの盗品や何かが出品されているらしい。

 それに加えて、今朝のこと。警察署に一通のメッセージカードが届いたのだ。内容は至ってシンプルで、

〈本日A.A.C.ホテルにて開催予定のオークションに、鬼門を通ってお邪魔します〉

 と、それだけ。事情を知らなければ意味不明の文言だ。しかし、警察として見逃せないのが、「鬼門を通って」という部分。これは、この一年で陰に日向に活躍する怪盗グループが、現場に残していくメッセージカードに、必ず書いてある言葉だった。

(怪盗・鬼門組が来る……!)

 そうとなれば、警察の威信をかけて、事に臨まなければならない。世間を騒がす怪盗か、秘密裏に暗躍する古美術商か、どちらかをどうにかしないことには、帰れない。

『――それでは、皆様、心行くまで鑑賞をお楽しみください』

 竹中はもう一度唾を飲んで、会場を睨みつけた。時刻は七時を少し過ぎて、そろそろ十分になる。布が取り払われて、多種多様な商品たちが、シャンデリアの下に輝き出した。

   ★

 《黒兎堂》の店主を務める宇佐美は、いつになく緊張していた。このオークションを開くのはもう十七回目だというのに、どうしてこれほどまでに緊張しているのだろうか。原因は明白である。今朝方届いた一枚の手紙と、一本の電話の所為だ。

〈本日A.A.C.ホテルにて開催予定のオークションに、鬼門を通ってお邪魔します〉

 手紙は、怪盗・鬼門組からの予告状だった。彼らが、ただ商品を見るためだけに来るとは到底思えない。確実に、何かを盗むために来るのだ。

 だとしたら、一体何を? どこから? どうやって?

 こうなってしまうと、招待客の身元を一切確認しないシステムが恨めしい。扱う品が品で、来る人々が人々だから、仕方がないのだが。

 不安には不安だが、如何な神出鬼没の怪盗とはいえ、事前に盗み出すことは不可能だろう。搬入する直前まで、商品はすべて県下一を争う暴力団の庇護下においてある。奴らに常識があるならば、そこへ手を突っ込むことはしないだろう。つまり、奴らが盗みに来るとしたら、警察の目がある手前、庇護下から出ざるを得ない時――見本市をやっているまさにその最中しかありえない。

 電話は――あれは、果たして吉報だったのだろうか、凶報だったのだろうか。今でも正直図りかねている。しかし、こうなってしまっては、彼の人の言うことを信じる他ない。後は野となれ山となれ、だ。

 宇佐美は展示の最終確認を終えると、腹を括るつもりで大きく深呼吸をした。もうすぐ七時になる。手の汗を拭いて、マイクを握りしめる。

『お集りの皆々様、本日はようこそお越しくださいました――』

   ★

 竹中は立ち止まった。人々のざわめきが品物を囲んで静かな熱を帯びていく中、そこから外れて窓際に立つ人物が、ふと目に入ったのだ。華やかなスーツに身を包んだ、茶髪の男性。グラスを片手にぼんやりと夜景を眺めている。何某組の幹部だとか、某商会の社長だとか、そう言った良くも悪くも目立つ人種が集まっているこの場所で、その人はあまりにも普通すぎた。異常な空間では普通こそが異常。竹中は迷わずその人に近付いて、声を掛けた。

「こんばんは」

 男性は驚いた様子もなく、洗練された所作で振り返った。「こんばんは」

 優男。灰色掛かった瞳をしている。二十代前半ほどだろうか。

「商品を見なくて良いのですか?」

「えぇ。僕はただ、代理で顔を出しに来ただけですから」

「代理? どなたの?」

「こういう場所での詮索はご法度ですよ」と、彼は微笑んだ。「気になってしまうのは分かりますけどね、職業柄」

 竹中は一瞬動揺したが、慌てて笑顔を作った。「それは失礼。ところで、私、自分の仕事を言いましたっけ?」

「いいえ、一言も言ってませんよ」彼は楽しそうに言った。「ただ、きっと記者さんなんだろうなと、勝手に思っていただけです。僕と同じ匂いを感じたので……当たっていましたか?」

「……えぇ、大正解です。凄いですね」

「やっぱり。僕の勘って、割と鋭い方なんです」

 落ち着いた様子でにこやかに話す男性を前に、竹中は確信した。やはりコイツは、普通を装った異常者だ。目立たないように気を付けているのが仇となっているのに、気付いていない。盗品のバイヤーか? 黒兎堂の店員か? それとも――鬼門組の一人か?

「あ、申し遅れましたが、僕はリョウバ ナイト。両方の刃に、内側の人と書いて、そう読みます。フリーのライターです。何卒、よろしくお願いします」

「両刃さん、とおっしゃるのですか」どうせ偽名だろう、と竹中は思った。礼儀として名刺を取り出す。「私は、竹中栞太です。お察しの通り、しがない物書きなどやっております。よろしく」

「ご丁寧にありがとうございます。こちらからお渡しできるものが無くて、申し訳ありません」と、両刃は申し訳なさそうに眉尻を下げて、名刺を懐にしまった。

「あぁいや、お構いなく」

 ただ、証拠品となりかねないものを渡したくないだけだろう。竹中は両刃の顔を注意深く観察した。ここで記憶したことがいずれ結果に繋がるはずだ。薄いグレーの瞳。左目に泣きぼくろ。唇は薄くて、またほくろが右側にある。髪は明るめの茶色である以外、ごく平凡で、特筆すべき点は無い。本当に若いのか、ただ若く見せているだけなのか、判別が付け難いのは、常に浮かべている微笑の所為だろう。底が知れない。

「両刃さんは、フリーライターなんですよね。ここには、お仕事で来たというわけではないのですね」

「そうですね……頼まれたから来た、というのがほとんどですけれど、仕事の一環と言えば一環ですね」

「このオークションについて、記事を書くおつもりですか?」

「いえ、そんなつもりありませんよ。普通のオークションの話など、載せても大した話題にはなりません。何か、派手な事件でも起きれば、話は別ですけどね」

 竹中は唾を飲んだ。「事件が起こる、という、心当たりでも?」

「え、いや、まさか」と、両刃は破顔一笑した。「今のはあくまで、例え話ですよ」

「そうでしたか」

「そんなに食い付かれるとは思いませんでした。竹中さんは、そのような展開を望まれているのですか?」

「とんでもない。ただ、」竹中は声を潜めた。「……このオークションに関して、少々悪い噂を聞いたものですから」

「悪い噂……?」

「えぇ」

「それは一体……?」

「商品に盗品が混じっているとか、薬の販売のカモフラージュにしているとか――」わざと竹中は間を置いて、言った。「――怪盗鬼門組が参加している、とか」

 鬼門組、の名を聞いた瞬間、両刃の顔が一瞬強張った。すぐにそれは和らいだが、竹中が確信を得るには、充分な長さの決定的な動揺だった。大当たり――彼は鬼門組だ。

「両刃さんは、何かご存じありませんか?」

 両刃は少し考えるような素振りを見せたが、やがて「いいえ、何も」と言葉少なに答えると、グラスを傾けた。赤い液体がさらさらと彼の中に流れ落ちていく。「お役に立てず、申し訳ありません」

「いえいえ、とんでもない。こちらこそ、変な話をしてしまいました」

 ところで―――と、竹中が話を変えようとした、その時。

 ガシャン、と何かが割れたような音がして、悲鳴とともに真っ白な煙が中央から立ち上った。

   ★

 海人は立ち止まった。

 並んでいる絵を順番に見ていたのだが、その列の中に、飛び抜けて不吉な絵があったのだ。〈五月革命〉と銘打たれたその絵は、まるで悪魔が描いたようだった。血塗れのバスタブに横たわる裸の女性。眠るように目を閉じたその肢体に、しかし血痕や傷口といったものは一切なく、ただ湯船で微睡んでいるだけのように穏やかな表情を浮かべていた。この上なく不吉なのに、不幸な想像しか湧かないのに、美しく、艶めかしく、見る人を虜にする。

 海人は、その絵を見た瞬間に、そっと息を飲んで、止めた。

「―――あなたも、この絵がお目当て?」

 突然、横から声を掛けられて、海人ははたと我に返った。「失礼、何ですって?」

「だから、あなたもこの絵を買いに来たのか、って聞いたのよ」と、その女性はハキハキと喋った。「あら、大丈夫? 目が充血しているわよ」

「あぁ……お気遣い痛み入ります。少々、仕事の疲れが残っているようで」

「あらそう」

 女性は三十代の半ば過ぎといったところだろうか。黒地に牡丹の小紋に、蝶が舞う半襟と、獅子が跳ねる銀の帯。和装をかっちりと着こなし、化粧は濃く、黒髪を凛と結い上げている。美人ではあるが、如何にも気の強そうな女だった。

「私も、今回はこの絵を買うためだけに来たのよ。最初に見た時から、ずっと好きだったの、この絵。呪われているとかなんとか言われているけれどね。作者不明。噂じゃ、知らない内に恋人に自殺されていた男が描いたって話だけれど、どうかしらね」どうやら彼女は話し相手を求めていたようで、ワインを潤滑油代わりによく舌を回した。「この絵を持っていた男はみんな、殺されたらしいわ。まぁ、分からなくもないけど。これ、とっても綺麗だけれど、見れば見るほど気が滅入っていくものね。女の私でそうなのだから、男なんてもっと参っちゃうでしょう。でも、こういう魅力に男は弱いのよね。自分が病んでいくって知りながら、目を離せないって聞くわ。あなたもそうだったでしょう? 最初にこの前で立ち止まって、それきりずっと動かないのだもの。呪いで即座に死んじゃったかと思ったわ」

 海人は苦笑して、もう一度「お気遣い、痛み入ります」と言った。

 女性はちらりと海人を見て、「それで、あなたはどう思ったの?」

「どう、とは?」

「この絵を見た感想よ」

「……そうですね」と、海人は視線を絵に戻して、少しだけ考えると、答えた。「もし自分に、こういう絵を描ける技量があったとして――こんな絵を描くとしたら、どのような状態だろうかと考えていました」

「ふぅん、それで? どんな状態だと思ったわけ?」

「さぁ、どうでしょうね」海人はおざなりに答え、くるりと絵に背を向けた。

 大きな箱を持ったホテルの従業員が、小走りに人の間を縫っていくのを目で追いながら、小さく呟く。―――俺なら、こんな悲しい絵は描かない。

 従業員がカーペットに躓いて、転んだ。刀剣が並んでいたテーブルにぶつかって、それごとひっくり返る。ガシャン、と盛大な音が鳴り、全員の注目を集めた瞬間、そこから真っ白い煙が噴き上がった。

「きゃああああ!」

 本来紳士ならばこの女性を助けるべきなんだろうな、などと思いつつ、耳障りな悲鳴をすっぱり無視して、海人は走り出した。恐ろしいほどの乳白色が、あっという間に視界を塗り潰す。

(悪いね。俺は紳士じゃなくて怪盗だし、今宵は既に先約がいるから)

   ★

 竹中は咄嗟に、両刃の腕を掴んでいた。騒ぎが起きるとしたらそれは陽動。鬼門組に動かせてはならない、という使命感が成させた業であった。

 煙はあっという間に室内に充満し、視界を奪った。悲鳴や怒号が飛び交う。予期せぬ事件が起きた時、それが自分の身を危うくすると分かれば、人はとにかく逃げようとする。そうと分からない内は、逃げる人もいれば、ただ呆然と立ち尽くす人もいる。

 煙の所為でよく分からないが、物音から察するに、中央付近にいた人々は大体が逃げようと扉に殺到しているらしい。竹中や両刃を始めとする、騒動の外にいて何が起きたか分かっていない人々は、静観する方を選んでいた。

 煙は視覚を塗り潰し、恐怖を煽りはするものの、匂いは無く、体に異常も感じられない。焦げる臭いも無いことから、ただの目くらましであると竹中は断じた。

(どうする? 他の皆はどうしている? とりあえず、僕が彼を捕まえている限り、鬼門組は何も出来ない……はずだ)

 無理に抜けていったとしても、既に顔は覚えているから、すぐさまホテルを閉鎖すれば逮捕は確実にできる。一人を捕まえれば、あとは芋づる式だ。そう考える竹中の横で、再び、今度は先程よりずっと大きな破壊音――というか、爆発音が響いた。

 ひゅう、と強い風が吹き込んできて、煙を追い立てていく。

 あっと言う間に薄らいでいく乳白色の中に、竹中は二人の男を見た気がした。青い帽子を深く被った、長身の男たち。しかし二人は、竹中が瞬きをしたその一瞬で、まるで煙に溶けたかのように、消え去ってしまった。

(まぼろし……?)

 竹中は本気でそう思った。

 視界が元通りになり、状況が見えてくる。

 硬質ガラスを一体どうやって割ったのだろう。しかし事実として、窓ガラスが割られていた。そこから外へと、太いワイヤーが下ろされている。会場の中央ではテーブルが一つひっくり返っていて、刀剣が床に散らばっていた。竹中の手はまだ、しっかと両刃を掴んでいた。彼の方を見ると、『何が何だか分からない』と書かれた顔で呆然としていた。もはや考えるまでもない。自分は見誤ったのだ、と竹中は痛感した。

 そして――壁を見る。

 隙間なく並べられていたはずの絵画の列に、大きな空白が生まれていた。

 竹中は、両刃の腕を解放して、そこに近付いた。空白の中心に、カードが一枚、貼り付けられていた。それを二度読み、三度読み―――竹中は毒づいた。

「くそっ、鬼門組め……っ!」

 すぐさま携帯を取り出して、外で待機している連中につなぎ、叫ぶ。

「鬼門組が出た! おそらく、ワイヤーを伝って降りていったはずだ! ホテルの東側を中心に張り込め!」

   ★

〈こんばんは。鬼門から失礼いたします。囚われの姫君は、我々が確かにお救い致しました。それでは、今宵もよい夢を〉

   ★

 竹中が自ら手を離してくれたことに、内心ホッとしつつ、両刃はそっとその場を離れた。

 事前に教えられていた壁の一部を軽く叩くと、そこが音もなく微かに開く。両刃は隙間に身を滑り込ませた。

 自分が来るのを待ち構えていた一人と合流して、声は一切出さぬまま、業務用のエレベーターに飛び乗る。七階で降りて、リネン室に入ると、さらにもう一人別の男が、竹刀のケースを持って待っていた。渡された普通の服に手早く着替えると、カラーコンタクトを外してポケットに突っ込む。スーツは用意されていたケースに適当に入れた。

 それから、三人は再び業務用のエレベーターに乗って、一気に搬入口まで降りると、ホテルの西側から堂々と出ていったのであった。

   ★

「あぁあ、やってくれたなぁ……」

 と、宇佐美は呟いた。目の前には惨憺たる光景が広がっている。A.A.C.ホテル、十二階の大催事場。先程までは優雅な見本市の真っ最中だったのに、今では警察の遊び場だ。並んでいた商品はすべて警察に回収され、ついでとばかりに隅から隅まで調べられてしまうのだろう。

 しかし、宇佐美は何も焦っていなかった。事が終わってしまった今となっても、あの電話が吉報だったか凶報だったかはいまいち判断できない。しかし、その連絡のおかげで、自分が逮捕を免れたことだけは、疑いようもない事実であった。

『鬼門組から予告状が来ましたか? アイツら、同じものを警察にも送りました。アイツらは、依頼を達成するためなら、裏社会の掟なんか一切無視します。心から忠告しますよ、黒兎堂さん。アイツらの狙いは〈五月革命〉という絵の一枚だけです。それだけ、大人しく本物を盗ませてやってください。そうすれば、あなたたちを巻き込むような真似は決してしないでしょう。俺の方からも言い聞かせておきますが……アイツら、もし万が一偽物とすり替えてあったら、即座に警察を呼んで、裏でやっている売買のすべてを暴露した上で本物を奪う、と断言していました。だからどうか、お願いします。あと、盗むにあたって、陽動となる騒ぎを起こすでしょう。サツに押収されて困る物は、すべて回収して差し替えた方が身のためかと……』

 この連絡をくれた喫茶店のマスターは、鬼門組の仲介役であり、情報屋だ。黒兎堂も、一度だけ鬼門組を利用したことがある。彼らが有名になって、警察にもっともっと睨まれるようになれば、宇佐美としても都合が良かった。それに、

(……まぁ、絵の一枚程度、大した損失じゃない。逮捕さえされなければ、一カ月で取り返せる程度だ)

 妥協点としては最高である。損害はたった一枚のみ。千載一遇のチャンスであったにも関わらず、警察は鬼門組も我々も取り逃がし、臍を噛むことだろう。それを思うだけでも相当に愉快だ。

 やはり吉報であったのだ、と、宇佐美は自分に言い聞かせた。


4.MISSION COMPLETE?


「で、だ」と、足沢は切り出した。「結局お前ら、どうやって盗み出したんだ?」

 三人は既に喫茶店《Milky Way》に戻り、順番にシャワーを浴びて、すっきりした表情でカウンターに向かい合っていた。足沢の、茶色に染まっていた髪は金色に戻り、メイク道具で描いたほくろもすべて落ちていた。いつもの通り、足沢はカウンターの向こうで丸椅子に座り、両祐と海人はオレンジと黒のグラスを前に席についている。

 質問に対しては、両祐が真っ先に口を開いた。

「俺が、バーカウンターにいた奴から従業員証をスるだろ。んで、そのまましれっと会場を出て、七階に行く。あらかじめ七階のリネン室に用意しといた従業員の服を着て、爆薬とか色々入った箱持って、業務用エレベーターを使って大催事場に戻る、と。倉庫側から入れば、持ち物のチェックはされないからな」

「その間に、俺が絵とサツの位置を把握。んで、アシューさんに囮としてわざと目立ってもらっていて、サツが食い付いたら準備完了。タイミングを見てリョウが会場に入って、カーペットに突っかかった振りして煙幕をぶちまける」

「んで、俺が窓ガラスを割って、ワイヤーを外に落としとくだろ。その間にウミが絵を外して、カードを設置したら、俺と合流してパパッと退散」

「俺だけ先に七階に下りて、アシューさんの撤退用にリョウが倉庫に残る。絵は木枠から外して、丸めて小さくして竹刀ケースに突っ込んでおく」

「三人が無事に合流したら、サツのいない方向にとんずら決めて終了ってわけさ」

 単純だろう? と両祐は笑った。

 海人がアイスコーヒーの氷をいたずらに掻き回しながら、事も無げに言う。「計画は出来るだけ単純な方が良いんでね。失敗しにくくて変更しやすい、良いことだらけですから。ま、ここまでお粗末なのは、限られた環境でしか出来ませんけど」

 足沢は溜め息をつきながら、「……なるほど」と言って、二人を軽く睨んだ。「だからと言って、計画の全容を教えないで、囮にだけ使うってのは、結構酷い話だと俺は思うんだけどな」

「悪ぃ悪ぃ、アシューさん」と、両祐はまったく悪びれずに言った。「だって、アシューさんって割と顔に出るじゃん。話しちゃうとバレるかなーって」

「初っ端からサツに目ぇ付けられてましたしね。さすがアシューさんっす」

「いよっ、嘗められやすい男ナンバーワン!」

「てめぇら喧嘩売ってんのかコラ」

「まぁまぁ」

 からからと笑って、両祐は竹刀ケースを足沢に向けて放り投げた。それから、二人揃って立ち上がり、

「ご依頼の品、確かにお届けいたしました」

「入金の方はいつものように、お願いします」

 と、胸に手を当て、左右対称に、無駄に格好つけた仕草で華麗に一礼する。その様はもはやそこいらにいる男子高校生ではなく、闇夜に生きる気高き怪盗の姿だった。

「確かに、承りました」

   ★

 必要なこと以外は何も言わず、何も聞かない。それがこの店のルールではあるが、彼らほど忠実に守っている連中は他にいない。足沢は、軽やかに去っていった怪盗たちのことを想いながら、時計を眺めていた。彼らは、いつまで怪盗として動き続けるのだろう。そもそも、どうして犯行を繰り返すのだろう。余計なことは聞かせない代わりに、こちらも余計なことは聞かないのだから、答えなど出るはずがなかった。もしかしたら、聞かれたくないがために、聞かないのかもしれない。彼らの頭ならそれくらいの計算は軽くこなすだろう。

 そろそろ十二時になる。そう思った時だった。

 不意に、扉が開いた。〈準備中〉の札が下がっているはずの店に、わざと入ってくる人間など、今のところ足沢には、一人しか心当たりがない。見れば、まさにその人であった。初老の女性。六十代の後半ほどだろう。腰は緩やかに曲線を描きつつあるが、顔立ちや身のこなし、服のセンスなどから、昔はかなり美しい人であったと窺える。

「いらっしゃいませ。どうぞ、お座りください」

 女性は静かに扉を閉めて、足沢が指したものより一つ手前の椅子に座った。

「ご依頼の品です。ご確認ください」

 竹刀ケースから取り出しておいた、分厚い布の筒を手渡す。彼女はおもむろにそれを広げると、上から下までじっくりと見詰めて、やがて元通りに巻き直した。足沢はそれを事前に見てはいなかったし、見ようとも思っていなかったが、ちらりと目に入ってしまった。美しい女性の裸体と、血塗れのバスタブ。不吉な想像をさせる、呪われた絵。足沢は、(この絵を、彼らはどんな目で見たのだろう)と思った。

「お間違いありませんか」

「……ええ。確かに、あの子の絵だわ。間違いありません」女性は決然とした声で断じた。顔は強張ったまま、どことなく悲壮感を漂わせて、「どうせ描くなら、こんな、死んだような…――」と呟いた。最後の方は、掠れて聞き取れなかった。それから、彼女は封筒を取り出した。「料金です。五百万。確認してくださいな」

 足沢は黙ってそれを受け取り、ざっと確認すると、引き出しへぞんざいに突っ込んだ。それから、別れの言葉を言おうとして――ふと、魔が差した。自分で定めた流儀を自分で犯すだなんて。足沢にとってそれはまさに、魔が差した、としか言えない心変わりであった。

「余計なことを、お聞きしてもいいですか」

「……なにかしら」

「どうして、その絵を盗もうと思われたのですか?」

 彼女は、目を伏せて黙り込んだ。答えを渋っている、というよりは、過去の海に沈んでいっているようだった。息もせずに沈んで、深みに落ちて、そのまま戻ってこないつもりではないかと足沢は思った。

 やがて、ぽつりと、「この絵のモデルはね、私の娘なの。疲れ果てて、先にいってしまった、可愛い私の娘」嗄れた声が店内に降り落ちた。「娘は絵を描くのが好きだったの。でも、うちは母子家庭で、私立の美大に何て行かせてあげられなかった。それで、地方の国立大学の、美術科に行っていたの。……どうして、どんな無理をしてでも、私立に行かせてあげなかったのかしら……そうしてさえすれば、この子は死なずに済んだかもしれないのに……」

 足沢は余計な質問を後悔しながら、俯いていた。たとえ幾つであろうと、女性は女性だし、女の涙は苦手だ。どうしたらいいのか分からなくなる。

「……この絵を描いたのは、娘と付き合いがあったらしい男よ。葬式には呼ばなかったから……どこかで、あの子の不幸を聞いたのでしょうね。もしかしたら、嫌がらせのつもりだったかもしれないわ。……葬式が終わって少しして、娘の下宿先から転送されてきたの。……当然、私は受け止めきれなくて、すぐに人に譲ってしまった。巡り巡って、この絵が行く先々で不幸を招いていると聞いて、何もしないわけにはいかないと思ったわ。――ただ買うのでなくて、盗んでもらったのは、ちょっとした復讐よ」と、彼女は、寂しそうに笑った。「金なんか払うものか、ってことと……盗めば、話題になるでしょう? きっと、あの男にも届くでしょうから、そうしたら、もう一度あの子のことを思い出せ、って」

 彼女はカウンターに手をついて、ゆっくりと立ち上がった。

「別に私、男のことを恨んでなんかいないのよ。そんな無意味なことはしないわ。ただ、他に捌け口が無いってだけ。恨むとしたら――そうね、私に何の相談もしてくれなかった、あの子を……皐月を恨むかしら」彼女は。どこか憑き物が落ちたような表情で、そう言った。「実はね、私には孫がいるの。娘が、死ぬ直前に残していった、孫が。別の家族のところで、元気に過ごしているらしいわ。あの子が行きたくて行けなかった、美大に通っているって……そうね、あなたより、少し年下かしら」

 と、彼女は足沢を見上げて微笑んだ。まるで自分がその孫になったように思えて、足沢はこそばゆい思いを味わった。いたたまれなくなって、目線を逸らし、話を終わらせにかかる。

「余計なことを聞きました。失礼しました」

「構いませんよ。むしろ、聞いてくださってありがとう」

「……それでは、これで契約は終了となります。ありがとうございました、緑川さん。願わくば、二度とお会いしないことを」

「そうね」彼女はふふふ、と笑うと、重たげな足を引きずるようにして、店を出ていった。

   ★

 店の中をすっかり片付けてしまうと、足沢は重々しい溜め息をついた。「なんで、あんなこと聞いたんだろう、俺……」独り言は、思っていたより大きく、孤独な空間に響いた。

 引き出しから分厚い封筒を取り出して、踵を返す。店の電気を切り、代わりに階段の電気を点け、

「――っ、わああっ!」

 そこに二つの人影がうずくまっているのを見るなり、奇声を発して飛び退いた。

「よお、アシューさん、さっきぶり」と、片手を上げる両祐。

「二階の窓替えた方が良いですよ。あと、雨樋の位置も少しずらした方が良いかと」と、冷静に指摘する海人。

 足沢は絶句した。「……お、お前ら、何でここに?」

 両祐は平然と言った。「情報を盗みに来たんだよ。ウミが、あの絵の真相を知りたいって言うから」

「そ、ちょっと気になってしまいまして」と、海人も無邪気に笑って言う。「俺たちは怪盗・鬼門組ですから。欲しいものは自力で盗む。――ま、正直、アシューさんがあそこまで詳細に聞くとは思いませんでしたけど。おかげで、よく分かりました」

「そーいうこった! んじゃ、これで俺らの用事はおしまいだ。さーて、早く帰って寝ねぇと」

「なぁ」不意に、足沢が両祐の言葉を遮った。「お前ら、あの絵を見て、どう思った?」

 突然の問いに、二人は顔を見合わせて少しだけ考えたが、やがて銘々に答えた。

「何か辛気臭くて嫌だなぁって」と、海人。

「おっぱい凄ぇなって」と、両祐。

「……そっか」

 子供らしいシンプルな回答に、足沢は何故か心から安堵した。


5.日常こそ鬼門なり!


 翌朝、海人が学校に着くと、ちょうど追々試が終わったタイミングだったようで、彼の教室の隣の空き教室から、疲れた顔の生徒たちがぞろぞろと出てきていた。その行列を何ともなしに眺めていたのだが、やがて全員が行ってしまうのを見送ると、海人は溜め息をついて、自分の教室に入った。

(あぁあ、あの馬鹿……やっちまったな……知ーらねぇっと)

   ★

 両祐が教室に駆け込むと、実に不機嫌そうな顔で腕を組んだ担任が待ち構えていた。

「木ぃ志ぃ~? お前は今何時だと思っているんだ?」

「八時十五分です!」

「遅刻じゃないか。分かってるのか? 追々試もあったというのに、お前本当にやる気があるんだろうな。なんでこんなに遅れたんだ、言ってみろ!」

「はい、寝坊しました!」

「堂々と言うことじゃないだろう! 少しは悪びれろ!」

「あっ、はいっ」

「もういい、廊下に立ってろ!」

「はい、さーせんっした!」

 一生懸命『反省しています』という顔を作って、廊下に立つ姿は、どう見ても、そこいらにいる普通の男子高校生だった。


               おしまい



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