後日談3:下着泥棒について
サイジェント騎士団団長を疲弊させた下着泥棒だが、なんと、まだ捕まっていなかった。
見回りを増やしても、その隙を突いて奪っていくのだ。妙齢の女性たちの下着の数々を。
下着だけ室内干しにしてもらえれば問題ないのだが――それでは根本的解決にはならない。また、そもそも犯罪者のために、どうして女性が我慢をせねばならぬのだ、という不満の声も上がっていた。
そこで団長が思いついたのは、囮捜査であった。
白羽の矢が立ったのは、マルツ亭の看板娘にして、新入りスヴァルトの恋人でもあるクシェル。
なにせ彼女は、器量よしの上に気立てもいい。下着を囮にしたい、という無理難題にも応えてくれるように思えたのだ。
そして実際、その通りであり。
クシェルもいい加減、室内干しを面倒に感じていたので、スヴァルトの反対をやんわり押しのけて了承。こうして両者の思惑が合致した。
下着泥棒は、いつも白昼堂々と行われるという。
それで目撃情報も上がらないのだから、よほど手馴れているのか――はたまた、サイジェントの住人がとにかく呑気なのか。
ともかく白いブラジャーとショーツを窓辺に吊るし、クシェルの部屋の中でスヴァルトは息を殺していた。隣には部屋の主であるクシェルと、後方には遊びに来ていたメイリーナたちもいる。
もちろんすぐ飛び出せるように、窓も開け放ってある。
レースのカーテン越しに下着をうかがっていたスヴァルトは、あることに気付いた。
そしてほぼ無意識に、その気付きを口にした。
「あの下着、初めて見ますね」
それは小さな小さな、呟きであったが。
途端、メイリーナの周囲の空気が固まり、ひび割れた。
彼女の隣であぐらをかくエルロは、頬を赤らめ「きゃーっ」と見悶えている。
スヴァルトはすぐにハッとなるも、全てが遅かった。ハッとなった時には、すでにメイリーナに胸倉を掴まれていたのだ。
据わった目になったメイリーナが、小声で詰問する。
「おい、田舎騎士よ」
かつてこれほどまでに、怖い「おい」を聞いたことがあっただろうか。いや、ない。
思わず、スヴァルトの目が泳ぐ。
「……はい」
「どうしてお前が、お姉さまの下着を把握しているのですか?」
「それは、ですね……」
――脱がせているからですよ、とは口が裂けても言えない。
だって相手はメイリーナである。言った途端、自分が裸にひん剥かれそうだ。
ではどう言い繕う?
クシェル殿のお宅へ遊びにうかがう際に、度々洗濯物の取り込みを手伝っています、とでも言うべきか?
これは妙案かもしれない。
実際、夕飯をご馳走になった際に、洗い物や風呂掃除を手伝っている。全てが嘘、というわけでもないのだ――
と、スヴァルトが一秒ほどの間に、言い訳を考えていると。
「いや、だって、スヴァルト君が脱がせてくれるんだから、そりゃ下着も覚えるよ」
脱がされている当人が、あっさりゲロった。たいそう可愛らしく、肩をすくめて。
「お姉さま!」
「ク、クシェル殿!」
胸倉を掴み・掴まれている両人が、思わず目を剥いて叫んだ。もちろん、これも小声である。
掴んだままのスヴァルトをガクガク揺さぶりながら、メイリーナが彼女へ問いただす。
「お姉さま、何をおっしゃってるのですか! ふしだらですわ!」
「いい年した男女が、付き合ってて、何もしないわけないだろ。なあ?」
どうしてちょっと、他人事なのか。
スヴァルトはその呼びかけを、無視したかったが――呼びかけているのはクシェルであるため、できるわけもなかった。
いっそ無垢と呼んでもいい、大きな丸い瞳を横目で見ながら、スヴァルトははあ、とため息。眼鏡もずれていたが、そのままにする。
「それは、そう……です……はい……何もせずには、いられません……」
「ほら」
ほら、と肯定されると、余計に気恥ずかしかった。耳まで赤くなる。
赤くうなだれる彼につられ、赤くなったメイリーナががなった。
「が、我慢なさいよ、あなた! それでも聖騎士でして?」
ド正論の妹に、姉も同じくド正論をのたまった。
「今は田舎騎士じゃないか。君がそう呼んでるだろ」
「うぬぬ……それでも、我慢すべきですわ!」
「恋人なのに、それは酷過ぎないかい?」
赤い顔でもじもじしていたエルロも、ここで参戦する。
「まあ、それもそうですよね。この年頃の男って、性欲持て余してますし。下手にお預けさせると、浮気しちゃう可能性もありますよ」
「うわっ……」
メイリーナの、令嬢然とした顔が滑稽に歪んだ。手も緩んだので、それとなくスヴァルトは距離を取った。
窓際へ退く彼を、半泣きになったメイリーナが声で追撃する。
「お姉さまがいらっしゃるのに、浮気なんて許しませんわ!」
「しませんよ、浮気なんて……」
する程度の感情なら、そもそも聖騎士だって辞めていないわけであり。
なおもピーピー泣き喚く彼女を、クシェルとエルロがなだめすかす。
その間にスヴァルトは窓際に座り、ずれた眼鏡を戻そう――として、レースのカーテン越しに、ヒゲの濃い男性と目が合った。
「げっ」
「あ」
うめく男性に、ピンと来たスヴァルト。
軍配が上がったのは、若いなりに修羅場をくぐっているスヴァルトであった。今現在も、ある意味では修羅場の真っただ中であるし。
クシェルの下着――後に聞いたところによると、着古したものを囮にするのは恥ずかしかったため、わざわざ新調したらしい――へ手を伸ばしていた男が、屋根の上で方向転換するより早く、その首根っこをスヴァルトが掴んだ。
そして、部屋の中へと引きずり込む。
口論を続けていた三人が、ギョッと黙り込んだ。
最初に恐々と、男を指さしたのはエルロであった。
「だ……誰ですか、その男? あ、ひょっとして――クシェル様の間男ですかっ?」
声の裏返った彼を、メイリーナがビンタで黙らせる。
「お姉さまは一途なのよ! 浮気をなさるはずがないでしょう!」
そんな頓珍漢な怒声を背景に。
強引に引きずり込まれた男は、背中から床へダイブ。
そして彼をごろりと転がし、スヴァルトは素早く背に乗り上げる。次いで、腕を捻り上げた。
男から悲鳴が上がる。
スヴァルトの隣に、クシェルが並んだ。うかがうように、淡い茶色の瞳が彼を見つめた。
「この人が例の下着泥棒かい?」
こくり、とスヴァルトは小さくうなずく。
「ええ。クシェル殿の下着を取ろうとしておりましたので、間違いないかと」
そして、腰にぶら下げている手錠を取り外す。
「お会いできて光栄ですよ、下着泥棒さん」
淡々とした声でそう言いながら、スヴァルトは男へ、手慣れた動作で手錠を掛けた。
そんな彼へ、クシェルがにっこり。
「スヴァルト君、かっこいいね」
「きょ、恐縮です」
手放しの賛辞に、つい、また頬が赤くなる。照れ隠しに、眼鏡を押し上げた。
ニコニコと上機嫌でそれを見つめた後、クシェルは泥棒の近くにしゃがみこんだ。
「でも、泥棒さんも馬鹿だね。人の声がしたのに、どうして盗みに来たんだい?」
床に伏せたまま、もごもごと泥棒が言う。
「いや……あんまりにも、喧嘩してる内容が馬鹿馬鹿しかったから……こいつらなら、気付かないかなーと」
「なるほど」
スヴァルトとクシェルが、ほぼ同時にそう言った。次いで、メイリーナを見る。
「な、なんですのっ」
ばつが悪そうな彼女に、二人はまた同時にニヤリ。
「メイリーナ殿のお手柄ですね」
「だな」
「お姉さまたち、ひどいわっ。馬鹿にしていらっしゃるでしょう!」
目を潤ませる彼女に、クシェルは肩をすくめた。
「事実、馬鹿だったおかげで、捕まえられたんだから。馬鹿万歳だよ」
姉としてのクシェルの発言は、結構容赦がない。
しかし実に、彼女らしい。
スヴァルトはそんなことを考えながら、泥棒を連れて、一階へ向かうのであった。




