11 イセリアギルドいざ突撃
ガチャリ――
スカーレットはくたびれたドアノブを回して扉を開くときょろきょろと中を見回す。
俺も頭越しに中を覗いた。
いつもと特に変わりは無いようだ。
入口から見て右側一面が掲示板、左側にテーブルと椅子が所狭しと置かれ、様々な格好の冒険者達が各々雑多な目的を胸にこの場に佇んでいる。
ある者は伴侶を探し、ある者はクエスト掲示板を眺めて考え込み、またある者は地図を広げて仲間と打ち合わせに勤しみ、絶えることのない騒めきは否が応でもこれから始まる冒険を色めき立つ物に感じさせてくる。
「ほう、さすがは立派なギルドだけあって随分と賑わっておるのう」
スカーレットは頭の上に顎を乗せて様子を窺う俺に一言告げて建物の中へ進んだ。
俺もその後ろについて屋内に入ると正面突き当りのカウンターに立つ筋肉質な中年男性がこちらに目を向けてきた。
黒い眼帯がトレードマークのイセリアギルド支配人だ。
「いらっしゃい。おや、アンタ見ない顔だね……!!!?」
穏やかさと屈強さを併せ持った支配人はいつもと変わらぬ口調で出迎えたと思いきや突如顔色を変えてカウンターに両手をつきながら掲示板を覗き込んだ。
いや、支配人だけではない、ギルドの中にいる全員が一斉に掲示板を凝視していた。
皆が同じ方向を向く滑稽な景色と共に一瞬にして辺り一面の喧騒が失われる。
つられるように俺も掲示板に目を向ける。
そこには親父から受け取ったスカーレットの人相書きが貼られていた。
一通り掲示板の内容を確認すると今度は周りの視線がスカーレット本人に集まった。
後ろに立つ俺の存在は誰も気に留めていないようだ。
そりゃこれだけ張り紙の特徴と一致する者が現れれば当然だろう。
だが俺達は静まり返った室内を人目も気にせずカウンターに向かって真っすぐに進んだ。
「や、やあ、いらっしゃい。名前を聞いても、いいかな?」
少し腰が引けた支配人が平常心を繕って話しかけてきた。
とはいえ2度もいらっしゃいと言う辺り動揺しているのがバレバレである。
「名であるか? 妾の名は大魔王スカーレットであるぞ」
スカーレットは一点の曇りもない瞳でにこやかに支配人に答えた。
「ブハッ!」
予期せぬ角度から噴き出すような笑い声。
支配人に返した言葉だったのだが誰よりも早く反応したのはいちばん奥のテーブルを陣取る目つきの鋭い男だった。
両脇に座っている女はウィザードとヒーラーか。
遠巻きに眺めても全員それなりの経験は積んでいるように見受けられる。
「なあアンタ、見た目まで似せっちゃってさあ、頭どうかしちゃってんじゃないの!?」
男は片目を大きく開き、自分の頭を指差しながら舌をベロリと出して挑発してきた。
その挑発を端に発し別のテーブルの連中もニヤニヤと見下すような視線を投げかけてくる。
なるほど、あいつがギルドの親玉か。
しかしあの男、今まで何度か見掛けた気がするけどこんな攻撃的だったかなあ……。
そんなことを考えていると煽られた張本人は状況が理解できていないのか俺に顔を向けて尋ねてきた。
「のう、あの隅っこにいる小うるさい男はお主の知り合いであるか?」
「いや知らん。いいからあんな雑魚は放っておけ」
まあ煽られたのは事実なので俺はわざと男まで聞こえるように大声で答えた。
「てめえっ! 誰が雑魚だ! 言ってみやがれ!」
やれやれ、絵に描いたような小悪党だな。
思うが否や男は怒声と共に勢いよく立ち上がった。
倒れた丸椅子が床を打ち付けガタゴトと響き渡る。
直後、床を躍る椅子の動きが止まり一瞬の静寂が訪れた。
沈黙が支配する室内、男は今にもこちらに踏み出そうとしている。
だが男がこちらに向かってくるのを阻止するかのように突如場の空気がキンと凍り付いた。
全員が異変の起こった方向に首を傾ける。
そこには漆黒の翼を纏う女が静かに佇んでいた。
またしても静まり返るギルド。
目つきの鋭い男もその闇を支配する翼に圧倒されて足踏みはおろか瞬きひとつすらできないようだ。
だが時が止まったかのような空間を切り裂くように女は脇目も振らず俺達に寄ってくると照れ臭そうに微笑んだ。
「え? あの2人は?」
「それが、私だけ中に押し込まれまして……」
恐らく3人同時に入るよりクーリエ1人で入った方が視覚的効果が高いと踏んだのだろう。
となるとこの胡散臭い冷却魔法はセシルが唱えたやつか……。
俺は入口の扉に向かって一瞥すると無言で手招きをした。
待ってましたと言わんばかりにセシルとルシオンが屋内になだれ込んでくる。
「ねえねえ見た!? やっぱりクーリエだけ行かせて正解だったでしょ!?」
演出家気取りのアホ娘がしたり顔で近づいてきた。
俺、こんな奴とパーティー組まないといけないのか……、やだな……。
「あ、アンタはイセリアの守護神ルシオン……」
俺は先行きの不安感に項垂れていると硬直していた親玉の男が突然声を上げた。
とはいえ喉から絞り出したような声色には先程のような威勢の良い叫喚は微塵も見られない。
想像するに男からすればルシオンは決して超えられぬ絶対的な存在なのだろう。
だらりと下がった両肩と張りのない口調がそれを如実に示している。
「やっほー」
男とは対照的に間の抜けたルシオンの返事が緊迫した場内の空気を解きほぐしていく。
しかしルシオンの物腰の柔らかさが却って男の感情を逆撫でしているように感じられた。
男の面持ちがどうであれイセリアでのルシオンの存在は絶対だ。
エルバード亭ではあまりに見慣れ過ぎて存在が空気と化していたがギルドのような力が物を言う世界では影響力が顕著に表れる。
いつの間にか男は連れ立っていた女と共に風のように去っていった。
嫉妬だろうか、それとも敗北感であろうか、あるいはプライドを傷つけたくなかったのだろうか、去り際に男が発した舌打ちが心境をそのまま物語っているようだった。
「何? 今の」
冷めた目で男の後姿を追っていたセシルが尋ねてくる。
「さあな、縄張り争いに負けたんだろ」
「ふーん大変ね」
俺の適当な答えにセシルは感情のこもらない相槌を打った。
それにしても嵐が通り過ぎたかのように誰もがあっけにとられている。
それは幾千の冒険者達と接してきた支配人も例外ではなかった。
「支配人?」
「あ、ああ、すまない」
呆然とする支配人に声を掛けると我に返ったように俺に瞳の焦点を合わせてきた。
「ところで、本当にあのスカーレットなのかい?」
恐る恐るといった感じで支配人が探りを入れてくる。
「本物だよー」
横からルシオンの笑いながらの軽い返事。
だがその一言は効果てきめん。
イセリアの守護神が発する言葉の信憑性、そして何よりもルシオンの存在自体が身の安全のシンボルであると誰もが認識しているからであろう。
その効果があってかクーリエが入って来た時とは雰囲気が一変、ギルドの連中は静かに状況を見守る野次馬と化していた。
さて、当然だが野次馬共に構っている暇はない。
いや、実際には暇で暇で仕方ないのだが長居する理由も無いのでさっさとパーティー登録を済ませてオサラバするとしよう。
「なあ支配人、パーティーの登録をしたいんだが魔族も大丈夫だったよな」
「ああ、協定があるから本人の意思表示さえあれば種族は問わないね。でも国交問題があるからねえ、キャスバルの魔王と組めるかと言われてもカーネリアのお達し次第になるかな……」
やはりひと悶着受け入れる覚悟が無いとスカーレットとのパーティー結成は無理か……。
いや、下手すればこの先カーネリアと衝突する可能性すらありそうだな……。
「まあ黙っている訳にはいかないから上には報告はさせてもらうけど先にパーティーを組むことは可能だよ。勿論暫定だからお咎めがあればその場でパーティーは解散してもらうけどね」
考え込んでいる俺に向かって支配人が言葉を続けた。
確かにここで悩んでも仕方がないし取り敢えず登録を済ませて何か問題が生じたらその時考えるのが賢明そうだな。
「分かった。じゃあこの5人で登録頼む」
「はいよ、アンタは確かエルバード商会のとこの息子さんだね。ルシオンちゃんも行っちゃうのか、寂しいなあ……。それとキャスバル魔王スカーレットとこちらの2人でいいかな?」
支配人はセシルとクーリエに目を向けるとカッと双眸を見開いて固まった。
うん、セシルを見てあからさまに支配人が動揺しているね。
「ちょ、ちょっといいかな……。そっちのお嬢ちゃんのそれってかなり強い四点結界に見えるけど今それ外せない?」
「ああ、こいつは上級魔導士の修行で身体に負荷を掛けている最中なんだ。ここで外すと今までの苦労が無駄になるからすまないがこのままで頼む」
「……そうかい、それじゃあ仕方無いねえ」
咄嗟に嘘で誤魔化すと支配人は一瞬の間を置いて引き下がった。
何となく妥協されたような気がしたが穏便に済まされたようだ。
ここであの結界を外したらそれこそスカーレット以上の大混乱待ったなしだからな。
俺は軽く息をついて話を続けた。
「魔王達とはエルバード家の古くからのちょっとした付き合いがあって暫く一緒にいることになったもんでね、折角いろいろ回るなら冒険者の証でも貰おうって話になったのよ」
何故ここに魔王がいるのかといった具体的な理由は伏せたまま如何にもらしい理由を支配人にぶつける。
「そうかい、まあこれ以上込み合った理由は敢えて聞かないから安心しておくれ。誰だって口には出せない理由の1つや2つはあるものさ。ただその理由が罪を背負っていない限り旅立ちの妨げになってはいけないと思うんだ」
支配人も俺の心情を知ってか知らずか何かを察したように深くは聞いてこない。
様々な理由を抱えて冒険者を目指す背中を散々見てきたのだろう、ツッコミどころ満載のメンバー構成に臆することなく彼は黙々と書類の準備を始めた。
…
……
………
程なくして支配人がカウンターに戻ってきた。
手には数枚の記入用紙とカーネリア大陸地図、それに地図の付録の小冊子。
恐らくあの地図と付録はスカーレットとクーリエの為に用意したものだろう。
「さて、書類の準備もできたことだし皆がお待ちかねのランク測定の時間だ」
ざわ……
ざわ……
支配人の言葉に周囲から待ってましたと言わんばかりの騒めきの声が立ち始める。
やはりスカーレットの事が気になるようだ。
ルシオンが本物であると言ったもののその目で真実を確かめたいのだろうか、カウンター脇に置かれた魔導水晶に視線が集まっていた。
カウンターの隅っこ、少し薄暗い場所に紫色の座布団を携えて鎮座する魔導水晶。
俺の肘から指先までありそうな大きな水晶玉を見つめていると何故か吸い込まれそうな感覚に襲われる。
「測り方は簡単だ。両手で魔導水晶に触れて何か念じるだけさ。魔法が使えるならいちばん自信のある魔法でも構わない。魔法が使えないなら何でもいいから強く願ってくれればそれで十分に潜在能力は測れるよ。あと外的要因を関わらせないように詠唱と召喚魔法は禁止だから注意しておくれ」
ぼんやりと水晶玉を眺める俺達に支配人が一通りの説明を述べた。
スカーレットが分かったような分かっていないような顔つきをしている。
「要は魔導水晶に触りながらカッと腹に力を込めるだけだ」
「フム、確かに感覚的にはそんな感じでありそうじゃの」
この説明が正しいのかは言った俺すらはっきりしない。
だがスカーレットはどことなく理解したのか笑顔で相槌を打ってきた。
「では始めようか。でもその前にSランク以上は間違いなさそうだから審査官が要るね」
そう言うと支配人はカウンター奥の扉をノックした。
やがて扉の奥から若い女性が出てくると俺達に向かってぺこりと頭を下げた。
緑色のローブととんがり帽子に身を包んだ女性は魔導水晶を挟んだ向こう側の椅子に腰掛けると優しい手つきで目の前の水晶玉の表面を撫で始める。
手の動きに応じて光をほとばしらせる魔導水晶は無機物であるにも関わらず躍動感に満ち溢れ、その存在感を遺憾なく発揮している。
「よし! じゃあ誰から行くんだい?」
「最初は俺が行く。お前等に手本を見せてやるぜ!」
俺は支配人の掛け声に誰よりも早く呼応した。
「お主の限界を見せるのじゃ」
「お手並み拝見ね」
「にーさんがんばれー」
「サム様ご武運を……」
黄色い声援を背に受けて俺は魔導水晶の前に置かれた椅子にどっしりと座った。