2. 独善の勇者 (2)
私は先ほどこの男が叫んだ言葉を思い出して吟味した。私が世を混乱に陥れると言ったのだったな。
「千年王国の勇者カーランデル。分かるように説明してくれ。なぜ私がこの世を混乱に陥れると思うのだ? そもそも、この世は混乱しているのか?」
当然の問いかけだというのに勇者は答えに窮した。解せぬ。どうして勇者達は皆、最初の口上に対して問い返されることを想定していないのだろうか。誰もかれもが随分と悪質な言いがかりをつけてくるにも関わらず理論武装をして来ないと言うのは、準備不足も甚だしい。
だが良い。私は待とう。我が友の毛づくろいは入念だ。時間はたっぷりある。
我が友が右の後ろ足から腹にかけてを整える間に勇者カーランデルは答えに到達した。
「今はまだ乱れてはいない」
カーランデルは胸を張っている。
ふむ。そうか。それは私の理解とも一致している。五十年ほど前まで続いた魔王継承のための大争乱が終わって以来、大陸には大きな戦は起きていないはずだ。至る所が焼け焦げた大陸も、すっかり立ち直った。
しかし、そうなると話の辻褄が合わない。
「世が混乱していないのならば、私を討つ理由は何だ。お前は先ほど世を混乱に陥れる魔王を討つと言ったのではなかったか」
するとカーランデルはきつく私を睨み上げてきた。
「混乱が起きてからでは遅い。我が国は魔物の国と国境を接している。魔王が兵をあげると決めれば真っ先に攻め込まれるだろう。お前達が動き出してからでは遅い。民の命が奪われてからでは取り返しがつかない」
「だが私は明日も、明後日も、これから先も私が玉座にある限り人の子の国を攻めるつもりはないぞ。むしろ先に攻めてきているのはそちらだろう」
他国の城に入り込み、玉座に向かって剣を抜こうとしているのは間違いなく勇者カーランデルの方である。
「口では何とでも言える。そのような言葉、信じられるものか」
どうやら一国の王の言葉としての重みを理解してもらえないようだ。
「では何があれば信じるというのだ、勇者カーランデル。一筆したためれば良いのか?」
親書など書いたこともないが、書けないこともない。
「そういう問題ではない!」
「それはつまり、どうあっても私の言葉を信じることができないということだな?」
勇者達は揃って首を縦に振った。
「我が国の民の不安を取り除き、未来に渡る平和を確固たるものにするためには、お前の首をとって魔物を駆逐するほかない」
「ふむ。お前達は隣国から攻め込まれる危険を、先に隣国を滅ぼすことによって避けようと言うわけか」
カーランデルは大きく頷いた。
この男ならば有意義な議論ができると思ったのは買いかぶりだったようだ。これ以上議論を重ねても合意に至れるとは思われん。話はこれまでにしよう。
「お前達は、隣国の王を殺して自国の平和を守ろうとするようだが、私は私が健在であることで我が国を守るのだ。王としての務めを果たすためにはお前に討たれてやるわけにはいかぬ」
私は玉座の間の扉を指し示した。
「帰ってお前たちの王に、そのように伝えると良い。それが受け入れられぬと言うのなら、我が国の勇士がお前達の王の眼前に剣をつきつけ、今のお前と同じことを言ったときに何と答えるのかを聞いて来い。お前達の王は良き隣人として喜んで首を差し出すのか、とな」
カーランデルは歯ぎしりした。帰るどころか剣の柄に手をかけて抜刀する。
ふん、しょせん勇者は勇者。語り合うよりも剣を振るうことを望む蛮人ということか。思い返すとヴァルキリウスは素直さの一点において逸材であった。宴を開いたのも無駄ではないと思える。
「言葉遊びはこれまでだ。魔物め! 正々堂々と勝負しろ!」
カーランデルが腰にさげているのは千年王国秘蔵の聖剣だ。奴が剣を振るうと剣先から青い光が放たれ、それは稲妻のように玉座に迫ってきた。
聖剣は、剣の形状をしているが実際には飛び道具である。正々堂々どころではなく卑怯なやり口だと私は思う。先代魔王から引継ぎを受けていなかったら、少々危険な目にあうところだった。
玉座の間は広いが、聖剣の光が走る速さは人が駆けるよりはるかに速い。危険と分かっていても避けることは難しい。私は深き毛皮の友を懐へ抱き込み、マントで覆った。青い光はマントの表面を叩いて消え去る。勇者が魔王に対して聖剣を振るった回数は通算で一万回を下るまい。そして歴代魔王も馬鹿ではない。このマントには過去の失敗から学んだ教訓が詰まっている。
マントのおかげで痛くもかゆくもなかったが、深き毛皮の友は私の腕の中で尻尾を立てた。
「ああ? もう乱暴に掴むから折角整えた毛並みがぐしゃぐしゃになっちまったじゃねえか。くっそ、やりなおしだ」
おお、なんということだ! 私の深き毛皮の友の大事な毛皮が乱れているではないか。これは私が友をマントの中へ動かしたせいだな? だが、私が我が友の美しい毛皮に慌てて触れざるを得なくなったのはあの愚かな勇者のせいだ。
おかげで我が友の機嫌が悪くなってしまったではないか。おのれ、勇者め。許せぬ。断じて許せぬ!
私は立ち上がり、狼藉者を睨みつけた。
「貴様、カーランデル! 我が深き毛皮の友の毛皮を乱すこの大罪、どのようにして償うつもりか!」
阿呆のように立ち尽くす勇者達の様子が、また怒りを誘う。
私の怒りを感じた魔物達が狂喜乱舞して俺にやらせろと騒ぎ出した。いいだろう。ここは魔将に相手をさせてやろう。
勇者よ、自分たちの犯した罪の重さを思い知るが良い。魔将たちは玉座の間には侍っていない。しかし、彼ら私の身の内に封じられて今この場所にいる。私が呼べばすぐに姿を現すのだ。
「いでよ、スキュラ! この狼藉者たちに我が友に剣を振るう無礼の罪深さを思い知らせてやれ!」
十大魔将の椅子の一つがはじけ飛び、代わりに六つの犬の頭と十二本の獣の脚、その更に上に美しい女の体が乗った魔物が現れた。しつこい追跡をさせればこのスキュラに敵うものはない。ふふふ、追って追って追い詰めて、怯えさせてやるがいい。
「こいつがスキュラか! 油断するな、それは十の猛き魔物の一角。獰猛な復讐者にして貪欲な追跡者だ」
さすがに魔術師はものを良く知っている。しかし、知っているのと敵うのは別の話だ。人の子ごときに遅れをとる魔将などいない。
そうだ。せっかく顕現させたのだからもう一つ用事を済ませてもらおう。
「それから、千年王国の王のもとまで出向き、先ほどの問いの答えをもらってこい」
スキュラはにっこりとほほ笑んで頷くと十二本の力強い脚で勇者達を追い詰めていった。一歩ごとにタイルがひび割れ、砕け散る。
久々の外出でやる気十分だな。後は任せよう。
私は深き毛皮の友を伴って騒がしい玉座の間を離れた。廊下を急ぎながら修繕の得意な魔物を呼ぶ算段を考える。歴史ある魔王の玉座の間をいつまでも穴ぼこだらけにしておくわけにもいくまい。
深き毛皮の友は私の肩の上にあがって鼻をひくひくと蠢かせた。これは機嫌が良い仕草だ。スキュラによる仕置きに満足してくれたようだ。
「スキュラの奴、あの体格なんだから椅子になんか座れないってのに、それでも毎回椅子の上に顕現するあたり律儀な奴だよなあ」
「そうだな、友よ。玉座の間を修復するついでにスキュラの椅子をもう少し大きく頑丈に変えてやろうか」
「いや、あいつ椅子とかいらねえだろ。どう考えても座れねえぞ。」
しかしあの椅子は十大魔将の権威の象徴でもあるからな。きちんとしたものを用意せねばならないだろう。はて、どれ程の大きさであればスキュラに踏みつぶされずに済むのやら。
***
スキュラに執拗に追い回され、疲れ果てた勇者一行は命からがらに千年王国に戻った。異形の女を従えての帰還に凱旋かと都は湧きたったが、王宮で勇者の口から真実が語られると立ち会った人々は顔色を無くした。魔物は戦利品どころか魔王から押し付けられた目付け役であり、捕虜となっているのは勇者の方だというのである。千年王国の国王はスキュラから魔王と勇者の問答を伝えられ、答えを求められると怒りのあまりその場で憤死した。
千年王国は突然に国王を失い、王位の後継者を巡る長い混乱へと突入した。
魔物達の挿絵を入れたい。でも、できないからスキュラが気になった方はネットで検索してください。m(_ _)m お絵かきスキルが欲しいなあ。。